福島・宮城県道45号 主要地方道 丸森霊山線 前編

公開日 2006.11.04
探索日 2006.04.24

 主要地方道丸森霊山線は、宮城県伊具郡丸森町と福島県伊達市を結ぶ約30kmの路線である。
阿武隈川沿いの国道349号を補完する越県境交通路に位置づけられているが、肝心の県境部分の約3kmが通行不能区間となっている。
福島県と宮城県間の通行不能路は、この路線と以前紹介した県道107号赤井畑国見線の2路線が存在しているが、後者はかつて一度は開通したものが様々な要因によって通行不能となっているのに対し、この路線は未だかつて車道が開通した歴史を持たない。
一見したところ、一帯はなだらかな山域に思われるが、果たしてどのような事情があるのだろう。

 県境の峠の名前は、笹ノ峠。
『伊具郡史(伊具郡教育会 大正15年刊行)』には、「沿道笹が繁茂したので此の名出ず」とあり、まさに名が体を表す沿道風景だったようだが、私は2006年4月24日に不通区間の踏査へと私は出かけている。


行き止まりの美学

不能道の三叉路

 今回のレポートの開始地点は伊達市霊山町大石、霊山(りょうぜん)神社前である。
ここは、それまで重なり合っていた県道31号と45号が分岐する地点である。
だが、ここで分かれる31号も45号のどちらもが、ここから5kmも行かないうちに通行不能区間となる。
そういう、全国的にも少し珍しい交差点である。

 ちなみに、この日の探索の起点はこの霊山神社だったが、終点もまたこの場所だった。
県道45号の笹ノ峠を越えて霊山の裏に回り、最後は県道31号の霊山前面に控える不通区間を越えて戻ってくる構想であった。
そのうち、県道31号の死闘はこちらにレポート済みであるからご覧頂きたい。




 2006年4月24日午前午前6時52分。
霊山神社の駐車場に車を停めた私は、一日いっぱい走り回る覚悟の上でチャリを組み上げた。
しかし、空模様は怪しげで、夜半の雨が路面を濡らしたまま残っている。
 この日の探索予定ルートには不通区間が2箇所も含まれており、特に最初に挑むこの笹ノ峠については迂回路が存在しない。
それ故に、この不通区間をどうにかして突破しないことには、その先の探索を大幅に縮小しなければならなくなるのだ。
県道45号よりはいくらか与しやすかろうと思い、先に31号の笹ノ峠に挑むことにしたのだが、果たして思惑通り突破できるだろうか。

 写真の三叉路が霊山神社前の県道分岐点で、左が笹ノ峠を目指す県道31号。右は霊山を目指す県道45号である。


 そして、この交差点に立つ青看がなかなかの傑作である。
期待通り?これから進む県道45号の行く先には「通行止」の表示が。
惜しむらくは正面の県道31号の行く先は「通行止」でないことだが、これは不通区間の手前で県道316号が分かれて国道への逃げ道になっているためだ。
とはいえ、行く先の地名が一つも書かれていない青看というのは珍しく、見応えがある。

 まずはいいスタートが切れそうである。



 ちなみに、この余り誰も見て無さそう交差点を、なぜかマツケンが見ている。
何を見ているのかと言えば、「伊達の路」だそうで。

 まあ、造形は…だが、彼独特のキラキラ衣装をだいぶ再現しようと工夫した痕跡がある。
裏地のブルーシートまでさらりと見せる拘りようだ。
ただ、麻縄で支柱に括り付けられているのが、磔にされた罪人か、はたまたお堀に浮かんだドザエモンの様に見えてしまう。

 …どちらにせよ、もって、あと数年か…。
…マツケン、がんばれ。



 マツケンに見送られながら、いよいよ県道45号の旅をスタート。
私の道路地図に描かれた緑色の実線が途切れるのは、ここから5kmほど北東に進んだ、もう県境まで直線で500mくらいまで迫った所である。
この程度の残距離ならば、もしかしたらこの福島県側はもう県境まで開通しているかも知れないと思われたが、県境の向こうの宮城県側の緑線突端は2kmも離れているから、どちらにしても県道としては未開通に違いはないだろう。
そのことは、先ほどの青看も言っていたことだ。



 左折してすぐにヘキサが群になって現れた。
しかしこれは福島県内では見慣れた光景。
他県とは異なり、この福島県内ではなぜかこの2ヘキサでワンセットなのである。
ちょっと贅沢な気もするが、路線名も分かるのは便利だ。
そして、さりげなく補助標識では笹ノ峠までの距離が示されていた。
5.6kmとある。
地図上で描かれている先にも既に道があるのだろうか…?
またどうでも良いが、そこにローマ字でふられた読み仮名は「ササノトゲ」か、せいぜい「ササノトーゲ」としか読めない気が。


 キター!

 早速来たぞ!
アツイ告知キタ!!

 一見したとこ新しそうに見える標識だが、おそらくこれはかなり年季ものだと思う。
はっきりした根拠は無いのだが、フォントの形やパッと見の文章の理解しにくさなど、かつて今よりももっと不通の道が多い頃には各地で見られた、その不通予告標識の独特の雰囲気を感じるのだ。

上手く言えないが、個人的に、この種の標識との遭遇が、不通県道歩きの一番の醍醐味な気がする。
それだけに、嬉しかった。




 不通への序曲


 霊山神社前から出発し、県道45号はやがて不通となる定めながらも、祓川にそって上流を目指す。
その途中には、山上、立目沢と集落を結んで進んで行く。
道はほぼ2車線をキープしており、将来の通行量増にも対応できるが、現状では朝のラッシュ時間帯でありながら数えるほどしか往来はない。



 集落や山腹のそこかしこで満開の山桜が灰色の景色に彩りを加えていた。
目指す笹ノ峠は、地形図読みで海抜550m。
霊山(海抜825m)を首魁とし県境に連なる一連の山々のうち、古霊山(783m)と窓ノ倉山(674m)の間のゆったりとした鞍部を越えていく。
現在地との比高は350m程度と、里山の峠としてはなかなかの高低差がある。
それ故か、目指すべき山々はいまだ白雲に隠され、ただ次第に先細って行く川筋に従って、淡々とした登りをこなしていく。
立ち止まれば肌寒さを感じるが、長い上り坂とチャリという組み合わせに防寒具は不要だった。



 路傍の山肌に怪異な巨石が張り出していた。
そこは天然の祠で、岩肌にはさながら隧道の扁額のように「山神」の文字が刻まれている。
荒々しい一枚岩の岩峰が屹立する独自の景観で知られる文字通りの霊山である、霊山。
その山腹とはいえ、かなり離れているこの場所にもその一端の巨石が存在し、そしてそれさえも信仰の対象となっていた。
人々の敬虔な想いにも、悠久の時が削り出さしめた岩の造形にも、心打たれるものがあった。



 午前7時19分、分岐より3km地点。
不通区間に臨む最奥の集落である高谷に到着した。
しかし、そこにもう人が住んでいるのか、自信を持ってそうだと言えぬ雰囲気があった。
沿道の数軒の民家は、幅広の県道ではなく、車一台がようやく通れるような小道に面して建てられている。
それは、不通県道の旧道ということか。

 おそらくこの集落に住む人たちは、自宅の裏にバイパスが建設されるのを見て期待したはずだ。
複雑な心境もあったろうが、それでも、自分たちの村が行き止まりの僻地ではなくなるのだという期待は、きっとあったはず。
しかし、現実には…。
バイパスだっただろう現県道でさえ、路面には所々ひびが走り、もう決して新しい道ではなくなっている。
“牛歩の道”と綽名されてきた本県道の、象徴のような景色に見えた。



 それでも新しく敷き直されたような白線に勇気づけられるように進んでいくと、遂に道はボロを出した。

 次のカーブで哀れ、道幅は半減する。
そして、なんだかやるせなくなるような、理由不明な「通行止」告知。

 鳥のさえずりも、虫の音も、ひとつとして聞こえない。
霧の深い無音の森へと、いよいよ先細って行く不通県道が呑み込まれていく。




 そして、狭くなった道は一気に鋪装のレベルも低下し、側溝もない簡易鋪装の山道となった。
勾配もかなりきつめで、既に冬期閉鎖区間に入っていると思われる。
標高が上がってきたせいで、緑はますます減ってきた。



 そして、幾らも行かないうちに今度は未舗装となった。
いよいよ通行不能の一歩手前の段階まで来てしまったのだ。
やはり、このまま先細って行く定めなのだろうか。
分岐からは約4km地点である。

 そして、ここで道は二手に分かれる。
県道は正面に進むが、ここにヘキサを発見した!


 うーーーーん。マンダム!

 良い感じに廃れきったヘキサである。
“県道丸霊線” という風に、路線名が変化してしまっている。
それでも、なお峠を渇望するかのように、補助標識にはしっかりと峠までの残距離が示されている。
見ての通り、ヘキサ自体かなり古そうだが、実はこの道。
大正15年に建設が始まったにもかかわらず、この道は未だに開通していないという、おそらくは、日本有数の牛歩道路なのである。
詳細は後述するが、この峠に車道が建設され始めて今年で80年目である。



 林道との分岐を過ぎ、勾配はますます厳しくなる。
また、路面には無数の轍があるが、この辺は砂利道と言うよりも泥道で、泥撥ねが顔にまで及ぶ。
そして、ここにも通行止めを予告する看板が立っていた。



 きつい登りの途中に、入山禁止の看板が立っている。
こう言うとき、チャリだと地元の人に余り疑われないというメリットがある。
リュックサックでは密採取すると言ってもたかが知れているだろうからな。
そもそも山菜に興味のない私だが。



 先ほどの林道分岐の標高は300mほどだが、そこから約2km先の笹ノ峠は海抜550mもある。
その間の勾配は押して測るべきものがあり、実際、チャリであることを呪わしく思うほどのきつい登りが、みぎ左と蛇行しながら続く。
一応はこの辺りも現役の県道な筈だが、こんな道ではたとえ峠の先まで開通したとしても、林道程度の利用しか望めないだろう。



 ひとしきり上ると、いったん勾配が緩んだ。
そこは少し広くなっており、車が展開できるようになっている。
そして、その前後にはご覧のような標識が朽ち果てながらも残っていた。

 左の写真が進行方向で、こういう場面では余り見ない標識のお出ましである。
歩行者や自転車は通行止めではないと言うことらしい。 意外だ。


 右写真は振り返って撮影したもので、事実上最奥のヘキサである。
この県道の起点である旧霊山町の掛田(現伊達市霊山町掛田)までの距離が案内されている他は、もう殆ど読み取ることが不可能になっている! あっぱれ!



 意外な展開


 砂利道としてはチャリの自走限界ぎりぎりの急勾配。
力加減を誤ると後輪が空転してしまい登れなくなるほどだ。
しかし、それでも道は峠を目指し素直に登り続けている。
このまま峠まで行けるのかも知れない。
この登り方のペースなら、峠もそう遠くなかろう。


 午前7時51分。一気に視界が開け、そこに広場が現れる。
出発からは1時間を経過し、距離的にも5kmを走破。
手持ちのあらゆる地図を見てみても、県道の色で塗られているのはここまでであり、この先は歩道の様な感じで描かれている。
いよいよチャリから降りて、登山道のような古道をチャリ押しで進む展開を予定していた。

 だがしかし、現実は異なっていた。
おそらく、地図に描かれている歩道の線は、この広場から真っ直ぐ進む写真の道なのだろう。
しかし、それよりも遙かに頼もしい幅広の砂利道が、進路を左に変えて更に続いているではないか。



 それは新道であった。
広場の先に続いていたのは、2車線分の幅があり、カーブの角度もゆったりした砂利道だ。
そして、無理のない角度で整えられ、植栽さえ施された法面。
近代的な山岳道路が、あともう一歩で出現しようとしている姿があった。

 しかしここには、この光景の中にあって然るべきものが、何も見当たらない。
重機も、プレハブ小屋も、通行止めを示す看板も人の気配も、まったく。



 いや、あるべきもののうち、一つだけはあった。
「通行止」の標識は。

 ただし、多数のバリケードの名残のようなカードレールとともに、幅広の路面の傍らに打ち捨てられているのだった。
今現在、工事は行われていないようだ。
というか、中止になってしまったのかも知れないとさえ思える。
事実、かなりの年月放置されていたのだろう。この有様では。




 峠まで、直線距離ならばもう500mほどに過ぎない。
だが、いまだその鞍部を目視で特定できていない。
霞懸かったこの山並みのどこかに、目指す峠はある。
そして、地図にない未完成新道の結末もまた…。

 私は、単刀直入に旧道で峠を目指すか、迂遠があってもなだらかだと思われる新道で行くか、選択を迫られた。
だが、悩む必要はなかった。
この場合、私が選ぶのは当然、新道!

 知られざる新道。その結末を、見届けたい!!