道路レポート 栗原市道荒砥沢線旧道 第1回

所在地 宮城県栗原市
探索日 2020.10.07
公開日 2021.06.03

宮城県栗原市の中心地である築館地区から北西へ25km、二迫川を遡った栗駒山の懐にある同市栗駒地区に、宮城県が管理している荒砥沢ダムがある。

周囲には栗駒山や鳴子温泉など大観光地が多くあるなかで、敢えて行き止まりにある荒砥沢ダムを訪れる人は、多くないようである。
この地は、珍名橋として山行がの一世を風靡した(←誇大)、あの“コリポネ橋”の在処としてのみ、いくらかの読者の脳裏に刻まれているのではなかったろうか。
確かに私は平成14(2002)年にこの地をサイクリングのため訪れ、コリポネ橋と偶然遭遇した。
そして、同地との交渉はそれっきりであった。

だが、私が見ていなかった16年の間に、この地では“大変なこと”が起きていたのだ。




まずは、次の航空写真を見て欲しい。



↑ モノクロ写真なので古い写真と思ったかも知れないが、これは平成18(2006)年に撮影されたものだ。

写っているのは、荒砥沢ダムの堰止湖である愛染湖(あいぜんこ)の北端部の山域だ。
例のコリポネ橋があるのは南岸なので、写っていない。

湖畔から北へグネグネと山を登っていく結構広い道が、はっきりと写っている。

この道が、今回のレポートのタイトルである「栗原市道荒砥沢線」である。
あまり興味を引かなさそうなレポートタイトルでゴメンネ…汗



で、問題は次の画像なんだが…



この2枚目の航空写真が撮されたのは、平成20(2008)年6月16日である。

先ほどと同じ場所の風景なのだが、一瞬そう見えなかったと思う。そのくらい変貌している。

だが、東北地方にお住まいの方なら、この撮影日からピンとこられたのではないだろうか。

東日本大震災の3年前、平成20年6月14日に発生した、マグニチュード7.2、最大震度6強の大地震――

“岩手・宮城内陸地震”

死者・行方不明者23名の多くは、震源の周辺各地で発生した土砂災害の犠牲となった。
荒砥沢周辺でも1名が行方不明となり現在まで発見されていない。

上記の航空写真は、地震が引き起こした「荒砥沢地すべり災害」発生2日後のものである。




東北森林管理局「岩手・宮城内陸地震に係る荒砥沢地すべり対策と大規模地すべりにより出現した地形・景観の活用に関する検討会報告書」資料 より

↑荒砥沢ダムを北側と南側から撮影した2枚の空撮画像。

国有林内で発生したこの災害については、東北森林管理局が報告書をまとめている。

“その規模は斜面長1300m、幅約900m、面積約98ha、
すべり面の最大深度は100mを越え、不安定土砂発生量は6700万㎥(東京ドーム54杯分)に達する。”

上記資料によって、この未曾有の土砂災害の詳細な経過を知ることが出来るが、

当サイトの趣旨とするところは、巻き込まれた市道荒砥沢線の行方であった。



先ほどの新旧航空写真の比較で、もう気付いている人もいるかも知れないが……



↑ 道路が、移動している!!!

1km四方ほどの広大な山肌が、最大で300mも湖へ向かって移動したのであるから、

その上に乗っていた道路も当然、一緒に移動したのである。

一部は、特徴的な九十九折りのカーブの形を残したまま、地上を滑動した!



そして



航空写真を見る限り、

滑動した先においても、2車線舗装路の形を保っている?!



…………という状況だったのが、発災から2日後の航空写真であって……


あれから既に10年余りが経過している。

この間に、災害対策工事が行われ、そして完了した。


どうなったか?


↓↓↓

まだ、いる。


相変わらず、発災直後と同じ位置に九十九折りの旧道が見えている!

周囲の山域には、新しい工事用道路や治山工事の段々がたくさん出現したが、

旧道が流れてきた辺りには、余り手は加わっていないようであった。



見に行ってみよう!



 “流されてきた九十九折り” を目指す


2020/10/7 14:38 

現地へやってきた。
まずは地図で現在地を見よう。

右図は、平成26年(2014)版の地形図と、最新の地理院地図の比較だが、いずれも作成時点における“最新の状況”ではなく、一世代前の状況が表記されている。
まず前者については、平成20(2008)年6月14日の岩手・宮城内陸地震の影響が全く反映されていない。6年も前の災害であったにも関わらずだ。
(2011年の東日本大震災により、東北地方の地形図は海岸部を中心に大幅な書き換えを余儀なくされたことと関係があるかも知れない)

で、後者になってようやく、荒砥沢地すべり災害が表現された。
2枚の地形図を比較すると、1km四方ほどの広大な地形が、まるっきり別のものに変わってしまったことがはっきり分かる。
谷や尾根といったものにさえ元の名残が感じられない。湖も大幅に小さくなってしまった。
当然、この崩壊範囲内にあった、市道荒砥沢線を始めとするいくつかの道路の表記は、完全に消滅している。

この後者の地図(地理院地図)が反映していない“最新の状況”は、市道荒砥沢線の付け替えられた新道の存在だ。
発災から10年余りが経過した現在、災害対策工事も無事終了し、図示した位置に立派な2車線舗装路が開通しているのである。

今回の探索のスタート地点は、市道荒砥沢線の新道と旧道の分岐地点のすぐ近くだ。



これが新装になった市道荒砥沢線である。
背景の奥の方に草色の大きな土手のような物が見えるが、ロックフィル形式の荒砥沢ダム本体だ。
私は平成14(2002)年にあのダムの対岸を自転車で通過しているが、残念ながらこちらには来ていない。もし来ていれば、被災する前の市道を通行できただろうに、当時の私は未来を予知しなかった。

え?
手前に写っている人物の蛍光色のために、背景が見えづらい?
この人は、まあヒヨコ色の服装からみんな分かると思うが、山行がの最新レポには久々の登場となるトリさんだ。
今日は私とHAMAMIさんとトリさんの3人で、早朝から近くの林鉄を探索していたのだが、日が落ちる前に下山できたので、私が以前から気になっていた荒砥沢ダムの調査に2人を連れ込んだのである。
なので、2人は全く予期しないままで、この先の場面を体験するのであった。



この写真は、上の写真と反対に、ダム湖の上流側を撮影した。
一番遠くに見える雲を被った頂が、栗駒山だ。

……、

うん、なんか見えるね。

白っぽい地肌がメロリと露出した部分が、ところどころにある。
そういう所は一箇所だけじゃないが、あれらがおそらく岩手・宮城内陸地震の爪痕なんだろう。
中でも一箇所、右奥の方に見える崖はひときわ範囲が広く、ちょうど我々が向かおうとしている方角にある。

……、旧道に引導を渡したのは、あの崖を露出させるに至った地すべりなんだと思う。

それでは、車を駐めた所から、歩いて旧道へ向かおう。



14:40 《現在地》

ここが、新旧道の分岐地点か。

旧道側はシャッターで封鎖されているが、特にその理由は表示されていない。
分岐の様子も、誰が見ても新旧道分岐という感じではなく、たぶん新道を車で走ったら、何の違和感も持たずに通過すると思う。

誰かの軽トラが停まっているのがちょっと気にはなるが、山はいたって静かで、工事や作業をしている様子もないので、私を先頭に3人はゲートの向こうへ足を踏み入れた。





入口の風景に露骨な旧道感はなかったが、一歩足を踏み入れてみると、
…………う〜〜ん。 臭うね。

元はセンターラインがある2車線道路だったのに、ラインは消えたままで無視され、乾ききったタイヤ痕が道路中央を蹂躙していた。
本来あった道幅も、両側から雑草に押し込められて縮小し、廃道というか未成道のような雰囲気を醸していた。

この旧道、確かに旧道ではあるが、もし災害がなければ絶対まだ現役でいられただろう、新しい道だ。
はっきりした開通年は不明だが、平成10(1998)年のダム完成と同時期に整備された道である。
被災は平成20(2008)年であるから、長くとも10年しか使われることが出来なかった道なのである。
そりゃあ、未成道感も醸しちゃうよねという話で。



分岐から150mほど直線で、この間に新道はどんどんと高度を上げて右へ離れていくので、旧道の行く手にご覧の左カーブがあらわれた時点で、早くも山中に取り残された印象である。しかも、新道が上っていくのに対し、旧道はいったん湖畔近くまで下るので、まるで別の場所を目指す道のようだ。ここで新道が考えていることは、旧道を呑み込んだ1km四方の広大な地すべり領域に絶対に近づきたくないということな訳で、新道が早々と離れていくのも道理であった。

刈り払いが全くされていないため薄暗くなった旧道の路肩に、デリニエータが残っていた。
そしてその表面に、かすれた文字で書かれた「栗駒町」が残っていた。
栗駒町は、平成17(2005)年に合併によって栗原市の一部となった。

風景的にはいまいちパッとしない旧道を歩いているこのときも、我々は着実に境界へと近づいていた。
それは唐突に我々の前に現れた。




14:47 《現在地》

分岐から400mの地点

境界



荒砥沢地すべり災害の影響圏の境界。

ここまでは不動の大地で、この先は、地すべりによって位置を変化させた地表面である。


と は い え 、

被災から10年余りが経過し、かつ対策工事も一応終了した状況であるから、

この時点で荒廃を感じたり、危険を感じるということはなかったが、

道のカーブが境界を境に反転しているのが、まず気持ち悪いよね…

…という、道路愛好家的視点からの物言いがさっそく付いた。



あと、舗装もここで終わっている。

これは事象としては、とても小さい。道路の舗装が途切れるなんて、全く珍しい場面じゃない。

でも、なぜここで舗装が途絶えているのかということまで考えると、

とたん、絶望感が湧いてくる。



改めて、現在地の周りの様子を、被災前後の空撮写真で比較してみよう。

ちょうど現在地より先が、地すべりに呑み込まれたことが分かる。

あったはずの道が消え、なかった場所に道が出来ている。

私が立っている場所は、この未曾有の異変の先端であり、

あの日これより先にいたら助からなかったろうという境界だ。



14:48

“境界”を過ぎた道は1車線の砂利道になり、それまで路傍にあったデリニエータ、ガードレール、側溝などが、全くなくなる。
いまのところ、GPS上では旧来の道をなぞっているものの、おそらく地表の高さが変わっているのだと思う。
旧道の痕跡は全く見えなくなった。
今いる砂利道は、災害復旧工事のために新たに作設された工事用道路である。

そして、一応は旧道の位置をなぞっているという状況も長く続かず、“境界”から100mほど進んだところで、旧道時代の地形図とは明らかに異なった地形が目の前にあらわれた。
同時に、工事用道路が二手に分かれていた。

このどちらも工事用道路であり、旧道ではないが、写真正面奥に見える青々と樹木の茂る尾根上が、“流れてきた旧道の在処”=目指す場所だと思う。
あそこへ行くには、たぶん右の道を登っていくのが正解だ。




先ほど発災前後の航空写真を比較したが、地形図も比較してみる。

この先は地形が変わりすぎていて、旧地形図は全く役に立たない。

普通なら、旧地形図に道が描かれていた位置に辿り着けば、そこに地図から消えた廃道が横たわっているわけだが、

ここではそういう常識が役に立たない。道は地形ごと消えてしまったのである。



写真は、上記の「現在地」から左の道を20mばかり進んだ地点の眺めだが、

トリさんが見下ろしている道の行き先は、以前は湖だった。

右側の小高い山がある辺りは、湖に通じる細長い谷だった。

山崩れによって押し出されてきた山が、湖と谷を埋めて、

この新たな地形を作り出した。




これが、生まれは地味な農業用ダムだったはずが、とんでもない目にあった愛染湖だ。

あの日、湖面の10分の1が一瞬で陸地化し、その衝撃は高さ3mの津波となってダムの堤体に迫った。
時期的に貯水量が少なかったことや、直接ダムに津波がぶつからなかった湖の形状などの幸運が重なって、
第2のバイオントダムの惨事となることは避けられた。

だが、誰も想定しない形で貯水量が減少し、本来の機能を保つべく副ダムを造成しなければならなくなった。



さて改めて、直前の分岐より右の道へ進む。

いきなり凄まじい急坂だが、この道がある斜面自体が、押し出されてきた山である。
まあ、そうと言われなければ、樹木が生えていないことくらいしか特徴のない、造成に失敗した土地のような雰囲気だが…。




だがよく見れば、変な雰囲気がある。

作られた段々法面工の中に、唐突にぴょこっと突き出した土尾根があって、その痩せ細った尾根の上に数本だけ杉が生えていた。
あんな所にわざわざ杉を植えるとは思えない。
これはおそらく、広い植林地が山ごと押し流される中で、たまたま地中の硬い部分が尾根として現れ、根付いていた数本の杉が生き残ったということだろう。

周囲にはこういう白っぽい地盤の断面が、ところどころに崖となって露出していた。
だいぶ緑化しているが、その地表は極めて起伏に富んだ複雑な地形を見せている。
歩けないような傾斜を持った場所も多くあり、見た目以上にルート選択は慎重にする必要がありそうだ。



14:55 《現在地》

工事用道路だけに許されるような、踵が浮くような急坂をひとしきり登ると、ややなだらかな所に達した。
そこには、ここの復旧工事の事業主体である、東北森林管理局宮城北部森林管理署が設置した大きな案内板が2枚、だいぶ唐突な印象で出現したが、それぞれ不同沈下している感じなのが、場所が場所だけに笑えなかった。

一時は全国の土砂災害対策関係者の注目を集め、視察ツアーなんかが組まれたりもしていたのだろうか。
でも、この後に起こった東日本大震災のインパクトが強すぎたせいなのか、少なくとも私にとっては、いつの間にか崩れていつの間にか復旧が終わっていたという印象だった。すまん。




工事用道路として車両が出入りしていたと思えるのは、案内板の広場までだった。

その先は、灌木がうっとうしく生い茂る斜面地帯となり、全く見通しが利かないので、GPSで進みたい方向だけを定め、あとは無理矢理進もうかと思ったくらいだが、そうこうしているうちに、ピンクテープで目印を付けられた狭い刈り払いが、ちょうど進みたい方角へ延びているのを見つけた。

この刈り払いが私と同じ目的地であることを願いながら、再び急坂となったそれを辿っていく。




刈り払いは刈り払いでしかなく、道とは縁もゆかりもないところなので、楽しいと感じられる要素は薄い。

だが、この刈り払いの先が、世界から孤立した旧道なのだとすれば、辿る価値がある。

断層崖のような、唐突に突き上げる急斜面を、全身でよじ登る。




そうすると、ある地点から急に、

斜面の色が……、手触りが……、変わった!

舗装路面の下に敷き詰められているような目の細かい砂利が大量に現れた。

そればかりか、コンクリート製のU字溝が!

これはいよいよ?!




15:07

“目的エリア”へ到達。




舗装路面だッ!!!



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