2010/4/20 7:52 《現在地》
接岨峡温泉の駐車場にクルマを納め、自転車に乗ってやって来たのは、奥大井湖上駅へ通じる遊歩道の入口である。
実はこれとは別に、駅へ向かう人がクルマを停めておける遊歩道の入口があったのだが、この時点では知らなかったので、ここが駅へのメインルートだと思っていた。
…まあそれは良い。
県道388号接岨峡線の不動トンネル脇にある短い旧道に、遊歩道の入口がある。
私は自転車を適当に停めて、徒歩で遊歩道へ入ったのだが、その時に1枚の案内板に目を止めた。
小さくて見づらいと思うが、写真の一番下の辺りに「現在地」の表示がある。
ここから奥大井湖上駅までの道のりが可愛らしい感じのイラストマップに示されているが、駅へ向かうのにその鉄道の鉄橋(「レンボーブリッジは歩いてわたれるよ」とある)を通っていくというのが凄く変わっている。図の左の方に「駐車場」があるが、ただ駅へ行くには多分そっちのほうが近い。だが、今回の私の目標を考えれば、やはりここからスタートして正解だったといえる。
なお、肝心の旧線跡(私の目的地)は全く描かれていなかったが、それがあるはずの場所になぜか釣り人のイラストがあった。
これは旧線跡で釣りが楽しめるという意味なのかな? …違う気が…。
スタート地点は、尾根の上だった。
悠久の時が刻んだ、大井川の激しい蛇行。その痕跡を湖面にまざまざと浮かび上がらせる、半島のような長い長い尾根だった。
スタート地点から数えてみても、尾根の先端が湖水に没する地点までには1km近い距離と、約100mもの落差があった。
そしてこの落差は、湖面への最大の軟着陸ルートである尾根をゆく場合と、そこから外れて左右両側の急崖へ落ち込む場合とで、全く同じ量が存在していた。
それは至極当たり前の事。
問題は、私が目指す旧線跡への侵攻ルートが、否応なくそんな急崖へ挑むものであったことだ。
しかも、道があるのかも分からない急崖であった。
しかも、そんな先行きの“見えなさ”に緊張を余儀なくされている私に対して、湖面は“よく見えていた”。
私は、これから克服しなければならないものを性急に突きつけられたように感じた。
これは、そんな残酷な眺め。
↓
息を呑んだ。
幽玄の美に向けられた 感嘆 と、
目指すべき場所に向けられた 羨望 と、
自らの安全に向けられた 不安。
この三つの感情が一挙に私を捕らえて、 …息を呑む。
大きな大きな風景の中で、同じ路線とは思えないほどに姿を違える新線と旧線が、同時に私を誘惑してきた。
そして(私にしては)意外にも、先に目を惹いたのは新線の方だった。
「レインボーブリッジ」などというありきたりな愛称は、この橋に相応しくないとさえ思った。
今日の、そして私にとって初めてとなる「奥大井湖上駅」。その姿は高潔でありながらも、寂しげだった。一目惚れだったと思う。
そして、雨の印象操作力は、ハンパ無い…。
目指す旧線は思いのほか、ここからもよく見えていた。
向こうの山腹の水面に近い辺りを、ほぼ水平に横切る平場は、一目で旧線跡と分かるものであった。
事前情報では、旧線跡が「湖上駅からよく見える」という話であったが、そこまで行かずに旧線の位置を確かめられたのは、大きな成果だった。
というか内心では、もっと悪い事態も怖れていたので、それが杞憂に終わった歓びが大きかった。
つまり、湖の水位が高すぎて、旧線がほぼ全部水没してしてしまっていることを心配していた。
しかも今朝ここへ来る途中に県道から見えた湖面は想定外に高く、満水位に近いように思われただけに、それは大きな不安になっていた。
だから、もしこの辺りで旧線跡を見る事が出来なければ、直接そこへ向かう前に、一旦湖上駅へ赴き、水没の状況を確認するつもりであった。
だがその場合は大きなタイムロスが発生する。写真からも一目瞭然だと思うが、湖上駅は地図で見る以上に遠くにあり、往復すれば40分くらいかかりそうだった。
かなり行き当たりばったりの要素が強い探索であった。
どこから湖畔の旧線へ下降するかについて事前情報が無く、全て現地での感覚に委ねていた。
必然的に私は、普段以上に細かな地形の観察に努め、出来るだけ楽に安全に湖畔へ下るルートを見つけ出そうとしていた。
出来れば、何度も辿れるようなルートでアプローチしたい。
(理由は、今日の水位では全ての探索を完了できそうにないから、もっと水位が下がったときに安心して再訪出来るようにしておきたい)
入口から100mくらい尾根を歩いた所だったろうか。
少し距離の記憶が曖昧だが、右の写真のような分岐地点が目に付いた。
ガードパイプのある正面の道が駅へ通じる遊歩道で、右の道には何の案内も無いが、進行方向的に私の希望に沿っている。
そこで私は右の道を選んだ。
8:03 《現在地》
上の写真にも見えているのだが、右の道を選ぶとすぐさまこの小さな切り通しに出会った。
これは私が辿ってきた尾根を西に越えるための切り通しであり、規模こそ小さいものの、確かな土工の痕跡であった。
そしてこの発見によって、ここが単なる獣道ではないことが明らかとなった。
地形図(古い地形図も)にも載っていない、古い道(廃道)のようだった。
湖畔に通じているかはまだ分からないが、何もない斜面を闇雲に下るよりは遙かに安全だろうし、迷ってしまう危険も少ない。
しばらく、この道を辿ってみることに決めた。もちろん、“謎の道”に対する興味もあっての決定だった。
「廃線だけじゃなく、廃道もばっちり解明してやるぜ!」
ってな熱を持って飛び込んだ「この道」ではあったのだが、切り通しを過ぎて、案の定の険しさを剥き出しにした湖畔斜面に入り込むなり、即座にそんな余裕ぶっこいた気持ちは消えた。
そして私は冷静に思い直したのだった。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
この廃道は、あくまでも旧線へ向かうための必要な利用だけに留めようと。
もちろんその実は、「この廃道は片手間でやれるほど、甘くない」と感じたからだった。
この道は、相当ヤバイ。最初の50mで分かった。
我慢して進んでいくと、いよいよ本格的に付き合いきれなくなってきた。
ここまで荒れ果てると単なる斜面を歩いているのと大差ないし、この道はいつまでも水平に近い勾配で西へ向かうばかりで、私の目的に近付いているとは思えなかった。
雨で滑りやすさが倍増している落葉と土の急斜面で、目的へ近付いているという確信の持てないトラバースを続けるのは、苦痛であるだけでなく、リスクが大きい。
特に落葉の滑りやすさが、やばかった(この短時間で二度もスリップしかけた)。
…これは良くない。
見切りを付けて引き返すか、それともこの道の途中から湖畔へ降りるルートを見出すか…、早々に決めないと。
しかし、この辺からいきなり斜面を下って湖畔へ出ようとするのは、勇気が要った。
既に木々の向こうに水面の青が見えているが、それは近さというよりは、
斜面の飛び込むような急さを示しているのだし、途中まで下ったところで急崖に
阻まれでもしたら、非常な苦しみを味わう事になろう。
さらに、ここから湖面は見えるが、旧線跡が見えないのも気持ちが悪い。
急すぎて手前の斜面に隠されているのか、それとも、まだ隧道から出て来ていないのか?
どっちにしても、試しに下ってみる勇気はなかなか…。
8:14 《現在地》
冷や汗もののトラバース作業を、進退に悩みながらも10分ほど続けると、行く手の傾斜が幾らか緩やかになった。
そこは初めての杉の植林地で、手入れが行き届いておらずに歩きにくそうではあったが、滑落の恐怖は感じないで済みそうだ。
さて、このまま杉の植林地でのトラバースを続けるべきか?
思案しながら上方に目を向けると、県道のものらしきガードレールが数十メートル上方に見えた。
もし次またここへ来たくなったら、いままで辿ったルートではなく、県道から直接ここへ降りる方が楽そうだな。
次に下を見る。
………うん。
これは、降りてみるチャンスかも知れないな。
相変わらず険しいのだけれど、多少水が流れる谷筋になっているせいで、落葉が流されてゴツゴツと岩場が見える部分がある。
撫で肩のような手掛かりに乏しい土や落葉の斜面よりも、ゴツゴツした岩場や谷筋の方が、遙かに安心して上下移動出来るというものだ。
それに、谷筋であれば道を見失う怖れも少ないし、現在地と県道の位置関係が判明したのも好材料だ。
よし、決めた。
この谷筋から、湖畔へ降りてみよう。
というわけで、“謎の廃道”の探索はこれで終了。
結局最後まで正体は分からず仕舞いだったが、車道が開通する以前に使われていた生活道路だったたのだと思う。
下降を開始しても、気の休まる時間ではなかった。
足もとに注意しながら、少しずつ下ってゆく。
どれくらい下ったところだったか。時間的にはほんの数分だが、
最初は見えなかったものが… 平場が……
いや、路盤が!
・・・
っていうか
レールが敷かれているッ!?!
マ、 マジかよ?!
ズームレンズを覗かなくても、よく路盤が見える位置に近付いてきた。
そして分かったことがある。 最後が、とても急だということが分かった。
それはまさに怖れていた通りの事態であったが、路盤が急斜面を削って
切り開かれているだけに、これは“不運”ではない、ある種の“必然性”を持った事態だった。
まさに秘宝を前にして立ちはだかる、最後の難関といったところ。
これは、なんとかしたい!
笑ってしまった(笑)。
何でこんなところにポツンと、お誂(あつら)え向きな梯子があるかね!
いやはや、ついているというべきだろう、これは。
はっきり言って、この最後の崖は、梯子がないとクリア出来なかったと思われる。
だ、 大丈夫なんだよね? この梯子。
最後に人が利用したのがいつか分からない気持ち悪さはあったが、
ここに梯子が待っていたのを僥倖だと信じて、使わせてもらった。
(写真は梯子の使い方が間違っている。このあと正しい姿勢で降りたのはいうまでもない。)
使い終わって振り返ると、やっぱりひょろひょろした怪しい梯子だ。
帰りもここを使うのは、……ちょっと、いやだな。
それはともかく!
路盤到達!
軌条現存確認 !!
8:25 《現在地》
出発から約30分で、目的の旧線路盤に到着した。
この時間が長かったのか、短かったのかは判断できない。
途中のルートに不要なリスクがあったのは確かだが、初めてならばやむを得ないと思える程度。
いずれ次来るならば、県道から直にいま下ってきた谷筋を降りてこようと思う。
にしても、廃止された旧線にまさかレールが敷かれたままになっているとは思わなかった。
なぜ、撤去しなかったのだろう?
事前に読んだ『新・鉄道廃線跡を歩く3』には、新線の鉄橋からこの旧線を見下ろして撮影した写真が掲載されているが、レールが敷いてあるようには見えなかった。
或いはここにだけ敷かれているのか?
どちらにしても、期待していなかっただけに嬉しい誤算だ!
初めて、旧線路盤から新線を見る。
約30分前に恐怖や羨望を持って眺めた新線や湖面が、今は幾らか誇らしく感じられた。
それと、芽吹きが進む前に来たのは、正解だったようだ。
湖畔とはいえ木が良く茂っており、夏は見晴らしが悪そうである。
(その代わり、夏は水位が下がるらしいので、別のメリットがある)
私の前にも後にも、レールが敷かれた未知の廃線跡が伸びている、今の状況。
これを幸せと呼ばないならば、廃線探索者は何に幸せを感じられるというのか。
胸躍る探索のはじまりだ!