茨城県道248号八溝山公園線 前編

所在地 茨城県大子町 
公開日 2007.12.29
探索日 2007. 4.22


 八溝山にある二本の不通県道のうち、栃木側から登ってくる栃木県道28号「大子那須線」を攻略。八溝山の肩に達した私は次に、県境線を越えて茨城県側の不通県道である「茨城県道248号八溝山公園線」を使って下山する事にした。

まさに登りも不通、下りも不通という、不通県道マニアにとっては垂涎のルートセレクティング!
二本の県道を結びつけるものは、県境線の尾根に沿って山頂を目指す「八溝林道」だ。
簡単にではあるがこの林道もレポートしつつ、不通県道を目指すことにする。

 なお、市販の地図には一部、例えば右に挙げたもののように、福島県道377号「八溝山線」と茨城県道248号を県道の色で結びつけているものもある。
だが、帳簿上の県道指定区間は県道377号が福島・栃木県境以下、県道248号は八溝山林道との交差点以下である。

 また、こうしてレポートを書いていてもこんがらがるほど、この山域には八溝の名を冠した道が多い。
八溝林道(栃木県)、八溝山林道(茨城県)、県道八溝山線(福島県)、県道八溝山公園線(茨城県)などである。
各県の行政官がそれぞれ思い思いに名峰・八溝の名を頂戴した様子が伺えるのである。





 峰を渡り、不通の蠢く谷底へ

 林道八溝線は、稜線を往く


2007/4/22 10:21 

 前レポート最後のシーンのそのまんま続きである。

写真の左右を横断するのが県道28号であり、右奥へ入ってゆくのが八溝林道。
県道28号上の無名の峠(海抜650m)から、八溝林道を経由して、八溝山山頂直下に位する県道248号の終点(海抜950m)を目指す。



 現在地から県道248号終点までは、地図上の読みで約5.7kmあるのだが、その全部が八溝林道ではないらしい。
八溝林道の起点を示す古ぼけた標識が数枚ここには立っているのだが、それを見ると、林道は全長4681.5mで、茨城県境にかかる九十九折りの途中までが八溝林道とされている。本道の管理者は栃木県となっているから、それより向こうは管轄外なのも頷ける。

 なお当レポートでは、県道248終点までの全線を八溝林道として記述した。




 上の看板の中に小さく描かれた全体図も注目に値する。
現在では県道に昇格した福島県道377号が「中の沢林道」、これから向かう県道248号も「腐沢林道」(…酷い名だ)と書かれている。
この看板が建てられた、おそらく昭和40年代頃から県道248号の道は存在したことが窺えるが、ひとつ気になるのは、この道だけ行き先(至〜)が書かれていないことだ。(ちなみに、県道28号の現在不通となっている区間も、しっかり描かれている、行き先も含め)





 約5.7kmの八溝林道による県道連絡区間だが、前半は八溝山が那須平野へ向けて延ばした穏やかな稜線の上を、福島県との県境線に沿って東進する道。この間は最初こそやや勾配がきついが、総じて楽な道である。

しかし後半、県道377号との分岐地点を過ぎた後は一転して勾配が加わり、山頂直下への標高差300m近くを一挙に埋めにかかる、自転車にとってはきつい道となる。



 週末を中心に通行量の多い道だが、すれ違い困難な狭い部分が所々残っている。
標識には「黒羽町」と書かれたものが見られたので、併用林道として建設された後に町道化したのかも知れない。
黒羽町は合併して大田原市の一部となったので、その線で行けば現在のこの道は市道か。

左の林がなだらかな稜線であり、そこを福島県との県境線が通っているが、林道はギリギリで栃木県内にとどまる。
八溝林道はほぼ全線において、南〜東方向に眺望が優れており、この日はやや霞がかっていたのだが、それでも那須連峰などは手に取るように眺められた。




 なぜか、天下無敵

アスファルトに積もった松葉の間に現れた轍。
そこに描かれた天下無敵の文字。
なかなかにシュールだ。

これを見るとまもなく、行く手に障害物が現れる。



 唐突な感じで道の真ん中に木立が。

これがロータリーであると理解するのに、寸刻を要した。

ちょうどここが、県道377号の終点であり、同路線と林道の分岐地点となっているのだ。
それ故の、ロータリー。
入口の標識にもその存在は書かれていたから、林道時代からあったと言うことになる。
当初から観光道路的な道として建設されたことが感じられる。




10:48 県道377号分岐地点(出発から2.7km)

 林道との分岐地点がそのまま県境に重なっており、ここから一歩でも県道377号に入ればそこは福島県東白川郡棚倉町となる。
かつては中の沢林道といわれ、それより前は森林鉄道が通っていたらしい県道377号は谷沿いの砂利道で、人家のある地点まで12km以上もある。
なお、この道では平成18年の夏以降、土砂災害によるとされる通行止めが続いており、未だに開通していない。
場合によっては八溝山三本目の不通県道になる可能性も…? (そうなると、三県それぞれが不通県道を…ワクワク)



 分岐の傍にひっそりと立っている福島県既定の県道キロポスト。

久々に見たな、この黄色キノコ…

  ジュルッ  いつ見ても、旨そうだぜ〜…。

「終点 福島県」と書かれていた。
“突入したい虫”が激しくうずいたが、ここはグッと我慢!
この道の健在だった当時の様子は、『ORRの道路調査報告書』にも紹介されている。



 ロータリーを過ぎると、途端に勾配が増してくる。
依然として県境線に沿いながら栃木県に踏ん張っており、例の六角形の石垣に“栃木を感じる”。

 なお、この急勾配でなぜか突然 HANAJI★ が出た。



 HANAJI★ を鎮めるため、遠くを見て静養。

背後を車で通りすぎていった老夫婦の、血まみれのタオルに注がれる視線が痛かった。
(なぜか、ティッシュを使い切っていた)




 さらに進んでいくと、二本の稜線が一本に合わさり、そこから主峰(ここでは当然八溝山1022mである)に向かって急激に高度を上げるため、ここまでその稜線の片方に沿って進んできた林道も、堪らず九十九折りを切り始める。
一本の稜線は栃木-福島の県境で、もう一本は栃木-茨城の県境となっている。
急斜面にイヤイヤをするように蛇行する道は、このうち栃木-茨城の県境線を噛みながら登っていく。

この写真のカーブは、ほぼ突端部分だけが茨城県になる。わざわざそれを示す標識が立っていたりはしない。
そして、もう少し進むと今度こそ栃木県と別れ、茨城県久慈郡大子(だいご)町に入る(八溝林道の終点である)。




 二つの九十九折りを越え、頭上に巨大な電波塔が現れると、すでに海抜900mを越えており、八溝山頂は目と鼻の先である。

電波塔の袂では、福島県の塙町に下る林道真名畑八溝線が左に別れる。標識には全長7421mとあるが、麓までは余裕で10km以上もある道だ。
秋田での林道三昧を思い出させる「峰越連絡林道」という“副題”や、入口から砂利道の様子はなかなかにそそるのであるが、あくまでも目指すは不通県道であるから、踏みとどまって自重する。




 東北に接する山だけに、4月末とはいえ、山頂付近はいまだ冬の気配を色濃く残していた。
当然、吹く風は冷たく、まもなく始まるだろう長い下り坂を前にして、私は腰に巻いていた上着を再び身に付けた。
笹の茂るナラやブナの森を浅く割って、真っ直ぐ道は続いている。
この辺りは路幅が比較的広いが、依然として県道ではない。





 県道248号 八溝公園線の始まり


11:35 八溝山線林道交差点 (出発から5.7km地点) 

 林道真名畑八溝線との分岐から1km足らずで、八溝山林道との変形十字路に達する。
ここは、ひとつのヘアピンカーブを挟んで、二つのT字路が近接しており、全体としては八溝山林道が、私が走ってきたこの林道八溝線と、これから向かう県道248号八溝山公園線とを左右に別ける形となっている。

 写真は、八溝山林道とぶつかった最初の交差点。
直進すれば八溝山林道で大子町の上宮野に降りる。この道が、現在最も利用されている八溝登山の車道である。
左折は、八溝山林道で山頂へ行くか、県道248号を経て日輪寺に向かう。




 左折して20mほど急坂を登ると、再びT字路である。
そして、ここが県道248号の終点である。
県道はここから右折して坂東札所の日輪寺、および大子町下宮野へ続いているのだが、後者は不通区間の向こうであるため道標にも記載がない。

 この県道終点は海抜約950mに置し、茨城県内における県道最高所である。
また、本県道は途中で不通であるため、事実上県内県外含め一切他の県道と接していない“孤島区間”である。




《現在地》

 この日はどうも晴れなのか曇りなのかパッとしない天気と、冬さながらの北風のせいで、人影もまばらであったが、周辺には八溝嶺神社や日輪寺、それに名水百選に選ばれている八溝川湧水群などがあり、これらを巡るハイキングコースがよく整備されている。
それ故、各年代の案内看板などがそこかしこに残っているのであるが、古いものには例外なく、これから向かう県道248号が「腐沢林道」として記載されていた。
最も新しいと思われる一枚(右の写真)にのみ、「県道八溝山公園線」という記載がされていたのであるが、よく見るとその下には「工事中通行不可」との但し書き。


…。

お前が古くからの道だってことはもう割れてんだよ。
ここに来るまで、県道377も、峰越林道も、みんな私を誘っていた。
だが、私はその誘いをことごとく無視した。

私がこの脚でと汗とでもぎ取った、海抜950m分の位置エネルギー
それを全て、お前に注ぎ込む!!
ここはきっちり、通り抜けさせていただきます!



 というわけで、小休止後の午前11時40分、「→日輪寺」という案内に従って、県道248へ進行開始。

本線は、地図上の読みで全長7.2km。

その序盤はあくまで穏やかに、紳士的に始まった。

敷かれたアスファルトは比較的新しく、路幅も1.5車線で安定しており、さらに法面等もしっかりと処理がなされ、これまでの八溝林道以上によく整備されている。




 開始から1.2km、山頂から南東方向へ下ろされた尾根に沿って、ゆったりと下ってきた道は、海抜840mまで降りていた。
視線の先にはまだ尾根が続いている様子が見て取れたが、道は突然二方に分かれ、それぞれが反対方向の谷へと下るような進路を見せたのである。

白いガードレールがいやに目立つ、これまで余り見たことのない不思議な道路風景、線形である。




 不通区間へのジグザグ下降


11:43 日輪寺分岐点

 ここが、県道248号と、日輪寺へ向かう道が分かれる分岐地点である。
右の道を行けば、500mほどで日輪寺の境内に達する。
そして、直進して左におれてゆくのが県道であるのだが、遂にバリケードが出現!


 ただ塞ぐだけでは不親切だと考えたのか、わざわざ交差点にこんな標識が取り付けられている。

 ←1.7km先通行止
 通り抜けできません


なぜ“通り抜けできないのはまだ先”であるにもかかわらず封鎖してあるのか分からないが(←屁理屈)、とりあえず県道不通区間がここから始まるのだ。




 バリケードはロープなどでガードレールに固定され、先の栃木県内における県道28号の不通区間よりも強固に塞がれている。
一度は車道として開通したはずの道だ。何をそこまでして塞ぎたいのか、堅牢にバリアされればされるほど余計に気になるものだ。

 右の写真は、交差点から日輪寺を遠望したもの。亭々と杉の巨木が茂る中に、僧坊と思しき青い屋根が見えていた。
あそこへ通じる車道としては、今辿ってきた道より他にない。
故に、ここまでの道は県道248の唯一、“意味のある”開通区間となっている。



 県道は、バリケードの10mほど先で180度進路を反転させ、それから、直前に走った本線と逆方向に少し併走してから、一気に“腐沢”という近づきたくない名前の谷へと降りてゆく。

道は分岐地点で塞がれてはいるのだが、この写真の左に写っているのはバリケード手前の本線であるからして…、少し車高のある車ならば容…モガモガ



 封鎖区間に入ったが、今のところ何ら道に異常なところはない。
ガードレールも標識も、舗装も白線もいたって普通の、近代的な山岳道路のそれである。

ただひとつ変わっているところといえば、全く車通りが無いと言うことだけだ。




 右手に腐沢の谷筋を見下ろしながら、どんどんと下って行く。
平均して5%は下らない急勾配が、二つ三つと小刻みなカーブを加えながら、ひとときも途切れずに続いている。

 …それ以外に、特にコメントは思い浮かばない。

つまらないわけではなく、例によってダウンヒルの快感がね…笑。



 えー。


  下っていきます。


 はい。




 桜の木の生命力に感動を覚えた。

ガードレールの外に並木よろしく植えられた桜の根元に、ゴムタイヤがぎっちりはまっている。
誰かの悪戯としか考えられないが、相当に年月を経ているのだろう。(とても現在の舗装路と同じ年齢とは思えない)
いまではその直径以上に幹が生長しており、タイヤの方がはち切れんばかりに変形している。
しかし、これからどうなるのかは不明…。
いくら桜の木が生長しようとしても、タイヤを引きちぎるほどの力があるかどうか。
ゴムが劣化して千切れるとの、桜の寿命のどちらが先か。 といった感じだ。




 あなどれねーな!
八溝山!

 これは、かの塩那道路をも彷彿とさせる、アグレッシブな立体的線形!

地形図で確認すると、確かにこの辺りから先の2.5kmほどは歪な形の九十九折りが連続していて、咬んでいる等高線の数は実に30本!
3km足らずで300mを下るということは、黙っていても平均勾配10%以上と言うことで、そこが「モ〜レツ」な坂であることは明らか。

そして、今目前に現れた光景が、それを証明していた。




 登りで使った県道28号とは、大きく印象の異なる下りの道。

それもそのはず、八溝山の南面には腐沢他数本の谷が、山体奥深くまで穿入しており、それぞれ活発な浸食を見せている。
その山容の条件は、那須平野に面してなだらかであった西側とは全く異なっているのだ。

急傾斜に楔を打ち込むような連続小カーブと、それらを紡ぎ合わせる狂濤のような九十九折り。
それが、県道248号中盤の姿である。
そして、まだそれは始まったばかり。


 お。

遂に崩壊が現れた。
だが、これ自体が通行止めの原因ではなく、長期間の落石が溜まったもののようだ。
特段、法面やその上の斜面に崩壊は見られない。

とりあえず、放置されたがゆえの廃道化の第一歩と言える現象だろう。




 うげー。
この辺りは本当に強烈な勾配で、今回は下りだったから「万が一引き返しになったら嫌すぎるな」と思ったぐらいで済んだものの、逆だったら魂が軽く抜けていたかも知れない。
それこそ、鼻血くらいでは済まなかっただろう。

…と、私がそんな感想を持ったこの坂を、冬場にバイクで登った“猛者”がいた。
しかも、知り合いに……。

そうだ、遠くに逝こう』の作者、あずさ2号氏である…。
彼の、凍結したこのヘアピンとの壮絶なる格闘は、オブローダーとして心に刻むべき語り種であろう!




 おお!

ハンドルレバーを握るのに忙しくて、すっかり「1.7km先」の事を忘れていたが、そういえばまだ厳密なる「通行不能区間」には入っていなかったのだった。

 ←200m先通行止
 通り抜けできません

それはおそらく、次のカーブ先あたりか…。





この、急坂溢れる窯の底で、
私をどんな不通劇
待ち受けているのだろうか!!