小坂森林鉄道 濁河線 第4回

公開日 2014.8.19
探索日 2013.5.02
所在地 岐阜県下呂市

上部軌道を西へ 一ノ谷との接近


← まずは前回の訂正をひとつ。

前回まで、左の図中に破線で示したラインを上部軌道の擬定線として扱ってきたが、旧版地形図上での軌道の標高を根拠としたこのラインは、誤りだったようだ。
今回、レポート執筆の段階で改めて当日のGPSの記録を確認したところ、実際には擬定線よりも平均50m高い位置で上部軌道の探索を行っていたことが判明した。
つまり、標高990m付近で路盤に初到達し、そこから濁河索道(岳見台)へ向かって進行中というのが、現在の状況である。

目標物が乏しい山の中であったため、GPSを見るまでこれだけの標高差にも違和感を憶えなかったのだが、遊歩道から上部軌道路盤までのアプローチで45分もの時間を費やしたのも、これで納得して貰えると思う。私がサボっていたわけではなく、一生懸命歩いたが、150mの高低差は大変だったということなのである。

…それでは、本編再開!!




2013/5/2 9:05 《現在地》

レール、レール、レール!

路盤に到達してからしばらくはそればかり見ていたが、20分以上レールのある路盤を歩き続けた結果、もはやこの上部軌道でレールは全く当たり前の光景で、当分はその存在も安泰だろうと思うに至って、ようやく落ち着いてきた。
そして、普段の(レールが残っていない)林鉄探索でそうしているように、路盤の周辺にも小まめに目を向けて、林鉄の名残を探すことが始まった。

まずは、レールと共に上部軌道の随所で見ることが出来る存在な木製電信柱を観察したら、こんなものを見つけた。(↓)




小営電 濁河分岐線 二三

直接的な林鉄の一部という訳ではないが、安全運行のために必要な連絡を取り合うためには必須の施設であった電信線の支柱である。

私が専ら探索してきた東北地方では、廃レールを加工した金属製の電信柱が多く見られるが、所変われば品変わるのか、少なくとも濁河線の各所で見た電信柱は全て木製タイプだった。
また、その電信柱に一般の電信柱にもあるような整理番号プレート(正式名は分からない)が取り付けられているというのも目新しい。
「濁河分岐線」は納得出来るが、「小営電」とはなんだろう? 何かの略だろうとは思うが、初めて見るし、ググってもヒットせず。「営」は営林署?


複数の読者さまから、「林署話」の略ではないかというコメントがありました。なるほど!



はぁ 幸せすぎる…。

今までひたすら恋い焦がれても、なかなか辿り着けなかったレール現存林鉄を満喫する。
ただ下を見るだけで、ほぼいつもレールがいてくれるこの幸せ。得難い。本当に得難い幸せ。

しかも、レールがあるという情報を予め知らずに訪れてレール発見という流れは、私の数少ないレール遭遇体験の中でも更にレアなものである。
もちろん、こっちの方が遙かに興奮した。

ところで、カーブ内側にレールが2本並べて敷かれてあるが、右側が本来のレール(軌条)で、左側はカーブで万が一脱線した場合に路盤の外へ逸走しないための車輪留めとなる設備である。これを護輪軌条と呼ぶ。一般の鉄道でも似たような物が敷設されているのを良く見る。
林鉄はその立地条件からくる線型の悪さや路盤の脆さなどから脱線しやすいので、労災防止の観点からも護輪軌条の整備は極めて重要だった。
濁河線ではふんだんに護輪軌条が用いられているのを見たから、それだけ使用頻度の高い、大切にされた路線だったと思う。




このS字カーブとか、芸術品レベル!!

やっぱり林鉄跡は、レールがあるだけであらゆるシーンの魅力が大増量する。

こういう発見が僅かな可能性でもあるからこそ、林鉄探索は止められないのだとも思う。

はっきり言って、「山行が」での没ネタ率圧倒的に高いからね、林鉄は(苦笑)。



9:14 《現在地》

上部軌道到達から30分で800mほど西へ進み、標高は980m辺りにいる。
これまで常に左は濁河川の谷に開けていて、150mも低い谷底は見えないが、対岸にある溶岩台地が良く見晴らされた。
濁河索道の倉ヶ平停車場があったのも、あの溶岩台地の一画(崖の縁の辺り)であるが、まだ視認できない。そこが正面に来る位置まで上部軌道は続いているはずだ。

なお、路盤はこうして歩いていても平坦路と錯覚するほど緩やかだが、GPSログを見る限り微妙に下っている。
非力なガソリン機関車で運材列車を牽引するには、基本的には下り(順勾配)である路線が求められ、上り坂(逆勾配)はよほどのことが無い限り避けられた。もちろん下りならばいいというわけではなく、適度に緩やかであることが求められた。そのため、山腹を横切る林鉄跡の線形は明治車道や水路とよく似るが、片勾配である点でより水路に近いだろう。




私が見慣れていないせいかも知れないが、木製の電信柱が何かいい!
何がイイって、ノスタルジーな感じがいいなー。月並みな感想だけど。
まさに昭和って感じがする。

電柱には十字架のように1本だけ横棒が付けられていて、そこに碍子が二つ取り付けられていた。(写真では横棒が倒れて縦になっている)
その碍子に架けられている電信線も裸で、保線作業者なんかは電話機を直接電信線に繋いで、事業所と連絡を取り合っていたのだろう。
この廃道を歩いていると、本当に林鉄の作業風景が目に浮かぶようだった。




こっ! これは?!

レールと同じ材質の金属製プレートが10枚くらい針金で束ねられた状態で落ちていた。

こうした状態で見るのは初めてだが、レール好きの私には正体がすぐに分かった。これは、レールとレールを連結するために使われる継目板というものだ。 普通鉄道のレールでも、サイズが大きいだけで同じような道具が使われている(参考写真)。

しかし、なぜそんなものがここに一束だけ落ちているのか。 うっかり保線作業員のワスレモノか?w 




9:18 《現在地》

ん?

なんだあれ?

↓↓↓



やべぇ。 隧道あるだろこれ。


旧版地形図には隧道がひとつも描かれていなかったので、これは期待以上の発見だ…!

ただし、閉塞などのトラブルは勘弁だぞ。 もうこの路盤からは離れたくない!



…って、おい!


隧道は貫通が目視確認出来たけど、
隧道前の路盤が大欠落じゃねーか!!


や、ヤバイかも……?

上はどの辺まで崩れてるんだ?? 
下には迂回できないぞ、これ。




良かった〜。

おおよそ15mほど高巻くことで、さほど苦労せずにこの崩壊現場を突破することが出来た。
しかし崩れは現在進行形のようであり、今後もさらに拡大する公算が大なので、
ゆくゆくは高巻き不可能となり、土の斜面を突破しなければならない状況に変わりそうだ。

なお、眼下に見える水面は濁河川のものではない。いつの間にか支流の一ノ谷に変わっていた。
遠からずこの一ノ谷を渡らねばならないはずだが、まだかなり(50m以上)の高低差がある。



ところでこの写真、不思議な目の錯覚が楽しめる。

まるで透明の地面にレールがまっすぐ整然と敷かれているように見えると思うが、
この宙ぶらりんのレールは、実際は2枚上の写真で見るように相当折れ曲がっている。
あくまでこの方向から見下ろしたときだけ、まっすぐ宙に浮いているように見えるのである。



思わぬ邪魔が入ったが、無事に記念すべき本日1発目の隧道(第1号隧道(仮称))に辿りついた。
地形的にはあっても不思議はないと思っていたが、やはり地図にない物を見つけるのは格別の嬉しさ。

なお、ここから既に出口が見えているが、別に極端に短い訳ではないので、
これが5万分の1地形図に描かれなかった理由は、単純に情報不足だったのだろう。
林業が盛んだった当時、部外者にとってここは今以上に近付きがたい場所だったのかもしれない。


さっそく、進入する。


隧道内部にも、もちろん……



綺麗にレールが敷かれておりました。

隧道内で見る林鉄レールという光景は、それこそ西沢林鉄以来か?
おそらく7年ぶりくらいの、地味ながら私にとっては超の付くプレミアムシーン。

それに雨が凌げるおかげで、枕木なんかは明らかに外よりも保存状態が良く、
小一時間も清掃活動をすれば、そのまま列車の運行を再開できそうに見えた…。



既に大規模な路盤の欠落を生じていた東口に続いて、こちら西口もかなり状況は悪い。
辺りは地盤が相当脆いらしく、大量の落石と共に、結構太い立ち木が路盤に横たわっていたりする。
完全の素掘の隧道も相俟って、荒んだ雰囲気のある光景だ。

現行地形図から完全に抹消されている上部軌道跡だけあって、この辺りは完全なる廃道ということが十分理解された。
踏み跡もない。




さて、想定外の隧道は超えたが、まだしばらく路盤の状況に注意が必要だ。
経験上、谷筋に近い場所ほど傾斜が急で、崩壊が進んでいる事が多い危険地帯である。

路盤はこのあと、いま左に見えている一ノ谷を渡るはずである。そしてそこには間違いなく橋が架かっていたはずだ。
果たして橋は現存しているだろうか。とはいえ橋が現存していないのは十分覚悟している。また、橋があっても私が渡れないかもしれない。
いま本当に問題なのは、橋の有無より、私が無事に対岸へ進めるかという事だった。

一ノ谷を渡らずに上部軌道の全線を極めるのは、地形的におそらく困難だから、ここは絶対にクリアしなければならない谷。

…緊張する。



一ノ谷が、凄まじい勢いで猛追してくるのが見える。

直角に切れ落ちた路肩の下に見えるのは、白く尾を引く幾筋もの滝であった。
地形図には滝の記号は描かれていないが、そこにあるのは紛れもなく滝。しかも、大滝と呼んで差し支えないであろう規模を感じた。
もっと近くで眺めたら素晴らしかろうという確信はあったが、この場所では路盤から離れて生きていける気がしない。
幅3mの路盤だけが、この危地を潜り抜ける唯一の道だった。




今日これまででは隧道に次いで大規模な土工を見せている、岩場を刳り抜いた路盤。
奥に浅い切り通しも見えるが、写真は振り返って撮影している。
右側に開けている谷が一ノ谷で、正面のより広い空間に濁河川の本流が存在する。
一ノ谷を渡った後は、右に見えている山腹に行くはずだが、とりあえずラインは見えない。

また、ここの路盤になぜか大量の枕木が井桁にされて積まれていた。
しかし見ての通りレールは現存し、枕木も撤去されていない。ということは、この放置枕木(らしきもの)は交換用の資材だったのだろうか?




すっげーし。もう来たし。

一ノ谷、もうこんなに上がってきた。

良かった、良かった。
先ほどまでの凄まじい高低差だったら、どうやって対岸に渡るのかと思案していたところだが、滝の連発で沢の方が上ってきてくれたので、これで橋が有ろうが無かろうが、比較的楽に対岸に渡れそうだ。

(当たり前の事だが、「沢が上がってきた」というのは私の感覚であり、実際は、沢が十分上がってくるまで路盤が「がんばって耐えた」というほうが正しい)

そして、一ノ谷に到達!




9:27 《現在地》

護輪軌条を含む3本のレールが観客無き曲芸大会を開催中だった、一ノ谷橋梁跡

残念ながら、橋はすっかり消失していた(文字通り消失に限りなく近い状況)が、レールだけは消えてない。
つまり、もっと早くに訪問していれば、間違いなく廃木橋を見れたのであろう…。

……落ち込まない! まだまだチャンスはたくさんあるはず!



標高970m付近の一ノ谷渡河地点。

ここから一ノ谷は、約800mほどかけて標高750mの濁河川合流地点へ“駆け下る”。
一部は滝になっているようで、特に軌道架橋地点のすぐ下にある滝は巨大である。
写真奥のV字に切れた下が、その巨大な滝だ。足元が悪いので覗き込むのはしなかった。



先ほど、橋は「消失」していると書いたが、それを構成していた部材はどこへ行ってしまったのだろう。
おそらくは過去に鉄砲水が起き、ほとんどの部材を押し流してしまったというのが真相だと思う。

流れの中を観察すると、少なくとも2本の橋脚が立っていた跡を確認する事が出来た。
コンクリートの台座が河床すれすれの高さに露出し、その上に太い丸太材が固定されている。
本来はこの丸太を支えに木製の橋脚が立っていたのだろう。
橋脚の台座が河床に埋もれかけているのも、土砂の堆積により河床が上昇したためと見られる。





一ノ谷と呼ばれるからには、どこかに二ノ谷や三ノ谷もあったのか。
水量はほどほどだが、怖ろしく透き通った水が流れていた。
ここまでの探索で火照った身体には特効薬のように効く。まずは乱暴に顔に掛け、次いで頭を浸し、最後に喉を潤した。

ところで地形図を見ると、この谷と交渉を持っているのは軌道跡だけではなく、おおよそ900m上流で1本の林道が渡っている。
計画段階ではその林道からここを目指して下降してくるアプローチプランも存在した。だが渓相が不明のうえ、高低差が300m近いので採用しなかった。
(まあ、今回採用した遊歩道経由ルートも、上りと下りの合計の高低差は同じくらいあるのだが)




もしも残っていたら、感嘆すべき優美な曲線を見せてくれたであろう一ノ谷橋梁を後に、

惜しげもなくレールが横たわる路盤を更に突き進む。






次回、
魅惑の山上索道駅跡!!