2017/12/3 7:07 《現在地》
細っそ! 青看の道路が細いッ!
ここは奈良市の高樋(たかひ)町。
五ヶ谷(ごかだに)川扇状地の扇頂で、奈良盆地から大和高原へと登っていく入口(海抜100m)である。
私は出発地点から20分ばかり自転車を漕ぎ進めて、ここまできた。
県道187号は、これよりも下(終点寄り)ではバイパス(新道)が整備されており、それがこの青看にある唯一の“太い”線だ。
だが、これより先(起点寄り)には、そういう改良された道はない。
そのことが、この一見してびっくりしてしまうような細い線で表現されているらしく……。
実際、最終的には、とんでもなく細くなっていった…………。
高樋町から、南椿尾(みなみつばお)町、そして興隆寺(こうりゅうじ)町へと、瓦屋根の民家と路傍の石仏が目立つ、緑豊かな県道を登っていく。
平均して1.5車線の道は、進むほど上り坂のきつさが増している感があるが、1枚目の写真の地点から約2kmで150mほど上がって、標高250mを超えてきた。
だが、超えるべき峠の高さを考えると、まだ半分に達していない。
私は自転車なので、この坂道ではテキパキと進むことは出来ない。のろのろと、疲れた行脚僧のような漕ぎ足で、進んでいる。
写真には1枚の青看が写っている。
珍しい縦書きの矢印付きで、「名阪国道 五ヶ谷IC」と書かれている。結構古そうだ。
これまでも同様の内容の青看を何度か見ており、このICが、やがて不通区間に入ってしまう県道の当面の目的地になっているようだ。
興隆寺町を過ぎると、地名表示は中畑町となる。だが、すぐには家並みが現われず、もう少し山道が続く。
そんなところで、うっかりすると見逃してしまいそうな妙に小さい青看が、反対方向を向いたヘキサの支柱に取り付けられているのを見つけた。
細い! また、青看の道路が細いッ!
この青看には、県道を示す表示はないが、直進の“細い道”が、県道である。
右折は奈良市道で、これまでずっと行き先として案内されていた五ヶ谷ICへは、ここを曲がる。
県道側には、「中畑町」というとてもローカルな行き先が案内されているが、それよりも目立つ赤文字で、「この先行き止まり」の表示が遂に登場してしまった。終点から来ると、これが初めての不通区間の予告であった。
それにしても、この細い道路の表現は、もしかして奈良県の地域色なのか? 東日本ではあまり見ない。
この細さは、心理的な効果が絶大そうだ。特に用事がある人や、こういうのが好きな人でなければ、わざわざ入りたいと思えないだろう。
7:44 《現在地》
青看に次いで現われた、この妙に空虚な広さを感じる交差点。
停止線とかの道路標示が消えかかっているせいで、そんな印象になっている。
左右の道の広さは同程度で、青看がなければどちらへ行く人も同じくらいの数になりそうだが、直進にはくだびれた感じのヘキサ、右折にはシャキッとした名阪国道が提示されている。
わざわざ行き止まりにハマりたくないならば、選択の余地はない。
だが、私は再び青看の“狭い道”を選ぶことで、覚悟を示す。
直進する。
直進すると、朝のラッシュから外れたらしく、車線数相応の交通量になった。
間もなく美しい棚田の群れに迎えられたが、その頭上には場違いな巨大高架橋が。
名阪国道。
今さら説明の必要もないと思えるくらい有名な道路だが、今回の探索に限って、こいつは脇役。ただし名脇役だ。
ここは、名阪国道の中でも特に印象的な場面として知られている、“Ω(オメガ)カーブ”の途中である。
名阪が昭和40年に暫定2車線で開通した当時から、県道は既に県道として、ここにあった。
名阪が開通した当時、他に例を見ない高規格な道は、来たるべき高速交通時代を予感させるものであり、多くの利用者を興奮させた。
だが、それがどんな風景を裂いていたか、わざわざ下に降りてまで確かめた人は多くなかっただろう。
ずっと繋がれない古参の県道と、国の柱に上り詰めた、新参ながら味の出て来た国道が、この谷で鮮やかに交錯していた。
なんとなく、静止画だけでは私が感じた感動が伝わりづらい気がして、動画を回した。
といっても、ただ橋の上を流れるように行き過ぎる車を撮りたかっただけだ。
自動車専用道路はどこもそうだが、あっちの路上とこっちの路上で、実距離以上の隔絶を感じる。
間近で見ると、とんでもなく太い橋脚!! これが日本を支えているんだなぁと愛着を感ず。
しかし、築50年を超えているにしては、表面が新品のように綺麗だ。雨垂れた跡なんかが全然ない。
橋脚を建て替えたことはないと思うから、こまめなメンテナンスの賜物だろうな。驚いた。
この橋脚、なんと耐震補強のために巻き増しが行われているとのこと。
そのため、表面が綺麗だったということだったのだ。この補修方法は、考えつかなかった。
今回の探索で、名阪国道は強烈なインパクトを残すことになるが、これが最初の出会いだった。
名阪国道をくぐると、棚田あるいは段々畑が連なる谷間(五ヶ谷川)の視界が開かれ、
そこにもほとんど隙間なく田畑が広がっていた。四周を山岳に囲まれたここが、中畑町だ。
最後の青看に小さく書かれていた地名であり、不通区間と未成道のある土地である。
中畑町は、西、北、東の三方を、半径約500mの名阪国道名物“Ωカーブ”に取り囲まれている。
いま潜ったばかりの道の続きが、田畑の上の山林の隙間から少しだけ露出していた。
名阪利用者としてこのカーブは印象深いが、取り囲まれた所には、こんな景色が広がっていた。
沢山の田畑に出迎えられはしたが、集落らしい家並みはまだ現われていない。
路上の人影もまばらである。
相変わらずずっと上り坂で、額に汗をしながら黙々と進む。
青看ならぬ白看……というと、マニア用語では旧式の案内標識をさすが、それとも違う、おそらく奈良市あたりがオリジナルで作っただろう白地の案内標識が、ほとんど路傍の樹木に隠されそうになりながら、突っ立っていた。
内容は、この先にある分岐地点の案内で、右へ行っても左へ行っても「中畑町」であるらしく、加えて、右には「名阪国道」の案内があるのに、左は「× この先行き止まり」と、赤地で書かれていた。
言うまでもないが、県道はここでもまた、危険の赤色を目指そうとする。
8:02 《現在地》
標高330m、今回の1枚目の写真の地点からちょうど3kmで230mほど高度を上げて、中畑町の入口というべき分岐地点へ辿り着いた。この区間の走行に55分を要していることが、全体的な勾配の厳しさを物語っている。
直前のニセ“白看”に案内されていた分岐はここだが、ほぼ同じニセ白看が再び設置されていた。
県道であることを示す表示はないが、県道は左折して、この先九十九折りを描きながら、さらに高度を上げていくことになる。
ちなみに、ここに中畑町というバス停があり、奈良市のコミュニティバスが1日4往復運行されている。
少し進んで、今まで登ってきた谷底を振り返ると、谷の向い側の小高いところに、もの凄い規模のコンクリートブロックの擁壁を城壁のように張り巡らせた、巨大なお屋敷があった。
個人の邸宅を取り上げるのも恐縮するが、このお屋敷のある景色は、出会ったばかりの中畑、あるいは奈良県の印象としては強烈で、敢えて書きたかった。
見慣れた東北の山村にも、長年の蓄財を経たであろう豪農の古い邸宅などはあるが、ここまでの規模のものは、そう見るものではない。
これに限らず、探索中、特にこの序盤は、自分がこの地域の出身者ではない、ほとんど土地鑑がない人間であることを、しばしば感じた。
それは居心地の良い感覚ではないのだが、一方で、目に映るものの大半が新しいという旅の醍醐味もあって、退屈がなかった。
2回切り返すだけの短い九十九折りを終えると、五ヶ谷川の谷底を見下ろすようになったが、道の進行方向にある谷の奥にもまだまだ段々の耕地が連なっていて、中畑町という土地の高低の大きさが感じられた。
田畑の奥には色づいた山があり、その稜線の向こうには青空があった。
この辺りから見る稜線の向こうは大和高原であり、逆に言えば、高原という巨大なテーブルの縁をよじ登ろうとしているのが、自分である。
名阪国道は、雄大なΩカーブによって、高低差500mの大和高原登攀をやり遂げたが、我らが県道187号は、今のところそれを達成できていない。
或いは、過去のある時期には達成していたかも知れないが、現代の交通手段である自動車の通行はご遠慮被るというのが、現状である。
さらに進むと、中畑町に入って初めて沿道の民家に出会った。
標高はさらに上がって370mくらいである。
この数字を見て高所と感じる人は少ないかも知れないが、実際に麓から登ってきた感覚としては、けっこうな高地であるし、空も近くに感じる。
ずっと高原の稜線に遮られていた朝日が視界に入ってきたのも、この辺りから。
8:12 《現在地》
最初の民家を過ぎるとすぐに、またも左右同程度の道幅で迷いそうな分岐地点。
この県道をトレースしたいなら地図を持つべきだが、それがないなら、最後の手段は、「この先行き止まり」と書かれている方を選び続ければ、正解だ(苦笑)。
県道にとってみたら屈辱かと思うが、分岐の度に「行き止まり」を予告される場面は、これで3度目である。
左の道を選ぶと、道幅が少し狭くなり、集落とは反対方向へ進み始める。
県道に固執していると、中畑集落の中心部へ行くことはできないのだ。
集落へ行きたいなら、前回か前々回の分岐で右を選ぶと良かった。
こうして中畑集落にも背を向けて、いよいよ奈良市の外へ出るべく、最後の山岳区間に立ち向かっていく。
だが、その前に、まだこの県道には突破しなければならないものがある。
中畑町を取り囲む、巨大な外殻。
名阪国道のΩカーブを超えていく必要がある。
15分前、木々の隙間に少しだけ見えていたガードフェンスが、切り通しのような森の向こうから急に間近に現われた。
賑やかなサウンドを従えて。
あっ! あの標識!
Ωカーブの難所を予告する、高さが県道の道幅くらいありそうな巨大な標識板が、部外者である私からもよく見えた。
この標識、盤面から溢れんばかりのカーブがデザインされているので、印象に残っている方は少なくないはず。
実際もこういう感じで曲がっていくので、決して大袈裟ではないというのが、いい。個人的に、名阪といえば、この標識だ。
県道が、名阪国道を、再び潜る。
面白みのないボックスカルバートだが、注目すべきはそのサイズ。
幅5.5mという、なんとも微妙なサイズ感が、昭和40年当時の行政者達が抱いていた、この県道に対する微妙な期待度を物語っているように思う。
大々的に改良する気があったならば、当時とはいえもう少し広く取るだろうし、かといって車1台が通れれば良しという感じでもない。
全体的に車両が小さかった昔はさておき、現代では、この幅だと2車線道路とはいえない。
潜って振り返ると、傾いていた。
写真ではなく、名阪国道が、もの凄〜く傾いていた。
高速道路ではないものの、その類である高規格幹線道路にもらしからぬ、豪快な坂道だった。
俺だって奈良盆地から汗を掻いて登ってきたが、名阪国道も一緒だった。
全然別の生き様を送っている道たちが、ここで再び交錯して、別れを告げた。
我らが県道187号、これで、野に放たれた。
即、4度目の「この先行き止まり」!!
そして、標識の背後にあるのは……
8:18 《現在地》
十字路。
もう、どの道を選んでも、「この先行き止まり」ということなのか。
標高400m地点、この十字路で、県道187号は、2本になる。
直進する道は線形もよく、黙っていれば10人中10人が、この道へ行くだろう。
しかしこちらは現在のところ……、行き止まりのバイパス未成道。
ならばと、十字路を右折するのが……
現道。
せまい。(確信)