道路レポート 林道樫山小匠線  導入

公開日 2014.3.31
探索日 2014.3.27
所在地 和歌山県那智勝浦町〜古座川町

道路生活14年目にして“初体験”となる道路風景が、ここにはあった!!


当サイトは2000年(平成12年)に誕生して以来14年、私の手の届く範囲にある様々な道路風景――

中でも廃道、未成道、酷道や険道のような “普通ではない”道 を、数多く採り上げてきた。


真新しい道路にも、それなりの使用感が醸し出されてくる頃合いといえる14年という月日、

東京での専業生活を始めてからだけで見ても7年が経過し、離島にも足を伸ばした。

さすがにもう、規模の大小こそあっても、全く見たことがない種類の道路風景など、あるのだろうかと思い始めた、

そんな「侮り」という名の安泰な「ぬるま湯」を破壊して、


現れやがった! 完全に初体験と思える道路風景!!



私の14年目の初体験となった道路風景が存在するのは――

今までの探索場所の中でも自宅から一番遠いと言ってもいい(東京から約600kmだ)、紀伊半島の南端付近(=本州南端附近)、和歌山県那智勝浦町と古座川町に跨がるエリアだった。(なお、私は東京から800kmほど離れた下北半島なども探索しているが、その時は秋田の実家からスタートしているので、今回ほど遠くない。ちなみに今作は和歌山県上陸初レポート)

”初体験”などと最初から随分煽ったが、この道〜林道樫山小匠線〜自体は、おそらくかなり地味な存在である。
名の知れた国道でも、県道でさえもない、いわゆる山仕事山暮らしの道としての林道で、地図上でも特段異彩を放ってはいない地味目ロード。
これは延長や標高差といったスケールについても同様で、山深い紀伊山地とは言っても、ここは海岸から10km内外のエリアである。

まあ、確かに知っている人は知っているだろう。
今頃、「ああ、あれ」とほくそ笑んでいるかも知れないが、その全体数は相当少ないと信じることが出来るマイナーロード(念のため「関東基準」で)なのである。
とにかくここに“凄いもの”があるのは事実で、これは久々に私が目を剥いて興奮する探索となった。

さて、もう少し具体的に道のアウトラインを紹介しておこう。
ただの林道というだけでは、さすがに勿体ない。



林道樫山小匠線は、那智勝浦町と古座川町に所属する民有林林道であり、全長は古座川町樫山(かしやま)から那智勝浦町小匠(こだくみ)まで、約8kmである。

この道は全線が太田川の一次支流である小匠川に沿っており、高野川や山手川などの二次支流沿いに伸びる支線を束ねているが、起点である樫山が現在は無住集落(廃村)になっているうえ、その樫山へは、既により高規格で安全な林道樫山線が開通しているため、小匠ダム以奥は通行量の減少が著しく、まさに廃道化の過程にある事が強く疑われる道となっている。

なお、この道の詳細な歴史は現在調査中(資料の取り寄せおよび情報募集中)であり、情報が得られれば本編の中でも紹介したいと思う。
ただ、手元にある『角川日本地名大辞典 和歌山県』(昭和60年発行)の「樫山」の項目の次の文章は、大いに注目したい。

(前略)昭和30年世帯数19、男39・女47。(中略)近年那智勝浦町小匠より自動車道が通じたが、過疎化は進行し(中略)同57年の世帯数2。



上記は、これをお読みの皆さまにとっても、もちろん私にとっても極めて高い確率で縁もゆかりもない、樫山という小さな小さな集落における、壮絶なる過疎化と廃村化に関する記述である。

そして、その中には「遅ればせながら」といった感じで、昭和の後半に最初の自動車道が集落に通じたことが書かれている。
それは隣町の小匠集落との間を結ぶ自動車道、すなわち今回探索する林道樫山小匠線に他ならない。

また、右の図は昭和40年測量同41年編集の5万分の1地形図「那智勝浦」であるが、ここには小匠から小匠ダムを経て樫山へと至るが道が、細い車道(幅員1.5〜2.5mの道路)として描かれている。(対して、樫山から南の古座川町中心部方面へ通じる林道樫山線は未開通)
現在の地形図では小匠ダム以西が破線の「徒歩道」表記になっているのだが、この少し古い地形図からも、この道が車道として開通していたことは明らかである。
また、途中に小さな隧道が描かれている事にも注目したい。

樫山集落の立地には、単にある水系に属する最奥集落であったと言うだけではない特殊性があった。
それは、この集落は古座川町に所属していながら、その方向は深い山岳に遮られ、ほとんど最後まで同町の他の集落へ通じる車道を有さなかった事だ。
谷沿いに切り開かれた林道が到達しうる唯一の車道で、隣町である那智勝浦町とだけ結ばれていたのである。

こうした地形的条件と行政界の著しい不一致は、行政サービスの享受において大いに不利だったはずで、樫山の廃村化というのは、住民の自助努力などという次元を超越した、限りなく“必然”に近いものだったのかも知れないという感じを持ったのである。 …探索する前の現地を何も知らない状況で既にそうだった。





 おこぜ氏の情報提供メールに添付されていた2枚の写真。
 どちらも樫山小匠線で1995年(平成7年)頃撮影されたものであるという。

今回、私はこの林道を小匠から樫山へ向けて、自転車で走破する計画を立てた。
下記はそのレポートであるわけだが、本編に入る前にもうひとつだけ書いておきたいことがある。
これを書かないと、ちょっとフェアじゃない気がする。

先ほども繰り返し「マイナーな道」だとしたこの林道を、なぜ土地勘のない私が探索し得たのか、という事についてである。

ずばり、この地方をホームとする、おこぜ氏による情報提供のおかげだった。

そして、その情報提供メールには、右の2枚の写真が添えられていた。

1枚をモザイク加工しているが、それこそが探索決行の決定打となった、“私にとって14年目の初体験風景”だった。
これを見たら、行かないわけにはいかなくなったのである。






それでは探索を、小匠の手前の「出合橋」附近(地図)から、スタートしよう!!


昨日は雨で、そのために少し川の水量が多いのが、気掛かりではあったが…。

予報によると今日はこれから間違いなく晴れるらしいので、出発する。