主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区

公開日 2006.04.26
探索日 2006.04.24

 福島県国県道現況調査(平成15年版)によると、主要地方道31号浪江国見線には、1区間4.2kmの自動車交通不能区間がある。
これは、その区間を突破せんと試みた、山チャリではおそらく史上初の…… 試みである。

 この不通区間があるのは、今年元日までは伊達郡霊山町で通っていた、伊達市の霊山付近である。
この「霊山」は、ふつう「れいざん」と読む一般単語だが、この地名は「りょうぜん」と読む。
読みは違っていても、その旧町名の由来となった山 霊山(りょうぜん・海抜825m)は一度見た者の心に残らずにはおかない、異様な山容と、日本のマチュピチュ都市遺跡かと思わせる霊山城址などの古代史に彩られた、福島の代表的な名山の1座である。

 不通区間とされているのは、旧霊山町霊山閣跡〜登山口までで、私の手持ちの地図帳や地形図(2.5万分の1)などでは、霊山閣跡から1kmほどは細い実線、その先登山口までの3kmほどが点線で描かれている。
これは明らかに不通区間を感じさせる描かれ方だが、ともかくは、現行版の地図に道は記載されているので、何らかの痕跡は在るはずである。
私の目的は当然、チャリの身軽さを活かしての不通区間突破にある。
しかし事前調査の段階で地図を見れば見るほど、また、おなじみsunnypanda氏の現地レポート(sunnypanda's ROADweb)を見るにつけ、たとえチャリといえどもその突破は容易ならざる事を強く確信したのである。

 ともかく、不安を抱えたまま遂に現地踏査を迎えた、4月24日月曜日。
福島地方はほぼ全域で桜の満開期をむかえており、行く先々で淡いピンク色に迎えられた。
私はその正午過ぎに、不通区間の南の玄関口……一般的には霊山登山の玄関口である……の、旧霊山町行合道地区にたどり着いた。


不通区間を南から攻める

旧霊山町 行合道地区

06/04/24
11:55

 霊山は南北に長い稜線を主とする山域で、古くから観光地としても知られ多くの登山道・散策路が開かれている。
この山ほどに見る角度によって印象が異なる山も珍しく、東の相馬市側からは阿武隈高地に連なる他の山並みと何ら変わったところのない、穏やかでおおらかそうな山容をしている。単に登るならその面から登った方が楽そうだが、霊山の主要な登山道はいずれも霊山町側にある。
そして、霊山最大の登山道へのアプローチが、この行合道から不通区間のはじまりである「登山口」までの県道31号線唯一の役割である。

 写真は、行合道地区にある国道115号線わきのアイス屋さんのソフトクリーム。
一口大きく食べてこの量、味は甘すぎずとてもマイルド、250円也。オススメ。



 この日の気温は16度前後まで上がっており、半袖でチャリを漕いでいてもアイスが食べたくなる陽気。
まだ落葉樹は芽吹きの段階で山肌は鮮やかではないが、道端には雑草の花園が至る所に出現しており、あの夏の草いきれからは想像も出来ない可憐さで、チャリに跨り風を切る私に春のたのしさを満喫させてくれる。

 さて、国道から不通県道への分岐地点である。
さきほど、霊山登山道の主要な入口の役割を果たしているなどと書いたが、少なくとも青看においてその意義は完全にスルーされている。
この標識を見る限り、誰一人として目的を持って右折する人は無さそうだ。
例外としては、我々道路趣味者くらいか。



 青看のすぐ先に現れる実際の分岐地点。
相変わらず登山道入口であるような案内はないが、そこまでの登り途中にある「紅彩館」という宿泊食事施設の案内が辛うじて出ている。
このすぐ傍には「霊山パーク」という国道115号線の大きなロードサイドパーク(見た感じ、道の駅の小さなもの…写真にも奥の方にその案内看板が写っている )や、またレジャー施設「霊山こどもの村」もあるが、どちらもこの県道とは無関係である。

 こうして、信号もない十字路から不通区間へ向けて右折する。
登りの始まりである。



 右折するとすぐに“ヘキサ”が立っている。
そこには路線名に加え、補助標識として「霊山庵1.4km」の表示。
道路地図にも地形図にもこの霊山庵の地名はないが、それがどこかはゆくゆく判明することになる。
とりあえず、この先1.4km。そこまでは県道は無事だと考えてもよいのだろうか。

 道自体は2車線のちゃんとしたもので、月曜とはいえこの陽気に誘われてか、何台かの車とすれ違った。



 霊山町側から見た、霊山の姿。

 この山並みを表現するもっとも妥当な言葉は何だろう。

 さしずめ、屏風といったところだろうか。

 不通区間は、あの断崖絶壁の直下を横切るように存在していることになっているが、この景色を見てますます雲行きが怪しくなった。
しかも、生半可な距離ではなく、延々3kmもあの崖下を横断しているはずだ……、むりぽくね。



 玄武岩質の丘陵が長く浸蝕をうけこの形になったという。
この特異な景観の主役は「物見岩」「護摩壇」「親不知」「子不知」などと名付けられた顕著な岩塔で、麓から一気100mもの懸崖をなすものもある。
 一度見たら忘れられないこの地形は古代日本の人々の信仰心を揺さぶったらしく、貞観元年(859年)慈覚大師の創建と伝えられる霊山寺はながく東北山岳仏教の中心地として栄えたという。
 さらに南北朝時代、南朝に属し陸奥国司であった北畠顕家は北朝との争いに押され、多賀城府から奥羽将軍府をこの地の霊山城に移した(1337年)。
しかし、北朝の勢いを抑えることは出来ず、10年後に城は攻め落とされ炎上崩壊、永遠に失われることとなる。
 天然の要害として疑いのない霊山であるが、あの岩屏風の上に東北の政治のひとつの中心地が、短い期間ではあるが実際に置かれていたというのには、歴史に疎い私でさえ感動を覚える。



 国道との分岐地点は標高450mほどであるが、そこから県道は霊山登山口(標高600m)へ向けて一気に登り詰める。
この区間は全線が急勾配と言ってよく、冬期間は閉鎖されている。
 路傍のデリニエータには、木製の真新しいもの(これは北東北三県で見たことはないが)と、古い鉄製タイプのものとが混在している。
全体的に道の作りは古い印象で、このあたりが県道に指定されたのは戦後間もなくといわれるが、当時の道を広げて鋪装しただけのようだ。



先細っていく県道

12:12

 ある程度登ると鋪装が真新しくなる。
さらに勾配が増し、左の斜面の下には何棟ものバンガローやテニスコートなどが見えるようになる。
霊山こどもの村やそのキャンプ場であろうか。
県道の行く手にも立派な建物が現れるが、あれが紅彩館である。
 昔のように身軽とは言えなくなった体重と、衰えつつある脚力。額に粟のように噴き出す汗。
だが、まだ押して歩くほど衰えていないぞと心に言い聞かせ、なんとかゆるゆると登っていく。



 40キロポスト である。

 浪江から40kmの地点であることを示す古い標柱で、路傍に埋め込まれていた。
この道が、現役の県道であることの、何よりの証しである。



 紅彩館の脇を九十九折りで通り抜け、緩まぬ勾配に喘ぎながらも、やっと“最後の駐車場“こと、霊山第一駐車場に到着。
海抜は550mを超える。
ここは大きな駐車場で、全体から見ると疎らにではあるが、おそらく平日の日中としては少なくない台数の車が駐まっていた。
片隅にはトイレや、霊山登山ルート図を自由に取り出して持ち帰れるポストなどが設置されている。



 ここまで登ってくるといよいよ霊山の岩塔たちを間近に見ることができる。
第一駐車場を見下ろすようにそそり立つこの巌は「見下し岩」であろうか。主峰はもっと右の奥の方で、まだ見えない。

 私はここでトイレ休憩を入れ、それから念入りに地図を確認した。
この先の不通区間へのアプローチは難しいとされる。
過去、sunnypanda氏が接近を試みているがかなり分かりにくいらしい。(少なくとも地図無しでそれと分かるような状況ではないようだ。)
十分に持参の地形図を眺め、点線区間の入口と前後の登山道の線形を頭にたたき込んだ。



 ここからは、登山道である。
舗装路が続いているが一気に狭まる。この先には駐車スペースがないこともあって、別に通行止めなどではないが、あまり入る車はないようだ。
おそらく、県が公表している不通区間延長4.2kmは、ここから始まっている。



 杉の木立の下を相変わらず急な上り坂。
幾らも行かずヘアピンカーブが現れた。
そのカーブの始まりの辺りには朽ちかけた駐車禁止の標識が立つ。

 

 ヘアピンカーブからその外側に目を遣ると、そこには三角屋根の廃墟が見える。
隣にはトイレらしき建物や、庭園のようなスペースも。
 実はこれがヘキサの補助標識で県道の行く先として案内されていた、霊山庵(の残骸)である。
麓に近代的な施設が色々と登場してきたせいかもう長らく廃墟状態が続いているが、地名としては今も残っているのだろうか。



 そして、深く洗削されたヘアピンカーブの行く手には、ついに「車輌進入禁止」の標識が出現。
正式に(?)自動車交通不能区間が始まる。

 と同時に、ここが国の史跡と名勝にダブル指定されている霊山の、その指定区域の始まりでもある。
かなり古いものと思われる、コンクリートの石柱に御影石の銘板が取り付けられた「史跡および名勝 霊山」の碑が立つ。
その隣には、これも古そうな登山ルート案内図が。



 霊山の主要な登山ルートを必要時間付きで詳しく説明している看板には、たしかに県道が描かれている!

 図の上の方(この地図は右が北である)に、長々と、どの登山ルートとも交わらない点線が描かれているが、これが県道であり、「主要地方道浪江国見線(徒歩のみ)」などと、もはや言い逃れの出来ない明確さで示されているのだ。(ちなみに必要時間は、なぜかこのルートだけ書かれていない。)

 ここまでハッキリと示されると、「発見できませんでした」は許されなさそうである。
いや、できればチャリで通過したいものだ。そんなことをしたという話は聞かないが……。この看板が立てられた、おそらく最近ではない時期に、もう既に“徒歩のみ”だった県道を。



 この案内看板の時代を類推するヒントになりそうなのが、裏にデカデカと描かれた、●●えもんのイラストだ。
なにやら、ゴミを持ち帰りましょうという意味合いのようだが、イラストを見る限りでは、「山を汚してもドラえ●●がポリバケツ状のヒミツ道具で片付けるよ。」という風に見える(わけないか?)。

 私が1つだけ言いたいことは、
今まで気が付かなかったのだが、

 ドラえもんって、口大きいな。

 ということである。
一般に野生界では大きな口は肉食獣によく見られ、獰猛であるほど口も大きい傾向がある訳だが……。
隣ののび●くんの頭など、楽勝で一飲みできそうな口の大きさと、その濃淡のない真っ赤な様子に、底知れぬ怖さを感じた28の春。




 また、ヘアピンカーブの路傍には県道である証しの1つである、「福島県」の標柱のほか、見慣れない「文部省」(現:文部科学省)の標柱が。
側面の細かな字を読むと、指定区域の境界を示す標柱のようである。
いずれ、私にとって大きな意義を持つことになる、その標柱との出会いであった。



 カーブを曲がると、一気に麓の視界が開けて来る。
阿武隈高地のうねりのような山並みの向こうには、所々に街並みが白く反射して輝く信達地方を一望できる。

見とれながら走ると、道の方はもう既に県道としては下の下。
車道としてもギリギリのラインとなってきた。


 そして、ここが地図上(地形図および、現地で配布されている案内地図、また先ほど見た看板の地図など)から推測される、点線区間の入口となるカーブである。(県道は直進のはず)


 特徴的な線形なので、まず間違いないはずだが、




これって、道ある?!

 まっすぐ行ける道、ある?!