5:09 【現在地】
歳時記橋から只見川下流方向を見渡すと、夏場以外であれば、右岸を這うように続く道の姿を、見ることが出来る。
もっと通りやすい場所は無かったのか。明治の道路技師の観察眼を思わず疑いたくなる。
散々荒れていると言うことは、TUKA氏の調査で把握しているが、果たしてこの全線を突破することは出来るだろうか。
また、近年ここを通り抜けた人は、いるのだろうか。
慣れない土地故、何も知らない状態でのチャレンジとなる。
旧道への入り口は、少し分かりにくい場所にある。
歳時記橋の袂から自然に分かれるのではなく、その少し上流側より川側へ下る細道があり、そこがかつての国道敷きである。
写真はその入り口を示す。(左の斜面に寸断されたアスファルトが、旧道だ)
旧道へ下りてすぐ振り返ると、そこにはヨレヨレになった道路標識が立っている。
まだ辛うじて青色の下地と、雷のような二本のギザギザ線が見て取れる。
これは「警笛ならせ」の標識らしい。
もしかしたら、本来の向きとは逆になってしまっているかも知れない。(この方向の見通しはよいし、向かって右側に立っているので)
歳時記橋の橋台は、旧道を通すための暗渠を一体化した構造となっており、ここをくぐって進む。
なお、歳時記橋の竣工は平成5年のことであり、その頃には既に旧道は通行不能だったろう。
もっともこのような道であっても、公図上でいまも道となっていたりすれば、念のため余地を残すことは普通である。
ドーン と来たね!
トンネルをくぐると同時に、もうそこは廃道最前線。
もともと未舗装だったことが良くなかったのだろう。
既に山菜伸び放題、取り放題の、草藪廃道1ヶ月前の状況となっている。
まずはペコちゃんに通せんぼされるが、これを軽やかにスルーする。
はい!二発目!
路面に打ち込まれた、通行止の標識。
しかし、肝心の柵やゲートは見あたりません。
でもよく考えたら、ここには不要だな。
だって、見た感じヤバイもの。
これじゃ、マニア以外は入っていかないって。
まあ、マニアだったら柵があっても乗り越えちまうしな。
柵無し、標識のみ、荒れ放題を見せる。 コレ最強。
路肩には、累代の道にまつわる遺物が存在。
まずは見慣れたガードレール。
そしてその外側には、いまでは道路構造物としては滅多に使われなくなった、コンクリート支柱のガードパイプ、その支柱だけ。
しかし、ほんと道幅ギリギリの所に作ってやがる。
雨の日とか、路肩が弱っていそうなときには、絶対に寄りたくない端だな。
かなり無理して拡幅したのだろう、往時の道幅は6mくらいもあったようだ。
まだ歳時記橋から100mかそこらしか来ていないが、既に廃道のまっただ中。
そして、不吉な感じに下ってきている。
駒啼瀬という険しい峠を越える道を作ろうという時に、敢えて谷底へ下って道を得ようとした明治の道路技師は、なかなか挑戦的だ。
今日ならば何のひねりもなく、トンネルバーンで終わったろう。
この先、次の集落である檜原までは、おおよそ1.5kmほどある。
最初からこの状態だというのは、かなり本気。
そうそう。
皆様にとっては。べつにどうでも良いことだろうけれど…。
あの……
あのね…
ボク…
チャリ
連れて来ちゃったー!
後悔したさ。
すぐに後悔した。
でも、気づいたときにはもう遅かった。
入り口から200mも来ると、既に路面に平坦な部分など完全に失われ、落石や土砂崩れ、そして路肩の墜落によって生じた、狭くて斜めで、しかも湿気っていて、土っぽくて、良く滑りおる。
いと、いといと恐ろしい廃道が、現物として出現していたのだ。
さらに悪いことには、容易にチャリを置き去りに出来ない、事情がある。
拘りという、 よく分からない事情が!
あわわわわ
わわわわ
最近は、ちょっとばかり安全圏に身を置いていたつもりなのに(笑)、
気が付きゃ今日も、
命がけ。
私を誘う、本当ならばあってはならない、良くない踏跡。
いつもお前に騙される。
また俺、こんな所に登ってしまったら…
登ってしまったら…
俺…
こえうえうえうえー…
この水の色はさ、思い出すじゃんかよ。
ヤメテケレってば…、マジで。
玉川思い出すじゃん。溺れかけたあの水を。
しかも、足元滑るものここ。
チャリ邪魔だって。チャリ俺にのしかかってくるなって。
頼むからー。
久
々
の
本
気
ス
テ
|
ジ
出
現
!!