平成16年の探索時には延伸工事が進められているように見えた岩手側だったが、6年後に再訪してみたところ、道はそれ以上伸びておらず、新たに300mほどの区間の舗装や付帯工事が完了していただけだった。
岩手県によって昭和55年から営々と進められてきた県道の新設工事は、県境まで直線距離にして残り500mという至近に辿り着きながら、足踏み中のようである。
果してこの道は、今後無事に完成出来るのだろうか。
将来の予測する前に、岩手県側の工事のこれまでの歩みと現在の状況について、行政の資料をもとに確認しておこう。
この工事についての広報用の資料が見あたらなかったので、岩手県議会議事録や、西和賀町の県や国に対する要望、秋田県や岩手県が行っている事業評価などの資料を基に調査を行った。
主要地方道花巻大曲線の岩手県側の新設工事は、昭和55年に全体計画4785mで着工した。
現在もこの計画ルートには変更が無い。
工区 | 事業年度(計画) | 延長(計画) | 工費(計画) |
@ | 昭和55〜平成7年度 | 2865m | 約11億円 |
A | 平成8〜平成18年度 | 1120m | 約11億円 |
B | 平成19〜(平成27年度) | (800m) | (7億円) |
そしてこのうちA工区の終点は、今回私が確認した岩手県側の終点と一致している。
平成16年の探索時には、A工区の末端部約300mで工事が行われていたが、平成18年度内に無事完成していた。
そして、平成19年度からはいよいよ最終工区となるB工区が設定されているが、平成22年10月に再訪してみたら、全然進んでいる気配がなかったというのが、今回私が見た景色である。
なお、ここで付けた@〜Bの工区名は便宜的なもので、実際の@工区は、ひとつの工区ではなかったかも知れない。
しかしこのように麓側から順次工事が進められてきたことや、平成18年度にひとつの工区の区切りが付いて、平成19年度から新たな工区に入っていることは確かである。
ともかく、まだ事業期間にはいくぶんの猶予がある。
現在は平成27年の全線開通を目指した、事業の期間内なのである。
今から猛ダッシュで工事を行えば、まだ挽回出来る可能性はあるだろう。
とりあえず、「計画中止」という4文字が出て来なかったことに、一旦は安堵したのだが…。(ちなみに私はこの事業の推進派である)
次の図を見て欲しい。
↓↓↓
「平成23年度岩手県公共事業評価」の継続評価より転載
ぎゃああああああ…
一時休工になっている。
平成23年度の岩手県が行う道路関連事業として査定された114の路線及び箇所のうち、これが唯一の「事業続行以外」であり、予算ゼロ査定であった。
…まあ、「事業中止」となっていないだけマシなのだが、「一時休工」の下に括弧書きで「事業計画検討のため」とあるのは、当然中止も視野に入れてのことなんだろう…。
なお、表の中身をよく見ると、平成19年度からの新工区(=B工区)の現在進捗率(事業ベースで)は1%に過ぎず、平成18年度に完成したA工区以降の工事、つまり私が今回辿り着いた終点より奥の工事は、平成19年度以来、20,21,22、23年度と、実質5年間、ほとんど予算執行されていないことが分かる。1%でも676万円が執行されているが…。
つまり、事業評価云々以前に工事は半ば休止していたことになるが、これはどうしてだろうか?
この原因が分かれば、今後工事が再開に辿り着くための鍵も、見えてくるかも知れない。(繰りかえすが、私はこの事業の推進派である)
「平成22年西和賀町からの要望」より当該部分を転載
で、その答えは、意外に呆気なく見つかった。
平成22年の西和賀町の要望に対する県の解答に、明確な理由が述べられていたのだ。
平成20年度から秋田県で財政的な事情により予算措置が講じられなかったことから、本県でも予算措置を見送り、一時休工としています。
秋田ああああああ…
お前だったのかよ…。
言い出しっぺだろ……
しっかりしてくれよ…
何やってんだよ……。
秋田県側の未開通区間は平成20年現在で1700m存在しており、岩手県側の倍以上の長さがある。
しかし、昭和44年から着々と整備してきた約12kmの道のりと比較すれば、岩手側同様、“最後の一歩”まで来ていることは間違いない。
しかも、岩手側とは違ってほとんど道のりは平坦であり、難しい工事ではないと言われている。
秋田県側の美郷町(旧六郷町)から岩手県側の西和賀町(旧沢内村)まで、全長25kmの奥羽山脈横断ルートは、県境を挟んだわずか2.5kmを残して、「秋田県側の財政的な事情」によって、停止してしまったのである。
もっとも、このご時世であるから、財政的に余裕のある県など存在しない。
その中でどこに優先的に予算を配分するかは県が選んでいるわけだから、秋田県が平成20年度から予算措置を停止したのは、秋田県にとってこの道が今やさほど欲しいものではなくなったという事なのだろう。
何度も言うように、この道の言い出しっぺは秋田県である。
明治の時も、昭和の時もそうだった。
特に昭和の改修では、秋田県側から強い要請があって、岩手県側も工事を始めたのだとされている。
秋田県がどれだけ熱意を持って事業を開始したかは、その着工年度の開き(秋田昭和44年、岩手昭和55年)からも感じ取れる。
しかし、時期こそはっきりしないが、秋田側のこの道に対する興味と関心は、確実に岩手側よりも先に減っていったようだ。
例えば、岩手県議会では平成11年から23年までの間に笹峠の県道問題が6回議論に上がっているが、秋田県議会では同じ期間にたった1度だけである。
しかも、岩手県議会での議論は建設の是否について活発なものだが、秋田県議会ではただ開通の時期についての見通しを問うだけであった。
興味深いのは、秋田側の心変わりの理由である。 以下の内容は多分に私の憶測を含む。
右の地図は、秋田県と岩手県を結ぶ奥羽山脈越えのルートのうち、その2大幹線となっている国道46号(仙岩トンネル)から国道107号巣郷峠に挟まれた地域を図示している。
この地図からは、秋田県側の仙北平野にある小さな町村が、競うように岩手県側へのルートを欲していたということが見える。
岩手県側の受け口となる旧沢内村は面積こそ広いが、人口は秋田県側の市町村より少なく、典型的な山村である。
対して秋田県側の旧太田町や旧千畑町や旧六郷町などは、面積こそ狭いが、背後には秋田市や旧大曲市(大仙市)といった都市圏が直結しており、奥羽山脈をショートカットして北上(仙台・東京)方面へのルートを欲する指向性が強くあったと思われる。
また、大きな観光資源を持たない小さな町村にとっても、奥羽山脈を越える山岳ルートはそのまま観光道路たり得るわけだから、その出入口として享受する経済効果を期待していたとも思われる。
そこには、裏日本から表日本(というか東京)への指向性が、強く感じられる。
だが、こうした奥羽山脈をショートカットする山岳道路の有用性は、平成9年という年を境にして、急激に低下することになる。
この年に開通した秋田自動車道と秋田新幹線が、東京方面への交通シェアを大きく奪ったためである。
また、そもそもの問題として、こうした山越え路線は長い冬期閉鎖を避けがたく、維持費の割に、不便である。
そして時代的にも、早くに開通していた真昼峠線以外は、自然保護の問題と真っ向から対立しなければならなかった。
さらには、平成の大合併でそれまで“おらほの道”を要求してきた秋田県側の自治体が軒並み消滅したことも、計画の停滞と無関係ではあるまい。
なお、秋田県知事の意向も大きく作用しているらしく、平成22年の「西和賀町予算審議特別委員会」で西和賀町長が、秋田県の寺田知事さんのときには岩手県次第でうちはいつでもやれますというふうにいったんですけれども、(中略)今秋田県のほうが変わってしまって秋田県のほうが着手をとりあえず休んでいると、予定にいれていないということでこちらとしては動けないでいるという説明でした。私どもとしては歴史的に取り組んできた事業でありますし、あと本当に一部ということでありますから運動については岩手県、秋田県、両県についてすすめていきます。
と発言している。
笹峠の事を考えると、必ず連想される道がある。
さっきから地図の中でも寂しく破線の姿を見せているが、当サイトでも以前取り上げた太田沢内線である。
奥地産業開発道路として建設された太田沢内線も昭和50年代から本格的な工事が両県で始まり(先に着手したのは秋田県で昭和48年)、平成12年までに残工事4kmまで進んだが、この年から環境問題のため休工し、平成17年に正式に事業が中止されている。
そしてこのときも、先に工事の手を止めたのは秋田県だった。
笹峠は同じ轍を踏もうとしているのだろうか。
太田沢内線の時と違うのは、予定ルートが世界遺産の白神山地にも匹敵する自然度があるとして強硬な自然保護運動があった和賀岳の周辺ではなく、無事に環境アセスも終えていることや、トンネルが予定されていないなど工事が比較的平易で、その分工費も安かろうと言うことがあるが、一方で両県の財政状況は一向に改善しておらず、既成事実として一度休工された事業をなにをもって再開するかなど、不安な点は多い。
栃木県の那須から青森まで、全長500kmにも及ぶ日本最長の山脈が奥羽山脈である。
その山嶺の高さは当然一様ではなく、地域によって、この山脈を障壁として捉える度合いは違っているだろう。
しかし、これだけの長い山脈でありながら、この山脈を挟んで存在する主要地方道の不通区間は、非常に少ない。
国道に至っては、ゼロである。
このことは、東北各県の為政者たちがかなり綿密な計画を立てて、難しい山越えの道路を設計してきたことを意味している。
奥羽山脈越えを志し、いまだ果すことが出来ないでいる主要地方道は2本。
ひとつはこの花巻大曲線であり、もうひとつは宮城県と山形県を結ぶ二口峠を通る仙台山寺線。
後者は代替路線となる二口林道で結ばれているが、この林道が今年(平成23年)10月、丸12年ぶりに一般解放されるというニュースが飛び込んできた。
そうなると、笹峠は奥羽山脈で唯一の不通主要地方道となる。
開通しても一年のうち8ヶ月弱しか通行出来ず、大型車も通れず、しかも建設には100mにつき1億円近くを要するという道。
この道が、果して今要るか要らないか。
そう言われれば、大多数の人は、簡単に要らないと言うだろう。
確かに、東北にはもっとお金をかけるべき場所が、あるかも知れない。
しかし、美しい景色が有ってこその東北ではないか。
私はこの道から「だけ」眺められる、こんな景色(下)が大好きだ。
こんな景色を与えてくれる道路は、それだけで素敵だ。
ましてそれが、明治から連綿と受け継がれてきた道の生まれ変わりなのだとしたら、なおのこと。
我々は、子孫に幸せな次代を築くと共に、過去に生きた人々の願いに応える義務だって、あるのではないか。
こんなことを言っていたら、どんな道も全て有意義だから作らなければならないという論理になってしまうが、私がそう考えていても現実はそうならないのだから、実害など無かろう。
私は道路について、平均的な思考の持ち主ではない。
極言すれば、いつでも自由に裏道を選べない世界は、つまらない。
不経済だから要らないの論理で作られた世界を、誰が旅したいと思うだろう。
…まあ、現実問題としてしばらく工事を休むにしても、せっかく作った道については、出来る限り活用してほしいと思う。
この考え、オブローダーとしては、少し矛盾しているかもしれないが…。