国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム 第5回

公開日 2008. 9.26
探索日 2008. 7. 2

大白川隧道、2本


2008/7/2 10:06 【現在地(別ウィンドウ)】

旧国道の踏査は奈川渡ダムまでの旧国道は解明された。
残りは現道を走るだけだが、個人的にこの現道は是非とも「語りたい」風景に満ちている。

私は廃道が大好きだが、それにも増して好きなのが、老体に鞭打って現役を続行しているような道路たちなのである。
今回は、そんな風景をたっぷりと堪能していただきたい。

カラフルにペイントされた松本駅前行きの低公害バスが、朽ちかけた坑門から勢いよく飛び出してきた。
こういう風景に、まずグッと来るー!!




トンネルナンバー「3」、大白川1号隧道、全長50.0mである。
『道路トンネル大鑑』(土木通信社刊)巻末の「隧道リスト」には、昭和40年竣工、幅員5.5mとある。
しかし、なぜかリストでは「大白川第二隧道」と記載されており、これはリストの間違いなのだろう。

それにしても、汚れた坑門だ(←褒め言葉)
廃道にあっても何ら違和感をおぼえないだろう。





いかにも後付けされたらしいロックシェッドで、ナンバー「4」、大白川2号隧道、全長187mにつながっている。

我々チャリにとっての安息の時は、まだ遠い。
道は、さほどの勾配ではないが、ずっと上り坂になっている。
何度も何度も車に追い越されながら、騒音の中を肩身の狭い思いをしながら進んでいく。




まもなく隧道脱出。

この景色が印象に残っている。
トンネルを出た道が先で折り返し、谷を挟んだ右奥に、今度は逆方向となって登っている。
この辺りは、隧道や橋をアクロバチックに織り交ぜた三次元的な線形になっていて、走っていて楽しい。
これでもう少し隧道が広ければ悠々と走れるのだが、まあ、隧道に入るとその都度キモチが引き締まるというのも、交通安全の役に立っているのかも知れない。





小雪なぎ隧道から始まった4連の隧道連続地帯が終わった。

振り返ると、隧道に向けて2車線が「ぎゅっ」と絞られている姿が目に余った。

…ああ、目に余ったともよ。


ひどいなぁ この狭まり方!! イイヨイイヨーモットヤレ




大型車にとっての鬼門、大白川橋。

写真だと分かりづらいかも知れないが、このカーブはかなりきつい。
特に、中央部分が橋になっていて前後より狭いのが良くないのだろう。
この橋の前後でも、対向車が居る場合には大型車の一時停止が見られた。

この橋を渡って右に転回するカーブの外側に、砂利敷きの狭い空き地があり、その奥に…




3m近い丈をもった大きな慰霊碑がある。

表面には「霊魂慰霊碑」とはっきり刻まれており、楽しい国道に浮かれていた我々も、気持ちを引き締めさせられた。
碑の建立年や由緒書きが見当たらないので、どのような謂われをもった碑なのかは分からないが、通常の道路沿いにある慰霊碑としてはかなり巨大なものだ。
まさに眼前の急カーブは、「魔のカーブ」と呼ばれる素質を十分に秘めている。
皆様、くれぐれも安全運転を…。
なお、安曇三ダム建設における死傷者は合計で99名、うち奈川渡ダム関連では75人もの死傷者が出ているという。



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イチバンお気に入りの隧道、現る!


10:13

来た。俺のイチオシ!

国道158号の水殿ダム〜沢渡までの区間には、全部で11本の隧道がある。
すべてダム関連の国道付け替え工事で作られたものだが、次の隧道が、その中でもイチバンの個性派だ。
人によっては、この景色を見ただけで、「ああ、上高地へ来たな」と感じるだろう。

このレポートも、この隧道が最終地点だ。
これを抜ければ、そこに奈川渡ダムの絶景が待っている。




なんで入口が直角カーブなんだよ!!

と、いきなりツッコミを入れるのは、お約束だろう。

直前まで、路側帯を合わせて幅13mくらいある2車線路が、直角カーブでいきなり巾5.5mに絞られる。

アホや。絶対アホや。(←最大の褒め言葉)

曲がった途端、大型バスが微妙に中央線をはみ出しながら真っ正面に居るなんて事は、日常茶飯事である。
(なんと言っても、我々二人は2日間の国道158号関連探索中、この道を4往復くらいしているので、知っているのである…笑)




そして、なんと言ってもこのトンネルの最大の特徴にして、一連の隧道群の象徴たらしめている物は、これ。
この標識が示している事である。

すなわち、隧道内分岐!

ありのままを包み隠さず語る青看が、大好きだ!  かじり付きたい!!
「(トンネル内分岐)」っていう括弧書きと、ちゃんとトンネルに見えるように工夫されたラインが秀逸!

そして、縁の下の力持ち。
宇宙ステーションのようなサイバーな雰囲気を醸し出している銀の支柱が、最高にカッコイイ!!




なお、この直角カーブの外側という、本来ならば大変に目立つはずの場所に、えらく目立たない“隠しトンネル”がある。

この写真は少し明度を増やしているので見易いが、普段は日影になっていて気付きづらい。
ここを何度も通っているという人でも、存在を知らなかったひとも少なくないと思う。


…塞がれたトンネル…。

捨て置くわけにはいかない。


背丈よりも幾分低いような、極小断面のトンネル。
コンクリート製の坑門はなかなか凝っていて、扁額が取り付けられるべき凹みもある。
また、この写真だと分からないが、真っ正面に立つと出口も20mほど先に見えている。

しかし、残念ながら立ち入るすべはなさそうだ。
完全に鉄柵で蓋をされたうえ、鍵も掛かっているからだ。
この雰囲気を見る限り、ダム関連の作業道路か。

地形図には、この先にももう一本隧道が描かれており、形だけ見ると旧国道の様に見えなくもないので気になる存在ではあったのだが…。仕方がない。 今回は諦めよう…。

→ 「入ろうと足掻いた記録とその結果」編






というわけで…。

ダム前最後の隧道… その名も…


にゅうやま

入山隧道へと、入ろう。

トンネルナンバー「5」、昭和41年竣工、入山隧道、全長371.8m。




それにしても、なんてカワイイ隧道名なんでしょう!!!
入山と書いて、「いりやま」だったらどこにでも有りそうな名前。
でも、敢えて「にゅうやま」。
この隧道に出会った当時、小学生だった私は学校で「ニュウ」とあだ名されていたので、なおさら親近感を持ったものだった。
秋田への引っ越しがなければ、「ニュウの山に行かないか?」なんていうサイト名になっていたかも知れないのだ。「山いが」も。

真面目に考察すると、この隧道の上には今も「入山(にゅうやま)」という集落がある。
字面からすれば、ここが梓川の麓山と奥山を隔てる関門だから、という風に考えられる地名だが、それなら「いりやま」で良かったはずだ。
この個性的な音は、「丹生(にゅう)」がとれる山ということに由来しているようにも思われる。
丹生とは、陶器の材料となるような粘土のことだ。辰砂という水銀鉱物の別名で、朱の原料として古代の祭祀に用いられたものである。
…真相は分からないが。


再び、何度でも口に出して読みたくなる隧道名であることは確かだ。

さあ、皆さんもご一緒に。 にゅうやま にゅうやま… にゅうーやま。

nagajis: にゅうやま にゅ〜やま にうやま。





そしてお楽しみの内部へ



有名な洞内分岐のある入山隧道


10:20

ぐわー!
中に入った途端、クルマ達の
 大 洪 水!

隧道は罠だったのか?!

本当に生きた心地がしない。
ダンプとバスを先頭にした車列が出入り口から同時に大量に攻めてくるのだけは、勘弁してください(泣)




ふーーっ。

なんとかやり過ごした…。
これで、ようやく「にゅう」とのデートが楽しめる。


既に、真っ正面に出口の光が見えている。
しかし、坑口には全長371mと書いてあったが、それにしてはちょっと遠すぎる気がする。

早くも、洞内分岐の怪しい予感がしてきたぞ…。


 ワクワク…。




キターー!
DO-NAI-BUN-KI!!!


いい!!

この洞内分岐、すごくいい!!

ここでは、右に曲がっていくのが国道158号で、直進は県道26号奈川木祖線(この道は、起点が隧道内!)。
大部分の交通量は、ここをウィンカーも点灯させず右に曲がっていく。
坑口に表示されていた「371m」という全長も、右折した場合の出口までの距離である。


ちなみに、直進の県道は一方通行になっていて、此方側からしか進入できない。
だから、交通の流れは非常にスムースだ。




これは右坑の国道側から振り返った分岐部。

幅5.5mという2車線ぎりぎりの隧道が、分岐を頂点にして屈曲している。
見通しは最悪だ。





おそらくここは、都会にあるものを除けば日本で一番通行量の多い隧道内分岐なのではないか。
東京から上高地へ向かう交通量は年間100万台を超えるし、毎日何十往復ものバスが往来している。
関東と北陸地方を結ぶ最短路として、大型車の通行量も非常に多い。

その大交通の洞内分岐を、たった一人でガイドし続ける青看は、内照方式の小振りなものだ。
これ以上大きいと、ただでさえ余裕のない隧道の内空を支障することになる。
シンプルだが、必要充分な内容を備えてもいる。

埃にまみれたその姿に一礼したところで、再び隧道内に爆音が進入してきた。
その爆音から高確率で逃れられる方向へと、我々はチャリをこぎ出した。




案の定、車は国道の方へ曲がったらしい。
轟音はある一点を頂点にして、急激に減衰へ向かっていった。

直進の隧道は、それまでと同じ幅を持ちながら一方通行一車線であるから、幅員に余裕がある。
また、道間違いを防ぐために意図的にそうしているものなのか、照明も数が少なくより闇が濃い。
そのために、妙にがらんとした印象を受ける。
200mほどで、まばゆい陽光が満ちあふれた出口へ近づいた。
入洞したのと同じ隧道だとはとても思われない、静かな出口だ。




この直進した先の隧道を、「新入山トンネル」と呼ぶことを、隧道内の非常装置に備え付けられたプレートから、初めて知った。
特に新しいという印象は外見から受けないが、名前は嘘をつかないだろう。
この直進部分の隧道は、「隧道リスト」に昭和41年竣工とされている入山隧道よりも後から開通したのだろう。




入山隧道と新入山隧道の関係は、左の図のようになっているわけだ。

だが、この新旧の配置には不自然さがあることに気づく。

県道26号との分岐のためだけに、わざわざ本坑よりも長い直進の隧道を追加したのだろうか。

現在も県道の上り線がそうしているように、ダム堤体脇の丁字路で分岐すれば、それで十分ではなかっただろうか。

そしてこの疑念は、奈川渡ダムに眠る、“もう一つの廃道”の存在を示唆していた。





次回最終回。
三つ口の隧道に秘められた、巨大土木事業の年輪。