2013/2/22 8:02 《現在地》
中央道上下線の隙間に再び入り込んだ我らが“下道”は、50mばかり窮屈な思いをした後で、再び解放の時を迎えた。
頭上の上下線が再び橋梁になると同時に両者の間隔が広がりはじめる、関東住いの人間には“中央道らしい”といっても差し支えない上下線分離の状態となる。
しかし“下道”は、当然このような橋梁に同伴を許されるわけもなく、山ひだに従って屈曲するので、結果的に下り線を再び潜って、中央道そのものから少し距離を空けることになるのだ。
うおっおおっ!
ずいぶん近いな。
高速が随分近い!
鉄道のガード下ではこういう低い場所をしばしば見るけれど、高速道路の橋梁に車両が接触しそうなほど低い場所は珍しい。
特に高さの制限などの表示がないのは、ここへ来る途中にもっと低い場所があったから(ロックシェッド)だろうが、そう考えると、この先にもこれより低いガード下がある可能性が高いのか。
そして、高速ガード下を抜けると、そこは雪国だった?!
ロックシェッド以来のおおよそ200mのほとんどをガード下および上下線の隙間という喧噪下に過してきた道は、ここでやっと少しだけ“自分の時間”を持つことを許された。
中央道が橋梁で一跨ぎしている沢をU字に巡る頂点には、暗渠を埋め込んだご覧の築堤があり、下を凍てついた沢水がサラサラと流れていた。
旁らには物置のようなものが置かれていたが、集落の取水施設でもあったろうか。
ここへ来ると集落内では目立たなかった雪が路上にも5cmくらい積もっていて、MTBのタイヤを右へ左へ引きずり込もうとした。
雪上には歩行の跡が三筋ばかりあり、少し前まで見られた自動車の轍は消えていた。
未だ通行止めなどの措置は見られないけれど、思いがけぬ積雪の深さに不安を感じて車は引き返したのだろうか。
この道の行く先が向いの斜面に見える。
今度はあの陸橋で、少し前に潜ったばかりの下り線を跨ぐようだが、そのためには凍てついた急な上り坂が待ち受けていた。
私は無理をせず、ときおり足を地面に預けながら、慎重に氷結道路を上っていった。
そしてこの道の“最高所”へと辿りつく。
8:05 《現在地》
やっぱり橋は激狭い。
しかしこの橋には、やっと自らの素性を語る“言葉”があった。
曰く、橋名は「芝橋」という。
銘板の価格を抑えるために1文字の橋名にしたのではないだろうか…というのは穿ち過ぎた考えかと思うが、何の脈絡もなく「芝橋」というのもまたコメントに困る。
施工者は当然「日本道路公団」で、規格は「2等橋」、竣工年の「1976年12月」というのは、中央道(大月JCT〜勝沼IC)開通の前年であり、何も不審な点はない。
不審なのは、この橋そのものではなくて、橋の先の線形であった。
この部分は頑張って地形図が描いてくれているので、それを見れば一目瞭然。
「下り線」を橋で跨いだすぐ先で道はクランク状に折れ曲がり、かつ下り坂となり、続いての「上り線」は潜り抜けるという線形である。
上下線はほぼ同じ高さに有るのだが、道は地形との擦り付けの関係からあえて、平面だけでなく立体的にも絡み合う、そんな“変態的線形”を用いて先へと進むのである。
高速道路の側道には変な線形の道が多い事は把握していたが、この道には側道らしく高速に寄り添おうという気持ちよりも、高速の進路妨害に負けず、目的地へ完抜せんという、強い執念が感じられた。
そしてそれはおそらく、こんなんでも「市道」だからだと思われる。
芝橋から西を見ると、日川の峡谷が甲府盆地へと解放される眺めであった。
もし“撮り鉄”のように“撮り道”というジャンルが流行っていたら、
この場所は持て囃されたかも知れないなと、そんな風に思える眺めだ。
スタート地点の長柿集落は、もうだいぶ遠くになっていた。
橋を渡りきると直ちに直角に右折して、高架橋と地上部を結ぶコンクリート製のスロープとなる。
50mほど先には行き止まりのように壁が立ちはだかっているが、どうやらあそこで直角に左折するようだ。
面白いのは、このスロープ両側のフェンスに…(後述)。
←左を見ても
右を見ても→
そこにあるのは、
高速道路!
高速道路マニアだったら、一日中閉じ込められてもきっと幸せなシチュエーションだろうが、私はちょっとだけゴメンこうむりたいかな。騒音が…。
上下線に挟まれたスロープを振り返る。
面白いのは両側のフェンスに上下逆さに掲げられた、巨大な横断幕だ。
この狭い道で「死亡事故発生!!」や「早朝夜間割引」があるとは思えないので(笑)、これらは「芝橋」の外側外壁に掲げるべく出番を待っているものだろう。
高速道路の一部である“装備”を、こんな公道沿いに野晒しているのは意外だったが、これに触れる機会は滅多にないので全く意味もなく指紋を付けてみた。
そして雪が吹き溜まりのように深くなった再度の直角カーブから、
今度は上り線の下へと…
高速道路の下ではよく見る姿のボックスカルバートには、
「大月33」の表示。この無味乾燥なのが地下道の名前である。
それは良しとして…
まさか、ここまで来て…そんな……。
無味乾燥なカルバートは、寒風吹き抜ける絶海の牢獄を思わせた。
何度“目”を開け閉めしても、やはり出口側には閉ざされたゲートがあるように見えた。
さすがの私も、高速道路関連の立入禁止はワルニャン出来んだろ…。
やっぱり、閉じていた。
しかも上部には鉄条網、下は鉄格子で隙間を塞いでいて、ネコ一匹通すまいという佇まいだった。
…これで終わり?
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