茨城県道248号八溝山公園線 後編

所在地 茨城県大子町 
公開日 2007.12.31
探索日 2007. 4.22

 開通の日は遠し

 遺棄されたバリケード


2007/4/22 11:51
海抜700mヘアピン (終点より2.5km地点)

 現在地はちょうど標高700mに位置するヘアピンカーブで、全線の中でも最も勾配の厳しい辺りである。
八溝山頂直下にある本県道の終点は海抜950m、麓の起点は約350mであり、この間7.2km余りは全て一方的な勾配である。まさに、典型的な登山道路である。

 昭和40年代までには「腐沢林道」として道はひらかれていたようだが、県道に指定されたのは新しく平成元年である。
現在の登山道路(栃木・茨城県道28号・福島県道377号・八溝林道)はいずれも幅員が狭く、すれ違いも難しい。
そこで、関東側から山頂への最短ルートである腐沢林道に目を付けて、改良を進めてきたものと推察する。
現状開通している区間は、前回までのレポを見てもらっても明らかなように、乗用車同志が楽にすれ違い出来る立派な舗装路である。
勾配こそきついものの、全線が開通すればおそらく目論見通り、八溝登山のメーンルートになることだろう。


 予告された通行不能の箇所まで、残り、200mである。



 写真を撮るため先ほどのヘアピンカーブで一度止まったのだが、それから再び下り始める。
すぐに、これまでにも劣らない激しい下り勾配となる。
と同時に、遠方に見えてくる。

 なにやら、道を塞ぐものたちが。






 しかも、 たくさん…







うわー、汚ねー!

ゴミ捨て場かここは?!


いまだかつて、こんな乱雑な通行止め現場を見たこと…ないぞ。





この先現在工事中の為
通り抜けできません
行き止まりです!!

ご協力をお願い致します


 そ、そんなことお願いされましても…。




 いい加減、補修するか持ち帰るかしようよ(笑)

もう、こいつのライフはとっくにゼロだろ。



 この看板は、風の吹くたびに隅の方が煽られて、ペコペコ小さな音をたてながら揺れていた…。

木製虎模様のバリケードはもう至る所が崩壊し、誰かがツッコミでもしたのか、道を斜めに塞ぐよう大きくずれている。



 ゴミ同然のバリケードと、散らかる看板達の背後には、新しそうなガードレールがしっかりと道を塞いでおり、これひとつと看板1〜2枚で用は足りるような気がするのだけれど。

ともかく、かつてない異様な封鎖風景に呆気にとられた私は、取りあえずチャリを停めて現場を見て回った。
この写真はバリケードの先の、おそらく未開通とされている箇所。
確かに舗装も無く、雑草が生い茂っている。
しかし、立派な路肩工と法面工は、もう少し奥まで完成しているようだ。
現在工事が進められている気配は無く、いかにも途中放棄の様相だ。




 確かにこの封鎖地点は、上から勢いよく下ってきた者にとって危険だ。
写真の通り、10%近い猛烈な勾配の途中、いきなりの封鎖である。
固定された頑丈なガードレールに突撃したら、チャリなど粉々に砕けてしまうかも知れない(←おいおい)、だからこそ、見窄らしいとはいえボロボロのバリケードを前衛に据えているのだとしたら、これはなかなかの頭脳プレー。
また大袈裟というか、無節操に置かれまくっている警告看板も、不意の突入を防ぐ為なのかも知れない。

 というか、やっぱり日輪寺との分岐地点で封鎖していたのは正解だったんだねぇ。



 うわ…

最初、看板は全部で4枚だと思ったけど…、
裏返って死んでる奴がもう2枚いたよ…(写真奥にも注目)

ひっくり返してみると、なぜか施工業者名が隠されて… 

…なにか、あったの…。




 一箇所の封鎖地点に、あるわあるわの看板6枚!

しかも、みんなそれぞれ別の方角を向いている…。

ともかくこの枚数は、自己最高記録更新かもしれん(笑)
(これまでの最多は、大峠(参考画像)か?)




 通行不能区間


11:56 通行不能区間へ

 廃バリケードや無惨な看板に気圧されはしたが、まもなく正気を取り戻し、チャリを伴ってゲート脇からその奥へ進行。

いよいよ始まった不通区間。

明らかに工事途中で放棄されたと分かる、硬い砂利の詰まった路盤や周囲の道路構造物。




(←)
法面も中途半端な状態で工事が止まっていた。


また路盤には、将来はアスファルトの下に隠れるべき高さ20cmほどの三角の障害物が、数メートル間隔で並んでいる。
しかし、路肩はどのように処理する予定だったのだろうか。
この上に、ガードレールを設置する為の孔を持った土台を設けるはずだったのか。

いずれにしても、未完成である。
この三角の障害物のせいで、仮にゲートを解放(退かす)したとしても四輪車が通ることは難しいだろう。



 中断されたままの工事が始められる前から、やはり林道は同じ場所に存在していたらしく、雑草の下に微かに砂利が残る道が始まった。

地形図に描かれているとおり、九十九折りも現れた。
写真は、通行不能区間内の最初のヘアピンカーブである。
路幅は意外にも広い。
工事車両も通っただろうから、すでに拡幅済なのかも知れない。



 路傍に、 当時の工事を物語る「確認板」が放置されていた。
道から数メートル離れた所なのだが、辺りは木性のツタ植物などが密生しており、近づくことは意外にも困難。
内容を読むことは断念した。

しかし、このような表示板がそのままに放置されるほど、工事は唐突に終えられたらしい。
年月も、10年ではきかないくらい経過していそうだ。




 さらに進むと、古びた石垣が現れ始めた。

この石垣などは、県道昇格以前の「腐沢(くされざわ)林道」時代のものであろう。
路幅は5m近くあり、路肩にも特に改良された様子は無いので、林道開通当初から一般道路化を考えていたのかもしれない。



 ここで、下山開始以来初めて沢筋に降りた感じだ。
水の流れていない沢を、小さな暗渠で跨ぐ。

路面には草藪が密生しており、時期を誤れば大変な藪漕ぎを強いられそうな道である。
一応は中央付近に人が一人通れるくらいの、浅い部分があるが。



 すぐにまた腐沢を渡るのだが、ここの暗渠は水流に無視されており、ご丁寧にもその隣が現在の流線である。

暗渠はコンクリートの比較的新しげな物で、或いは改良工事の部分的な産物かも知れない。

最初に見た三角の障害物にも増して、ここは完全に四輪交通を遮断する。
改良工事を中断するのはやむを得ないが、せめて旧来通りの通行ができるようには配慮してもらいたいものだと思う。

…まあ、林道時代ならば何かあっても「一般車の立入は自己責任」と突っぱねられたものが、県道に昇格してしまった今となってはそうもいかないから、慎重にならざるを得ないのか。



 さらに進む。

完全に沢沿いの道になったかと見せかけて…。





 なんのなんのと、またツヅラオレ。

依然として、激しい下り基調の道が続く。路面状況も相変わらず藪っぽい。



 今度は路傍の石垣が2段に。
このすぐ上を、直前の道が通っている。
勾配の厳しさが感じられようというものだ。
右奥に見えるのは八溝山だ。



 ん?

少し轍が出てきたか…?



 おおっ!

鮮明になった轍を合図に路上の藪もなりを潜め、遠くに砂利道らしきものが見えてきた。

未改良区間の終わりも近いのか。




 脱 出!

 下りだったこともあり、特段汗を掻くこともなく突破出来た。
こちら側の終点は、向こう側とはうってかわって至ってシンプル。
なんの警告もバリケードも無い。
しかも、ごく最近まで工事が行われていた様子もある。
この道の工事は、未だ完全に中止されたわけではないようだ。




 復活した道は、意外にも細いものになっていた。
そして、最も新しいと思われる黒みの残ったアスファルトは、僅か100mにも満たない程度であり、この工事が如何に遅々たるものなのかを感じさせる。
当初は上下両方向から進めていた工事を、何らかの計画変更によって下側からだけになったものと見た。
しかも、この舗装区間も法面の施工は未済で、ポロポロと“そぼろ”のような落石が路面を汚していた。




 もう少し進むと、閉ざされたゲートが現れた。
下からの通行はここで封鎖していたのだ。
上の封鎖地点からここまでの距離は約1kmで、左の地図でも分かるとおり、最も地形の険しい部分であった。
また、終点と起点のちょうど真ん中付近でもある。

 右の写真はゲートを過ぎてから振り返って撮影したものだが、ゲート付近にはこれと言って通行止めを案内する看板がない。
細身で目立たないゲートであるから、一枚くらいは“上”から看板を持ってきてもらいたいものだ(笑)。





 改良済区間 〜フィナーレ


12:08 通行不能区間を突破。

 ゲートの前は展開スペースもない狭い道だが、そこから少し進むとまた2車線に近い幅の立派な道になった。
法面もご覧のとおり、完全武装だ。
いずれはこの道を通って大型車も山頂へ出入りできるようになるかも知れない。

だが、まだ九十九折りの急な下り坂が終わったわけではない。
さらに2,3のヘアピンカーブを駆け下って、それからようやく川沿いの落ち着いた道に変わる。




 いくつものせせらぎを集め、瀬音をまとういっぱしの川となった腐沢を右手に、直線的な下りが続く。
勾配も適度であるから、チャリにとってはハンドル以外何も操作しなくても距離の稼げる、最良の道である。



 つい先ほどまで海抜900mを越える“東北”にいたのが嘘のように、流れる路傍の色彩は鮮やかだ。
まさに匂い立つような新芽が萌え、小さな花弁さえつけているものさえある。ここはもう“関東”だ。

 両者を繋ぐこの道が、真に開通する日はいつになるだろう。
平成元年の県道昇格以来始められた改良工事のようだが、10年後には開通しているだろうか。




 途中、本流や支流を何度か渡る。
その橋は下に行くほど竣工年が古くなっていく。
新しい物で、平成6年竣工という真名板沢橋があった。
全線中で最も距離の長い沢沿いの区間は、着工から6〜7年で完成に漕ぎ着けたようである。
やはり、変形九十九折りと急勾配が連続する区間で苦しんでいるのだ。

 下のゲートから約3.5km、前方に、快走路の打ち切りを告げるT字路が見えてきた。




 それは、県道248号の起点である、県道28号との交差点である。

交差点の直前には、誤って不通区間へ向かってしまう車のために、こんな看板が設置されていた。

 八 溝 山 公 園 線
 3.5km先 通 行 止
 通り抜けできません

 数字の部分を書き換えた痕跡はない。
標識を設置した時点で、もう当分は開通はおろか、延伸の見込みさえ無いと考えられていたのだ。
なお、この道にはただのひとつも県道標識(ヘキサ)は存在しなかった。




 上の看板と交差点の間には、腐沢を渡る一本の橋が架かっている。
林道時代には存在しなかったもので、その旧道跡が沢沿いに県道合流地点まで、約50mほど残っている。
何の変哲もない橋だが、この県道の改良工事にあたって最初に完成した構造物であったろう。
銘板には平成2年の竣工年が刻まれていた。(県道指定の翌年)
橋の名前だが、「五泉の橋」という洒落た名前になっている。

将来、八溝山の表玄関になるかも知れない橋の名前が、「クサレザワバシ」ではイメージ戦略に響くと考えたのだろうか。




12:15 起点に到着 (終点から7.2km地点)

 計画通り、県道248号の全線を走破し、県道28号に“戻って”きた。(本レポートの出発地となった県道である)
それに要した時間は僅か35分に過ぎなかったが、逆に辿っていたらこの4倍は余裕で要したであろう。
高低差600mというのは、茨城県内では最も高低差のある県道なのかも知れない。




 交差点には信号はおろか、青看の一枚も無いが、通行止めを告知する看板だけは大変目立つように設置してある。

この光景だけで、本県道の状況が知れるというものだ。



 県道28号に沿って流れるのは八溝川で、腐沢の親川である。
何気なしにその下流に目を遣ると、「ハッ」とするような木橋が架かっているのを見つけてしまった。
しかも、現役っぽい。

 この後の旅の行く末とは逆方向であるが、これは見て帰らねばなるまい。むふふふふ…。




 県道248と28号の分岐地点。
手前から奥へむかう道が県道28号だ。
目の前の橋は、県道28号が腐沢をただ一度渡るための橋だが、銘板を見るとその名は「草荒澤橋」。
読みはこれで「クサレザワ」なのだろうが、そんなに「腐」の字を嫌わないで〜(涙)。

橋の手前で右に向かっている草道が、旧道となった腐沢林道だ。
約50mほどで県道248号に合流しているのだが、途中右側の法面に高さ1.5m、幅1m、奥行き50mほどの小さな岩穴があった。
どうやら鉱山か何かの試掘坑のようであったが、詳細は不明である。






こんな感じの半水没洞穴で〜す。

キモッ!