2022/2/20 9:53 《現在地》
県道としての終点である稲蒔口交差点から、起点方向へ進むこと約1.7km。
最初の【予告】通りの距離で、【この先一般車両通行不能】の看板が現れ、それも無視して進むと、直ちに未舗装路となった。
実はこの県道に未舗装の区間が存在することは、「我が道を行く」にて引用・公開されている平成14(2002)年版の「岡山県道路現況調」にて、事前に知っていた。
同資料に拠れば、実延長16405mである本県道の舗装率は82.4%であり、計算上、2.9km近くの未舗装区間が存在することになるのだ。
ちなみに、グーグルカーは未舗装になっても諦めず、もっと先まで進んでいる。相変わらず、やるよな(笑)。
いまグーグルカーの話をしたが、コンプライアンス重視の同社が突き進んでいることからも分かるとおり、この道路に封鎖が(いまのところ)ない。
「この先一般車両通行不能」という看板はあっても、「通行止」を明示する道路標識や封鎖する設備がない以上、「通行不能でも進んでみたい」という利用者を妨げる法的効力はない。看板は利用者への親切な忠告でしかないといえる。
写真は、「一般車両通行不能」とされる区間の入口を振り返っている。
道は一気に悪くなったが封鎖はなく、実際、それなりに多くの車が出入りしているような轍がある。沿道に畑も続いているしね。
未舗装だが道幅が極端に狭いということはなく、その辺の農道や林道のような感じの道だ。
川沿いなので勾配も全くなく(下流へ向かうので少しずつ下っている)、ハイペースで進んでいける。
未舗装化地点から500mほどのところに、ごく小さなコンクリート橋があった。
小川を渡るなんていうことのない橋で、現地には橋の素性を知らせるものは何もなかったが、資料に拠ると、「混合橋」という名前であるらしい。地名にしては変わった名だが、来歴は不明。ちなみに竣工年も「不明」と記録されている。
こんな感じの道路が続ている。
県道としては確かに整備不良だろうが、自転車でのんびり走る道としては心地良い。
岡山の穏やかな気候を体現するように悠然と朗らかに流れる吉井川沿いの道は、川面に開けていて明るい印象だ。
川はやがてこの県道と“やり合う”のかもしれないが、現時点では親しみを感じる風景だといえた。
9:57 《現在地》
未舗装化地点から700m、終点からの通算で約2.4kmの地点まで来ると、前方に分岐が近づいてきた。最新の地理院地図にも描かれている分岐で、県道はこのまま川沿いを直進するようだ。そして、県道が「庭園路」として描かれはじめるのも、この分岐からである。
またこの場所からは、これから進んでいく辺りの川岸を見渡せたが、そこには――
大河との共存を本気で考えていることが伝わってくる、龍の鱗のような石垣に身を固めた美しい道の姿があった。
これには道好き、古道好きとしての魂を少なからずくすぐられるものがあった。
コンクリート擁壁だったら、これほどの関心は得なかったろう。
まだ石材が主要な建築部材であった時代に、この道の整備が進められていたのであろうか。だとしたら、一度は車道として全線貫通したということを期待できるかも知れない。道はあるかも知れない!
それからまた200mほど砂利道を進むと、直前に遠望したばかりの見事な石垣が路肩に連なる区間が始まった。
実際に近寄って見ると、長大な石垣は全てコンクリートによる補強が行われており、特に路肩の部分は最近も手を加えられたような形跡があった。
未舗装路としてではあるが、道は維持されている。
また、これまでで最も川に近寄ったことにより、川側の道路よりも低い部分に、漂着物が大量に散乱していることに気付いた。
道路が低い部分については、その山側の樹木にもそれは見られた。
つまり、そう遠くない過去に、道路の高さを超えるところまで水位が上がったらしい。
恐るべき水位上昇の痕跡は、対岸の景色にも色濃く残っていた。
この対岸には、国道とサイクリングロード(廃線跡)と集落が存在するが、おそらく洪水避けの意図をもって植えられた竹林が川べりを鬱蒼と覆っていて、全く見通すことができない。
その竹林が、まさに仕事を終えた者のくたびれ方で、洪水の猛威を示していた。
これら異変の原因は、平成30(2018)年7月に発生し、西日本の広い範囲に数十年に一度という規模の豪雨災害をもたらした、まだ記憶にも新しい西日本豪雨の影響かと思う。
調べてみると、同豪雨では岡山県内でも観測史上最大水位を観測した箇所が多くあり、現在地に近い佐伯の観測所のピーク時水位は氾濫危険水位を上回る9.39mと記録されている。平水時より5m以上は水位が上がったとみられ、この道路が冠水したとしても不思議はない。
こうして平時の景色を見る限り、この道は簡単に水没するほど低い所を通っているようには見えないが、自然の猛威は設計者の想定を越えてきたのかもしれぬ。
とはいえ、川原の樹木が根こそ流され、岩場が裸にされたような状況にあっても、道自体は堅牢な石垣と、石垣を支える固い岩盤に守られたようで、大規模な修繕を要するほどは壊されなかったようであり、経験を糧に生きる人間も決して負けてばかりではないと分かる。
なお、善戦したいたグーグルカーは、この辺りで引き返している。
道路状況的には、ここで引き返す理由もなさそうだが、グーグルマップに描かれている道自体がここで終わっているので、これ以上先へは進まなかったのだと思う。
しかし、見ての通り現実にはまだ道があり、そこに未知を愛するオブローダーを誘い込む魅惑の源泉がある。
石垣の区間は300mくらい続いたが、それが終わると少し地形が緩くなり、道と川の間に細い竹が密生するようになった。
これがいわゆる女竹というやつで、稲蒔集落を全国一の筆軸の産地としてきた原材料(今は原料の輸入もしているそうだが)であったのだろう。
そんなわけだから、ここに生えている女竹の量はなかなか他では見ないほど多いし、写真にも写っているが、沿道には作業小屋か物置のようなものも存在していて、なるほどここまで道路が維持されている理由は、筆軸の原料確保の為に必要だったというのが、おそらくその答えなのだろう。
……あれま。
ここまで道が維持されている目的が分かってしまったというのは、どうなんだろう?
ここに目的地があるなら、佐伯へ道が通じている必要もないということであり……、うん、怪しいかも知れない、道の貫通は(苦笑)。
まあいいや、行けるところまで行くのが、最初からの目的だ。
10:01 《現在地》
稲蒔口交差点から2.8km、ここでまた分岐地点。
どちらの道を選ぶべきなのか、風景からは判断の難しい場面だが、地理院地図によれば、今度は右へ行くのが県道であるようだ。
とはいえ、現地にそれ(県道)を証明するようなアイテムがないので、正直、県道を辿っているのだという盛り上がりには欠ける。
たぶん、道路管理者である岡山県が真っ当な県道として利用者の面倒を見ようと思ったのは、【この看板】のところまでであって、その先も法的には県道だとしても、もう看板や標識で面倒を見ようというつもりはないのだろう。
そして、地理院地図の道は、あと100mも進まぬうちに尽きている。
敢えて左の道を選べば、150mくらいあるようだが、大差はない。
いずれにしても、地理院地図の“終点”は、もう間もなくだが、果たしてそれが、この道の実際の行き止りであるかどうか?
早くもこの探索の核心に入るぞ!
右の道を選ぶと、やや勾配のキツい上り坂から始まる。
相変わらず未舗装だし、路面に刻まれた轍の数も、分岐前と比べて明らかに半減いやそれ以上に減っている。
そして沿道は引続き女竹の林で、見通しは皆無である。
既に述べたとおり、地理院地図に描かれている道は、もう間もなく終点だ。
というか、いま見えているくらいでちょうど終わりになる表記となっている。
だが、現実の道はまだ続いている!
ここにきて珍しく、地理院地図より【スーパーマップルデジタル】の方が正確に実態を描いているという状況になった。
それが、独自の現地踏査の結果なのかといわれれば、たぶん違うと思うが……(理由は後述)。
となると、このまま向こう側(和気町)に抜けられたりする?
もし抜けられるなら、これは結構な発見だな。マイナー県道ファン的には。
だってここまで全く封鎖がないわけだから、このまま自動車が通り抜けられるなら、当サイトの読者なら、通ってみたいと思う人が結構いるんじゃないかな?
なんてことを考えていて、あわや気付かず通り過ぎかけたのだが、 ん? なんか転がってる。
これは……、石の標柱だな。
この形やサイズは、道路探索では見慣れた用地杭にそっくりだ。
「●●県」とか「××市」とか書いてあるコンクリートの標柱を路傍でよく見るでしょ?
ただ、これは明らかに質感がコンクリートではない。石だ。
ということは、結構古いものなのかも?
これには色めき立った一斉に、全ヨッキが。
いったい何の標柱、あるいは石碑なんだろうか?
すぐさま自転車を転がし、駆けよって、何かの文字が刻まれていないかを調べた。
おっ“岡山縣”って、書いてある!
ってことは、こいつはまさしく用地杭か!(文字は一面だけにあった)
それも、県道だから県用地というゴールデンパターンではないか?!
もちろん、県の用地というのは県道だけではなく、山林にも農地にも海岸にも崖地にもいろんなところにありうるのだが、県道が疑われる道沿いにある場合、県道の用地を示している可能性は高い。もし道路の両側に何本も並んでいたりしたら、ほぼ確定といえる。
ただ、今のところ1本しか見つけていないし、本来は地上に埋設されているはずのものが裸で地面に転がっているというのは、何ごとだろう。
あまりないことだとは思うが、どこか別の場所から持ってきて棄てられただけということも疑わねばならない状況ではある。
とはいえ、「県」ではなく「縣」の字が普通に通用していた時代の石造用地杭が、ここが県道だからここに設置されていたというのが、一番シンプルな考え方であり、そして私にとっては理想であった。
先ほど、「県道らしいものは何もない」と嘆いて見せたが、そんなことはなかったという、逆転の一撃になり得る発見だ!
願わくは、もう1本2本と見つけて、県道の用地杭だと断定してしまいたいところだ。
……いやぁ、地味な発見ではあるんだけど、何があるかホント分からないねぇ。嬉しい。
そんな訳で、一気に県道の楽しさを増したこの道だが、行き止りになるどころか、今度は古ぼけた待避所が現れて私を驚かせた。
路肩をわざわざコンクリートの擁壁で膨らませて、待避所として使えるスペースを設けたように見える。
しかし、ガードレールはおろか地覆さえないので、造りの古さが滲み出ている。現代の建築基準だったらこうはならないだろうと思う。
石の境界標といい、この待避所といい、一体いつのものなんだろう。
わざわざコンクリートで頑丈に作ってある辺り、待避所については自動車交通を念頭においたものであることは間違いないと思うし、それなりの交通量を見込んだからこその構造であろう。
まあ現状、待避所が必要になるような交通量は全然無いようだが……。
おいおいおい!
この道ぜんぜん終わる気配がないぞ!
このまま行っちゃう感じがするよな、これは!
まさに思いがけない展開で、めっちゃ楽しい!
たいして轍も刻まれていない感じだが、その割には倒木もなければ雑草もなく、間違いなく最低限の維持管理は行われているとみる。
道は分岐からしばらく登ったが、今はまた水平となり、キープした高度を大切にしながらトラバースしていく感じだ。
ひょっこり対向車が現われそうな気さえしてくる風景だが、地理院地図には全く描かれていない道である。
初めて川の対岸にある国道や集落を見ることができる場所があった。
対岸は和気町の苦木(にがき)地区だが、あと100mも進めば、この右岸も和気町に入る。
思いがけず容易く越境成功となる可能性が、濃厚になってきている。
予想外に道が悪いというのは良くあるが、その逆はとても新鮮だ。
まさか本当にスーパーマップル通りの状況であろうとは!
しつこいようだが、ここまで封鎖するものもなかった。
見晴らしが良かった尾根のカーブを回り込むと、道は少し谷側に引っ込むが、依然として十分な道幅をキープしている。
そしてここに、またしても標柱と呼べるものを見つけた。
ただ、今回の標柱は永久的な構造物ではなく、工事現場などに設置されている木製の簡易な杭だった。
特に文字などはなく、目的は不明だが、県道としての維持管理に関わりがあるものだろう。
さあ、市町境まで、50mをきったぞ!
土と岩だけで荒削りに作られた道が、かなり険しい山腹を横切っていく。
土と岩だけというところは、いかにも古い工事のように思えるが、しかし私の目はごまかせない。
ここにきて(おそらく30mほど手前で見た木杭からだ)、現代の重機で作った道になったと感じる。
旧時代の車道としては十分過ぎる道幅もそうだが、法面の岩場が綺麗に整っているのは、基本的に現代の重機の仕事ぶりである。
そもそも、通行量が感じられない割に路上が綺麗すぎるというのも、古さの対極だ。
今いるこの場所は、たぶん建設されてからそんなに時間が経っていないと思う。
2〜30年以内ではないかという印象を受ける。
それはそれとして、もうこのまま行ってしまえ!
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|