2023/4/11 16:10 《現在地》
この場所、本当に居心地が良い。
日当りが良いのに、藪は浅く、見晴らしが良くて、風がそよいでいる。
そのうえ、竜東線の当時に建造されたものだろう綺麗な手積みの石垣が残されている。
これが最新地形図には点線すら描かれていない道だというのだから楽しい。お宝だ。
現在地は、千代駅まで残り400mくらいのところ。この区間のおおよそ3分の2を踏破したが、金野駅を出てそろそろ1時間が経過するので、ペースは鈍い。
まあ、長い竜東線の探索の中では、この区間が突出して鈍いわけでもなかったのだが…。
飯田線が健在である限り、この区間の竜東線が完全に放置されることはないのだろう。
再び巨大な落石防止擁壁が路上に現れ、周囲の藪が徹底的に刈り払われていたおかげで、見晴らし抜群となった。
竜東線が開通した当時も、こんな感じで天竜川の峡谷を見下ろしていたのだろう。良い眺めである。
話は変わるが、天竜峡駅と唐笠駅の間には天竜川下りの遊覧船が就航しており、眼下の水面も航路となっている。
これを利用すれば水上から飯田線や竜東線を観察することが出来るようだ。私はまだ乗船したことがないのだが、経験者である私の友人によると、船頭さんが、「あそこの岸に見えるのは昔の道の跡だ」というふうに(おそらく)竜東線の存在に言及していたそうである。もし皆さまの乗船体験談もあったら教えていただきたい。
進行方向である谷の前方に、大きく開けた世界が見えてきている。
これまでの川沿いでは絶対に見えなかった、遠くに霞む山の姿が見えている。
そしてそこには、近くの景色と遠くの景色を完全に分割する“謎の水平線”が見えていた。
それは人工物らしく見えたが、正体が判明するのはもう少しだけ先だった。
おおおっ!
枕木を並べた木造桟橋がまた現れた。
小さな涸れ谷を回り込む場面だ。山側には石垣も残っていた。
ここでも桟橋の部材は鉄道由来の橋梁枕木で、やはり隙間なく並べられている。
もともと桟橋ありきの道ではなく、拡幅のために整備されたものだと思うが、枕木の桟橋がこんなにある道は初めて出会った。
だからこそ、これが誰の流儀かが気なる。使っている部材的にイメージされるのは鉄道の流儀であり、保線用道路として鉄道事業者が整備したのではないかという想像は可能だが、真相は不明である。
16:14 《現在地》
ああ、ここには橋が架かっていたんだな。
水涸れた小谷を横断する部分に、崩壊した木橋の残骸が残っていた。
やはり使われている部材は鉄道の枕木と、下に散らばっている長い丸太が主桁だろうが、
やはり昔の鉄道で使われていた電柱っぽい。飯田線は開業当初から電化されていたが、
昔の架線柱は木だった。敢えて角材ではない点や、クレオソートで防腐処置されている
らしき綺麗な外観が、木製電柱廃材の再利用を思わせた。
気付けば、序盤の苦戦が嘘のように気持ちの良い道になっている。
川岸よりもかなり高いところにいるから随時景色が良いし、路面がよく締まっていてとても歩きやすい。かといって車の轍は全くないので、気兼ねなく道を独占できる。こんな道なら当分続いて貰って構わないと思う。
そして、この辺りにもずっと路肩の桟橋が続いていた。
地形的には橋の要らないような場所にもずっと続いているので、これはもう桟橋というよりは、枕木による路肩の補強が主目的だったように思う。竜東線の他の区間では見られなかった、この区間独特の不思議な道路構造だった。
続いては、険しい岩場を横断する場面が現れた。
この岩場には落石防止ネットが施工されていて、廃道には似つかわしくないが、もちろんこれは下にある線路を護るための設備だろう。
こんな岩場一つでも、機械力に乏しかった明治の竜東線建設は、大変な仕事だっただろう。
飯田線の駅としては7つばかり離れた平岡の起点から、こんな岩場を私も何度越えてきたか。ありすぎて、もう数え切れない。間違いなく竜東線は、この地域で最も多くの難所に立ち向かった道だと思う。
この道が置かれていた地形の険しさは、ほぼ同じ場所を通る現在の飯田線の車窓、特にトンネルの多さが全国屈指の線区であることからも、想像できるかと思う。
先ほどから遠方にちらちら見えていた“謎の水平線”の正体が、ここで判明。
それは、三遠南信自動車道に架かる天龍峡大橋だった。
天竜川を天竜峡ごと一跨ぎにして竜東と竜西を結ぶ、令和元年に誕生したばかりの最新の橋だ。明治の竜東線や大正の県道満島飯田線が目指した信・遠・三の地域を結ぶ広域道路という目的を拡大的に継承した、令和世代の道の雄姿だ。
この橋は現在地の650mくらい上流に架かっていて、千代駅より上流で天竜峡駅よりは下流である。このあと竜東線とも立体交差する。
なお、竜東線と三遠南信自動車道は、私の中では血が繋がった親子だ。私の中ではね。
だからいま私の竜東線完全踏破というゴールが目前になったところで、祝福に現れたのだ。私の中ではそういう筋書きになった。嬉しい。
16:18 《現在地》
うわ、こっわ。
飯田線のコンクリートの法面上に、目が眩むような金網階段が取り付けられていた。
落石防止柵の点検用にあるのだろうが、最近は使われていない様子。
見晴らしは良さそうだが、線路から目立つ場所なので立入りはしなかった。
GPSを確認すると、現在地は千代駅まで100mのところに迫っていた。だが、見ての通り線路と道の比高は依然として20〜30mあり、残りの100mでこの落差を埋めて駅へ着くというのはなさそうだ。金野駅を出発した時点では、次の目的地を千代駅と考えていたが、どうやら竜東線は谷底にある千代駅には立ち寄らず、高度を維持したままで先へ進む様子だった。
説明がなければ絶対に鉄道廃線跡にしか見えなさそうな崩れた枕木の桟橋をいくつも越えて、道は高みを進んでいく。
この道の路肩に敷き詰められている枕木は、舗装の一種とも考えることが出来そうだ。
砕石舗装でもコンクリート舗装でもない、“枕木舗装”という未知の概念が、ここにはある気がする。
それからすぐに道は地形に沿って東へ折れ、天竜川の本流や飯田線の線路から離れ始めた。
この先には千代駅の下で天竜川に注ぐ支流(地形図には河川名がない)が東へ大きく入り込んでおり、この支流の谷に引っ張られる形で道も東に反れていく。
支流の谷に入ると道は下り始め、まもなく谷底の緑の下に1時間ぶり以上となるガードレールを目撃した。
地形図にも描かれている千代駅へと通じる飯田市道、その名も市道千代駅線の姿だった。
16:28 《現在地》
それからまもなく、一連の廃道化区間の終わりが現れた。
竜東線の廃道跡は、ここで市道千代駅線と合流する。
金野駅を出発してから1時間10分の道のりであった。実踏した延長は1.4kmほど。
合流地点の直前まで、廃レールと廃枕木の桟橋が連発して出現しており、最後まで奇妙な道だった。
おそらく今回探索した区間については、竜東線や県道満島飯田線としての役割を終えた後も、並行する飯田線の保線作業や防災工事用の作業用道路として国鉄の手で特別に整備され、しばらくは命を長らえていたのではないだろうか。だが、やがて工事の進展によって沿線での大規模作業は少なくなり、道も自然と利用されなくなったものと想像している。
市道側から見た廃道区間の出口。
特に封鎖されていた痕跡はないが、一方でどこへ通じているというような案内の類も全く見られなかった。
竜東線はどこもこんな感じで口数の少ない道であり、それだけに、今回最初に見つけた架道橋の存在が一層尊く感じられる。
なお、千代駅はここからは見えない。
ここまでの竜東線の探索では、平岡駅から始まる飯田線の連続7駅で、駅前かその至近位置を自然に通過してきたのだが、今回の千代駅で初めて少し離れた位置での通過となった。
右の市道を200mほど下れば駅があるはずだが、とても疲れているので行かなかった。私はこのあと一駅ぶん、天竜峡駅まで歩かねばならないので、少しでも戻る方向へは寄り道をしたくなかった。
ここから天竜峡方面へ向かう市道千代駅線の続きが、
そのまま竜東線の名残だったが、この続きはシリーズ次回作で紹介したい。
今回は、天竜川の大峡谷に沿ってかつて存在した竜東線という長大な廃道のうち、
飯田線の駅に換算して終わりから2番目に当たる短い区間を紹介した。
まだ紹介していない区間が7つある。どの区間も個性的なので、楽しみにしていてほしい。
もし、この区間を優先して読みたいというリクエストがあったら、駅名を添えて教えて下さい。