レポのタイトルからして、どんな道が現れるのか、おおかたの読者には予想が付いてしまったかも知れない。
だが、このレポを最後まで読み終わった頃には、あなたの中でタイトルの中の「狭」の字は、それとよく似た形の、別の“字”に変わっていることだろう。
国道101号線は、なんとなく目を引く路線番号だ。
だが、秋田県や青森県の限られた地域に住む人以外には、あまり馴染みがないというか、なんとなく道路地図を見ていても、なかなか見つからない路線である。
決して路線長が短いわけではなく、全長は272kmもあり、これは3桁国道の平均的な長さを上回る。
また、起点と終点を知れば、何故マイナーなど言われるのか、首をかしげる方も多かろう。
起点は、青森市。
終点は、秋田市である。
北東北の2県の県庁所在地を結んでいる。
この路線が、マイナーだと言われるのは、このうち60kmあまりが国道7号線と重複していることも大きい。
だが、最大の理由は、この道は殆ど他の国道と接していないからだと言えるだろう。
国道7号線と重複していない210kmの道のりで、7号線以外に接している国道は339号線一本だけという有様なのだ。
実はこれ、網の目のように国道が張り巡らされた日本国土において、相当に珍しいことなのだ。
はてな?
秋田と青森の間を結ぶ、そんな長い国道がどこに通っていたか?
答えは、右の地図の通り。
鉄道好きには、五能線と仲良しだといえば、それだけでどこを通っているか分かるだろうか。
ひたすらに日本海沿岸をなぞって走っているのが、国道101号線の正体だった。
そして、私が「五里合狭区」として売り出し…もとい、紹介しようというのは、図の下の方の「男鹿市」にある。
国道とはとても思えない、情けなくも味わい深いその姿を、とくと味わってもらいたい。
3桁国道筆頭の 憂鬱
冬の日本海の風
12:45
なんじゃこりゃ〜!
と、思わず叫びたくなる光景。
秋田県は豪雪地だと思っている読者様、とんでもない。
秋田県の中でも、沿岸部の秋田市や男鹿市なんかは、はっきり言って雪は少ない。
2月のマックスの時期でも30cm有るかどうか程度。
しかし、2005年は32年ぶりと言われる豪雪だ。
現在これを書いている外でも、窓が雪に埋もれている。
1月5日現在、秋田市の積雪が74cmと記録的な数字になっている。
私が男鹿市五里合(いりあい)の国道101号線を走りに行ったのはクリスマスの翌日だったが、この時もすでに40cmをこえる積雪があった。
まったりとしたレポートを想像した読者様、ごめんなさい。
ガチです!!
車を降りた傍から、私という体に猛烈な横殴りでぶつかっては張り付き、張り付いては溶け出す雪片。
あっという間に、手と耳の感覚が無くなった。
つーか、雪の日に「山チャリ」をすると、例外なくガチバトルになることは、もう何年も何年も経験済みだというのに…。
今年は初めて、車と一緒に冬を迎えたというのに…。
それなのに、なぜ、何故こんな吹雪の日に、チャリに跨っているのか。
シックだといわざるを得ない。
シックは、「あ〜この部屋、シックで素敵。」のシックでなくて、病気のほうね…。
さて、今日の計画だが、はっきり言って長居は無用。
こんな吹雪の中チャリを漕いでいては、寿命が縮んでしまう。
10年前の若い肉体ならいざ知らず、中年化がすすみ、体温の冷えやすい私の体はもう、零下の世界での活動限界はそう長くない。
右上の地図の「A」〜「D」を、アルファベット順に辿り、最後は「A」に戻ってくる、一周約10kmの周回ルートである。
まあ、私のように時期さえ誤らねば、チャリなら気持ちよくツーリングできるコースだと言えるだろう。
車だと、あまり快適だとは思えないが…。まあ、それは追って見ていけば分かる。
もう一度この地図を見て欲しい。
国道は、海沿いに比較的直線的で、しかも太く描かれた白い線(市道である)があるにもかかわらず、敢えて内陸へと三角形の2辺を迂回するように屈曲し、その先も不必要に蛇行を繰り返し、最終的には市道に合流している様子が分かるだろう。
この線形だけを見れば、まるで国道は旧道で、いままさにバイパスを海沿いに作ったかのような感じなのだが、実際には、国道に指定された当初から、海沿いの市道は存在していた。
この国道が県道から昇格した平成5年より前の道路地図でも、今と色分けが違うだけで、やはり主要路線になっているのは、遠回りの方の道だった。
それ以前は、男鹿市には一切国道が無く、がむしゃらになって国道昇格運動をした結果、市内の主な市街地を経由するように幾つかの県道を結んだルートが、国道101号線の能代以南秋田までの延伸部として指定された、その血と汗と涙の結晶が、この国道ということが言える。
それでは、実際に見て参ろう。
まずは、地図中で「A地点」とした、浜沿いの市道の景色である。
砂丘のススキの原野の、人家も疎らな中を緩やかなカーブを繋ぎながら片側1車線の道が延びている。
この日は特に風が猛烈に強く、海から舞い上がった塩分を含む吹雪のために、気温は零下なのに路面は凍ることも出来ず、重いシャーベットが一面を覆っていた。
100mも走ると、もう舞い上がったシャーベットで靴はじっとりと湿り、得も言われぬ不快な感じになった。
12:49
出発から200mほど走ると、もう引き返したい気持ちがマックスになっていた。
もう、ジーンズのズボンは太ももまで冷たい湿り気が浸透しており、足は指先に冷たい物がじんわり。
なぜか帽子や耳当てを忘れてきており、秋田の冬の寒さを嘗めるなよといわんばかりの吹雪が、すでに私の聴覚さえ奪い始めていた。
この日は、秋田市内で瞬間最大風速30m台を記録し、山形県下の羽越線では県人数名も犠牲になった突風による脱線事故が起きていた。
こんな日のチャリなど、真っ直ぐ進めないばかりか、逆風となればもう目など開けていられないほどだった。
だが、何とか最初のチェックポイントであるところの、国道との合流地点に辿り着いた。
地名でいえば安田、地図中では「B地点」とした場所だ。
写真の通り、信号機のない三叉路となっている。
一応は国道ということで、青看も設置されている。
これは、いま来た方向を振り返って撮影したもので、市道である左の道の行き先が「能代」となっていることに注目である。
国道も間違いなく能代には向かうのだが、国道では遠回りだということで、ここでは設置者の県も機転を利かせ、市道に誘導する策に出ている。
実はこういう機転は、以前は特に珍しいことだった。
例えば、国道だったら市道や町道には、よほど近道でも滅多に誘導するということはなかったのだ。
それにしても、「この国道は案内してはいけない内容だ」と、県も理解していた証拠かも知れない。
青看の支柱にまで、追加で「能代方面」などと看板が取り付けられており、国道は寂しげだ。
こんな吹雪でも撮影出来るのは完全防水の「現場監督」の強みだが、レンズにぶつかってくる吹雪はどうしょうもない。
また、バッテリーは低温にはどうしても弱く、一応マイナス20度まで使えることにはなっているが、零下だと減りは早く長持ちしない。
車通りの殆ど無い国道(おにぎりも見えますね)を、やや内陸へ向けて砂丘を登るように走る。
風は追い風に変わり、いくらか体感温度はマシになったが、風に煽られふらついていたら、後ろからいつの間にか接近してきていた軽トラに轢かれかけた。
久々に、交通事故に遭うかと思ったよ。
密かに地味〜に、冬のチャリは、そこら辺の廃隧道探索とか木橋渡ったりするよりか、命の危険は大きいように思う。
あ、ごめんよ。
そこの人、ブラウザを閉じないで〜!
連日の雪掻きに負われ、生活の大半を克雪に使っている日本海側日本の皆様には、とても不愉快な写真ばかりが続くレポです。
ですが、これが秋田の冬の現実。
当然そんなときだって、国道は国道。県道は県道の仕事をすることが当たり前に求められているわけで…。
夏にはない、北国の真なるレポートを、最後までご覧下さい〜。
国道は、砂丘の丘を越え、ひとしきり下ると雪原の中に出た。
ホワイトアウトに近い視界状況。
箱井狭区
12:57
個人的に何度来ても好きな場所です。
この分岐点。
地図中では、C地点。
市道に対し3角形の2辺を通り迂回する国道の、その頂点の位置である。
ここで、直進する県道304号線から反転し、五里合の市街地へと入っていく。
いよいよ、「五里合狭区」が始まる。
目印は、この小さな青看と、ポツンと立つスタンド。信号はない。
背後は一面の水田で、まるで低性能なゲーム機で背景のグラフィックが欠落したかのように、何も見えない白い世界になっている。
青看の国道の行き先は、「箱井」となっているが、箱井とはまさに今いるこの地区のことを言う。
交通量は非常に少ないが、左折専用の小道が交差点に設けられている。
もっとも、通行量の少なさを反映して、除雪が不十分なために軽車両は嵌る恐れがある。
その左折線の脇に、スローガンやら政党のポスターやらが飾り付けてあるが、なんか猛烈な違和感を感じる。
なんか、右の女性…。
こ、こえ〜…
異様な色になってるよ。
間違いなく、凍死者の肌の色だよ。
唇だけ赤いのもトラウマだよ〜。
これを見て以来、なんか時々この顔が脳裏を過ぎるんだよな。
社民党さん、綺麗な女の人のポスターを雪国に貼るときは、少し考えてね。
雪女みたいにならないような人にしてよ。
張り付いたような口元の微笑と、三角形に細められた穏やかな目線と、まつげに付いた雪が、余りにも、
余りにも 怖い!
実はここから約4kmの五里合狭区だが、ここ5年くらいで急速に国道らしく整備されている。
「あー、ざんねん」 そう思ったあなたは甘い!
道には手を掛けず、なぜか、標識類だけが整備されるという、我々道路趣味者(オブローダーの趣味じゃないよな…これ現役だし)にとっては、最高の整備方針である。
5年はおろか、国道化して以来全く道路としての改良は見られない。
左折して五里合市街地へと向き直ると、まずは現れるおにぎり。
地名は、もう既に「箱井」だから。
町と道の古さを物語るのが、道路脇の塀に飾られた、これらのトタンの看板。
もう、街角ハンターの諸兄にとっては同じ見過ぎるこの看板。
何故か同じデザインで各地に存在する。
題して、パンチラにエレクトする軽トラ!
危な過ぎる。
歩車分離?
なんのこっちゃ?
五里合では国道を歩くのがデファクトスタンダードじゃイ!
そういわんばかりの、早速の1車線が始まっている。
だが、もちろんこれは序の口。
以前は無かった真新しい青看が設置されていた。
左は、海沿いの市道にぶつかる道。
右が国道で、まだ「箱井」目指して左折して100mしか来ていないのに、もう次の目的地「橋本」が現れた。
現れたる分岐地点。
以前はここで国道を見失う人が続出していたという。
確かに、右も左も道の程度としては五分と五分(の狭さ)だ。
だが正解は、右である。
それでは、右に向き直って…。
来た!
こいつは、結構本格的に、狭いぞ。
いまは雪のせいもあるが、普段でも車同士の行き違いは不可能。
軒先を遠慮がちに通る国道の姿に、思わず胸が、 キュン となる。
ちなみに、この辺りは全て路線バスの通行路でもあるが、残念ながら本数が少なく出会えたことはない。
まあこの辺だって、歩道もないし1.5車線の国道にしては間違いなくダサい道なのだが、前後の有様を考えると、この辺は天国のように思えることだろう。
ドライバーにとっては特に。
逆に、吹きっさらしの雪原を横切る集落外の区間は、チャリにとってはむしろ辛いが。
神谷狭区
13:12
狭区の始まりであるC地点(箱井)と、その終わりであるD地点(橋本)。
この中間地点にあるのが、神谷地区である。
ここにも相当に紛らわしい分岐地点がある。
しかも、今度は標識さえない。
あなたに分かるかな?
私は、正面へと進んでみた。
すると、これまた年代物の「二本松サファリパーク」の看板。
この看板も東北中で見かけるが、過去帳入りしたものの一つだろう。
看板が立った頃には猫も杓子もサファリパーク(猛獣の世界に愛車で入場)だったわけだが、そのご、色々と事故が起きたり、車が傷つくと言ったことから客離れが進み、今やサファリパークって何? と言うムードになっている。
でも、この秋田の片田舎にサファリパークの看板が立っているのって、実は凄いことで。
だって、福島県の二本松市なんて、何百キロ離れているって?
しかも、実はこの道は間違い。
国道は、右でした〜。
民家の生け垣と畑の間の隙間を縫うように通る国道。
一応生活道路として除雪されている。
そして私は、除雪に使われているものが何なのかを、この目で見てしまった。
それは、小さな小さなユンボだった。
よく河原の工事現場なんかにある小さな黄色いやつだ。
屋根も付いていないやつ。
たしかに、この道に普通サイズの除雪車が入ってしまえば、交通が余計に麻痺してしまいそうだ。
そして、再び現れたおにぎり。
補助標識の地名は「神谷」。
なお、写真は振り返って撮影したものだ。
別の市道が十字を切ってくる。
市道は2車線で、国道は紛れもない一車線。
しかも、標識があるのは市道側だけという有様。
轍の数も全然違う。
そして、過酷な試練がこのあと、私の身に降りかかるのだった!
後編へ
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