道路レポート  
仙岩国道 工事用道路 その1
2004.1.30



 秋田と盛岡という、北東北2県庁所在地を結ぶ国道46号線の最大の難所が、列島の脊梁である奥羽山脈越えであることは言うまでも無い。
仙岩峠について取り扱った書籍やサイトは数多く、今さら私が語るのも野暮だとさえ思う。
まさに、秋田県を代表する峠の一つである。

一方、道路探索を趣味とする者にとっても、この仙岩峠にある旧国道は忘れがたい。
標高900mを越える稜線をトンネルも無しで正面突破する旧道はいまなお、幹線国道としての威容を、半年は白銀の世界に委ねながらも色濃く残し、訪れるものに感動と驚きを与えずにはおかないのだ。
勿論、この「山行が」でも紹介するだけにとどまらず、その後も事あるごとに通過している。
もちろん、私もこの道が大好きだからだ。

先ほどから旧国道の話題に終始してきたが、今回のテーマは異なる。
現道だ。
もっと言えば、現道を建設するに供された仮設道路の存在である。

現国道は、トンネルと橋梁のオンパレード。
特に秋田県側の景色は、昭和51年の開通でありながらも、いまだ近代道路建築の迫力を感じさせる。
主トンネルである仙岩トンネルを含め、仙岩道路全長16.3km区間中にトンネルが計8本総延長4939m、橋梁が21本総延長1962mにも及び、これらのトンネルと橋梁の殆どは、秋田県側の8.3km区間に集中しているのだ。

素人目にも難工事がが容易に想像できる道であるが、やはりその通りであって、昭和42年の調査開始から44年基本ルート決定、翌年に工事が着工するも、完成は昭和51年となっている。
複雑な地質の脊梁に2544mの風穴を開ける工事は勿論、先に述べたとおり、秋田県側の殆どが道路構造物に占められており、この区間の工事は困難を極めたと伝えられている。

新道の早期開通が強く要求されていたこともあり、工期短縮のため秋田側盛岡側の両方に工事用道路が施工された。
この工事用道路と、当初からあった林道を利用し、工事区間全体を同時に建設して行ったのである。
長大な山岳道路などの建設においては、このような工事用道路を施工する場合があるが、その性格上、工事が完了すれば随時放棄される場合が多い。
この仙岩道路の場合も同様であり、少なくとも現道を走る限りは、その現道とかなりの回数接触していたはずの工事用道路の痕跡に気が付くことは、まず無いだろう。

私がこの工事用道路の存在を知ったのは、当時の建設誌を閲覧したりしたためだが、それによればご覧のような路線が存在していたと言うことになる。
以下をご覧頂きたい。
見難いが、左が秋田側で、右端に仙岩トンネルが描かれている。
ほぼ直線的にトンネルと橋を繰り返す工事予定線と、谷底の林道とを結ぶ破線で描かれた道が、工事用道路である。
そして、これら工事用道路は、破棄されたにもかかわらず、やや古めの道路地図にはちゃっかりと描かれていたりもするのだ。
では、実際に、どのような道が存在していたのか。
同誌から、もう一枚拝借した。


 なんだ、立派な道路じゃないか。
それが、第一印象である。
ガードレールに側溝、そして工事車両専用道路なのに、標識まで。
そして、もう一つ注目なのが、ここに写っている標識だが、なんだと、思います?

「工事中」?
きっと。ツルハシですもんね、すぐ分かった?
しかし、実は確信は無い。
だって、こんな標識、正式には存在しないはずだから。
「工事中」の標識は、もっと別のデザインで実在するのだが、こっちの”つるはし”の方が洗練されているとさえ思える。
それはさておき、こんな見たことのない標識が点在する、立派な道。
それが、仙岩道路工事用道路の姿だったようである。

そして、私がこの工事用道路を探索の対象に加えた理由が、この写真だったのだ。

探索目標は…

ぜひ、“ツルハシ”に巡りあいたい。

それでは、探索開始。



田沢湖町生保内
2003.11.14 7:58


 もう、一体幾つのサイトが紹介したか分からない景色。
仙岩峠が越えてゆく奥羽山脈の主稜線を仰ぐ、国道46号田沢湖町生保内跨線橋からの眺め。

今回の私は、その稜線ではなく、日の当たらぬ谷底に進むことになる。



 途中を端折り、既に旧道に入った。
これら旧国道の様子については、やや古いがこちらのレポートをご覧いただければ幸いである。



 直線の閑散とした舗装路をしばし進むと、いよいよ旧国道は藪に道幅の半分以上を奪われながら、はるばる峠を目指し六枚沢の遡行を開始する。
その直前で道は二手に分かれており、右手の生保内川の河原へと降りて行く道が、工事用道路へとアクセスするのに利用された経緯もある林道である。
この道は、すぐ先にある川砂利採取場へのダンプの往来や、並行するJR田沢湖線の保線工事などに利用されており、砂利道だが、旧国道よりも利用されている。

朝早くから行き来するダンプに邪魔になりながら、いざ進入。


生保内川林道(仮称)
8:17

 道は急な下りでJRをアンダーパスし、そのまま広い生保内川の河原に降り立つ。
ここから少しの区間は、水面ぎりぎりを走行する。
このあたりに砂利採取場があり、ダンプが通行する。
一見、このまま走りやすい道が続くかと思ったが、そうは問屋が卸さないのであった…。



 そして、早くも現道の困難な施工を垣間見ることになる。

そそり立つ生保内川の右岸には、長大なコンクリートの桟橋が延々と続き、トンネルに突入していくさまが、一望できる。
これは、湖山橋という。
また、現道から別れて九十九折を始める旧国道も、ここから見上げることが出来る。

紅葉も八割がたが枯葉となり、急ぎ舞い始めている。
気持ちの良い青空と、赤く染まった山肌との対比は、たまらなく美しい。



 道は、突然林道らしくなる。
相変らず生保内川に沿ってはいるのだが、険しい河岸の断崖を巻くために高度を稼ぐ九十九の登りだ。
路面には河原のような大きな石がごろごろとしており、大変な勾配のためチャリには容易でない。

幸い、その登りは長く続かない。
ここを登りきると、道は二手に分かれるが、左の道はさらに急な九十九で現国道へと接続している。
先の工事記録には残されていないが、この路線も工事用道路として利用されていたのだろうか?
この道については、ミニレポに紹介済みである。

本線は、右の道である。



 分岐を過ぎるとすぐ、この表示がある。
ゲート等は無く、そのまま進入できるが、そのわりに警告文はキツイ。
そして実際に、危険を感じる道が、まもなく始まるのだった。

 先ほど高度を稼いだ分だけ河床から離れていたが、再び急な下りで降りる。
そこには、見たことも無いような巨大な砂防ダムが生保内川を遮っている。
生保内川第一砂防ダムの威容である。
また、写真の上の端にも写っているが、ここからも断崖上に現道の橋とトンネルを見上げることが出来る。
丁度、峠の茶屋の裏手、須神橋から須神トンネルへと続く部分が見えているのだ。


 いよいよ、仙岩道路の難工事を体で味わえる難所が現れる。

生保内川の両岸は、鉛直に近い岩盤に遮られ、林道は崖を穿って続いている。
一応路面には砂利が敷かれているものの、大部分が流出し鋭い巨石が覗く。
水面には波濤が渦を巻き、峡谷に轟音を響かせている。
あきらかに未改良の林道であるが、路肩が川に洗われる部分には、古そうなコンクリートの擁壁が築かれている。

ここを、一時は何千台もの工事車両が連日往来したのである。
もう、現在の有様ではそれは適わないだろうし、必要も無いだろうが。



 対岸のそそり立つ岩肌は、遥か天上にも続かんと言うような迫力である。
全く人の手が加えられていないだろう原始の森の姿に胸が躍る。
ここはもう、県下最後の秘境とも言われる和賀山塊の北端部なのだ。

人が踏み入れることが出来る道は、もう、あと僅かで終わりを迎えるのであった。




 そして次回、

いよいよ工事用道路が、数十年ぶりにその姿を曝け出す。

幻の標識は、果たして現れるのだろうか?




その2へ

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