道路レポート  
国道285号旧々線 笹森峠 その1
2004.7.10



 私には、幾つか封印した道がある。
それは、過去に私がチャレンジしたが、その結果はどうあれ、もう二度と来るまいと誓った道である。
皆様の中には、私が一体どの道を封印しているのか、興味がある人もいるかも知れない。
私が、「封印」と心に決めている道は、その多くが、林道や仮設林道など、ここに紹介できるような道たちではない。
しかし、少数ではあるが、名のある道であっても「封印」した道がある。

たとえば、松の木峠だ。
また、新しいところでは、十和田湖八甲田山連絡道路もそうだ。

そして、自身にとってかなり古い部類に入る封印道が、この笹森峠である。


笹森峠。
それは、南秋田郡五城目町と北秋田郡上小阿仁村とを結ぶ古い峠で、藩政時代に繁栄した内陸の阿仁鉱山と、沿岸とを結ぶ五城目街道最大の難所であった。
時代が進んで、通行する物が人や馬から、馬車などの車輌に変わると道も合わせて改良を受け、さらに昭和初期には、自動車道の建設計画が持ち上がった。
しかし、鉄道計画との競合や戦争の混乱から計画は進まず、昭和28年に初めて、自動車が通れるようになったといわれている。
一時期は乗り合いバスなども通行していたようであるが、元々が歩き道であり、自動車には危険極まりない難路であったことから、昭和38年頃に、現在の国道285号線の秋田峠の旧道が開通し、笹森峠は呆気なく表舞台から消えてしまう。
現在では、県北と県央とを結ぶ最短道路として、県内の三桁国道としては随一の整備状況を誇る国道285号線だが、この道が同国道に指定されたのは昭和45年。
笹森峠は、結局国道になることなく、廃止されるまで主要地方道6号線「秋田大館線」の峠に過ぎなかった。

この道が現役時でさえどれほど険しい場所であったのかは、手許にある昭和39年発行の「秋田県管内 道路関係事業箇所調」を見ても窺い知れる。
笹森峠の区間には、手書きの歪な「×」マークが、ずらりと並べられている。


そんな笹森峠へのチャレンジは、これが2度目である。
2度目はないと誓ったはずなのに… 敢えて挑む。



五城目町 川堤
2004.7.7 9:13


 山間の国道としては通行量が多い国道285号線秋田峠。
この秋田峠の沿道各所に残る、昭和30年代末頃開通の旧国道については、既にレポート済みであるが、“旧旧道”と言うべき笹森峠については、簡単に触れただけであった。

じつは、前回レポート時でも笹森峠は走破済であった。
最初に走破したのは、もうかれこれ4年以上も前のことで、全然写真なども撮ってなかった。
そして、その時の感想が、『この道は、もう二度と来たくない』であった。

しかし、時が経つにつれ、その時の辛さも次第に薄れて感じられ、この4年間でそれなりに廃道経験も積んだので、撮影も兼ねての再チャレンジも満更ではないと思うようになってきていた。
そして遂に行動に移した。
よりによって、藪が全盛のこの時期に。


 五城目側国道沿いの最終集落である高樋から、滑多羅温泉を過ぎて2kmほどゆったりとした登りを進むと、水上沢橋の手前で、右の山中に分け入る道がある。
これが、今ではすっかりと荒廃した笹森峠へ続く道だ。
ここから峠までは、約3km。
高低差は130m程度だ。
必ずしも廃道の難しさは数字と関連しないので、油断は禁物。
というか、前回も入って間もなく廃道だったので、楽な期待はしていないが。

それでは、蒸し暑いどんより薄曇りの中、より蒸し暑いだろう緑の園へ参ろう。



 最初はかなりの勾配だが、すぐにそれは落ち着く。
下草が刈られておらず、殆ど路面が見えない砂利道は、国道から離れるとすぐに雑木林の中に入る。
かつて入り口には「遭難防止」の大きな看板が立っていたが、今回消滅していた。
殆どここから入山するような者がいなくなったのか、或いはただ単に朽ちたか。


 これが、現国道と笹森峠の位置図だ。
笹森峠経由だと、途中で中茂集落を経由していく。
この中茂というのは、かつて小阿仁林鉄の終点だった。
昭和30年代以降に集団移転の嵐が吹き荒れた秋田県内では珍しい、純山間の集落である。

地図の通り、峠までの距離は五城目側が長く、一方で勾配は上小阿仁側が厳しい。


 雑木林から、かなり生長した杉の植林地へ。
そしてまた雑木林へと、周りの景色は目まぐるしく変わる。
道はかつて来たときよりも、予想に反して状況がよい気がする。
頼りのない轍ではあるが、藪化することもなく続いている。
よく見ると、最近も自動車が立ち入った雰囲気もある。
もしや、笹森峠の道がまさかの復旧を遂げたのであろうか…?

期待してきたのに小ネタで終わるのか?
そんな不安と、かつてのような「地獄」を見ないで済む事への期待が、複雑な心境をもたらす。
とりあえず今できることは、この森の道を進むだけだ。



 現在の標高が100mほど。
峠でもそれは250mに足らない。
南の太平山地と北の出羽丘陵とを繋ぐ幅広の低山帯を越える峠である。
ただし、その低山のイメージに反し、浸食が進む沢は深く抉れ、稜線は尖っている。
深い緑の衣をまとい、その地肌をひた隠しにしてはいるものの、入山して初めて、その地形の険しさに気が付くのである。

写真奥の屏風のような山脈が峠である。
まだ遠い。



予想に反して好調だが…それも束の間
9:22


 入り口から1kmほどすすんだ。
4年前は、入ってすぐに蜘蛛の巣と蕗と羊歯植物の洗礼を受けた覚えがあるが、ここまでは復旧されたのか、順調な林道であった。
しかし、このまま峠まで通り抜けれるムードではなくなってきた。
なんというか、進むにつれ轍の数が減り、路面のダーティーさが目立ってきたのだ。
しかも、いかにも怪しげな広場が、一度。
そして、二度現れ…。(写真は2度目の広場)

もう、「なんか恐くて先が見られません…」という精神的状況に。
それほど、かつて私がここで遭遇したダーティー藪は困難な物であったのだ。



 ふたつめの広場を過ぎると、案の定轍は泥にまみれた。
そして、ここから一挙に蜘蛛の巣のネットワークが発達している。
私は、チャリ毎容赦なくこれらを突破していくが、蜘蛛の巣の主たちは納得がいかないらしく、チャリやら私の体やらに集ってくる。
ウザイ。
これだから、夏の低山の藪は嫌なのだ。
そして、水っぽい林道脇の藪には、あの“天敵”が…。
私の最大の天敵が潜んでいる! ような気がする。

なんとも、嫌なムードの道になってきた。
まだ、峠までは2kmほどある。



 そして、幾らも行かぬうちに、4年前の記憶にはない崩落点が現れ、車道の轍は完全に消えてしまった。
この先は、4年前と同じ状況なのだろう…おそらく。

はぁ。
うんざりだ。
こんな場所をバス通っていたなどと、感慨にふける余裕はない。
それもこれも、奴への恐怖から来るものだ。
幸いにして4年前の藪漕ぎでは奴に出会わなかったが、中茂は奴の良く出る沢として、知る人ぞ知る場所なのだ…。



 先ほども書いたように、この一帯の山は険しい。
砂礫質の土砂が道を埋め尽くし、それだけでは足らずに崖下にまで続いている。
人一人が通れる程度の幅の平坦に近い通路が出来上がっている物の、チャリと共に通るのは恐い。

おそらく、緑に遮られ見えない谷底には水上沢が流れるのだろうが、そこに道はなく、チャリを落とせば救出不可能となるだろう。
万一自分も一緒に落ちることになれば、命までまるごと落とす可能性も高いだろう。



 松の木の活断崖を彷彿とさせる砂礫の斜面だが、幸い道部分には狭い平坦部があり、冷静に突破する。
むろん、チャリも一緒だ。
かつて一度チャリと共に通り抜けた峠である。
今度もまたチャリを通さなければ、恰好が付かないではないか!

って、こんな事に意地を張るのは、愚かなことですから皆様は真似をしないで下さいね。
山や、そこを通る道の状況は常に変化しており、以前通れたから今度も通れるという物では、決してないのである。
まあ、皆様の方が私より心得てそうであるが…。




廃道の現出
9:26


  危なっかしい崩落場所を越えると、案の定廃道だった。
まさに、4年前を彷彿とさせる薄暗い藪の水っぽい廃道。
足元を覆うフキの馬鹿でかい葉っぱ(裏に何か居そうで嫌なのだ)と、見ているだけで痒くなる馬鹿でかい羊歯植物。
そして、ハンドル操作のままならないぬかるみと、登りで後輪が空転する緩い泥の路面。
顔面に容赦なく絡みついてくる蜘蛛の巣のネットワーク。

ああ、嫌な藪道だ。



 しかし、4年前の記憶を辿れば、大概はチャリに跨ったまま峠までは進めた覚えがある。
それを考えれば、やはり最近の「難度Sクラス」の廃道から比べて、
或いは、元が車道ですらない林鉄跡などに比較すれば、これでも十分に走りやすい道だと言えるのだろう。
それが、この4年間の成長なのか、慣れなのか。

石垣など、古道らしいオブジェこそ無いものの、緑に覆われた道形の多くは幅3〜4m程度で、かつてバスが通ったというのも、一応は容認できる。
4年前だったら、「あり得ない!」と一蹴したに違いないが、私も色々と見てきたので多少のことでは驚けなくなった。
それは、ある意味不幸せ。



 しかし、小沢を渡る場面などでは道が流出しており、本来あるべきではない急な勾配が現れている。
そんな場所は、元々が車道でないわけだから、その荒廃も酷く、草まみれ泥まみれとなる。
今日この時期のこの場所では、葉っぱに触れることを躊躇させる“天敵”の存在が、頭から離れない。
また、実質的な被害は少ないのだが、目の周りを執拗に飛び回るストーカー君のうざさも特筆に値する。
奴らは、私の吐き出す二酸化炭素に餌を感じ、光の反射する眼球を、巣であり水場である水溜まりと勘違いするのだ。
だから、とにかく私の目の周りから離れず、時にはめんたまに突っ込んで自殺する。
刺したりはしないようだが、まずブーンブーンと気が散って堪らない。
さらには、それに混じってヤブ蚊もいるもんだから、油断ならない。



 チャリに跨って進んでいるときは、うざい虫を振り切ることが出来る。
だから、まだマシなのだが、ひとたび崩壊や路面状況の悪化、急な登り勾配などで足止めを食らうと、大変なのだ。
一瞬にして、視界には数十匹の奴らが不規則に飛び回るようになる。
もう、気が狂いそうなほどに、五月蠅い。

やっぱ、この時期の低山のヤブ道は鬼門である。



 「北秋A線」の高圧鉄塔の保守歩道の案内が現れた。
この地点から、保守歩道が南の山上へと分かれている。
ここまで廃道ながらも確かな歩行者の轍が残っていたのは、これのせいか。
頭上には、其の名の通り北秋に通じる鉄塔が点々と続いている。

ここまで、入山から20分経過。
比較的順調に進んでいる。



 この歩道分岐点を振り返って撮影。
向かって左の急な登りが鉄塔へ繋がるあろう歩道で、右の笹藪に食われた怪しいスペースが、私の登ってきた道。
笹森峠の主要地方道6号線の跡だ。

風のない森の中は蒸し暑いし、休憩に立ち止まることは奴らと“天敵“に隙を見せることになる。
ここでは休まず、そのまま峠へと進む。




 分岐より先を望む。
よく見ると、小さな尾根の先端を削った小切り通しとなっている。
この先も、延々と尾根の突端を削りながら、徐々に徐々に主稜線に迫っていく。
総じて勾配は緩いので、まだ距離がある。


次回は、早速にして五城目側ハイライトゾーンへ。




その2へ

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