2015/11/13 10:19
2005年11月6日の探索は、前回紹介した木製桟橋の発見を皮切りとして、なおも続く。
そして、それから数時間を待たずして定めしゴールへと導かれるのであるが、それから10年と7日の後の再訪も、全く同じルートを辿った。
ここから先は、2015年11月13日の探索にバトンタッチする。
これは単純に、新しい探索の方がより“レポート”として価値が高いと思うからそうするのであって、深い意味は無いが、適宜10年前に撮影した写真も利用していきたい。
以後、この回からは、特に指定のない限りにおいて、2015年の写真を使う。
現在地は、木製桟橋から300mほど先に進んだ森の中である。
歩き出しからは約1km、残り2/3弱という中盤である。
この間にも明瞭にそれと分かる軌道跡が続いており、小規模な石垣や、廃レールを用いた電信柱、浅い掘り割り、小さな築堤、路盤を横切る浅い開渠などなど、色々なものがあるが、いずれも全線にわたって頻出するものたちなので、印象的な場面まで飛ばしている。
この、やや広いなだらかな土地に広がる杉の植林地には、連続するカーブがS字の形に、浅い掘り割りとなって刻まれており、これがいかにも“林鉄らしく”愛らしいのである。
使い古された表現ではあるが、カーブの向こうから今にも運材列車が現れそうな雰囲気。あるいは、見えない枕木やレールが目に浮かぶ風景というやつだ。
数十メートル続くグネグネカーブの浅い掘り割りを抜けようとする場面には、こんなものが残っていた。
路傍に、まるでキャンプファイヤーの焚木のように積み上げられた、苔生しの木材。
刺さったままの犬釘も鮮やかなこれらの正体は、撤去されて積み上げられた枕木に他ならない。
このように撤去枕木を井桁状に積み上げてあるのは、他の林鉄跡でも見たことがあるが、この杉沢林鉄では異例なほど多くそれが残っている。本路線では、撤去した枕木の大半が他へ運び出されることなく、現地に残されたことが伺えるのだが、管内最後の廃止路線ともなれば、鉄屑として売却できる廃レールと異なり、枕木については転用のために運び出す必要が無かったのだろう。この写真の場面も、そうした枕木の山の一例に過ぎない。中盤以降は、長くても100mと空かずに、こうした残骸が残っている。
わざわざ枕木の撤去をしたのは、一時期ブル車への転用がなされた名残だが、現在はその轍も失われている。
なお、“変化後”の画像は、10年前の同じ場面である。
枕木の山の変化は、木橋ほどではないが、それでも着実に土へ還りつつあるようだ。
ところで、この辺りの軌道跡は馬場目川の水面から10mばかり高い所を通っているのだが、路盤からその川面の方向に目を転じると、色々と奇抜な感じのものを目にすることが出来る。
何が奇抜かといえば、なんか大きな岩が、ごろごろと。
そして路盤にある様々な林鉄の遺物と同じように、この巨大な岩たちもみな、コケや草の緑色を濃く帯びている。
ここまでならば、奇抜と言うにはいささか弱いかもしれないが、面白いのは、それら大岩に根付いているのが、小さなコケや草だけでないという点だ。
では何が根付いているのかと言うと――
こんな案配に、色々な木。それも、大木と呼んで差し支えが無いような木が、多くの巨石の上に育っている。
偶然と言えば偶然なのかもしれないが、いかんせん、その数が多いのだ。
そもそも、このように大きな岩が、比較的なだらかな地形の水面からも少し離れた場所にゴロゴロとしていること自体が不思議と言えば不思議なのであり、そのうえで、大岩の上こそ居心地が良いのだと言わんばかりに、大木と言えるものの多くが、そこに根ざしているのである。
しかも、岩が特段に多くの養分を含んでいるというわけでもないだろうことは、それらの大木の根が大岩の表面を滝のように流れ、その下の地面に深く張られていることからも理解されるのである。
結果、成因のよく分からない風景は、見る者に多大の違和感と不可思議感を与えている。いわゆる“名所”といって差し支えないだろう。
もっと言えば、この辺りの植物の“旺盛さ”は、ちょっと度が過ぎていると感じる(笑)。
前回見たモフモフなんかもそうだが、林内のあらゆる場所が天候を問わず湿り気を帯びている気がするし、そうでなくとも、あらゆる場所に苔が育ち、天地の別を渾沌に混ぜようとしているようだった。
さすがにこんな事は妄想に違いないのだが、土と岩の分け隔てもなく旺盛に育っている植物を見ていると、この土地では空気そのものが彼らを育てる養分を多く含んでいるのではないか。…なんてことを思うのだった。
ここで呼吸しすぎると、体内にも植物が根付きそうな気が… 笑。
路盤から投げ捨てられたレールだろうか。近寄ってサイズを計ってみると、これは6kgレールで、杉沢林鉄で戦後に使用されていた9kgや10kgレールより明らかに細い。
今では大木の“股”に埋まっており(写真)、もはや伐採以外に回収の手段はないだろう。
ちなみに10年前にも同じような状況だったが、手前のやや細い木にとってレールの食い込みは命を脅かすほどの“毒”であったようで、もう枯れ果てていた。
10:43 《現在地》
さらに歩いていくと、谷の中が明るい感じになってきた。
地形の変化というよりは、鬱蒼とした杉の植林地を抜けて、完全に落葉した雑木林に入ったからだろう。
フカフカの落ち葉が堆積した路盤は、まるで公園の遊歩道のように歩き心地が良かった。
…いや。
ちょっと、これはいくらなんでも…、完璧に放置された廃線跡ではない気がするぞ。
遊歩道のように案内板とかがあるわけでは無いが、明らかに人が入っている感じがする。
んんん?
そんなことを思いながら歩いていると、10年前にも見た覚えがある風景が、いくらか様変わりをして、登場した。
そうそう、これだこれ!
入口から約1.3km地点、この区間の中間地点というべきこの場所には、10年前にも1本の小さな橋を見つけていた。
果たしてこの2本目の木橋、どうなっているかと危ぶんでいたわけだが、
健在であった!!
しかもである。
10年前よりも明らかに、橋は元気を取り戻しているように見えた(笑)。
まさか、架け直されたかとも一瞬疑ったが、どうみてもここ10年以内の新設橋ではあり得ない風合いを醸しているし、枕木らしきものさえ見えているのだ。
やはりこれは、林鉄時代の残存橋梁!! よっし! よしよし!!
この橋の構造は至ってシンプルで、規模も小さい。
そして、純然なる木橋である。
この“純然”という中には、橋桁そのものだけでなく、橋台も含まれる。多くの林鉄橋の橋台は石材であるが、本橋は木材の土留めが橋台代わりになっている。極めて原始的な構造と言える。
橋桁は太い3本の丸太を横並びにしたもので、その上に隙間無く枕木を並べてある。
もしかしたらこの枕木は、林鉄の廃止後に隙間無く並べ直したものかも知れない。
そしてさらにその上に幅1mほどの板敷きがあって、歩道として使われているわけだが、この板敷きは10年前にはなかった。
このことからも、本橋が純粋な廃橋では無い事が分かる。
それともう一点、10年前との違いを見出した。
本橋は単純な1径間の橋なのだが、その中央部に橋脚らしき丸太材が追加されていたことだ。
明らかに補強目的の添加材である。
橋の下に潜り込んでみた。
ぽわーんと甘い朽ち木の匂いを感じる。
一抱えもある太い丸太の主桁は、前後の木造橋台とともに、表面が蕩けるように朽ちていた。
単純な作りであることと、流水の影響を受けていないことなどから、奇蹟的に落橋せずに耐えているようだが、その老朽ぶりはいつくの字に折れてしまっても不思議はないと思わせる。
10年前はなかった補強のための橋脚も、主桁がスカスカになってしまったために、まるで役立っていないようだ。
橋の老朽ぶりは、予断を許さない危機的状況であるかもしれないが、そのことを差し引いても、本橋を取り巻く環境の美しいことは、まったくもって“楽園”のようであった。
左の写真は馬場目川の水面から見上げた橋である。見ていても容易に飽きない奥ゆかしさがある。
右の写真は橋下の水面で、森の妖精が羽根を休めて微睡みそうな可愛らしい淵になっていた。
林鉄が各地で現役であった時代、こんな小さな木橋を取り巻く一連の風景なんて全く珍しくもなかったはずなのだが、今となっては、林鉄のあった時代を伝承する、とても貴重な遺産である。
しばし離れがたくなり、本日唯一の同行者である柴犬氏と、あれこれ談笑して過ごした。
10:53 《現在地》
2本目の木橋の健在に安堵しつつ前進を再開すると、すぐに左から砂利道が合流してきた。この道は地形図では破線で描かれているが、実際は車も通れる規模がある。
そして、この道自体は10年前と特に変わっていないように見えたが、軌道跡との合流地点に立っている、行き先表示の“羽根”が折れた木製の道標は、見覚えが無い。というか、前は間違いなく存在しなかった。
しかしこの発見で、直前に見た木橋にいくらかの手入れが施されていた理由が判明する。
こんな山奥の軌道跡ではあるが、この10年の間に遊歩道として整備したか、しようとした時期があったのだろう。
そこまで考えてから、私の記憶は、間もなく現れる一つの風景を、ぼんやりと思い出していた。
確か……、観光客を呼べそうな風景が、この先にあったはず……。
あった! なんか見えてきた。
異様な、
何ともいえないような風体をした、大きな…… 岩。
そんなものが、川の対岸に見えている。かなり大きい。家くらいある。
それに、こちらの岸には10年前にはなかった、1本の白い標柱が立てられている。
なるほど、どうやらこの“大岩”の景観をメインに据えて、しがない不通県道(未舗装の砂利道)の奥地に新たな観光名所を打ち立てたようである。
10年前もこの景観は存在していたが、案内板なんかは全くなく、私にとっては無名の景色に過ぎなかったものだ。
10年前にはなかった、まだ新しさを感じさせる標柱曰く、
“ネコバリ(根古波離)岩”
猫大好き人間の私は即座に反応。
秋田弁で「ネコバリ」といえば、「猫ばっかり」という意味である。
言葉尻を想像しただけで萌える。そして、対岸の大きな岩が、その「猫ばっかり岩」だそうだ。
どのへんが、猫っぽいのだろうかと、注視する。
なるほど、これはなかなか、猫っぽい、か。
寝起きの猫が、体を伸ばしてニョローンとなっているところにそっくり、か。
――さすがに無理があるようだ。
掌返しで申し訳ないが、「ねこばり」は猫と関係なく「根子張り」であろう。
ここまで幾度も見てきた、巨石の上に育った巨木という異常景観の極め付けといった感じである。
一軒家ほどもある巨石の上に、絡み合い幾株とも知れぬ奇怪な形をした老木が育っており、その樹勢は旺盛である。
そしてこれらの大木の根は巨石の上半分を覆い隠してなお広がり、天然の“根橋”をもって、大地に接続しているのである。
この奇妙な景観が「ネコバリ岩」であり、かつては林鉄の開放的車窓を彩りもしたであろう。
奇妙な樹木を眺めつつ、いよいよこの区間の探索も後半戦へ。
私の記憶が確かであれば、あと1本の橋が、10年目の再会を待ってくれているはずだった。
途端にまた藪っぽくなる軌道跡へ、探索続行!
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