国道252号旧道 駒啼瀬  第2回

所在地 福島県大沼郡三島町
公開日 2007.6. 8
探索日 2007.5. 7

山菜仙人の苛烈廃道

役目を終えた国道の末路 


平成19年5月7日 午前5時13分 

 通行止め標識の奥へ分け入って、4分を経過。
早くも廃道は、私の突破能力の限界さえ感じさせる状況へと転じていた。
単身であるならば、まだ良かったに違いない。
だが、安易に連れ込んでしまった我がチャリは、10kg近いただの重しと化していた。
いや、もはや枷と言うべきか。

だが、どんなに険しい斜面にも、一本の踏み跡が続いていた。
そのことが私を勇気づけたし、同時に挑発もした。
軟らかい土に刻まれた踏み跡は、真新しく見えた。

まさかそれが人外の何かという筈もなく、誰かがこれほどの廃道に、ごく最近立ち入っているのだ。
私の引き返さなければならぬ理由は、どこにも見いだせなかった。




 道路を完全に埋め尽くした土砂の山を、慎重に慎重に、重心を限りなく低くして越えた。
無事に突破したとき、私の額にはたっぷりの汗が。

 いまの崩壊によって一見さんを完全に排除したらしい旧道。(写真右)
再び今のような崩壊地が現れないことを祈るばかりだ。



すべらかな岩盤を、清い水が落ちている。


 だが、そこは法面だ!

上の方は高すぎて見通せぬ。

この手も足も出ない山のてっぺんに、江戸時代までの街道は眠っている。
また、この山の地下には、現在の国道が何食わぬ顔をして潜んでいる。


 ←画像にカーソルを合わせると、  アレッ?




 法面を伝って落ちる滝の流れは、小さな人工的な滝壺に落とされ、そこからか細い暗渠が道路の下に通じていた。
そして水は、直接只見川へと落とされていた。

何ともダイナミックな道である。
今は水も少ないからいいが、大雨の日とか雪解けの時期などは、この滝の飛沫が道行く車に降り注がなかったわけがない。
そして、冬はどうなっていた?!
言っておくが、ここは幹線も幹線。只見地区にとって絶対に欠かせないライフラインであるから、昔から冬期閉鎖などはなかった。

見てなくとも、想像は付く。
春先、少し寒さの緩んだ日の翌朝など通ろうものなら、この路面は一面のスケートリンク&氷柱の竃のようになっていたに違いない。


 …見てみたかった…。






 もはや、車道の姿を殆どとどめていない旧国道。

三十数年の月日は、ここまで人の営為を、無に帰せしむるのか。

廃止直後の、おそらく現役当時とそう違わない写真を、ここのページの一番下で見ると良い。

…皆が思っているほど、しょぼい道ではなかった。

ここには、未舗装ではあったがまっとうな国道が、通っていた。





 なんか、穴あるんすけど…。



  …ただの影だよネ。




 5:20

 前方に、生々しい“白”を発見。
それに、大きな滝が近づいてきた。
この滝の音は、結構遠くから聞こえていたし、その姿は歳時記橋の上からも見えていた。

 そう、今は ここ!



ザーーーー

 今度の滝はだらしがなかった。


   ザーーー

 道路の下をくぐる等という細工はなく、直接道の上へ流れ込んでいた。
滝の受け皿のあたりには、なにやら角の取れきったコンクリートの構造物が埋もれているようだが、それが何であるかは、もう知りようもない。



 路面を叩く大量の水は、そのまま只見川へ流されるのを潔しとせず、20mほど道路上を川となって流れていた。
これによる路面の被害は甚大であり、すっかり深さ40cmほどが削り取られている。

私はこの水流の底に、荒いコンクリートのようなものがたくさん沈んでいるのを発見。
いや、よく見るとそれは、舗装と言っても差し支えないだろう、コンクリの路盤のようであった。
或いは、半ば滝に打たれることを宿命づけられていたとも言えるこの場所だけ、砂利舗装の下にコンクリートの耐水層が仕込まれていたのだろうか。
それとも、現在路面に積もっている40cmの土砂の全てが、舗装の上に積もった“厚化粧”だというのか。




 道を散々蹂躙した水流は、ようやく飽きて、河へと落ちていった。

この滝が、歳時記橋の上から鮮明に見えていたのだ。
ようやく、300mほど来ただろうか。
しかしそこから逆算すれば、出口まではなお1kmを優に越える長程がある。

 それにしても…

相当量の水が、あの真っ青な水面を打つべく落ちているというのに、果たしてその水面の姿はどうだ。
ほんの少しの波紋さえ立っていない。
そんなことまで、私には恐怖のように思えてくる。

まるで… 私が墜落して、特大サイズの波紋を広げる。
その一瞬間を固唾をのんで待ち受けているかのような、そんな気持ち悪さ。

 …柴崎橋と全く一緒だ。



 本来の路面が、本当に40cmも地中深く埋もれている可能性がある。

だってこのガードレールを見てよ。

ここは別に路面が盛り上がっているわけでもなく、普通の平坦な場所。
このガードレールさえなければ、ここが元々の路面の高さだと思って疑わないだろう。
確かに車が走るには全く適さない土の路面ではあるが、よもやガードレールの嵩と同じだけ、それが層を成していようとは思わない。

だが、あらゆる崩土を独りで受け止め続けたこの道には、現在、常識外の堆積が起きている可能性がある!



…。



 …すごい旧道だ。



私の前で、河が流れの向きを緩やかに変えている。
そして、これまで見えなかった川の向こうの景色が、見えた。

薄れゆく川霧のなかに、谷を跨ぐ影が浮かび上がってきた。




 それは現役の鉄道の橋である。
日本有数の秘境路線であるJR只見線が誇る、第一只見川橋梁の勇姿だ。


 それは同時に、この廃道の終わりを示す目印でもある。


終わりは見えたのだ。

私の安堵は決して小さくなかった。





 だが、ひとたび振り返れば、直前の安堵も溜息へと変わる。

まだ、これっぽっちしか、来ていないのだ。


これだけなのに…

経過した時間以上の疲労を感じる。



 わたしはここで、人に遭遇したのだ。
ここまで私を誘ってきた、確かな踏み跡。
それは、勘違いなんかじゃなく、本当に、ついさっき付けられたものだったのだ。
日が明ける前からこの山へ分け入り、袋一杯に山菜を集める飄々とした姿は、プロそのものだった。 “山菜職人”。

そして、プロとは得てして気むずかしく、仕事のテリトリを大切にするものだ。

私はとっさに思った。
この遭遇劇、長引かせると不利になる!

長年のオブローダー生活で培われて(しまった)、廃道内にて他人との遭遇を極端に恐れるという、“悲しき性”。

だが、その心配は杞憂に終わった。

互いの領分を弁え、ここは挨拶だけの軽やかスルー。





やば!

 これはヤバイな。
絶対にチャリが引っかかる。

慌てていたもんで、谷底の方を向いて写真を撮らなかったのだが、いかにも滑りやすそうなこの土の斜面でもし滑ったら、まず八割方はブルースクリーン突撃。
しかも悪いことに、上にも迂回は絶対不可能。そこはそのまま法面だった。

とにかくここを超えるしかない。




 とにかく突破は出来ると信じて、すかさず3歩前へ。
どっこいせとチャリを持ち上げ、不安定な足場にヒーヒーしながらも、なんとかチャリを、嫌らしい角度で張られた枝に乗せ、そのままチャリの不安定を騙し騙ししながら安定を保ちつつ、身を捩り枝の下を這って反対へ脱出。角度のついた土の斜面でまたヒーヒーしながら立ち上がると、乗せていたチャリを引っ張り出して、自分のものとした。

 突破。

第二の難所。 突破!




 そして、

どうにかこうにか、中休み地点に到達。


 次回からは、後半戦。

続々出現する遺構に、刮目せよ!