15:03
断念の決断が早く、まだあと7分あった。
当初の計画からは不本意ながら、残りは線路歩きとすればまず間に合うだろう。
この線路から、ほぼ目線の高さに眺める尾盛の“森”は、周囲のほとんど天然林と思われる山域にあって、いやに“どす緑”で目立っていた。
駅があったお陰で盛んに植林されたのか、或いは逆で林業のために駅が置かれたものか。
このあたりの事情については、駅そのものに詳しい方のレクチャーを待ちたい。
残念ながら、旧道探索はここで「打ち切り」である。
恰好を付けるわけではないが、こういう妥協ははっきりと妥協したと書いておかねば、より完成度の高い探索をしようとする人の妨げになるだろうし、自分自身でも再訪の芽を摘むことになりかねない。
おおよそ100m程度の未踏破区間(うち10mほどは物理的に踏破不可能で、別の50mほどは目視でも確認していない)を残して、今回の挑戦は終了した。
この下側から末端部までアプローチすれば、未踏破100mを90mにまで減らせる可能性は高かったが、「残り数分」というこの場面で私はそうしなかった。
(この日はこれで終わりというわけではなく、もう2箇所ほど行きたい場所があったこともある)
また、道も最後は線路の法面によって切断されているのか、合流地点も確認できなかった。
この二点は心残りであり、いずれ再訪を期したいものである。
耳をそばだてて、不意の列車の接近に注意しながら、良く均された路盤を駆ける。
これは褒められた行為ではないが、尾盛駅から外界へ行こうとしたら、どうやっても踏切外の線路を通らねばならない。
そもそも、外界に行っちゃ駄目な駅なのかもしれないが…。
そして、遂に見てきた尾盛駅の“ホーム”というのが、私の判断を肯定するような代物だった。
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15:06 《現在地》
尾盛駅到着!
接岨峡温泉駅から一部“廃”遊歩道化した廃道を辿ること1時間45分、
プラス線路歩き3分ほどで、遂に尾盛駅に到着した!
寄り道一切無しならば、1時間半あれば十分辿り着ける計算である。
さすがに、日常的に使いたい状況ではなかったが。
ともかく、秘境駅尾盛への地図にない道は存在した事が確かめられたし、しかもそれは車道だった。
以下は帰宅後に読者さまからの情報提供で明らかになったことであるが、
接岨峡温泉駅のある接岨地区から尾盛(厳密に尾盛駅を示しているかは不明)まで、
かつては日常的に「オート三輪」が通っていたそうである。
現在井川線の尾盛駅から出る道が一本も無い事になっていますが
昔は接岨地区から尾盛までオート三輪が通れる道があったそうです。
地元の方(長島ダムふれあい館の館長さん)に聞くと、昔は尾盛までオート三輪で物資を届ける時に
よく荷台に乗せてもらったとお聞きした事があります。
井川線を20年近く撮り続けている鉄オタ(仮名)さまより
尾盛駅…。
これは地図だけじゃなく、実際に現地に立ってみても、確かに「駅から出ている道は無い」ようにしか見えない。
そもそも、駅前に車道がないせいで、「駅前」という観念自体が希薄だし、駅を取り囲むフィールドのほとんど全てが起伏のある山林のため、入口も出口も何もあったもんじゃない。
強いて言うならば、私が辿ってきたルートもあるこの接岨峡温泉側が“表”なんだろうが、最終盤は線路と同化してしまったらしき廃道の痕跡は一切無く、また背後の山などへ、いかなる(廃)車道も延びてはいなかった。
紛れもなく、鉄道以外の交通から隔絶された駅である。
そして、完璧にそう見えるからこそ、あの廃道は、今までほとんど手つかずのまま、放置されてきたのだろう。
歩道があると知られていたら、通りたいと思う人は、きっと私のほかにもいたはずだ。
15:08 《現在地》
安心したのは、尾盛駅構内が意外にも明るい感じの場所であったことだ。
そこは南北に谷が走る山間の小盆地であり、また東側の山は比較的に低いことから、日の長い時期には結構明るい時間も長いらしい。
少なくとも、私が訪れた午後3時には、圧倒的に高い西側の山の陰も駅を隠してはいなかった。
駅名板やら、その由来を「たぬき」と絡めて面白く紹介した(創作された物語の)看板、そして狸の置物複数、「自然度100%」などと自ら秘境度をアピールする開き直った観光看板などが、狭い範囲に集中しておかれており、ここが尾盛駅に降り立った乗客達の、主要な時間の潰し場であることを感じさせた。
繰り返すが、駅にはありがちな、周辺の観光名所だとか、そういう案内物は一切無いし、道自体が見あたらない。
どう見ても「待合室」な建物と、その壁に掛けられた時刻表。
手前の駅名板に隠されてしまっているが、この建物の壁には「クマに注意」の小さな看板も取り付けられていた。
実はこの建物は待合室ではなく、倉庫らしい。
そして、wikipedia:尾盛駅によると「2009年5月、駅近辺に熊が出没したため下車禁止となった。現在は下車可能だが、かつては立ち入り禁止で施錠されていたホームの保線小屋を、熊からの避難用のため一般人が入れるようにした。」ということだそうである。
確かに列車を待っている間にクマに目を付けられたら悲惨すぎる駅なので、これは有りがたい。
そもそも、雨が降ってもほかに宿れるような場所も無さそうだし…。
先ほど、「利用者はどうせ踏切のないところで線路を渡らざるを得ない」みたいな事を書いたが、その理由はこのホームにある。
尾盛駅には片面一線の立派なコンクリート造りのホームがあるものの、どういうわけか、駅名板もあるこのホームに単線の線路は接していない。
代わりに複線となる位置にレールがあり、それに接して極めて低く、そして小さな、木枠組砂地のホームが存在しているのである。
このサイズのものを「ホーム」というのには抵抗がある。
これはまさに、停留場と乗降場である。
背後の(カタチだけの)ホームがもしなければ、もう「駅」という次元ではないのである。
写真でしか見たことはないが、林鉄の駅というものは、こんな感じだったらしい。
これが、尾盛駅の“真”のホームである。
駅名板も時刻表も無く、そこにアクセスするためには、どうしてもナマの線路を渡らねばならない。
畳を縦に10枚並べたくらいの、この細長いスペースだけで次の列車を待つのは非現実的である。
訪問者は自然と時間つぶしのため、周辺の山野を跋渉したりすることになるのだろう。
そんな状況でも、今回の旧道がほとんど発覚しなかったのは、それだけこちら側の入口が分かりにくかったからに他ならない。
なお、現地には特に注意書きもなにもないが、このホームに立って列車を待つのは、余り車輌と近くて怖い気がする。
特にホームが短いため、先頭の機関車などはかなりの速度で入線して、客車が停止するときには完全にホームを過ぎている。
あとで動画を見ていただくが、列車到着時にこのホームに立っていることは、少し危ないのではないか。(気の利いた“白線”などない)
まだ近付いてくる汽笛は無い。
あと数分のはずだが、その間、少しだけ駅の周辺を散策してみた。
まず見つけたのは、この構造物。
これはなんだろう。
まるでイケスのように地面が四角く掘られ、周囲は石垣が出来ている。
かなり頑丈な作りのようだが、何の廃墟なのか不明である。
尾盛駅の周辺には、造林されがスギ林が広がっているが、これを手がけたのは民間の業者なのかも知れない。
駅の周囲には少なくとも2枚、この同じ看板が色褪せた姿を晒していた。
そして、これが駅にある唯一の、“よそ者”である。
ほかは全て井川線と関係のある施設のように見えた。
「茂る緑に豊かな社業 ○○株式会社 尾盛造林地」と読める。
会社名だけは読み取れなかったが…。
駅が先か、造林が先かは分からないが、この会社は尾盛駅の数少ない利用者であったに違いない。
そして看板の裏側には、さらに大規模な石垣による敷地遺構が存在していた。
逆光のため写りが悪くて申し訳ないが、雰囲気としては小学校跡のようである。
しかし、この敷地が元もと何であったのかは私には分からないし、現地にもその答えは転がっていなかった。
ただ、私は驚いたのだが、この階段を上ってみると、そこには既に一人の先客がいたのである。
年格好は私と同じくらいか。ただ、極端に軽装であったので、鉄道による訪問客と分かった。
私と彼は会釈を交わしたのみで別れてしまったが、彼は根っからの“秘境駅ファン”だと思う。
数分後の列車にも乗車しなかったし、列車が現れたときも敷地から出て来なかったように思う。
さらに1時間半もあとの終電で、きっと後ろ髪を引かれながら渋々帰ったのだろう。
オブローダーと秘境駅ファンの邂逅は、極めて地味な形ではあったが、確かに果たされたのであった。
鉄道以外では、訪れることの出来ない駅。
その“神話”は、生来のものではなかった。
だが、それは今、
確かにその通りなのだった。
秘境駅の金字塔を打ち倒すには、今回私が辿った道は余りにも弱く、
神話を過去のものとするには、力不足であった。
もう二度と、尾盛への車道は甦らないだろうし、
それを求める人も、居ないだろう。 私を含めて。
15:11
私の時計が正しければ、定刻より1〜2分遅れで列車はやってきた。
かつてある秘境駅ファンの言葉を読んだことがあるが、こうして秘境駅で帰りの列車を待つときは、いつも不安になるという。
本当に列車が現れてくれるのかと。
私も今回、初めてその感情を体験した。
だが、それは本当に僅かの時間であり、やがてトンネルを出入りする汽笛の音。
次いで車体の割に激しいレールの軋む音が聞こえてきて、列車の接近を確信することが出来た。
しかし、尾盛駅に降りていない乗客を、この井川行き普通列車はちゃんと拾ってくれるのだろうか。
怪しまれて乗車拒否などないだろうか。
そもそも、うっかり通り過ぎるなんて事はないか。
ここには乗車駅証明書も何もないが、車掌さん私の乗駅の申告を信じてくれるだろうか。
気弱な私は、ホームから少し離れて列車を待っていた。
すぐに見覚えのある赤い車体が、10分前の私をなぞるように遠くのカーブからヌルッと現れ、思いがけずに速い速度のままホームに滑り込んできた。
尾盛駅に列車が着いた。
そして、その一部始終を、私は夢中で動画に納めた。
尾盛駅乗車の全記録(笑)動画
当たり前だが、列車はちゃんと尾盛駅に止まったし、私も特に誰何をされることもなく、「乗車券はお持ちですか」と聞かれただけで乗せてもらえた。
当たり前である。
私ほど、本来的で、正統的な、この駅の利用スタイルは無いはずなのだ。
しかしむしろ、何にも聞かれなかったのが少し物足りなくあった私は、つい自分と同年代と思しき車掌さんに言ってしまった。
「接岨峡温泉駅から尾盛駅まで歩いてきました」 と。
対する車掌さんは、明らかにニッコリと笑って何かを反言してくれたが、それは列車の走行音がうるさくて聞き取れずじまいであった。
だが、その表情の意味するところは、愛すべきバカ者を見る優しさで溢れており、職業的な愛想や怪訝を隠したものではなかった。
以後、僅か一駅間2.7km10分弱の鉄道旅行を、晴れ晴れとした気持ちで楽しんだのは言うまでもない。
【楽しい鉄道旅行シーン】
そしてこれが、後に間接的にではあるが、今回の行動の証明になる乗車券である。
この一日が終われば、きっと大井川鐵道株式会社は一日の売り上げを精算するだろう。
その時に始めて、「あれ? 今日は尾盛の乗降客数が一致してないよ」 って訝しく思ってくれれば満点である。
まあ、誰も気付かなかったと思うが……。
なおこの乗車券を車内で購入した際、車掌さんは私に乗車券を手渡す前に、「すぐに回収しますので貰って良いですか」と私に問うたのである。
私は一瞬頷きかけたが、「分かりました。その前に一枚写真を撮ってもいいですか」と反問した。
そして、この写真を得たのである。
15:20 《現在地》
この列車が私を一駅運んでくれた。
ここは、尾盛の隣の「閑蔵(かんぞう)駅」。
もうひとつだけ行けば終点の「井川駅」だが、私は当然ここで下車した。
尾盛に較べれば全然普通に見えるが、ここもまた沿線人口の少なさは秘境駅そのものである。
あれ? 俺のチャリだ。
って、これは余りにわざとらしいか。
まだ説明していなかったが、今回私は探索開始前にひとつ“手回し”をしていた。
それは、井川行きの列車に乗ることになっても、スタート地点の「接岨峡温泉」に戻れるようにするための手回し。
この閑蔵駅前に、予め自転車をデポして置いたのである。
そして今回、この手回しが大いに役立った。
閑蔵駅から接岨峡温泉駅までは、井川線の鉄路を経由すると途中に尾盛駅を挟んで、約5kmの距離がある。
しかし、この同じ区間を近年開通した新しい車道(接岨トンネル)によると、わずか2.3kmしかないのだ。
しかもこの両駅間には、100m近い高低差がある。
従って今回、自転車に僅か5分跨っているだけで、ほとんど一漕ぎもせず、私はスタート地点の駐車場に戻ることが出来た。
仮にこれを逆走しても、頑張れば列車と同じくらいの時間(20分)で移動できる事だろう。
15:35
接岨峡温泉に帰還。
探索終了!