千頭森林鉄道 千頭堰堤〜大樽沢 (レポート編3-10) 

公開日 2010. 8.20
探索日 2010. 4.21

続 大樽沢の営林署宿舎 内部探索


2010/4/21 11:39 《現在地》

廃墟探索開始から7分。
3階部分を終え、今度は2階へ。

おそらくこの建物の中で最も暗いと思われる階段を、

…ぎ〜し ぎ〜し ぎーし。

気分はもう「バイオハザード」そのものだ(笑)。
自分の趣味にあった廃墟なら、廃墟探索も良いかも〜。



下りきると、2階。
でも、3階建ての木造建築に慣れないせいか、もうここが地上のような気がする。
それはさておき、正面は建物から少し出っ張っている部分で、トイレになっている。
左は炊事場に続いており、右には一部屋ある。

「2階にもし道路元標を置くならばここだ」というこの場所(スゲー無理のある喩えだが、建物探索は慣れないので許して)に、白く塗られた木の立て札が、向こう向きにひっくり返って置かれていた。

そして何の気は無しに、その表面を見た私は、記憶の中にあった“とあるもの”との一致に驚き、声を上げた。





これなんだけど、
こんなの見たことあります?



私は、はじめて“実物を”見た。

存在の可能性は知っていたが(後述)、実際に使われた確証はなかったし、何より実物を見たことがなかったので半信半疑だった。
この“構造物標” の存在が!


でも、これは間違いなく使われていたものだろう。
具体的な内容は消えてしまっているものの、屋内の壁のどこよりも汚れており、野外に置かれていた事を物語っている。





「林道規定細則(昭和32年制定)」より

右図は、昭和32年に林道標識の基準(規定ではない)として定められた「林道規定細則」の中に含まれている、「構造物標」の基準である。

規定ではないので、表示内容などは必ずしもこの通りである必要は無かったようだが、しかし私がここで見つけたものが構造物標であったことは疑いがないだろう。
構造物標というからには、橋や隧道の直前に置いていたものと思われるが、隧道用は見たことがない。

なお、同細則が定めている標識には、次のようなものがある。
ただし対象となる「林道」には林鉄の他に自動車道も含まれているから、全て林鉄に使われたかは分からない。
また、私が実際に林鉄跡で見たことがある標識のみを赤字にしてみた。

  • 距離標(大・小)
  • 曲線標
  • 勾配標
  • 警笛標
  • 用地界標
  • 踏切標
  • 保線標
  • 速度制限標
  • 重量制限標
  • 工事標
  • 各種注意標
  • 停車場標
  • 構造物標
  • 保線区界標
  • 林道標



こいつはもう、この建物全体が林鉄遺物の博物館レベルだ…。

そんな激しい興奮に突き動かされ、興味のないトイレまで覗いてしまう。
流石にここには有用な“アイテム”は無いと思ったが、それどころか、立入自体が危険な状態になっていた。

ここは建物から少し飛び出ている部分で、階下も中空なのでやむを得ないだろう。
とにかく便器に辿り着けば“神”で、畏れ多くも用など足そうものなら、ドリフのセットよろしく、建物ごと川に落ちていく可能性が大ありだ。

なお、蛇口を捻っても水は出なかった。




*どこをしらべる? (選んでね)




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今度は流し場のある方へ行ってみよう。

奥に見えるのが流しで、左の畳が立て掛けられている仕切りの向こう側には、大きめのテーブルを一つ置けるくらいのスペースがある。
また、ここから先は床が全てコンクリートになっている。
驚いたのは、一部の壁が抜けていて外が丸見えだったことだ。
あくまで2階なので土は入っていないが、風雨が入るせいか、2階は3階よりやや荒れている。
これが家財を運び出すために壁を壊したのか、自然に壊れたのかは分からない。




共同スペース(?)の側から、階段方向を振り返って撮影。

コンクリート床は荒れているが、壁や天井の木材は新品のような光沢を失っていない。
本場?の良質の材木を使った、贅沢な建築物なのかもしれない。
また、この建物には照明が灯っていたようだ。
電線は来ていないはずなので、発電機を置いていたのだろう。

ん?

あの貼り紙は…



 安 全 + 十 訓

  • 一、今
  • 二、
  • 三、
  • 四、
  • 五、作業
  • 六、昨日の作業に
  • 七、今日の作業に    はないか
  • 八、なにか   なことはないか
  • 九、無理な作業は   でするな
  • 十、今日も    でいこう
               千頭営林署

まるで、試験の穴埋め問題だ。




共同スペースの奥にも引き戸の部屋があった。
しかしここは何だ?

異常にカビくさい…暗い…そして狭い…。

それもそのはずで、この部屋には窓がない。
なにせ三方は別の部屋に囲まれていて、残る一方の壁の向こうは石垣、そして地中なのである。
そりゃ、ジメジメもするさ…って感じの部屋なんだが、一応畳が敷かれており、人が暮らしていた可能性が高い。

そしてこれで、この建物にある全ての居住スペースを紹介した。
3階3部屋、2階2部屋の、合計5部屋。
先ほど備品の数から想像した定員も5人。
でも、この部屋だけはダントツで居住性が悪そうだった。
炊事場に面したこの部屋の主は、いったい…。




そして“謎の密室部屋”の隣には、穏やかな日射しが曇りガラスに灯る、コンクリート敷きの小部屋。
奥には錆びきった小型ボイラーがあり、壁の一角にはホースの付いた蛇口がある。

ここは、山に働く人々の癒しの場に違いない。


そして、この部屋で2階の探索は完了。

でも…、あれれ?

確かこの建物は3階建てだったはずだが?





大樽沢の営林署宿舎 外部探索


11:45 

13分間の廃墟探索は、予想以上に実り多いものであった。
林鉄が生きていた時代の空気が、かなり濃密に廃墟の中には充満していた。
しかし当初は3階分あるように見えた建物だったが、2階から降りる階段は存在せず、ひとまずは唯一の出入り口である3階玄関から外へ出た。

そして改めて外観を確かめると、間違いなく3階ある。
少し迂回して石垣の下に下り、外から“1階部分”に近付いてみた。




上の写真の“矢印”の終点のところに来た。

2階のトイレから流し場にかけての外壁が壊れているため、表側に比べると、より廃墟の印象を濃くしている。
そしてここで、はじめて1階部分の入口を発見した。
扉もないが…、ガラスの填め殺された小さな窓は並んでいる。

ちょっと気色が悪いが、入ってみよう。




1階は居住スペースではなく、ただの床下空間だった。

敢えてコストをかけて3階建てにした理由は分からないが、1階部分(床下)の柱は随所にコンクリートが使われていて、強度が考えられている。
そしてこの廃墟が予想以上に綺麗な形で残っていた理由には、地面に直接接する部分が少ないこともあるだろう。




もぬけの空の床下を出て、建物の外壁をチェックして回る。

ここは壁が抜けていた流し場の下で、綺麗にワンブロックの壁が外れているのが印象的だ。
しかしそこを除けば、普通の古い木造アパートのようだ。




そしてここはその隣。
崩壊寸前になっていたトイレの下だ。

なお、便器の下からはぶっとい陶管が降りてきていた。
ちゃんとモルタルで継ぎ目が埋められていて、衛生にも配慮していた事が伺えるが、地面に接する部分は崩壊が進んでいた。




“下世話”だなと思ったけど、陶管の行方を自然に目で追ってしまう。

ちなみに、もう自然浄化されているらしく、匂いは全く感じない。




まあ、そうだよね。

普通に川に注いでいた。

この時代&立地なら当たり前だろう。




近くに落ちていた空箱。
建物の外壁から落ちてきたらしいが、小さなプレートが取り付けられていた。(カーソルオンで拡大)

中部電力推奨品
三相用小屋外メーター函

その下の製造年月日は読み取り不能だが、メーカーは「鋼鈑工業株式会社」である。

中部電力の千頭発電所から電気を引いていたのか、或いはその辺で自家発電していたのかは分からないが、第二富士電力を吸収合併した中部電力との関わりが深かった事が伺える。




1階部分の出入り口はもう一箇所あった。

ここは最初にこの建物を発見したときにも見えていた入口だ。

やはり扉は存在しない。

ここを覗けば、この建物の探索は今度こそ終わりだ。




1階部分は中央のコンクリートの壁で2つの床下空間に分けられており、3階からの吹き抜け(?)があるこちら側は、倉庫として使われていたようだ。
この建物の備品と思われる引き戸やすのこ、ホース、掃除用具、建材など、様々なものが置かれていた。

なお、吹き抜けのところで“ぼや”を出した事があるらしく、床材の一部がひどく焦げて炭化していた。
もしかしたら、燃え上がる火柱を避ける目的で、3階部分の床板を外していたのかも知れない。





大樽沢営林宿舎 探索終了!


「山行が」生まれ。ヨッキれんが執筆に加わった本たち。
さらに深く廃道遊戯
全てはここから!
マニアック&上級向け
廃線探険を提唱




大樽沢の先 (ちょっとだけ偵察)


11:46

今度こそ廃屋探索終了。
と同時に、大樽沢までという、今回の探索目標も達成してしまった。

現在時刻は正午ちょっと前で、早すぎる「撤収」だと思うかも知れないが、現実にここまで来るのに5時間以上かかっているのであって、山中泊の準備をしていない私にとっては、もう良い頃合いなのだ。
これが、千頭林鉄奥地に対する“日帰り”の限界といっても良い。

うん。
今のは、最後を飾るに相応しい、素晴らしい、発見に満ちた廃屋だったと思う。

でも

でもオブローダーとして真に満足するゴールであったかと言えば、贅沢だと思うけど、なお物足りなさがあった。
そもそも今回は、千頭林鉄の終点まで行こうというワケではなく、予め途中で引き返すつもりだったのだから、最後に気持ち悪さが残るのは覚悟の上だったが、それにしてももう一つなにか…。 なにか、林鉄跡そのものの発見を…!




そんな贅沢な要求をする私の前に、蠱惑的な“甘い路盤”が続いていた。

複線から単線の幅に戻った路盤が、次の停車場へと私を誘うのだ。

間違いなく、呼ばれていると思った。

しかし【路線図】を見て、夢など抱けないと冷静になれた。

この次は、2.4km先の諸之沢。
その次は、さらに1.9km先の小根沢。
軌道の終点である栃沢など小根沢からさらに4km以上も奥だし、そこから8km以上の「牛馬道」が続いて…。

とても果てしない。




「せめて2.4km先の諸之沢まで」


それもやめておけ。
…帰ってこれんぞ。


右図はこの先の地形図で、軌道跡らしき破線の道が延々と寸又川をさかのぼっていく。
路線図の「諸之沢」という地名は見あたらないが、4〜5kmほど先に「小根沢」はある。

そこにも先ほど見たような宿泊所があるのか、ポツンと建物の記号がある(黄色矢印)。
また、途中の道は3回も本流を渡河(青矢印)しており、それぞれ橋の記号があるが、今も架かっているものかどうか。
…なにもかも、情報が無い。

そして、この区間内(というかこれより奥の全ての区間)における唯一のエスケープルートは、比高400〜500mも上を通る「寸又左岸林道」だろうが、実際的には道がなければアプローチ不可能と考えるべきなのだろう。


もしこれを手がけようとするならば、覚悟を決めて山中泊を2〜3日やるしかないし、それが今回でないことだけは確かだ。

今回は大人しく…
【ここまで】行って引き返そう!




11:47 《現在地》

大樽沢停車場から歩くこと1〜2分。
わずか100mほどで、それは呆気なく現れた。
千頭堰堤から数えて2度目の本流渡河橋梁。


そして、架かっていた!

無事に…架かっていた。


しかし、前の橋とは状況があまりに違っているような。




手ほどきゼロの、
ナマの廃橋だ…。



う……



さっきの橋とは、とても比べものにならない怖さだ。

高さも、長さも、段違いだ…。

レールまで敷かれている。

迂回出来るならしたいくらいだが、
橋頭は尖った崖の先端で、下は水が渦巻いている…。
迂回も困難か、無理。




いや、 実はこれ、

トンデモナイ橋なんじゃないか…。

橋の前半部分を覆い隠した緑のせいで、全長の感じが掴みづらいが、

本当に長いぞ。

それに、レール…。




橋を見て引き返すつもりでいたのだが、実際には、ほとんど逡巡せずに橋の上に立ち入っていた。
ただ、想定以上の橋が現れたという興奮はあったものの、「ここを最後にする」という取り決めまで反故にする気はなかった。
“次回”の実質的なスタート地点になることが宿命的なこの橋が、渡れるか否かを知っておきたかっただけだ。

もし渡れればそれで良し。
しかし渡れなかった場合は、ここを通るような計画を立てることが出来ない。

この場での私は、自分でも驚くほど冷静に、いつやるとも知れぬ“次回”を見据えていたと思う。
そしてその冷静さの根源を、より冷静に分析するならば、
私はこの橋が怖かった。

ただの通過儀礼的な怖さではなく、自分の能力と度胸の限界を試される、真の怖さ。
そしれそれは、私にとって“プレッシャー”という言葉とも同義だった。




私が接近した南側の橋頭から橋の上に踏み出すと、最初の2mほどは上の写真の様な状態で、痩せた枕木の下に プレートガーダーと思われる鉄の主桁が見えていた。
そして“渡れる可能性”がある場所は3つで、一つは主桁、一つは枕木、一つはレールの上である。

だが枕木は酷くやせ細り、体重を支え切れずに折れる可能性や、角がそげて転倒するリスクが高いと思われた。
また、この3日前に探索した「大間川支線(←PDF)」では、何本もの廃橋をレール伝いに渡ったが、それが可能だったのは、脱線防止レールがあったせいだ。流石に幅3cmくらいのレールを渡ることは出来ない。

結局、枕木やレールはサブであり、足を乗せるメインは、この幅15cmもない主桁の他に無いのである。


これだけでも、十分に恐ろしい橋だというのに、

その主桁が、腐った枕木とそれを蝕む植物によって、ほとんど覆い隠されてしまった領域が、5歩分くらいある。




“最低最悪の5歩”を、突破した。

申し訳ないが、この間は本当に四つ足になって、冷や“汗だく”になりながら通ったので、写真はない。

これは人によって(特に体重によって)恐怖の感じ方に差があると思うが、私は腐った枕木に体重を乗せるのが本当に怖くて、苦手だ。
ズボッてなった経験はないが、それを一度でも体験してしまったら、もう本当に“それ系”の橋は渡れなくなると思う。
ネタでも嫌味でもなく、私は人一倍臆病だと思うし、特にこの橋は怖かった。

ともかく、これでようやく全長の3分の1が終わった。
残りは今までよりはマシっぽいが、スタスタとは行けない。
まず、現時点のネアンデルタール人みたいな渡橋姿勢から、直立姿勢になる勇気が出ない。




主桁で起ち上がれないワケは、いくつもある。

主桁の上の細かい凸凹(リベット)が密で、靴の裏を十分に密着させられない不安定さ。
全体的に昨夜までの雨で濡れている不安。
障害物(朽ちた枕木)が多く、直立のまま跨ぐのが怖い。
主桁自体が、橋の規模の割に細い。

…なんか、不格好な渡橋になってしまった事への言い訳大会みたいになってきたのでやめるが、実際に私の渡橋フォームは格好悪かった。

どんな姿勢かというと、右の写真のような姿勢である。
主桁に両足を置き、上半身を右に折って、両腕でレールを握っている。
この四点支持を徹底しつつ、すり足&枕木を跨ぐ時のみ小さく足を上げて、ジリジリと進んだ。

カッコワルイ。









道理で主桁が細いわけだ!

ウソみたいだが、今まで気付かなかった。
でも、ここに来てはっきりと見えた。
つうか、下が見えすぎるんだよ!
プレートガーダーだと、こんなに見えない。

本橋は、
私が林鉄上ではじめて出会った

トラス橋!





PG(プレートガーダー)の廃橋はかなり自信を持てるくらいに渡ってきたが、本橋が妙に恐ろしい最大の理由は、私が“廃トラス橋”というものにまだ不慣れだからだろう。

直に体に触れる部分の構造は、PGもトラス橋もそんなに違いはない。
ともに鉄を組み上げた橋だし、平面形は似ている。

でも、廃渡橋は微妙な感触が直に命に係わってくるだけに、感覚も研ぎ澄まされているはずだ。
その違和感が、こんなにも強い恐怖につながったのではないか。
なかなか共感を求めても難しい事かも知れないが、廃トラスは廃ガーダーとはまた違った怖さがあるようだ。





鉄骨渡りという言葉がぴったり来る眺め。

でも私は、曲芸師のようには渡れなかった。

動画を撮る余裕も無かった。






11:51

渡り遂せた。

本橋は2径間で、対岸側に小さなコンクリート桁の副径間が附属していた。
また、この部分では路盤がカーブしている。

全体に枕木の腐朽が進んでおり、ほとんどレールを固定できていない。
そのため、遠くない将来にレールが転落するかも知れない。
そしてそうなったら、私は渡れなくなるかも知れない。





何事もなかったかのように、路盤は続いていた。
レールは橋の上だけの幻だった。

この先、まだ見ぬ橋や隧道は、きっとあるだろう。
それもおそらく、両手では数えきれないくらい…。

当然気になりはしたが、流石に一日でこれだけの成果を上げれば、もう大満足。
だから、今度こそ迷わずに引き返した。

軌道終点「栃沢」まで
約8.3kmを残し、“満足”撤収。





先ほどのくり返しになるが、

はじめて生で見る、林鉄の廃トラス橋だった。

この興奮の前では、橋の形式名などどうでもいい気もするが、
一応見たとおりに書けば、「上路ワーレントラス」。
両端の背が少し低く切り詰められ、全体として舟形になっている所が珍しいと思う。
そして主径間の長さは目測25m。副径間5m。合計30mくらい。
高さは15mくらいだろうか。

こんな写真が『大井川鐵道井川線 (RM LIBRARY 96)』に掲載されている。

昭和37年6月に橋本正夫氏が、千頭森林鉄道の千頭〜大根沢を乗車したときに、撮影した写真のうちの1枚だ。

キャプションには「千頭ダムの上で…」としか書かれていないが、この橋は今回私が辿り着いた橋とそっくりだ。

同じ橋と思われる。



こんなモノが平然と残っているとは…

千頭、本当に恐るべし。






このあと、この橋をヒーヒー渡り直して、大樽沢へ戻った。
それから予定通りに「逆河内支線」に入ったが、
本線とは違った特徴を有する、大変に興味深い路線だった。
頁を改めてまた紹介したい。