国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム 最終回

公開日 2008. 9.27
探索日 2008. 7. 2

隧道を出ると、そこは


2008/7/2 10:23 【現在地(別ウィンドウ)】

この「新入山トンネル」だが、

実は「しんにゅうやま」ではなく、

「にゅうにゅうやま トンネル」と呼ぶ。





…と、読者の一人がコメントを下さった(大笑) ←座布団全部上げます。


動と静。

1面2相を一洞に宿した入山隧道。

いま、県道に供された「静」の坑口より脱出なる。

そこにあるものは、我々と、皆様のご想像通り……。






信濃川水系最大の湖、 梓湖(あずさこ)だ。

奈川渡ダムによって貯留された水の総量は1億2300万立方メートルもあり、これは同じ長野県の諏訪湖の2倍の容量である。(アーチダムとしては、全国6位の貯水量)

こうして目前にすると、確かに巨大だ。
しかし、この湖の膨大な水量は湖面の大きさより、その深さによるところが大きい。
沈んでいる谷の深さは、このダム堤体付近で湖面から数えて120mを超えている。

湖の平面形は平仮名の「く」の字を逆さにした形で、ダムはその頂点にある。
向かって左の腕が奈川で、沿う道は境峠を越えて木祖村(県道26号)や、野麦峠を超えて飛騨高山方面(県道39号)へと通じる。
右の腕は梓川の本流で、沿うのは国道158号。安房峠を頂点に飛騨方面へ通じる。
いずれの腕も、上流5km以上にわたって細く長く、そして深い湖水を連ねている。




前回の最後に、「未発見の廃道」を匂わせる記述をしたが、その謎解きは取りあえず後回しにして、少し周辺を確かめてみよう。
その中にも、いろいろとこの「入山隧道」の過去を思わせるものがある。

新入山の西側坑口から出ると、湖面を望む丁字路になっている。
左折方向にも、私にとって思い出の深い“オイシイ隧道”たちが並んでいるが、今回は右折だ。
こちら側も、国道158号と合流するまでの約150mが県道26号に指定されている。




新入山隧道の坑口前の様子。

左写真は、木祖側から坑口へ接近した際に目にする青看。右折して隧道へ侵入することは出来ないことが、シンプルに表現されている。
遠方に見える建物は、道路左がレストハウス、右が「梓川テプコ館」という東電のPR施設だ。

そして、昭和40年代らしくシンプルな作りの坑門。
こちら側からは進入出来ないので、お馴染みの「トンネルナンバーのプレート」も取り付けられてはいない。
代わりに、進入禁止の規制標識がある。(補助標識は「自動車・原付」とあるので、チャリや歩行者は進入可能…オススメしないが)

なお、銘板は「入山隧道」で、「新」とは付いていない。




これも気になる存在だ。

なぜここに、信号が必要なの?

今ではもう見ることの少ない内照式のトンネル情報板と、(おそらく赤色点滅)信号機。

この隧道が、生まれたときからずっと一方通行であったのならば、必要のない装備である。
そして、既に使われなくなって久しいこの様子を見る限り、相当昔には相互通行の時代があったのだと考えねばなるまい。

未知の廃道が、見えてきたような??


ちなみにこれは私の記憶だが、20年ほど前、この新入山隧道は全面通行止めであったと思う。
隧道内分岐とこの坑門の前に簡単な障害物が置かれ、照明も消されていて、そこに空虚な闇が満ちていた憶えがあるのだが。
てっきりダム施設の一部か何かで通行させていないのだと、毎年通る度に思っていた。



新入山隧道の坑口前を離れ、国道158号との交差点へ向かう。

もとより山腹の急傾斜地であるため、観光施設があるわりに駐車スペースは少ない。

予告の青看に並んだ錚々たる地名を見て欲しい。
これから現れる交差点の、国土交通上の重要度を十二分に感じさせるだろう。




そして、これが県道26号のもう一つの起点。国道158号との交差点だ。

正面はテプコ館。
かつては梓川一帯の発電所を遠隔操作する東電の重要施設、「梓川自動制御所」が入っていた建物だ。
現在は制御所が下流の波田町に移転したので、空いた建物が東電のPR施設として使われている。

県道側一時停止の、信号なし丁字路交差点。
右にはコンクリートの壁面と山、左には“空”しか無さそうな立地だが、そこにいずれも国道が通じている。
国道の車窓からだとあっという間の風景だが、こうして足を止めてみると、人の成し遂げた土木事業の壮大さが実感できる。




もの凄い圧迫感のある入山隧道の高山側坑口。
山ではなく、コンクリートの壁に穿たれた隧道だ。
目を引くのは、なぜか残された白看だ。
状態も良く、未だ交通の便に供されている。

近づいてみると、坑門は垂直の壁ではなく、やや傾斜している。
取り付けられたトンネル情報板も、ちゃんと電光掲示式の最新式に更新されている。
「ナンバープレート」もある。(全長371.8m表示)
銘板は、やはり「入山隧道」の表示だ。


これにて、入山隧道の3つの坑門を確かめた。
やはり印象深いのは、新入山隧道の「さほど新しく見えない坑門」である。
あの旧式の情報板は、絶対に何か秘密を握っていると思う。




丁字路の反対側は、ドライバーにとっては隧道内分岐と並んで非常に印象深い景色だ。
この景色をもって飛騨への旅を実感する人も多いと思う。

全長355.5mもある奈川渡ダムの天端(てんば)を駆け抜ける国道の姿。
アーチダムゆえ、道は壮大な弓形カーブを描いている。
そして対岸に達した道は、またしても90度近い急カーブを経て次なる隧道、その名も「奈川渡隧道」の長き闇へ吸い込まれている。

入山隧道、奈川渡ダム天端道、奈川渡隧道。
この一連の風景は、人が本来の地形を無視して作り上げた、完全人造道路の風景。
国土交通省が国土整備の方針として掲げる「自然との調和」とは対極にある道路だが、私の大好きな光景だ。




ひゃっほー!

落差158m、全国第3位の高さをもつアーチダムも凄い(1億2300万パワーを抑えている!!)が、それ以上に目を引くのは…

右岸スゲッ!
スゲーーー!

なんか昔のアクションゲームの平面的なステージを立体的に見れば、こんな風な景色なんだろうか。

木々が無いと、山腹がいかに急であるのかが一目瞭然である。
ダム下流の両岸とも、300mほど先までこうやってガッチガチの地盤改良がなされている。
これが、膨大な水圧に抗するダムの基礎体力となっているのだ。
多くの殉職者が出た難工事であった。




ダム天端の中央あたりから見下ろす下流の風景。

この黄土色の水面は、見覚えのある色。水殿ダムの湖だ。
写真ではギリギリ見えないが、あの旧国道の水没地点は、左手前の出っ張った山稜の裏側にあたる。
旧国道は、湖面に沈んだままダム堤体に突き当たり、さらに「水深の上乗せ」を食らっているのだから、無惨だ。

現在の国道は、右の山腹に5本の隧道を連ねて通っている。
所々、僅かな明かり区間が線となって、山腹に浮き出して見える。

下流に向け、川を挟む稜線が徐々に低くなっていく様子が手に取るように分かる。
遠くには空と雲しか見えないが、そこには日本最大の内陸平野である松本平の広大さを感じさせる。
緩急の激しい日本の国土、そこにある交通、発電、土地利用の有様を一望できる、すばらしい景観だと思う。
いくら見ていても飽きない。



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入山隧道、新旧逆転のからくり


左の地図を見て欲しい。

入山隧道の新旧が、前の地図とは入れ替わっている。
実は、これが竣工の順序から新旧を名付けた場合の正解である。

『隧道リスト』には、昭和41年竣工、全長488mという「入山隧道」が記載されているが、湖底に沈む旧国道に代わって最初に開通したこの入山隧道は、図中に赤で示した真っ直ぐの隧道のことである。
つまり、現在は県道26号の「新入山トンネル」とされている隧道は、国道158号として相互通行がなされていた時期があったのだ。(←情報板の正体が判明)

奈川渡ダムの堤体のカーブと、それに繋がる入山隧道のカーブが、一連の形状をしている事に注目したい。
昭和43年に奈川渡ダムの工事が最終段階に近づき湛水が開始されるため、その時点で2度目の国道の付け替えが行われた。
これがダムの天端を通り、そのままのカーブで従来の入山隧道の途中に接続する、新しい入山隧道であった。
何と驚くべき事だが、隧道は最初から3つの坑口をもって生まれたのではなく、現役の国道隧道に新しい隧道を接続するという、普通に考えれば無茶な工事が、隧道の通行を維持したまま行われたらしい。

ともかく、現在「新入山トンネル」とされている部分こそが、現在の入山隧道より2年ほど早くから存在していた。
そして、この僅かな期間だけであるが、確かに国道だったのだ。
今の新旧の名付けは、あくまでも事実と異なる便宜的なものであると見なければならない。




「未知の廃道」が、まだ出てないよ?


そうだ。

だが、勘の良い方ならば、もう気づかれたかもしれない。



考えてみて欲しい。


昭和41〜43年のあいだ、
入山隧道を出た道は、まだ存在しなかった奈川渡ダムの天端道を通れないわけだが、

どうやって梓川の上流へ向かっていたのか。




この3年弱だけ使われた、臨時の国道が存在した。

左図でピンク色の破線で示したルートである。(ただし、湖底の区間は推定)

このような湖底と湖上を結ぶ連絡路を介して、昭和43年に現道が開通してダムの湛水が開始されるまで、梓川の谷底に寄り添う旧道が使われていたのである。


このレポートで最後に取り上げる廃道とは、この「臨時ルート」の湖面上の区間のことである。





アクセス困難! 見るだけ廃道で勘弁!!


2008/9/8 16:43

nagajis氏と行った初回の探索では、洞内分岐やダムの壮大な風景への興奮の余り、この「からくり」に気付かなかった。
よって、ここでは9月に単独で行った「第二次梓川探索」の模様をお伝えしたい。


写真は、夕暮れ迫る“旧”入山隧道坑口。

今は脇役に徹しているこの県道側の隧道が、洞内分岐の直進側である事にも、歴史の真実が隠されていたのである。

ことさら断面が小さく見えるが、車で溢れている国道側の断面と代わるところはないはずだ。

昭和41〜43年の臨時の国道は、この隧道を出てから、そのまま手前に進んでいた。
この分岐からダム側が一般道として開放されたのも昭和43年だ。




後ろ向きの写真ばかりで申し訳ない(笑)。

現在の県道26号を、木祖側へ南下すること約100m。
この間も、臨時の国道と重なっているルートだ。

ちなみに、この日は7月の探索時よりも水位が10mくらい下がっていた。



そして、このカーブミラー。

何の変哲もないこの場所が、臨時の国道と、付け替えられた県道26号の分岐地点であった。
両者は併存した時期のない道だが。

残念ながら、このカーブミラーからガードレールの外を見ても、特に道の痕跡は残っていない。
湖面へ落ち込む道の痕跡が現れるのは、もう少し先だ。




またも…、反対向き。

探索の方向がバレそうだな(笑)。


ともかく、この写真左半分のブッシュが、3年弱使われた国道である。
よく見ると、確かに路盤だったらしく平らになっている。
しかし、アクセスするためにはコンクリートの擁壁が邪魔をしており、カーブミラーの辺りから歩こうとするならば、距離はさほどでもないが、極めて深いブッシュと格闘しなければならないだろう。




県道は上っているし、臨時国道は急速に湖面へ落ち込んでいくしで、あっという間に両者の比高は拡大した。

そして、いよいよ喫水域まで下降した臨時国道が、藪から解放されて鮮明化した。
それは、燃え尽きる寸前の炎が、ことさら明るいのと似ている。

ここからも、はっきりと路肩の駒止の列が見えている。
しかし残念ながら、歩こうと思えばどうにかなりそうだと思えるのはここまでだ。
写真左側には、あるべき路盤が…。








!!



喫水線に浮沈する廃道は、荒廃を極めている。

鋭い岸壁にへばり付くような路肩の壁が、まるで西洋の廃城か要塞のようだ。
スーパーマリオブラザーズの8−3の背景にも似ている。

もの凄くそそられる風景だが、あそこへ降り立つリスクはとても大きい。
今回は時間的な都合もあり、見送った。 (ぶっちゃけ、後悔している…笑)





おおおおお…。

  恐ろしい…。



褐色の水面へ落ち込んでいく部分は、完全に瓦礫の山と一体化し、何世紀も昔の砂漠の遺跡を彷彿とさせるムードになっている。

かつての河床まで、さらに50m以上も下っていく筈だが、どこかで切り返しているのだろう。
この先のルートは全く窺い知ることは出来ないし、歴代の地形図にも描かれたことはないようだ。

この湖の底は、我々が想像するような静寂の世界では無いらしい。
崩れやすい地盤と断崖、発電による小刻みな水位の上下に影響され、ひとときも休まず崩壊が進んでいるのだと思われる。
正直、40年そこいらの水没で、これほどまで国道が姿を変えるとは思わなかった。


写真左上のトンネルは、最近開通したばかりの県道26号のトンネルだ。
廃なる路盤の上にそそり立つ、白亜の大路盤。
同じ道の新旧だが、その隔絶は経過した時間より遙かに大きい。







ん?


 なんだあれは??






あれは…もしや


 道路標識のような…?






キター!

へにゃへにゃになった道路標識だ!!!


し、しかもこのデザインって…。

なんか、白看ではないけれど、見慣れた青看とも違う矢印の描き方だ。

とりあえず、「高山」「上高地」「乗鞍」の文字が確認できる。
併記されているのは、距離か、はたまたローマ字か。
近くで確認したいが、今後の課題と言うことにさせてもらおう。

いや…

場所が場所だけに、頑張っても近づけるかは分からないが…。




梓湖の片腕であるこの奈川の上流にも、湖底に沈んだ旧県道が続いている。
いずれ、上流側の水没地点を確かめる必要があるだろう。


これにて、水殿ダム〜奈川渡ダムまでの国道158号および、その旧道、旧旧道のレポートは完了だ。

しかし、梓湖を巡る隧道と廃道のラビリンスは、まだ始まったばかり。


次のレポートを、マッテテネ!