酒田臨港開発線  その2

公開日 2006.04.11



(踏切)全機全台 大解放中!!

 棄てられた貨物列車が連なる、スクラップ工場脇の通称“解体線”。
これまで私は廃線跡を、なぜそこに哀愁を感じるのかも明確に自認しないまま、半ば興味の赴くままに収集してきた。
いわば、私は動機無き廃線ファンだった。
だが、ここで私が気が付いたのは、たとえ現役の鉄路であっても、そこにもひっそりと役目を終え最後の運転を迎える車輌たちが存在するという事実だ。
消えゆく者の姿を目の当たりにした私は、これまでよりも、もっとリアルで深い愛をもって鉄道と接することが出来るような気がした。

 ちょっと、大袈裟だろうか。



 次に私が出会ったのは、いまどき市街地の車道上の踏切としては珍しい、第3種踏切、つまり、警報機はあるが遮断機が無いタイプの踏切だ。

 だが、一応は踏切だし。
そう思って一時停止をしっかり実行する私の横を、まったく減速もしないで通り過ぎる車が。
なんぼ列車が滅多にこない様な臨港線の踏切でもそりゃ無いんじゃないの?



 うーーーん。

 前言撤回か……?
ちょっと、列車がきそうな雰囲気では、 正直、 ない。

 さらに、警報機をよく見ると、「使用停止中」とプレートが掲げられている。

 どうやら、この線路はもう、廃線となっているようだ。
酒田港駅から幾つも分岐していくレールのうちの一つは、分岐から100mほどの地点でもう、レールの上にバラストが山盛りされ、列車が通れる状況ではなくなっていた。



 その隣の踏切もまた、警報機だけが寂しげに佇んでいたが、路面に埋め込まれたレールは砂で埋もれかけていた。
しかし、踏切部分のレールだけを見ると、まるで現役のように光沢がある。
もちろんこれは、通り過ぎる車によって磨かれたに過ぎない。



 中には警報機さえ無い、第4種の踏切も残っていた。
いや、残っていたというのは不正確で、その遺構が残っていたと言うべきだろうか。

 酒田は他の日本海沿岸の港と同じく、冬期にはしばしば潮混じりの強烈な海風に見舞われる。
それが鉄を主体に作られている“鉄道”にとってどれほど過酷な環境であるかは言うまでもない。
ひとたび定期的なメンテナンスの手を離れれば、堅牢だったはずの踏切装置でさえ、このざまだ。



 ここまでのレポートを見ると、酒田臨港開発線は廃線だけなのかという気持になるのも無理はないが、そうではない。
この化学工場(東ソーの工場らしい)に引き込まれている数本の枝線は、現役である。
残念ながら、この距離で撮影するのが精一杯である。

 ただ、逆に言うと、それ以外は殆ど全部の枝線が、廃線…?
ではないにしても、普段から列車が通っている雰囲気はない線路ばかりなのも事実である。



 こんな変則的な踏切(?)もあった。
もはやこれは、踏切というよりも、併用軌道…路面電車のようである。
ただ、残念なことにここもレール上には固定された障害物が我が物顔であって、廃止されて久しいようだ。

 なお、この線路の行く手は酒田本港埠頭で、この日は停泊する船もなく閑散としていたが、巨大な倉庫が点在する港機能の中枢である。



 だから、閑散としているって言ったでしょ。

 さっきは少し憶測で物を言って悪かったけど、きっと、流行っている日もあるんだよ。
きっと……。



 本港埠頭内から酒田港駅方向を振り返って撮影。
引き込み線の上には、無情にも頑丈なフェンスが設置されており、いまだ光沢を放つレールも二度と交換されることはないだろう。

 鉄道と道路がもの凄く近しい平面的な関係にあるこの景色は、私の目を惹いたし、いろいろな角度から見るのも楽しく飽きなかった。
残念なのは、路面電車のような共生の関係ではなく、鉄道が敗者となり消え去った跡の景色だと言うことだ。



大浜埠頭

 今度は少し離れて、大浜埠頭の線路の様子を見に来た。
ここは、本港埠頭からは大浜運河を隔てた沖で、もともとは埋め立てられた人口の陸地が多い。
この半島のような形をした広い大浜埠頭の敷地の大半も、東ソーの工場が占めているようだ。

 大浜埠頭の付け根のあたりに来ると、早速踏切だ。
だが、やはりここも遮断機から何から撤去されており、レールにも光沢はない。
それに、平日の夕暮れ時だというのに、道路にも車通りは少なく、やはり閑散とした印象は変わらない。



 そこから、さらに海を背にして陸の方へとレールを辿ってみた。要するに酒田駅方向へ。
前方に聳える赤白の大煙突は、花王の化学工場のもので、花王というとマイルドなイメージ(?)があるが、ここではガチガチの重化学工場のようで、銀色の金属製の巨管が縦横に露出したプラントが、白い煙を常時吐き出していた。

 レールは、一応はこれも大浜運河の筈だが、まるで堀のような小川に沿って、小気味良いカーブになって続いている。
さらに辿る。



 だが、本線や酒田港駅への道のりは、それがとうに廃止されていることを強く意識せざるを得ない藪となって私の前に現れた。

 田舎に住んでいるとなかなか体験しない、ヘドロの臭いにやられ、私は引き返した。
どうせこの先がどこに続いているかは、後で見ることになるのだ。

 今度は、踏切から反対に大浜埠頭の突端へと進んでみた。



 だが、地図上に線路が描かれている先端よりも遙かに手前で、レールは唐突に打ち切られていた。
その先にも、まだ僅かにバラストも残る細長い敷地が続いていることからも、この先にレールがかつて存在したことは明白だが、この先のレールは廃止後いち早く撤去されてしまったようだ。

 それでも、諦めきれず進んでいくと……。



 岸壁の形に沿って一つ目の緩いカーブに差し掛かった辺りで、道路と岸壁を結ぶ踏切跡があって、この踏切跡ではレールもそのままに残されていた。
写真は酒田市街を振り返って撮影。

 さらに突端へ向けて進んでみる。



 線路跡と並走する車道の幅の広さは特筆物で、車線の数から言えば2車線道路なのだが、片側2車線どころか、余裕で3車線分とれそうだ。
埠頭の先端付近はさすがに土地の利用も疎らで、鋪装されている場所もあれば、空き地のまま放置されているような場所も目立つ。
青看板はなぜかロシア語が併記されている特注品で、酒田港はウラジオストクなど、ロシアとの直接航路があることを思い出させる。
だが、それにしても、動く物をとことん見ない。



   まだ、先端付近にはレールもそのままに残されていた。
複線、複々線とあって、かつてここにも多くの貨物列車が待機していたのかもしれない。
季節が進めばそこにレールがあることはおそらく外から見えなくなるのではないかと思うほど、線路敷きは枯れ草と、地を這うようなハマナスなどの低木に覆い尽くされていた。
このレールが撤去される日は、近いのだろうか。  (つづく)