2008/7/2 9:22
ずみの窪の大崩落に巻き込まれ、旧旧道の跡形もなくなっていた区間は、200mも続いただろうか。
ようやく、高い法面の石垣と、意外なほど幅の広い道形が前方に現れた。
その端に立って見ると、まさに足元の瓦礫の山から道が忽然と現れるようであり、崩落の規模の大きさをまざまざと見せつけられる思いがする。
復活した路盤から見上げると、そこには石垣の上にさらにもう一段、高い石垣が見えた。
その基部は完全に崩壊し、向こう側が筒抜けになっている。
すべては緑光の中の風景。
まるで、物語の中の廃墟となった城を見ているような、幻想的な眺めだ。
これは、前に歩いた旧道なのだろうか?
いや、このような場所はなかったし、高さ的にも近すぎる気がする。
おそらく、この旧旧道を守るためだけに作られた多段の擁壁の一部なのだろう。
旧旧道を守った衛兵達の亡骸は、他にもあった。
先ほどの地点から100mほど進んだところで山手に目をやると、赤い鉄製の柵が続いているのが見えた。
しかし、見た感じは余りに華奢で、こんな物で崩れる土砂を防げるわけもないと思った。
雪崩さえ止められないだろう。
これは発生してしまった雪崩をどうこうする物ではなく、そもそも崩れないように押さえておくための落雪防止柵なのだろう。
いずれにしても、最近の道路では新設されているのを見ない形式だ。
ほぼ直線的な山腹に沿って、緩い直線的な下り坂が続く。
全体的に落石の巣のような場所で、廃止40年にして路上も太さ10cm近い木々が育っているが、このような場所では得てして種から芽吹いたというより、土ごと落ちてきた若木が根付いた物が多いのだろうと思う。
その場面を見たわけではないので断定は出来ないが、同じくらいの太さの木が路上に倒れて枯れている姿を多く見るにつけ、「こいつらは上手く移植されなかったんだな」と思った。
お。 だいぶ近づいてきたな。下の道(東電道路)。
あそこまで降りれば、ほとんど湖畔だ。
まもなく合流するのだろう。
相手は立入禁止の道なので、ちょっとドキドキしてきた。
行く手に、これまでになく高い石垣が見えてきた。
その上は、なぜか平に均されている。
何らかの施設の跡か?
まもなく、大白川発電所の建物がすぐ下に現れた。
旧道で見た鉄管水路はここへ真っ直ぐ下っていたのだ。
見たところ、辺りに鉄管水路が無いので、直前に見た高い石垣の中に埋められているのだと思う。
ちなみに大白川発電所は、梓川の第一次電源開発として、他の竜島や奈川渡などの発電所とともに、京浜電力が大正14年に建造したものである。
その後、第二次開発の安曇三ダムの建設にともなって、東京電力が管轄するサブ発電所となっている。昭和44年には水殿ダムによる水没を避けるため、建物が6mほど嵩上げされたそうだ。
現在は無人である。
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9:31
発電所の裏を過ぎ、さらに100mほど森の中を進むと、地図には無い道に突き当たった。
先ほど下に見えていた東電の舗装路ではない。
旧旧道を辿るには、右の道が正解である。
これで、旧道と旧旧道の全容がほぼ判明した。
地形に対する道の取り方としては、どちらも至って平凡である。
だが、一撃の下に2本の道を潰滅させた巨大な山腹破壊が、これらの道の踏破に刺々しいインパクトを与えていた。
そもそも、旧道が出来た翌年に発生した山腹破壊自体が、急な斜面に道を穿ちすぎた代償だったのではないかと思えてくる。
右の地図に描かれた道の密度は、どう見ても過密だ。
その後も人は懲りることなく、地下と谷底に2本も道を追加しているわけだが…。
右に進むと30mほどで今度は舗装路に突き当たった。
これが東電の管理道路である。
ここから先は、人に見つかりたくない場面だ(笑)。
このまま旧旧道の踏破を完遂したいものだが…。
さらに100mほど水殿ダム湖畔を上流へ進むと、行く手には十分狭くなった湖を渡る、赤い鉄橋が見えてきた。
だが、旧道はこの橋を渡らず、奈川渡ダムの堤体に呑み込まれる最後まで、ずっと右岸を通っていたはずである(古地図)。
これは一般道路ではないので、梓川本流を渡るかなり大きな橋であるにもかかわらず、地図に名前も載っていない。
銘板によれば、昭和40年の竣工で、建造は東京電力、そして橋の名前は「安曇橋」。
村名を堂々と冠した橋が、電力会社の専用道路にあることには少し違和感を憶えた。
そう言えば、昭和44年に完成した奈川渡ダムも、東電は最初「安曇ダム」と命名しようとしていたが、村の反対を受けて撤回した経緯があったような。
nagajis氏は案の定、早速橋へ行ってるし。
まあ、管理者に発見されない程度にじっくり観察してくださいね(笑)。
というわけで…。
目指す旧旧道は、こっち。
ガードレールでさり気なく塞がれているが、その奥には、藪に成り切れていない平場が続いている。
いよいよ、ずみの窪隧道脇での横穴発見から
芋づる式に廃道を辿った末の 【最終局面】
ワクワク……。
ガードレールを従えた1.5車線幅の土道は、荒くれた岩場を削って付けられた道だった。
初めから結構な勾配で湖面へと近づいていく。
ああッ! そっちに行ったらもう…!!
!!
約束された最期…。
9:38 【周辺地図(別ウィンドウ)】
黄河の風景を連想させる、流れの見えぬ褐色の川面。
これは、水殿ダムの最上流部である。
旧旧道は、有無をいわせずその中へ消えていた。
湖の対岸に見えるガードレールは、安曇発電所へ向かう東電の専用道路。
その奥で谷の屋根まで届こうとしている壁は、奈川渡ダムに他ならない。
二つのダムの形作る湖は、約160mの落差を有するコンクリートの巨大な壁を隔て、接している。
安曇三ダムでは、揚水式発電が行われている。
揚水式発電とは、夜間などの電力消費の少ない時間帯に、下部貯水池から上部貯水池へ水をくみ上げておき、電力消費のピーク時に発電するという水力発電の方式のことで、上流から下流に三つ並んだ奈川渡、水殿、稲核の3ダムでは、日本最大規模の揚水式発電(96万kW)が行われている。
そのため、日常の降雨とは関係なく、一日単位でも結構な水位の上下が発生しているという。
一方で上水には使われていないため、季節的な渇水があっても水位が異常に下がることは無い。
よって、この水没線の先へ大幅に歩を進められる場面は、ダムメンテナンスでもない限り…起こり得ないのかも知れない。
nagajis氏…
その形、めっちゃカワイイし(笑)。
確かに、彼が夢中で撮影しているこのガードレールは、とても味があるけれどね。(⇒)
彼が座っている所の向こう側は、水面の色こそ手前と変わらないけれど、一気に水深十数メートルとかあるに違いないんだよ。
ポテッ て、押してあげたくなっちゃう。
いい絵だ…。
水没の片洞門…。
nagajis氏が夢中で撮影していたのは、この景色だった。
独特の水の濁りと相俟って、水の圧迫感がすごい。
沈みゆくガードレールは、あの岩室の下に続いている。
昭和40年まで、上高地行きの乗客を満員に乗せたバスや、特産の木炭を関東方面へ運ぶ三輪トラックなど、梓川筋のあらゆる交通がここに集約していた。
我々は、しばしこの風景に魅入っていた。
私は奈川渡ダムの圧倒的な高さを目の当たりにして、その底に眠る旧道の圧倒的な闇と閉塞に思いを馳せた。
我が身がそこにあるかのような、締め付けられる思いがした。
9:48 《現在地》
大白川発電所そばのヘアピンカーブまで戻ってきた。
さっきはこの正面の旧旧道から出て来たが、今度は右の砂利道をそのまま進んでみる。
その方向には、高低差は70m近くもあるが、現在の国道が通っているはずである。
もしかしたら、すんなり戻れるかも知れない。
と思ったのだが、距離にして150m、高さにして20mほどを稼ぎ出した所で、道は行き止まりだった。
だだっ広い広場になっていて、一棟の作業場のような建物が建っていた。
人の気配はない。
車の通る音がする。
背後の急な山腹の中程を、国道が通過している。
戻るのは面倒なので、強引に山登りをすることにした。
何かで均したような、平板な斜面である。
ただし、傾斜はかなりきつい。四つ足で登っていく。
あっという間に息が上がり、汗が噴いてきた。
10:01
ひーふー言いながら、なんとか這い上がってきた。
国道の喧噪へ!
上手い具合に、チャリを置き去りにしていた「ずみの窪隧道」の高山側旧道入口は近かった。
国道を100mほど松本側に歩いただけで、辿り着くことが出来た。
本レポートの区間「水殿ダム〜奈川渡ダム」で予定していた廃道探索は、これで全て終了である。
皆さんもどうぞ肩の力を抜いて欲しい。
次回は、
私が愛する現役隧道群に もふもふ をするだけの回です。
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