2014/2/1 11:46 《周辺地図(マピオン)》/《現在地》
SUZUKIのアピールが激しいここは、多気町片野にある、その名も片野交差点。
一般県道745号片野飯高線の起点であるが、県道らしい案内は一本の“卒塔婆標識”だけで、行き先を示す青看はない。
問題の自動車交通不能区間は、ここから8kmほど進んだ先にあり、その直前にある集落をスタート地点としても良かったが、冒頭に述べたとおり、本県道は全体的に狭隘で、いわゆる“険道”に属する、オブローダー的には興味のある路線だったので、敢えて起点からスタートすることにした。
まあ、そこまでのレポートは、要所のみ紹介の駆け足モードで進める。
11:57 《現在地》
最初の1kmほどは、白線が消えかけた2車線道路だが、次の波多瀬地区に入る少し前から1.5車線に。
写真は、波多瀬集落手前の直線道路で、正面に烏岳(標高545m)という形の良い山が立ちはだかって見えるが、この後も山へは踏み込まず、周囲をぐるりと180度回り込むように進む。
自動車交通不能区間は、ちょうどこの山の真裏の辺りなので、まだ遠い。
レポートは省略するが、集落内の県道は、いわゆる“迷路険道”である。
道なりに進むだけで先へは進めるが、それは県道ではなく、忠実に辿るには、集落内で何度か右左折しながら、1車線の激狭道を経由しなければならない。
また、地理院地図やスーパーマップルが描くルートは、間違っている。
12:04 《現在地》
起点から4km、波多瀬集落を出ると、峠と呼ぶほどでもない小さな坂道の上に、切り通しが待っていた。
そして切り通しに入ると同時に、水が流れていない水路が寄り添ってきた。
県道と水路が一つの切り通しを仲良く並んで通り抜けている。
この水路、起点の片野地区から、ずっと県道の近くを付かず離れず流れており、数回渡ったり並んだりしていたのだが(上記「現在地」の地図でも、糸くずのように県道と絡む水路が見て取れる)、私の中で特に意識されるようになったのは、ここからだった。
というのも、この目立つ切り通し以降、どうやっても路上の視界から離れない時間が、長く続くことになったから。
次の写真は、切り通しを抜けた“直後”の風景だ。
鮮烈に場面が転換したので、印象深い。
場面転換!
ここまで高低差を感じない田園風景だったが、切り通しを抜けると同時に、櫛田川の河谷が視界いっぱいに広がった。
鮮明な河岸段丘が両岸にあり、南向きの明るい対岸の段丘上に、多くの家屋が建ち並んでいるのが見える。
集落を育ててきたのは国道166号、別名「和歌山街道」だ。歴史ある街道は、背景に聳える国境の山々、
紀伊半島の背骨をなす台高山地の高みにある高見峠を目指し、遠い河谷をさかのぼっていく。
このような櫛田川の景観は、古くから旅心を誘ったらしく、流域約40kmの広い範囲が、香肌(かはだ)峡と称される。
路傍にある巨大なコンクリートウォールは、用水路だ。
これは立梅(たちばい)用水といい、約200年前の江戸時代後期に建設された、全長30kmにも及ぶ大規模な灌漑水路である。
立梅という名前は、取水堰の所在地名に由来しており、それはちょうど私が向かっている不通区間を抜けた先にある。
本県道と立梅用水は、この後しばらく、切り離せない濃密な関係を結んでいる。
面白いことに、立梅用水は灌漑用でありながら、農繁期以外は中部電力波多瀬発電所の発電用水路になっている。
ちょうどこの場所が発電所に水を落とす鉄管路を渡る橋で、右眼下に発電所の建屋がある。
全国的にも、灌漑用水路と発電用水路が期間を分けて共用しているのは珍しいらしい。興味深い経緯についてはこちらをどうぞ。
……なんてことは、全て帰宅後に勉強したことであって、ここに来るまで特に水路の存在なんて意識していなかった現地の私は、こう思ったさ。
道せっま!(ワクワク!)
水路なんて、邪魔だな(笑)、くらいに思っていたさ。
なにせ、水路が我が物顔であるせいで、道が急に狭くなったからな。
特に何の予告もなく狭い。
まあ、起点側から県道へ入る車の9割は、波多瀬集落までに用事がある人だろう。
ここから先は、抜け道として活躍するほど対岸の国道が渋滞しないので、まあ物好きでなければ選ばない県道だと思う。
すぐに県道は水路と同じ高さになり、並列走行を開始した。
探索時は2月なので、水は全て発電所に流れ込んでいる。
そのため、発電所よりも下流にある切り通しには水が流れていなかったし、水路の幅も狭かった。
一方、上流にあたるここでは、道路に匹敵する広い幅いっぱいの水が、ビデオの早回しのように、音もなく高速で流れていた。
わざわざ覗き込もうと思わなくても、県道を走っていると自然と水面が目に入ってくるので、流水恐怖症の人にはキツイかもしれない。
私は水流と反対に進んでいるが、勾配は全く感じない。
水路があるせいで土地に余裕がないのか、1車線なのに待避所は極めて少ないが、対向車は現われない。
県道であることを示すものも特にない、地味な道である。
12:11 《現在地》
起点から5kmほどで、波多瀬の次の集落が現われた。
多気町のもっとも上流に位置する、名古という小さな集落だ。
写真だと家数が相当多く見えるかも知れないが、奥の方は全部対岸の松阪市に属する深野集落の家並みだ。
対岸は国道沿いに隙間なく集落が続いているが、こちらは河岸段丘自体が狭く、ほとんどは杉林や畑である。集落は少ない。
名古集落にしても、車の出入りの大半は写真中央に見える大きな橋(深野大橋)に依っているようである。
名古集落の背後の山麓を、極めて水平を保った県道は抜けていく。
その途中、それまで隣にいた水路が視界から消え、直後にとても狭い、本当に軽トラ1台分の幅しかない橋が、やはり予告もなく現われた。
銘板も何もないので、橋の名前は不明だが、下を小さな川が流れている。
橋を渡り終えると同時に、シケインのような奇妙な屈曲。その下からニュルリと現われる水路。
チェンジ後の画像を見れば一目瞭然、直前の道路橋は、水路橋を兼ねる。
いわゆる兼用工作物というやつで、灌漑水路が発電水路を兼ねたと思ったら、今度は道路橋も兼ねたという節操の無さだった(笑)。
なお、橋名は分からないが、管内図には沢名が書かれており、「山ノ神谷沢」というらしい。
この橋は本当に狭いので、脇の山裾に迂回路がある。
車はそこを通った方が無難だが、あくまでも県道は、橋である。
名古集落を出ると、集落以前よりさらに一回り狭くなり、直前の橋と同じ、“軽トラ専用道路”の様相を呈し始めた!
ここから次の集落までの区間は、多気町と松阪市(旧飯南町)の境界越えなので、別に峠道というわけではないが、不利な道路状況である。
グーグルストリートビューも、直前の橋までで嫌になったらしく、引き返している。
道幅は水路より狭いのではないかと思えるが、この水路の存在が、やはりくせ者だ。
等高線を忠実になぞる水路が、山肌をグネグネと蛇行するのは当然としても、県道もそれを忠実にトレースしているので、道路としては不必要に蛇行する。
そのうえ水路の柵のせいで、狭い道の水路側は1cmもはみ出して走ることが出来ない。自転車は良いが、四輪車だと簡単に車体を傷付けそうだ。
脱輪するよりはマシだろうが……。
このッ! 黄色い三角柱はッ?!
間違いなく、キロポストだと思う。
県ごとにデザインのパターンがいくつかあるが、三重県ではお馴染みの黄色い三角柱のキロポスト。県道や一部の国道など、県が管理する道路沿いにしばしば設置されている。
最近新たに設置されていないのか、新しいものはあまり見かけないが、見覚えがある。
この道が一応は県道と認識されていた証拠になろうが、根元からへし折られて、柵の下に転がされていた。
きっと犯人に悪意はない。道が狭すぎて、当たっちゃったんだよね……。
この損傷のせいで、肝心のキロ数を示す金属プレートが紛失し、読み取れなかった。
12:25 《現在地》
これはちょっと寄り道の風景。
起点から約6km地点の櫛田川に架かる、深野大橋の旧橋だ。写真は対岸側から撮影した。
私の住んでいる東北地方では全く見ない、四国風の沈水式人道橋だ。
『飯南町史』に本橋のことが出ていた。
それによると、この橋が架設されたのは昭和31(1956)年だそうだ。さらに前は近くの岩場に一本橋が架かっていたが、激流に落ちて命を落とす人もいた。そこで、飯南町が設立されてすぐに、県費の補助を受けて町が建設した。しかし、少しの出水でも通れなくなるので、昭和51年に少し下流に現在の深野大橋が架けられたということらしい。
というわけで、現代では用済みになっていてもおかしくない旧橋だったが、畑仕事などの需要があるのか綺麗に維持されていて、楽しかった。
狭いとか、待避所がないとか、水路が邪魔だとか、文章だけでは伝わりづらいから、動画をどうぞ。
これを見て、クルマで気持ちよく走れそうだと思った人はいるだろうか。 二輪車なら良いけどさ…。
この段階で既に、県道745号線結構やべーなってのが、一般的な感想だと思う。
12:43 《現在地》
上の動画の最後の辺りで左にチラッ見えたのが、これ。
県道起点から6.5km地点で、ついに水路とお別れの時がキター!のである。
ここには隧道があり、水路だけがそちらへ。
坑門はコンクリートブロック積みで、立派な扁額が取り付けられていた。
扁額は汚れで見づらいが、大きな文字で「立梅隧道」と刻まれていた。
この隧道は地形図その他の地図にも描かれており、取水堰がある立梅地区まで一気に1km以上も山をくり抜いている。
やがて首尾良く不通区間を突破出来たら、この続きと再開できると思う。おそらくそれが、この探索のエンディングだ。
これから、俺の、陸路の、県道の頑張りというものを、ショートカットを愛するズル野郎に見せつける必要がある!
水路がいなくなると、県道745号片野飯高線は、どこにでもある狭い県道になった。
しかし、依然として勾配が全くないので、走りやすい。
いままで目にした県道を示すものは、最初の卒塔婆標識と、先ほどの倒れたキロポストだけで、「三重県」と書いたデリニエータもなければ、三重県お得意のガードレールのステッカーも見ない。
というか、道路標識なども全くない、本当に地味な道だ。
しかし、沿道には畑と杉林が交互に現われるので、利用者は確実にいる。
起点から7kmの地点で、地図上にだけある境界を跨いだ。
そこは多気郡多気町と旧飯南郡飯南町の郡境&町境だったが、今は松阪市との市町境である。
しかし何の変哲もない場所だったので、いつの間にか通過していた。標識類もなし。
写真は、7.3km付近にあった小さな水路跨道橋。
取るに足らない橋だが、鉄道橋っぽい赤い塗色と、両側の石垣がかっこよかった。
7.6km付近で、久々の民家に遭遇。
背後に平地と集落の気配。
また、グリーンの立派なアーチ橋も見える。
松阪市飯南町粥見地区に属する、生辺という集落である。
絶対に一回では読めない難読地名の一つで、「とこなべ」と読むらしい。
12:49 《現在地》
7.7km地点、生辺集落の丁字路に到達。
そして、県道の自動車交通不能区間を回避する、最後のチャンスだ。
右折して、(チェンジ後の画像)2車線の立派な千歳橋を渡れば、「険道走破お疲れ様」という顔で国道が待っている。
だが、直進すると、県道 の……
魔境が待っている。
これ未成道だろ…!
直進すると、今までが嘘だったみたいに、異常に道が広くなった。
2車線どころか、歩道がないことに目を瞑れば、4車線分くらいある。
なのに白線とかがぜんぜんないので凄く気持ち悪い。のっぺらぼう道路。
舗装自体は新しそうだが、工事中ではないようだし、なんだこれ…。
ほんと、なんなんだろうこの広さ。
2車線プラス両側に広い歩道……?
いや、駐車帯でも設けるつもりだったか?
袋状に道幅が広くなっている。
おそらく、拡幅前の旧道が写真右の集落側にあって、ほぼ並行するように、より直線的な新道を左の川側に造ったから、両者が合わさって一つの広い道になった感じがする。
しかし、明らかに、道幅に見合う活用はされていない。未成道的だ。
ずっと先までこの広さではなく、普通の2車線幅に絞られていく。
だが、その途中に……、またあった。
2本目のキロポスト。
県道の証し。
しかも今度はちゃんとプレートが残っていた。数字は「8」。まさしく片野交差点からの距離だった。
こういうのを見つけると本当に興奮する。
まさに、絵に描いたような未成道風景。
2車線道路に拡幅したが、利用度が低く、中央線も描かれなかった。代わりに草が生えている。
正面は、烏岳。波多瀬集落の裏側まで来た。そして間もなく“不通区間”が始まるだろう。
地形図は正確だった。
道幅の表現が軽車道に狭まるところが、立派な未成道の末端だ。
ここからだと唐突に道が終わっていそうに見えるが、本当は続いているはず……。
12:53 《現在地》
8.3km地点、
この先 通行不能 三重県
次回、見たことがない県道が出現する…!