千頭森林鉄道 千頭堰堤〜大樽沢 (レポート編3-7) 

公開日 2010. 7.16
探索日 2010. 4.21

崖上の廃隧道へのアタック!


2010/4/21 10:08 

なんということだろうか。

我が目を疑うとは、こういう時に使う言葉なのだろう。

あまりに突拍子がない場所に現れた坑門は、客観的かつ状況証拠的には明らかに千頭林鉄の隧道であるにも拘わらず、私の中では即座には結びつかなかった。
発電所の放水路隧道の出口なんじゃないかと思ったりした。

だが、やっぱりどう考えてもこれが進路。

私の進まねばならない、進路なのだ。


この風景を目にしたときにわき起こるオブローダーとしての衝動に、私は抗わなかった。
結果如何では、「冷静さを欠いた愚行」となりかねない衝動的な登攀行動をを、私はいとも容易く受け入れた。
自分を過信するわけではないが、この「すんなり感」の原点には、反射的に「行ける」と思ったことがあったので、私は迷わず身を委ねたのだ。
オブローダー的なフィーリングに。




千頭ダム以奥では2本目となる隧道だ。

1本目があまりに呆気なく現れたので、2本目もすぐにあるかと思いきやそうではなく、だいぶ距離が空いた。

そして、今度の隧道は当初からその存在が予期されていたものだ。
地形図で見ると分かり易いが、寸又川本流の大きな蛇行によって半島のように伸びた山脚の、細い付け根の部分を抜いている。
隧道としてはありきたりな立地なのだが、現実の風景は上の通り凄まじい。

一般の道路や鉄道のように公益性を考慮せず、ただ純粋にコストパフォーマンスを追い求める形で営林署が恣意的にプラニングする林鉄の場合、地形的にどうしてもやむを得ない事情が無ければ隧道を持つことはしない。
技術的に出来る限り隧道を避けなければならなかった明治時代の車道と相通じる、無理ある路盤環境が多発する理由はそこにあるわけだが、この“半島”については、厳しいコスト査定に適ったということになるのだろう。

隧道は長さ150mくらいあると推定される。
そして、隧道の先で待っている寸又川は、逆河内から供給される水を失っている。
おそらく、川の姿も変わっているだろう。
軌道跡も、いままでよりはいくらか救われるかもしれない。

ここ1時間の道はリアルに死を意識しなければならない場面が多すぎ、精神的にも肉体的にもすり減った。

この隧道が、私の踏破達成への福音となることを期待しつつ、最後の“命がけ”に挑む。




どんなルートで登ればいいだろうか?

坑口の高さは20mくらいもある。
小学校の校舎の屋上くらいの高さ。
しかも崖には、手掛かりになりそうな木はほとんど生えていない。
はっきり言って、この写真だけをただ見せられたなら、即断したと思う。

無理だと。
徒手空拳では登れないと。

だが、現地に立っている私は、フィーリングで登れそうだと思った。
それが、ピンクのルートだ。

坑門からは僅かだが水が流れ出ていて、それが滝となって黒い岩場を作っていた。
この岩場は下半分がガレ場になっていて、かなり急ではあるが、無理矢理直登出来ると思われた。
そして上半分は滝なので、直登は出来ない。
そこで、左側に“たてがみ”のようにそそり立っている岩尾根である。
この尾根は、恐怖心さえ制御できれば、へばり付いて登れそうに見えた。

最大の問題は、滝から尾根への横移動の部分だが…。
こればかりは、実際に張り付いてみないと何とも言えない。
しかし、少なくとも挑戦する価値はある。十分に。




ガレ場の斜面を、四つん這いで登る。

これは、30秒ほどで首尾良く成功。
意外にガレ場は締まっていたし、濡れていても心配したほどは滑りやすくなかった。

私は早くも崖の中段、“たてがみ”尾根の麓にいる。

問題は、ここから。

ここからは、ささやかながらロッククライミングとなる。
落差は残すところ10m。約半分。

好材料だったのは、岩が一枚岩で堅牢であったことと、全く濡れていないことだ。
落ち着いて挑戦しよう。

あくまでも、隧道が通り抜けられるかは分からないので、登りきるだけではなく、戻りうるルートを採らねばならない。
これはとても重要なことだ。




一歩ずつ足場を確保し、動きを完全に停止しながら、じっくりと登っていく。
最も危険な“横移動”の最中は、さすがに胸に下げたカメラに手を伸ばすことが躊躇われたので、写真がない。

そして、この横移動(画像中の「A」からここまで)には2分もかかったが、なんとか“たてがみ”尾根に到達。

これで坑門への到達達成を確信した。
ニヤニヤしているのが自分でも分かる。
通り抜けの成否はとりあえず二の次で、ただ獲物に牙を突き立てる瞬間の快感、勝利の心地よさだ。

とはいえ、油断はまだ早い。
尾根の上は勾配がいくらか緩い分、落ち葉や小石が散乱していて、スリップのリスクはより大きくなった。
また、単純に高いという理由でも、体が強ばった。




ケモノ。

私が登りながら胸に抱いていたイメージは、野生のケモノ。

リュックを背負い靴を履いてはいるが、基本的にはケモノと同じ装備で崖に挑むとき、たいていこのイメージで活動する。

ケモノのようなバランス感覚で、ケモノの柔軟さをもって歩き、ケモノの勘で危険を避ける。
前の2つは単なるイメージ戦略だが、最後のひとつだけは、実際にものに出来ると信じる。
オブローダーは、ときにケモノであっていい。

このケモノは、人工物を目指して自然の岩場に挑むケモノ。




間もなく登り終える私の背後には、絶望の二文字を形にしたような絶壁が広がっていた。

中ほどの微妙に勾配の緩くなっている一角は、おそらく軌道跡なのだろうが、踏破は不可能と断言する。

結果的に言えば、前回最後に迂回する羽目になった橋が落ちていても、落ちていなかったとしても、一度は谷底に迂回しなければならなかったことになる。
そして、その場合はよりダメージが大きかっただろう。

繰り返すが、ここは歩けない。
写真奥の木が生えている所には、辿り着けなかった橋台があるはずだが、これは諦めた。
距離的に考えて、この間には他の隧道や橋は無いはずである。


さあ、チェックメイトだ!






10:11 

登攀開始から約4分。

私は辿り着いた。

絶壁の中腹に口を空ける廃坑門。

千頭堰堤より数えて、2本目の隧道


感じ悪いかもだけど、今は言わせてくれ。

「俺の勝ちだ!」


坑門は、立地こそ異常なれど、姿形は平凡だった。
つうか、それが逆に面白いというか、異常に思われた。
こんな、どうやってコンクリートを運んで来たのか分からないような場所に、馬鹿丁寧に他の場所と同じ坑門を用意するとは…。
素堀でも許してあげようよ…って感じなのに。

また、滝となって落ちていた水は、じつは洞内から流れ出ているのではなく、坑門脇の斜面に一筋落ちているものだったことが判明。
この水の行方を追いかければ、約30m上部に日向林道があるはずだ。
あるはずだが、辿り着ける可能性は全くないし、そもそも見えないので信じられない。




さあ、入るぞ。


おそらく、成否はすぐに分かる。


最悪のパターンは、閉塞していること。


この際、通り抜けられるならば、崩壊の有無は問わない。


お願いだから… 開いていてくれ!!





よっしゃー!!


賭けに勝った。勝った。勝った!!


貫通確認!

闇を穿つ直線の向こうに、やや横に広がったような歪な形をしているけれど、確実に向こう側の光が見えている!

これならば、水没でも無い限りは、通り抜けが出来るはず。

無駄にならなかった。

いや。仮に閉塞でも無駄とは思わなかったろうけど…、でも、

報われた! 嬉しすぎる!!






もし反対に上流側から抜けてきたとしたら、隧道を出るなりこの絶壁に放り出されるわけで…。

…スパルタ過ぎるだろ、千頭林鉄。

心の準備がない状態でいきなりここに出て来ても、多分崖を下ろうとは思わず、諦めて戻ると思う。
下っちゃえば、いきなり水面だしな。
一応その先に中州があるんだけど、上からだとほとんど見えないので、先行き不安すぎる。

そもそも、今日の水量だからまだ良いのであって、水量が多ければ私もここまで来れなかった。
(というか、水量が多い場合は別の意味で“凄まじい事”になっていたはずなんだが、それは後述




これは入ってすぐの洞床の様子。

もう少し広い範囲を撮れば良かったのだが、枕木やレールの姿はない。
そして、濡れた川砂利が敷き詰められたようになっている。
中央に写っているひも状のものは、ビニールに被覆された鉄線で、おそらくは電信線の残骸だ。

一番不思議なのは、バラストに使うとは思えないような粒の大きな川石が、洞床に大量に混ざっていることである。
辺りの壁や天井に崩れた痕跡はないし、そもそも角の取れた川石が壁から供給されるはずがないのだ。

そのため、地面だけを見ていると、水の引いたばかりの川の底を歩いているような感じがした。




そして次の「異変」は、洞内を満たす空気に現れた。

坑門をくぐった時点で小さく出口が見えていたこともあり、私は立ち止まっての「風」チェックをしなかったのだが、この隧道には空気の流れが全くといっていいほど感じられなかった。
理由は分からなかったから、単純に今日は風が弱いため(それは事実だったが)と考えた。

だが、風が無いため、外との気温差で発生した水蒸気が洞内に籠もっており、フラッシュを焚いて撮影することが出来ない(右の写真のようになってしまう)ばかりか、ヘッドライトの明かりが散ってしまって、先が見通せなくなった。
最も濃かった坑門から50m付近では、一時的に出口の光も目視困難となって、言いしれぬ不安を感じた。
視界不良だけならばいいが、万が一地下で毒ガスが発生している場合のことを考えると、風のない隧道は怖い。




坑門から70mほどで、おそらくは全長の中間付近である。
この辺りで温度差も逓減し、霧による視界不良も改善してきた。

壁も天井も既に素堀になっているが、覆工があるのは坑口付近だけだった。
また、黒っぽくてゴツゴツしている風合いからも感じ取れると思うが、岩質はかなり堅牢で、目立って崩れている場所も無かった

……。

……でも、なんかおかしい。

なんか、天井が最初よりも低くなっているような気がする…?




い、いや。
これ、絶対おかしいって。

こんなに天井が低くちゃ、機関車も貨車も通れないって。
最初の頃の写真と較べても、天井の異常接近ぶりは間違いない。

でも、相変わらず天井も壁も平穏を保っており、何も崩れた痕跡はない。
洞床も平坦でしかも堅く、人工的に埋め戻したときに現れる締まりの無さがない。

え、え、え?

どういうこと?
幸い、出口はもう50mくらい先に見えているから、通り抜け出来ない不安はないが、意味が分からなくて気持ち悪い。




これ、絶対おかしいって。

だって、私の体勢はもう、しゃがみ歩きだよ。

それに、この先はますます狭まっているように見える。

洞床の様子も、天井と同じ色のゴロ岩が散乱しており、平穏とは言えなくなってる。
茶色い倒木も混ざり始めてる。
ここまで来ても、まだ崩壊は見えないけれど。


ま…、

まさか、光は見えてるけど、通り抜け出来ないなんてこと無いだろうな…。

…悶死もんだぞ…。





意味不明!

一体この隧道には、何が起きているんだ!?

今度は砂だ。
洞床が一面、木片混じりの川砂となった。

木が発酵する甘ったるい匂いが満ちた(なお私は鼻炎のため極端に嗅覚が鈍いので、その私が匂いのことを書くときは、おそらく他の人には耐え難いくらいの強臭の場面であると想像される)空気は、これも発酵熱なのかなんなのか、妙に蒸し暑くてヘドが出る。

天井もさらにますます低くなり、しゃがみ歩きではリュックが支えるようになり、次に前に担いだリュックが地面を擦るようになり、今やリュックを手に引きずりながらの匍匐前進へ変わっていた。
無理のある姿勢と洞内の熱気が相まって、私はたちまち額から粟のような汗を垂らし始めた。




最初、坑門から出口の光を見通した時点では、洞内はとりあえず安地だと思ったさ!
それがこのザマだよ。なんなんだよ!これ!

写真は、匍匐前進でリュックを引きずりながら、入口をふりかえって撮影
進むほど近付いてきた天井は、ここに来ていよいよ私の体を圧迫している。
それこそ、いつ閉塞してしまってもおかしくないほどにまで。
砂地から今度は“発酵木”の海となった洞床を、私は這い蹲ってあえぎあえぎ進んだ。

全身を砂と泥と木っ端にまみれながら、ここにヤマビルが居たら悶死するなと思った。
幸いにして発酵木の上に動くものは見られなかったが…、何が棲んでいても不思議はないような、得体の知れない空間だった。

ここはおおよそ人工的な空間ではなかったし、その成れの果てとも思えないような有様だ。
ただ隧道を当たり前に通り抜けたいだけのことなのに、私は何を這い蹲ってるんだろう…。

なにより不可思議なのは、隧道がこのような状況になった原因だ。
這い蹲りながら考えたが、出口側から大量の土砂が水と共に流れ込んだのだろうという推論になった。
しかし、これほどの量が流入しつつ完全には閉塞していないというのが、反対に不思議な感じもした。
まさか私のために空間を空けてくれていた…訳がない。




再び砂地となった。

そして出口はもう眼と鼻の先だ。
天井は相変わらず背中を擦るが、砂地なら最悪掘り進んででも突破してみせる!

あらゆる物が水に濡れ、岩は黒光りし、砂には真新しい流紋、流木が散乱する洞内。

光が顔の表面にも届くようになると、ようやく怪しい甘い匂いも薄れ、代わりに水を換えなかった水槽の匂い…それはおそらく川原臭と形容できる…が強まってきた。
あと、川の音が光の先から聞こえてくる。

砂の上に汗を垂らし、さらにミミズの這ったようなだらしない軌跡を残しつつ、さいごの20mをジワジワ進む。

光の先には、何がある?!







は?

隧道の出口の向こうには、勢いよく流れる川が見えた。
というか、それしか見えなかった。
川の水面と隧道洞床の高低差は驚くほど小さく、
少し増水したら、容易く洞内が水浸しになるだろうことが予想できる。

…なるほどね。

これで全てが理解された。

隧道をあんな異常な姿に変貌させたのは、氾濫した寸又川だった。





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10:28 《現在地》

隧道は当初の目論見通り150mほどであったが、終盤の50mはしゃがみ歩きから匍匐前進を強いられる苦行だった。
そのため時間も異様にかかり、再び青空の下に出たのは、入口をくぐってから14分も経ってからだった。
濡れた地面を這い蹲る気持ちの悪さもあって、もう二度と戻りたくない隧道。

この北側の坑口は日陰の川べりという立地もあり、非常に水気が強い。
洞内にはうずたかく土砂が積もっており、おおよそ通り抜けできそうには見えないが、実際には天井付近に僅かな隙間があり、私はそこを通ってきた。
そして、ひとたび増水するとそこまで水位が上がり、一定を越えると洞内が寸又川の新水路になるのだ。
流紋の新しさから見るに、そんな溢水は日常的であるようだ。




坑口と川の位置関係。

右に写るコンクリートは、当初の軌道の路肩工だ。

おそらく千頭ダムの建設が引き金となり、長年の間に寸又川の河床が上昇してしまったのだろう。
現状では、水位がほんの50cm増せば路盤は水浸しを免れない。
洞内の天井はさらに3mほど上にあるが、実際にはそこまで水位が上がらなくても、洞内に水が入り始めた時点で圧迫された流水は膨張し、唯一の出口である天井の隙間に殺到することが予想できる。





最初に崖の上の寄る辺なき坑門を見たとき、まるで発電所の水路隧道みたいだと思ったが、まさか本当に“水路になる隧道”だとは思わなかった。

大増水の日にここへ来るなど自殺行為だが、もし来ることが出来れば、林鉄隧道から吹き出る滝という衝撃的な風景を目にすることが出来るだろう。

今まで沢山の廃隧道を見てきたが、出口と入口とでこれほど環境が異なる隧道は珍しい。
絶壁の坑門をくぐったら川底に出たとは、まるで冗談のようである。




確かに地形図に隧道を重ねてみると、寸又川が800m近い蛇行で緩やかに消化し得た20mの高低差を、隧道は一跨ぎにしている。
しかし、さすがにここまでの景色の激変は予想しなかったし、まして洞内にその水が流れ込んでいるなどとは思わなかった。

昭和初期に発行された寸又峡の絵地図などには、千頭堰堤よりも上流に「東側堰堤」(東側というのはこの辺りの地名)というのが、千頭堰堤と同じようにダムを従えて描かれているが、これは実際の構造物も記録もないため着工されなかったと(私は)判断している。
地形的なダムへの適合性を見る限り、東側堰堤の建設予定地は逆河内合流地点あたりだったかも知れない。

それはさておき、この隧道で一気に河床との高低差を失うことを前提としていたからこそ、それまでの路盤が執拗に絶壁を穿って高度維持に努めたのも納得出来る。





河床からの再浮上


10:29

林鉄の路盤は写真の黄色いラインだが、その反対側、下流方向にもうっすらと平場が続いている気がする。

気になるので、ちょっと行けるところまで行ってみよう。
寄り道。




川べりの崖には、かすかな平場の痕跡が確かに続いていた。
まさかこれは、隧道が出来る前の旧道跡だったりするのか。
だとしたら発見だが…。

しかし、坑口から10mほど辿ったところで、これ以上進むことは断念した。

かなり水量の減った寸又川を徒渉すれば進むことは出来たろうが、その必要はないと判断したのだ。

なぜなら、




10:29

このかすかな平場の存在理由、正体というべき物が推定できたからだ。

一部に丸石練り積みの石垣を留めたこの平場の“終点”には、コンクリート製の橋脚のような円筒形の構造物が見えた。

これは一体何なのか。

資料の裏付けがあるわけではないが、おそらくは水位測候所の跡(土台)であろう。
下流に千頭堰堤がある以上、必要な施設である。
つまり、この平場は軌道と測候所を結ぶ通路跡と推定できるのである。




さらに視線を右に向けると、渓を覆う木々の間から、赤い道路橋が顔を見せていた。

千頭堰堤を出発して以来、約3時間ぶりに間近となった林道だ。
これは日向林道で、橋の名前は寸又橋という。
林鉄が現役だった時代には影も形もなかったが、廃止の引き替えに建設されたのである。

ともかく、これで軌道跡を戻らなくても生還できる保険をかけることが出来た。
さらにこの先も少しの間ではあるが、軌道跡と林道は川を挟んで平行している。
ようやく、少しリラックスして探索出来そうだ。




10:39 《現在地》

寄り道を終え、再び坑門前に戻ってきた。

路盤は隧道を抜けたその場で90度右に折れ、隧道直前の姿からは想像できない水際に据え付けられている。
千頭堰堤でも路盤は水面すれすれの所を通っていたが、あれから3kmあまりを経て、再び水面比高はリセットされた。
またいずれは高いところに行くのかも知れないが、今しばらくは安寧の時ということだ。

島のように取り残された路肩工は、いかにも林鉄らしいカーブを描いて、川と山の接する所に消えていた。




路盤を辿っても良かったが、ここは楽をして川原を歩いた。

左の山際に見えるラインが、ふりかえった軌道跡である。
遠くに坑門も見えている。

こうして見ると、隧道が鞍部の真下に掘られていたことが分かる。
この細い山の裏側は、身震いするような絶壁で彩られていたのだ。
川と山の作り出す造形はダイナミックで、実際に立ってみないと予想しがたいものがある。




軌道があったのは寸又川の左岸だが、反対の右岸には日向林道が通っている。
河床からはその姿も見て取れたが、軌道に負けず劣らず無造作な感じに山を切り崩していた。
そして、路肩から大量の瓦礫が川に流れ込んでいる様子が見て取れた。

隧道前まではあの下に軌道跡があったわけで、荒れていたのも道理だ。
上からは林道が、下からは川が軌道跡を殺していたといえる。





隧道を出て100mほどの路盤は、まだ川原に張り付いていた。
林道が悪さをしなくても、巨大な崩落に埋め立てられている。

しかし、確実に路盤は起ち上がりつつあったので、私もそろそろ復帰するタイミングを計らねばならなかったが、川原歩きは予想外に快適でヤマビルの危険も無いことから、だらだらと抜け出せないムードになってしまった。

まあ、いいか。
ちょっとくらい息抜きしても。




なんて言っていたら、おいおい…。

それから100mほどの間で、あっという間に路盤は河床から舞い上がり、ビルの3階くらいの高さに行ってしまった。

引き返して路盤に復帰することも考えないではなかったが、この先に楽に登れる場所が出てくるのではないかと、そんな都合の良い期待しながら進んでいくと…






吊り橋が出て来たー。






橋の向こうに、
なんかスゲェのキタ!