国道101号線 五里合狭区 後編   

公開日 2006.01.05
探索日 2005.12.26



県内最狭国道

2−1 高屋狭区 

13:20

 農道に貫かれた国道は、その先も少し田んぼの中を走ったあと、またも低い民家が密集する一角へと入る。
神谷集落から高屋集落に移った。

 そして、ここにも紛らわしい分岐地点が。

 なお、正解は右である。


 さらに進むと、再び似たような分岐地点が。

相変わらず標識などはなく、景色から国道を判別するというのは難しい。
ただ、積雪と中途半端に少ない交通量のおかげで、路面の轍の量がはっきりと違う。
これが、なんとなく国道を選ぶ手掛かりになりそうである。

 というわけで、今度も右が正解である。



 田んぼに入ると道が広くなる。
ずっとそんなパターンが繰り返されていたが、今度ははっきり言って、あんまり広くはない。
ワンマンバスも通るのだが、そういえばどこで行き違いしているのだろうか?

 国道であるなしにかかわらず、車では日中あまりこの道へは入りたくないな。



 古風な街並みの先に、またしても分岐路が見えてきた。
今度はT字路のようだ。



2−2 最狭! 橋本狭区

13:28

 またも「どっちでしょうか?」とやりたいところだが、今度はちょっとヒントが多すぎたかも知れない。
これまでの“学習”によって、轍の深い方が国道ではないかという事が分かるし、それに、今度は大型車の進行方向制限がある。

右に行かねばなるまいな。






 ブッブー!

 間違いである。
間違いなのだ。

 今度は、左である。
この先の国道は、大型車が時間帯によっては通れない制限のある国道である。

 ここは、今まで4回来て、うち3回までもスラッとミスったという、曰わく付きの場所である。
今回は、あまりの寒さでもう、無駄に走り回る気力がなかったので、いつも以上に慎重に記憶を手繰りながら走った結果、初めて一発正解となったのであった。



 随分前から大型車への制限はあったらしく、補助標識が朽ち落ちてしまった色褪せた制限標識が入口に立っている。
この奥の道が、秋田県内で最狭と言われる国道である。
そういうのは普通山の中にありそうなものだが、ここ秋田では違う。
そこそこ人も住んでいる街中に、今もひっそりと国道が隠されるようにして、あるのだ。

 それでは、秋田の誇る道路名勝。
「橋本狭区」をご覧頂こう。



 通行量がかなり少ないようで、路面の積雪が今までとは違う状況だ。
鮮明に除雪車のキャタピラの文様が残っており、それが車のタイヤによって削られたような様子も殆ど無い。
しかも、これまでにはなかった結構急な上り坂である。
点在する民家の軒先や、あるいは生け垣の外を、本当に車一台分しかない道がソロリソロリと登っている。

 以前、あのミリンダ細田氏の運転で、ちょっとした怖い物見たさが興じてここへ案内したときの、彼の素の発言が面白かった。
「これ大丈夫なの?」

 まさに期待した通りの反応だったのが堪らなく愉快だったのを覚えている。
だってなぁ、生け垣の植え込みが軽車両の側面に擦るほどの幅だからな。


 さて、この分岐。
あなたならどっちへ行くだろうか?
もちろん、国道を走って欲しい。

 手掛かりはいよいよ無い。
どっちも同じ程度の「ど〜でも良い感じの道」である。
むしろ、このどちらかは国道だと言うことが、驚くのだが。

 まあ、ぶっちゃけどっちに行っても、結局は海沿いの立派な市道の、そう離れていない場所に出るので、実質的には何の問題もないわけだが…。 やはりここまで来たら、完璧に国道を辿って欲しい。



 だが実は、ここにはれっきとした道しるべが有るのだ!

…いや、正直今回は雪の中に隠れてしまったのか、それとも撤去されてしまったのか、発見には至らなかったのだが…
少なくとも左の写真が撮られた2001年4月には、この国道を決定的に印象付ける標識が、存在していた!!

 見たか! 分かれ道の右に立つ小さな立て札の、赤いペンキの「101」の文字を!

 おそらくは、この辺りのオヤジの手製だ。
最強じゃあないか!こんな国道の標識!
しかも、どっちへ行っても大差ないというのに、一応国道を明示しようという、その根性がイイ!
集落の住民が総ぐるみの運動の末に念願の国道を通したという、その喜びを痛いほどに感じるではないか!!

 … え? 感じない?



 と言うわけで、あり得ない国道標識に促され、正解は右。

 そして、この右に入ったあたりからの約350mが、今回のレポートのハイライトとなる、一番狭い部分だ。

 なんかもう、この景色は国道を走っていると言う世界ではなく、田舎のかあさんの実家に来たときの景色…
今にもエプロン姿のかあさんが、満面の笑みで玄関から駆け寄ってきそうではないか。

 一応除雪された痕跡はあるが、とても軽車両などは滑ってしまって、一度止まったら最後、もう上れなさそうである。



 道幅を分かり易くするために、チャリを横に置いてみた。
お分かりですね。 この狭さ。



 坂を登り切ると、そこからは民家も無くなり、海風が吹きすさぶ高台である。
ここの風の強さと来たら、本当に立ち止まっていられないほどであり、とっくにびしょ濡れとなったジーパンから太ももが受ける感覚は、冷たさを越え、痛みさえ通り越し、遂に痒くなっていた。
これは、非常に危険な痒みである。 いい加減にしないと、本当に、不能になってしまう。

 だが、以前来たときにはなかった「20km」ポストが追加されているのを見つけると、思わずチャリを止め、撮影してしまった。
すでに、カメラのシャッターを切る指にも、全く感覚はない。
まるで、腕という棒の先に、ドラえもんの手が付いているような感覚だった。



2−3 最狭にして最狂!

13:32

 私の体は、非常に危険な状態になっていたようだ。



 この顔を見れば、それがよく分かる。

 この顔がヤラセの類では無いことは、見る人が見ればすぐに分かるはずだ。

 

 こちらからダウンロードしてご覧ください。


 その証拠と言える一本のVTRが、いまここにある。
これを見れば、あなたは冬の山チャリの如何に過酷なるかを、一発で理解するだろう。



 命を削りながらも200mほど走ると、左側に2車線の道が近づいてくる。
そしてそのまま合流する。

 この合流してくる道こそが、旅のスタート地点の海沿いの市道の続きである。
こうして合流すれば、約5kmの狭かった国道もここからは普通の道となるのだ。

 写真は、合流した市道側から、狭い狭い国道を振り返って撮影。
なんとここにもおにぎりが、恥ずかし気もなく立っている。


 ここのおりぎりだけは、かれこれ4年前に初めて来たときにも既に立っていた。
補助標識の地名も変わっていないし、変わっていなければおかしいような、その足元の道の様子も、全く変化がない。
脇にある野菜果物の無人販売所でさえ、ド派手な看板を掲げるまでにリニューアルしているというのにだ。

 そして、変化したと言えば、なぜか補助標識の裏に小さなおにぎりのステッカーが貼ってあるのを発見した。
路線番号は、なぜか「97」。
こんな番号の国道は日本には歴代存在せず、誰かの自作ステッカーなのか、市販品なのか…。
やはり、道路マニアの犯行なのだろうか?


 画像にカーソルを合わせると変化します。

   

   右が市道

 左が国道


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 日本で一番二桁に近い三桁国道の、まさかと思わされるような異様な姿。
もうかれこれ国道に指定されて12年が経過しているが、一向に改良されるという話は聞かない。
並走する市道を黙って国道にしてしまえばまだ、面目は保たれようというものだが…そうも行かぬ大人の事情もあるのだろう。

 ところで、このレポのあと年が明けてすぐに降った大雪で、秋田市や男鹿市は一晩にして30cm以上も積雪した。
雪に慣れた秋田県の交通でさえ各地で寸断され、特に公共の交通機関の麻痺が深刻化する中にあって、新聞に小さく報じられたこんな記事を私は見逃さなかった。

 県道路課によると、5日午後5時現在、全面通行止めや片側通行の措置を取ったのは大館十和田線や秋田天王線、男鹿市五里合の国道101号(1・5キロ)など計9路線。

 通常の冬期閉鎖ではなく、除雪が追いつかずに臨時で閉鎖された9本の道の中で、たった一本だけの国道。
それが、この101号線の、ちょうど今走ってきた辺りだ。
情けなや、 嗚呼、情けなや。


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 最後にもう一つ。
この4年で変化したと言えば、この分岐地点の青看も、偉く立派なものに取り替えられている。

 ただ、右の写真二枚を比べていただければ分かるとおり、国道の扱いは確実に小さくなっている。
むしろ、間違って国道に入ってしまわないようにという、そんな配慮を感じてしまうのは私だけだろうか。

 現在の巨大な青看板の支柱にわざわざ取り付けられた、「←国道101 道路狭小」の標識こそが、国道らしく巨大になったな青看が、真に言わんとしていることではないだろうか?

 …どうやら、当分改良するつもりなど無いようである。