道路レポート 秋田県道401号雄和仁別自転車道線 仁別〜旭川ダム 前編

所在地 秋田県秋田市
探索日 2025.05.02
公開日 2025.05.05


私が住んでいる家の近くに、とても悲しい県道があるので、紹介しよう。

その名は、秋田県道401号雄和仁別自転車道線

全国に148路線(2017年時点)存在する“自転車道県道”の一路線であり、多くの自転車道県道がそうであるように、国が昭和48年度から進めている大規模自転車道整備事業による国庫補助を受けて秋田県が整備した大規模自転車道である。

1970年代の一大サイクリングブームを受けてスタートした大規模自転車道整備事業は、現在までに135路線、4330kmが計画されているが、平成30年時点の供用済延長は3680kmで、計画から半世紀近くを経て未だに完成していない路線や区間が相当数存在する。
だがそんな中にあって、秋田県に計画された3本の大規模自転車道は平成中期までに全線が供用済となっており、全国的に見ても優秀な事業完遂の成績を上げている。



……自転車道を完成させることが、整備の目的だったのならね……。(←不穏)



秋田県道401号雄和仁別自転車道線は、秋田市内を南北に横断するように走る、総延長35401mの一般県道である。
路線の中間部を占める秋田市中心市街地の周辺は、他の県道との重複区間(図中の点線部)となっており、自転車道としての実態がない。本県道の単独区間は、起点側の雄物川右岸堤防を走る区間と、終点側の旭川沿いを遡る区間の2つに大きく区分され、これらの区間にいわゆるサイクリングロードが完成している。重複区間を除いた単独区間の長さ(実延長)は26721mである。

今回紹介したい“悲しい”区間は、終点側にある。
次の図を見て欲しい。



本県道の終点側の単独区間は、秋田駅から2kmほど北上した手形(てがた)地区に始まり、以後は旭川の清流を遡るように、沿川最奥の集落である仁別(にべつ)を経て、太平山の登山基地となっている「仁別国民の森」の終点まで約18kmにわたって続く。
このうち手形から仁別までは、県道15号秋田八郎潟線が平行しており、一部に重複区間があるが、大半は近接する別路線となっている。
また、手形から旭川ダムまでの約13kmには「仁別サイクリングロード」、その先終点までの区間には「務沢(むさわ)自然研究路」という愛称が付けられている。

なお、この一連の経路の大部分は、昭和43(1968)年に廃止された仁別森林鉄道の廃線跡を再整備したものである。
なので、林鉄ファンの中にも、手頃な探索を期待して、この道を訪れたことがある人がいるかも知れない。
林鉄探索としてずいぶん昔の平成18(2006)年に紹介した「洞門の橋の洞門」も、この仁別サイクリングロードの一部であった。

……あったのだが、

令和7年現在、仁別サイクリングロードの添川以北の大半と、務沢自然研究路のほぼ全線が、通行止となっている!!!

例外は、沿線に人家などがある僅かな区間だけで、このサイクリングロードの本来の醍醐味だった、林鉄の幅やカーブ、勾配、車窓などを、林鉄に近い自転車のスピードで体感できる山間部区間は、ほぼ全てが通行止となっているのである。
それも、もう決して短くはない期間に亘って……。

上のチェンジ後の画像に、3箇所の撮影ポイントを表示している。
それぞれのポイントで数年以内に撮影した写真をご覧いただこう。



添川地区の旭川に架かる仁別サイクリングロード「一号橋」の2020年の写真だ。
昭和48年完成とされている橋だが、桁の下部構造や橋脚は森林のものを流用しており、実際にはかなり古い橋とみられる。
そのせいなのだろうが、数年前から通行止のままになっていて、修繕される気配もない。

これでも県道なので秋田県が管理者であるはずだが、なぜかずっと手書きの看板で通行止を告知していることも、管理に対するやる気の無さの現れに思えてくる。
そして、この封鎖された橋を境に、サイクリングロードには通り抜けの出来ない通行止区間が連続するようになる。



仁別集落より奥の務沢自然研究路は旭川の峡谷に沿って整備されており、林鉄時代を彷彿とさせる風景が連続する廃線ファンにとっても魅力的なプロムナードであった。私が学生だった当時には何度も行き来した思い出の道だが、、2000年代に入ると本格的に荒廃が目立ちはじめ、それと共に利用者も減少。やがて封鎖が常態化していった。

写真は2017年の状況だが、既に鋪装路とは思えないほど厚く堆積した落葉が随所に泥濘みを作り、落石や流失による寸断箇所も多発する、完全な廃道状態だった。そのうえヤマビルが多量に出没するので、探索時期を誤ると血まみれになる。



務沢自然研究路および県道雄和仁別自転車道線の終点である務沢駅跡の2015年当時の様子。
林鉄のプラットフォームと伝わる(真偽不明)低いコンクリートの土台上に、サイクリングロードとして整備した駐輪用スタンドが並んでいた。
さらに昔は(サイクリングロードとして作った)屋根もあったが、いつの間にか撤去されている。

(チェンジ後の画像)同地に立つ、秋田県道の標準形式である終点標。
これも県道の“遺物”にしか見えないかも知れないが、この県道は間違いなくここに供用中であり、大規模自転車道の完成事例としてカウントされている。


……といった具合で、県道401号雄和仁別自転車道線の山間部の区間は、通行止が常態化しており、全く維持管理が追いついていないし、もはや県に管理する意思があるのかも疑わしく見える状況だ。
そして今回敢えて新たなレポートとして紹介したいのは、この県道の一部である次の区間だ。(↓)



これは最新の地理院地図だ。
地理院地図は自転車道県道であっても都道府県道として色分けをしてくれているのだが、図中の「今回探索区間」としている部分を見て欲しい。
ここにある黄色い道が、県道401号雄和仁別自転車道線である。

途中の描かれ方に不審なところがある。

よ〜く見ると……

区間の途中に2箇所ある他の道路との交差部分で、微妙に県道が途切れているように見えないだろうか。

県道が“無色の道”に寸断されているというのは、地図上の表現としてみると、なかなか異例な事態であるし、インパクトがある。
しかも、(チェンジ後の画像の)「スーパーマップル ver.24」のような市販の道路地図や、グーグルマップなどの他の地図だと、この区間の県道というか道自体が描かれていない。私が知る限り、最近の地図としては、地理院地図だけがこの区間の県道を描いていると思う。

加えて、私は30年くらい前からこの辺りの道をちょくちょくサイクリングで通ってきたはずだが、正直、この区間については記憶がなかった。
以前は何の変哲もなく通れていたから覚えていないだけかもしれないが、とりあえず現状が激しく気になったので、ちょっと見にいってみたというのが今回のレポートだ。


そして発見する。
道路管理者だけでなく、幼馴染の私からすらも存在を忘れられていた、悲し過ぎる現役の県道を。




 見慣れた旭川ダムで、記憶にない県道の入口を探す


2025/5/2 9:03 《現在地》

やってきた! なじみ深い場所へ。ここは旭川を堰き止める、旭川ダムの堤上路だ。
チェンジ後の画像は、堤上より見る太平山。
ダムやこの山の風景は、30年以上全く変わっていないように見える。

平成元(1989)年の夏、小学6年生の途中で両親に連れられ神奈川県から秋田県天王町(現潟上市)へ移住した私は、その転校先で現在まで続く大親友を得ると、彼と始めた“山チャリ”の遊びは、中学で得たもう一人の大親友も巻き込んで“チャリ馬鹿トリオ”を結成させ、中学〜高校の6年間は数え切れないほどトリオでのサイクリングを楽しんだ。

当時は車に気兼ねなく走れるサイクリングロードが大好物で、学生時代を通じて最も多く訪れた行先だった仁別や太平山への行き帰りには、「仁別サイクリングロード」を利用することが多かった。
そしてこの旭川ダムは、仁別サイクリングロードから、さらに奥地へ通じる務沢自然研究路へと乗り継ぐ地点にあった。
昭和47年に治水専用ダムとして生まれたこのダムの長い堤上路は、昔から歩行者にのみ開放されており、当然のように自転車の私たちはここを毎回乗ったまま通った。咎められたことはなかったし、やはりいま思い出してみても、当時の私も、そして昨日までの私も、ずっとこの堤上路をサイクリングロードの一部だと思っていたと思う。

だが前述したように、地理院地図に描かれた県道雄和仁別自転車道線は、この堤上路を通っていなかった。
廃道探索者として秋田を出て全国で活動するようになって久しい私だが、灯台もと暗しと言うべきか、この区間への意識は喪失していたと思う。自分のことなのにはっきりしないのがもどかしいが、この辺りはあまり多く訪れすぎていて、そのうちの一回か二回、たまたま通っていたとしても、それを確固たる経験としては思い出せないのだ。

それでもはっきり言えることは、今日の私は間違いなく、今から行こうとしている道を予期できていない。



改めて、「現在地」である旭川ダムと、県道401号の位置関係を見て欲しい。
県道401号は、ダムの前後で一貫して旭川の左岸を通っており、堤上路を通っていない。

チェンジ後の画像も見て欲しい。
こちらはこれまでの度重なる調査で解明済である仁別森林鉄道やその支線の経路を示している。
仁別サイクリングロードや務沢自然研究路の大部分は、仁別林鉄の跡地を利用したものであるのだが、林鉄廃止後に間もなく整備された旭川ダムが谷を塞ぎ軌道跡を寸断したために、これらのサイクリングロードもダムの前後では軌道跡とは別の経路となったのである。

なお、どれもかなり古いレポートであり今見ると古さを感じると思うが、ミニレポ38ミニレポ68ミニレポ93は、いずれもこの図の範囲内の軌道跡を取り上げたものである。



高さ51.5mの堤上より見下ろす旭川の流れ。
このダムは治水専用のため、大雨時に流量を調整することはあっても、普段は流入する水をそのまま放水している。
探索時は太平山の雪代が多く、なかなかの水量だった。



一方の上流側の風景がこれだ。
普段はこのようにダムの高さより遙かに低い貯水位になっており、洪水時にのみ水位が上がり、堤高に見合った大きなダム湖が現出することになる。
なお、仁別林鉄の路盤は普段の水位であっても水没しており、見ることは出来ない。

……といった感じのよき風景を見ながら、ダムを渡って左岸へ着くと、そこが直ちに今回の探索の舞台である。
刮目してね!



9:08 《現在地》

堤上路を渡り、そのまま一本道でダムの管理事務所前へ。

この桜舞い散る明るい広場を、我らが県道401号雄和仁別自転車道線は、東西方向に横断している。
奥側が「務沢自然研究路」と呼ばれる終点側の区間で、私も何度となくダムを渡ってここへ来て、そのまま研究路へ向かった憶えがある。
だが、手前側起点方向の「仁別サイクリングロード」については、どうにも利用した記憶がない。ここまで来て記憶を手繰ったが、やっぱり思い出せなかった。

なお、県道401号はあくまで自転車道であるから、構造的に自動車は通れない。
ダム管理事務所への車両の出入りは、自転車道を跨ぐ市道があり、そちらが使われている。
この市道については私も何度も通っている。

次の写真は、務沢自然研究路に入口に立って、終点方向を撮影した。(↓)



本当に何度ここを通ったか分からないが、とはいえそれもずいぶん昔の体験が多く、前回通ったのは2017年だから、もう8年も前だ。
その時には既に完全に廃道状態だったし、その後に復旧したという話も聞かないので、もうわざわざ入口に注意喚起の看板を立てる必要もないくらい、この道路が通れないことは市民に周知されたのかもしれない。【前回設置されていた通行止の看板】は撤去されていた。(おそらくこのすぐ先にある秋田市植物園までは通行可能なのだろう)

なお、傍らに立つ道標の木柱は、もはや行先を案内することが出来ないほどにボロボロだ。
確かここには、「務沢自然研究路入口 仁別森林博物館まで六キロ」などと書いてあったはず。
だが今回の目的地は、こちらではない。
進むべき反対方向へ、ここで振り返る。



務沢自然研究路側から仁別サイクリングロード方向を撮影している。

地理院地図の県道は間違いなくここを直進しているが、現地に設置されている案内標識は、「自転車道は左折」を案内している。

県道雄和仁別自転車道線は直進なのに「自転車道は左折」と案内している、この矛盾!

当然、真っ当なサイクリストは案内に従って左折して進むはずなので、その行く先(赤矢印の先)もちょっとだけ確認しておこう。

(どうでもいいけど、この案内標識の自転車のイラスト、フロントギアだけ妙にでかくてかっこ悪いなw)



左折すると、10mほどですぐに丁字路に突き当たる。
ぶつかった先は、二車線片側歩道付きの立派な道路で、県道と言われても信じそうだが、市道である。路線名は秋田市道太平山リゾートパーク線という。その名の通り、太平山リゾート公園という秋田市が整備した都市公園のメインルートとして、休日を中心に多くの市民が利用する。

現在の自転車道は、この市道太平山リゾートパーク線の歩道部分を利用して、秋田市街方面へ進むように案内されているのである。
チェンジ後の画像は、同交差点から案内された方向を向いて撮影した。
爽快な下り坂になっていて、私もこれまで幾度となく快走した憶えがある。
だが今日は、こっちじゃない。



今日は初めて、“こっち”へ行く!

地理院地図が県道として色塗りしてくれている、この道へ!

さっき通ったダム堤上路の入口がここを曲がったところにあり、そちらには数え切れないほど行き来しているのだが、ここを曲がらず真っ直ぐに進んだ憶えがない。
また、地理院地図以外の地図だと、この先に道が続いているようにはなっていない。

だが……




あるよ、道が…。

しかもこれ、確かに自転車道っぽい。

全体の道幅は6mくらいだが、路面の中央やや左寄りの位置に目立つ高い縁石が設置されている。
この配置、自転車道をよく利用される方ならばどこかで見覚えがあるかと思うが、縁石の左側部分が自転車道(兼歩道)で、右側は車道だろう。
一般的な歩道と車道の組み合わせより車道の占める割合が小さいし、そもそも歩車分離をするような道幅じゃないのにしっかり縁石で分離されていることが、車道兼自転車道として作られた道の証拠である。

で、これは個人的にはとても重要なポイントなのだが、このように縁石で車道と自転車道が区切られている場合、いわゆる自転車道県道になっているのは自転車道側の路面だけというのが通例だ。車道側の路面は、道路法上において別の道路となっていることが多い。
この場面においてもおそらく、県道401号に現に認定されているのは縁石の左側部分だけだと思われる。

……というわけで、



県道401号へ突入!

この先の路面の状況は、明らかに使われていない道路のそれに見えるが、

特に通行を規制する物がない!!!

(車止めがあるのは、自転車道だからであって、「通行止」ではない)

この先の県道401号は、道路法的には供用中の真っ当な県道で、かつ実運用上も一切の通行の規制がないのに、まるっきり廃道にしか見えないなんて、マジで忘れられてるだろ、この県道…。(涙)







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