国道156号旧道 福島歩危 第1回

公開日 2010. 9. 2
探索日 2009.11.22

岩瀬〜尾神〜福島 湖畔の文化街道


2009/11/22 12:36 【現在地(マピオン)】

岩瀬橋で左岸に付いた国道は、3連発でよく似たトンネルをくぐった。
岩瀬1号から3号トンネルで、出入り口にスノーシェッドが増設されていた他は、基本的に昭和36年の竣功当時の姿のようであった。

気付けば地名(大字)も「荘川町中野」へと変わっていた。
しかし荘川町中野にはひとつの人家もないし、国道沿いに観光客向けの施設が少々あるくらいだ。
地名は、広い湖底に同名の集落が沈んでいる事実を伝えるのみ。
そして、この先にも同じような集落のない大字がたくさんある。




約700m離れた対岸には、午前中往復した秋町林道のラインがとても鮮明だった。
あの辺りはまだ廃道にならずに保っていた区間だと思うが、こうして見ると廃道も現役の道も余り区別が付かない。
そして、実際に通行しているとき以上に、トンデモナイ所を通る道だったのだと感じられる。




トンネルが狭いという他には、ここまで特に険しい印象はない。
しかし道の造りの古さは、こういう小刻みなアップダウンの多さにも現れている。
上って下っては小さい橋、また上って下って小さい橋というくり返しをしながら、直線的に北上していく。

そして集落水没の象徴的存在として守り育てられている「荘川桜」を過ぎたところで再び大字が変わり、「荘川町海上(かいじょう)」となる。
ここも集落なき大字。




道は尾根を回り込むように左へ折れ、今は御母衣湖に一体化しているが本来支流であった尾神川沿いに走り始める。
しかしそれも長く続かず、巨大な白いトラスが終止符を打つ。
対岸に見えるこの道の続きは、まるで川に鏡を立てたみたいな景色だった。




《現在地》

岩瀬橋から約4km地点に架かり、御母衣湖(尾上郷川)を渡る尾神橋。川名と橋名の字が違うが、共に「拝み」と同じ音。
命名の由来は知らないが、大昔は川沿いに白山を越え加賀国に至る隠し道があったと言うから、白山信仰とも関係ある地名かも知れない。
近代には林鉄が敷かれていた時期もあるが、大部分がダム湖底沈んだと思われ、まだ探索していない。

話が脱線してしまったが、この川が旧荘川村と白川村の境になっている。



たがか支流を渡る橋と侮る無かれ、この尾神橋こそが付け替え国道中の最長で最高。

全長315.7mと言う数字は、岩瀬橋より50m近く長いが、驚くべきは、この長さがひとかたまりのトラス橋であることだ。
途中に橋脚が2本あるが、そこでトラスは途切れていない。すなわち3径間連続のワーレントラスだ。
今まであまり意識したことはなかったが、こんなに長いトラスは珍しいのではないか。
そのためか鋼材の使用量も半端でなく、岩瀬橋の1.5倍近い763tに達している。

そんなに重厚長大な橋でありながら、2本しかない橋脚は岩瀬橋に増して華奢だ。
連続桁だからこの程度で済んでいるのだろうが、その分両岸橋台の負担はいかほどだ。

(それにしても、湖水が全部引いたらどんなに高いんだろう…見てみたい…)




道幅は岩瀬橋と同じ6mちょうどで、歩道無し。

外から見ると本当に一塊で一様に見えるトラスだが、実際には各橋脚上に橋門構があり、補強がなされていた。
しかしそれでも巨大なひとつのトラスであることに変わりはない。

なお、前後のトンネルが4m足らずの高さしかないなかで、トラスの極端な高さは無駄に見えるが、剛性を得るために必要なのだろう。
流石に鋼材の一本一本が極太で、迫力があった。

余談だが、2010年の「岐阜県橋梁点検マニュアル(←pdf)」を見ると、本橋のコンクリート橋板の裏側に多数のひび割れ発見されており、「抜け落ちそうな箇所がある」という所見とともに、5段階の橋の健全度評価中最低である「1評価(機能停止の恐れ」が下されているのだが…。もう修理終わってるんだよね? ね?




巨大な橋を渡り、白川村尾神に入る。
橋は前後の取り付きが共に直角カーブになっていて、現地にもその旨警告されている。

空中写真で見ると、本当に綺麗なダブル直角が!(→)





12:50 【現在地(マピオン)】

尾神橋を渡るとまもなく長いスノーシェッドが始まり、そのまま尾神1号隧道(全長100m)をくぐる。
それからまた少し走ると、この尾神2号隧道が現れる。

全長81mという長さも、外見的な特徴においても、“御母衣隧道群”の標準的な一本なのだが、その一部が廃止され、一部が現役である隧道群の“現役組代表”として、この隧道をやや詳細に紹介しておこう。

まず坑門の外見だが、前回紹介した岩瀬1号隧道とそっくりで、これが一連の隧道群に共通する外見なのである。
また一般的な坑門と比較して珍しいと思えるのは、扁額の部分の処理だ。
大きな窪みの内側に一文字ずつの文字タイルが埋め込まれている。これをツライチにしなかったのは、どのような理由からだろうか。




前述の通り、全長は81mということで短いのだが、出入り口に1つずつ照明が取り付けられている。
それでも中央部は灯りを付けないと壁が見えないくらいに暗かった。
しかも、その一番暗いところの5mほどが、鋼鉄の囲い(セントル)で補強されている。
そのため、ただでさえ低い余裕のない限界高が圧迫されているのである。

隧道群中、洞内にセントル補強があるのは、この一本だけだったと思う。 この周りだけは天井からボタボタ水も垂れているし、なんか状況が悪そうだ。

そう思って、さらに近付いてセントルを見たならば…







ギョッ!


これは…、大丈夫なの?

明らかにセントルの柱の1本が挫屈して折れているように見えるんだが…。

何故こんな風になったのか分からないが(地圧を支えるためのセントルではなく、地下水の浸出を抑えるためっぽいし)、現役の道路の一画とは思えない光景なのは確かだ。

先の尾神橋の“裏側”への不安といい、この尾神2号隧道内部の不気味さといい、国道156号が30年くらい前までトラックドライバーたちに陰口を叩かれていた“イチコロ国道”の再来とならなければいいのだが。




同隧道の北口。
ごく短い「尾神4洞門」と接続している。

…こんな、重箱の隅を突くような真似をして申し訳ないと思うが、ひとつ気がついてしまった。

この坑門に掲げられている黄色い注意書きは、

大型すれちがい 注意 」 である。

<まずこれをご記憶願いたい。




約10mほどの「尾神4洞門」の北口には、今度はこの注意書きが掲げられているのである。(→)

大型車 すれちがい不可

「注意」なの? 「不可」なの? どっちなの?

よく見ると、「不可」の文字は元の文字を隠して書き直されている。
おそらく当初は「注意」で統一されていたのだろうが、なにかをきっかけにより厳格な「不可」に切り替えられたようだ。

他にもこの坑門には、“矛盾”というほどではないが、無駄と思われるものがある。




これが同坑門全体像で、左の柱に例の看板が掲げられている。
それはもう良いんだが、上の丸く囲んだところにあるのは見覚えのある標識だ。
前回、岩瀬1号トンネルの手前に掲げられているのを見た。

同じものがここにもある。
それだけじゃなく、先ほど通り過ぎた尾神1号にもこれが掲げられていたのだ。

…これって、無駄じゃないか?

この区間内に脇道はないし、改めて標識を掲げる効用があるのだろうか。
見過ごして入り込んでしまったドライバー向けなのかなぁ。




そんな細々としたことにツッコミを入れていると、普段なら気付かないで通り過ぎていたかも知れない電話ボックスの存在に気付く。

長いトンネルの出入り口には今でも電話ボックスが残っているのを見ることがあるが、最近新たに設置されたという話は聞かないし、道路世界の絶滅危惧種のひとつであると思う。

そんなトンネル前の電話ボックスが、このわずか80mほどのトンネルに置かれているのは、かなり意外である。

思わず引きよせられた。


うお!

がらんとした電話ボックスの中に置かれていたのは、見慣れた公衆電話機ではなかった。
お金を入れる所もなければ、番号を入力するボタンもない。
公衆電話ではない。
文字通り、非常電話だった。
それも、磁石式(手回し式)の!

確かに非常電話は、受話器を上げるだけで緊急連絡先につながるようになっているのが普通だ。
この電話が普通でないのは、それが野外にあるということと、なにより今どき手回しハンドルがついていると言うところか。
操作してみたい衝動に駆られたが、もちろんやれば犯罪だ。
注意書きの文字が日焼けで消えてしまい、肝心の通話先が分からなくなっているし…。
(非常に丹念に読み取った結果、「高山警察署平瀬駐在所」と書かれている事が分かった…)




 御母衣湖に沿って南北を貫く国道156号は、往昔の白川街道以来白川郷の大動脈であり、また多くの歴史を秘め ロマンに満ちた道でもある。
 平成7年、白川郷合掌造り集落の世界文化遺産登録を機縁とする梶原拓知事の発案によりこの道を文化街道と命名することにした。
 四季折々の彩りに映えるこの街道が往還する旅人の心の原郷に通じる道となることを願ってやまない。

    2000年吉日
       白川村長 谷口 尚

国道156号は、愛称の多い道だ。
「飛越峡合掌ライン」、「桜街道」に「さくら道」、「白川街道」も通用する。
加えてこの「文化街道」というのがどれだけ浸透しているか分からないが、水没集落で最大だった秋町地区を望む丘に立てられた立派な碑だ。




秋町集落…。

この名前は、忘れがたい。

半日前の激戦地、そして敗北の地…。

あの尾根の下に、私を溺れさせた隧道が眠っていて…

それは、今も眠り続けている。


こうして見ると、さほど険しいとも思えぬ対岸の風景だが、人が跋渉するにはなお辛い。
己の無力が恨めしい、近くて遠い眺めだった。




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福島保木トンネルと福島谷


13:06 【現在地(マピオン)】

尾神橋からちょうど3km、岩瀬橋から数えると8km弱の地点で、ついに国道156号の旧道が姿を見せた。

分岐の交差点(旧道の入口には意外にも「通行止」ではなかった)からは、既に新旧それぞれのトンネルが見える。

それは、新と旧、近と遠、白と黒、明と暗、生と死…、あらゆる対比を体現しているかのようだった。

私はここで旧道に引き込まれるそうになるのをグッとこらえて、“昭和36年の結束”をはじめて乱した巨大な坑門へと近付いていった。

「まずは、お前からだ。」




目の前に現れたのは、何の変哲もない現代のトンネルだが…

「そうか。福島歩危 に入ったか。」

大字もここから「福島」に変わり、“飛騨国最嶮難”がこの辺りに沈んだことは間違いない。
そもそも、この新しいトンネルの名前が、
めっちゃ訴えて来てる!

「歩危」という、どう見繕っても交通に対してネガティブイメージしか持ち得ない字面を、木を保つ…緑の美しい山が目に浮かぶ…「保木」に書き換えたのは、通行人の動揺を抑える意味でもうまい計らいと思う。

だがこの書き換えは、道路関係者の機転というだけでは無さそうだ。
というのも、“白川村三大歩危”として恐れられた「福島歩危」「平瀬歩危」「内ヶ戸・下田歩危」のうち、平瀬歩危の隣にある集落(大字)が「保木脇」という。これは明治末の地形図にもある古い地名だ。

そんなことを気にしながら、全長1106mもあるらしい福島保木トンネルに入る。
竣功は1999年(平成11年)だから、旧道は“10年モノ”ということだ。




「歩危は遠くなりにけり。」

景色もなにも見えない真新しいトンネルは快適ではないが、とりあえず狭い歩道があるおかげで、これまでの隧道のように大型車に悩まされる事はない。
アレが縮み上がることも、もちろんない。

洞内には2箇所も方向転換可能な待避所が設けられていた。
非常電話も完備され(確かめていないが磁石式では無さそうだった)、明るい照明も、乾いた舗装も、“トンネルと隧道”というくらいの違いがあった。

むしろ交通量を考えれば、こういうトンネルだけが並んでいても不思議はない国道156号なのだが、最近白川村以南で東海北陸自動車道が並行するようになったので、今後大きな投資がされるかは分からない感じもする。





いやー。

トンネル楽勝だ〜。

歩道もあるし、楽しょ…





 ギョッ!→


あぶない!

自転車だとどうやっても頭(というか顔面まで)が接触してしまう高さに、電光掲示板が取り付けられていた。

幸い、明るい所にあるので見過ごして「ゴッツリ!」と言うことはないと思うが、予想外なので驚いた。

まあ、厳密に言うとここは“歩道”じゃなく、単なる排水溝の蓋(監査廊ということもある)でしかないわけだが。
というかそれ以前に、歩道は自転車で通っちゃいけないなわけ(例外あり)だが。
でも実際、幹線道路のトンネルでこの部分が自転車の通り道になっていることは多いわけで、管理者さんには出来るだけ配慮してもらえると嬉しいなと思う。せめて蛍光テープを貼って欲しい。 (盗人猛々しいな)





出口まもなく!

ここを出れば、「福島谷」だ。

そういう名前の沢が地形図に描かれている。

また、旧道との再合流地点でもある。


そして、

福島歩危の核心部だったところ。






13:12 《現在地》

福島谷は、国道より下流でダム湖に溺れている。

上流側は埋め立てられ、そこに「御母衣第2発電所」が建っている。

背後の山には「大白川ダム」から伸びてきた発電水路隧道があり、
余水が素堀の坑口から流れている姿が見えた。
一瞬なにか分からず、興奮してしまったのはここだけのナイショ!

そして前方左側、現道カーブの外側に、使われていないアスファルトの道路敷きがある。

これ、旧道の名残り。

右からぶつかってきた旧道は、勢い余って現道の外側まではみ出たあとに、ひとつに戻っていた。





ダムが出来る前の福島谷の姿を、現状から想像することは出来ない。

ここに国道はあるのに、上流へ遡る道は全くない。

背後の山は勝手に雪を被っているし、発電所の周囲にはまるで人間による開発を嫌がるように、崩壊した岩場ばかりが目立つ。


…なにを言いたいか。

ここは、冷たく恐ろしい感じのする谷である。





上写真の赤い矢印の所には…

もはや道の一部とは思えぬほどに風化した、しかし確実にコンクリート製と分かる橋台跡があった。

昭和36年に開通した当初は、旧道よりさらに30mほど上流まで行ってから、この福島谷を渡っていたらしい。

この道路跡のラインは冬枯れの山腹に確認できたので、目視に止めた。






福島谷の巨大なUカーブ。

この中心付近に立って前後を見晴らすと、国道156号を手にした気持ちになる。

左右対称みたいな洞門の列。


なにもかもくすんだ色の風景なのに、新道のトンネルだけが異質。






昭和の“歩危路”。

その入口の門は、長かった。