ナンダこりゃ。
夢でも見てるのか?!
2015/6/2 7:52 《現在地》
麓の国道から約9km、鋪装された林道を延々と登って辿りついた標高1150mで遭遇した、地図に無い立派な2車線道路。
その行き先を確かめたいという衝動に駆られた私は、本来の目的地とは反対の方角だと分かっていたが、覚悟を決めて、踏み込んだ。
だが、そんな私の覚悟は、想定よりも遙かに短時間と短距離(数十秒&100m)で決着を迎えたのであった。
一瞬我が目を疑った。私は夢でもみてるのか。おキツネおタヌキさまの仕業じゃないか。
それほどまでに唐突な終点。 DEAD END.
こんなのありか?!
一番驚いたのは、道が行き止まりになっていたという事実ではなく、振り返ればまだ見えるほど近くにあった分岐地点に、なんらこの終点を予告するものが無かったことだ。
私は麓から自転車で上ってきたので、途中にあった通行止めのバリケードを見逃したなんて事は絶対に無い。
ここまでは、何ら問題無く、万人に解放されている区間である。
私は膨大な数の林道や山道の“行き止まり”を見てきたが、これほど無防備で唐突な終点を、見た覚えがない。
普通、このようにな2車線道路の行き止まりは、車両が転回可能な地点で予告されるし、封鎖もされていることが多い。
そうでないと、高速走行のまま行き止まりに突撃する危険が大きい。
しかしここは本当に何もなく、ブツッと終わっていた。
センターラインやガードレール、さらに法面や路肩など、道路の全ての要素が、“終点”の瞬間まで、完璧に完成していた。
最後の数メートルだけは未舗装というのが、未成道の終点にありがちな光景だが、そうなっていない。
余りにも唐突なもんで、なんか私の目が欺かれているような違和感があった。
実はまだ道が続いているのに、何か超然的な技術でカムフラージュされているのではないかとか、そんな馬鹿げたことさえ考えてしまうほどの、異様な唐突さだった。
なんかバグったレースゲームみたいだ。
完全にぶっつりと途切れた道の終点。
なお、これは後日の机上調査で明らかになったことだが、この先に道を伸ばす計画は既に中止されている。中断ではない、中止である。
したがって、今後もずっとこのまま放置されるものと思われる。
おそらく、この末端部は路面の補修や草刈りもなされないだろうし、あと20年もすれば、道の両側から植物が張り出してきて、1車線分の幅も残らなさそうである。
この異様に綺麗な末端部を目に出来る時間は、あまり長くないと思う。
逆に言えば、この道が整備されたのは、ここ数年内の最近の出来事と判断出来る。
行き止まりが偽物でないことを確かめるために、立ちはだかる斜面によじ登ってみた。
そして、道の先を眺めてみた。
なるほど、なにもない。
車道はもちろん、歩道も見あたらない。
さらに、道がどこを目指していたのかの見当になるようなものも見あたらない。
方角としては南で、地図上では7kmほど先の八総地区を国道352号が通っているが、見通せない。
異様な眺めだ。
奥に見えるカーブのすぐ先が分岐地点だった。
本当に短い切れ端のような区間だが、なぜこんな立派な道が?
これは登ってきた方角、西の方の眺めだが、
緑の中にただ一つ見える人里が、古町だった。
あそこから私は登ってきたのだ。
この彼我の間に横たわる山と谷と高度の全てが、私の汗の結実だった。
自分の頑張りをこうして俯瞰する時間を愛さない旅人はいないはずだ。
これは強烈な快感だった。
7:58 《現在地》
地図に無い2車線舗装路の一端は確かめた。
だが、まだその全てを目にしたわけではない。
この2車線道路と最初に出会った丁字路から、今度は反対方向、本来の目的地である戸板峠方向へと向かうことにする。
私をここまで導いた1車線道路は丁字路に突き当たって終わったが、2車線道路が整備される以前は、まっすぐ戸板峠へ通じていたはずなのだ。
古町から戸板峠を越えて針生へと通じていた、昭和47(1972)年開通の多々石林道がそれだ。
最近の地形図では大部分が破線の表現になっていて、まるで廃道のように見えるが、実際にはこんな立派な2車線道路によって上書きされつつあったのだ。
大いに面食らった。
!
おいおい! こっちもか?!
まさか、こっち側もすぐ終わってしまうのか?
ほっ。
砂利道になっているように見えたのは目の錯覚で、近づいて見ると、舗装路は左にカーブしながらちゃんと続いていた。
砂利道はおそらく旧道で、100mほど先で再び1本に戻っていた。
舗装路は生き延びたが、敢えなく1車線道路に縮小した。
なんだったんだ、今の短すぎる2車線区間は?!
なお、目指す戸板峠の頂上は、この正面の山の上だ。
高低差は残り150mほどで、直線距離なら500mもないが、地形図上の破線の道は一旦大きく西へ迂回して切り返し登っていく。
なので、峠までの道に沿った距離はあと1.5kmである。
まだ結構遠い。
それにしても、あまりに呆気なく終わった2車線区間の存在意義には疑問符が付きまくる。
突然、脈絡無く始まり、そ予告なく終わった、約300mの2車線道路。
しかも、どこにも通じていない行き止まりの末端部分が2車線で、地図上では峠の向こうに続いているこっちが、側があっという間に1車線になりやがった。
おそらく、建設の途中で計画が変更されたのだと思うが、荒れた道を覚悟していた(そして期待していた)身としては、真新しい鋪装だけでも上出来と思える。
ともかく、かつてここには2車線道路を整備する“計画”があったらしい。
……その“計画”の中身を私はいろいろと想像してみたが、この地方をまるで知らないわけではなった私にとって、一つ心当たりはあった。
「ああ、これはもしや、あのときあそこで見た道の続きなのかな……」、というくらいの軽い心当たりが。
そしてそれは正解だったが、答え合わせは次の机上調査編で。
8:07 《現在地》
分岐から800m、標高1200mに達した辺りで、再び地形図にはない分岐地点が。
しかし、なんか奇妙な分岐地点だ。
ヘアピンカーブの頂点から、外側に2本も道が分かれて行っている。
しかも、手前の分岐は……、
これ本当に分岐かと思えるような、“怪しい代物”だった。
これが、“怪しい代物”。
手前側の分岐(上の写真の緑の矢印)は、短い未成道跡っぽい敷地だった。
真新しい排水溝が、緩やかな左カーブを描きながら、下っていた。
この排水溝は、2車線幅を有する未成道の側溝になるべきものだったように見える。
しかし、分岐から20mほどで、道形はまるで空中に投げ出されるようにして、唐突に終わっていた。そこまで写真に写っている。
おそらくこれは、この道が2車線道路から1車線道路へ規格を落とす際に放棄された、未成の九十九折りの残骸だと思われる。
写真は、分岐地点の30mほど手前から分岐を撮影したものだが、当初はここに書き加えた緑のラインように、緩やかなカーブで切り返す2車線道路が計画されていたのだと思う。
しかし、緑の実線部分を整備したところで計画変更となり、後に今の道(黄色のライン)が1車線で整備されたようだ。
2車線→1車線というスケールダウンの痕跡は、この後もいくつか見つけたので、その都度紹介する。
さて、改めて分岐地点。
今度は、奥側の分岐だが……
……こっちも普通の状況では無かった。
ずばり、事前情報の“荒れた林道”らしきものに、はじめて遭遇した。
ここから分かれる道こそが、本来の多々石林道である。
道路に名札が付いていたわけではないが、そのように確信できるくらいの変化だった。
まず、未舗装路が本日ここで初登場だ。
旧来の林道と新しい道と接続させるためか、かなり無理矢理な急坂になっていて、そこが雨水で洗掘されて深い溝が出来ていた。
入口がそんな有り様だから当然だが、奥に見える本来の多々石林道の路面が荒れているのが、ここからも見えた。
麓から約10km、ようやく出会えた、今回の(本来の)探索対象の姿であった。
このいかにも「本線です!」という顔をしている切り返しの舗装路だが、この先は地形図に描かれていない。
多々石林道を行けば1.2kmほどで戸板峠へ辿り着けると思うが、この舗装路の行方が気になる。
ヘアピンカーブというよりは、カクカクッという感じで、ちょっと鋭角に折れている。
これも計画変更の弊害である。
そしてカーブの先には、これまで以上の急さで登っていく直線路が伸びていた。
おそらく、多々石林道と同じて、戸板峠を目指しているはずだが…。
二度目の寄り道になるが、行ってみよう!
麓からここまでを通じて一番と思われるくらいの直線急坂だった。
自転車なんていう長閑な交通手段を度外視した、現代の林道らしい、血の通わぬ厳しさを感じた。
私の嫌いなやつ。
そして、さっきからずっと谷側の路肩に妙な盛り土が続いているのは、道幅の計画を縮小した名残であろう。
土工まで終わった状態で急遽、幅員削減の計画変更が行なわれたらしい。
きつい急坂に苦痛を感じて顔を上げると、行く手には乱暴に森を切り開いたような土色の切り返しと、その先の急坂が見えた。
この道も確かに峠を目指しているようだ。
道は、大地をキャンパスにして描かれる、壮大な芸術品。
これは道に対する最大限の讃美といえる表現だが、実力を越えた大作に挑めば未完に終わるのも、一緒である。
この統一感のなさは、もし1本の道路を1点の芸術品として評価する人がいたら、落第点を付けられそうだ。
一つ前のカーブはあんなに無理矢理な感じで曲がっていたのに、続いて現れたこのカーブは、「なにもそこまで」と思うくらいゆったりとしたアールを描く大ヘアピンカーブだった。
しかも、わざわざ大量の盛り土をしてまで、こんな大きなカーブを造っている。
これは完全に2車線道路用の線形を1車線道路で再現してしる感じ。ちぐはぐとしか言いようがない。
また、ここに来て路上のゴミが増えてきた。
ゴミと言っても人が残したものではなく、自然に散らかった小枝や小石のようなものが、路上に散乱したままになっている。
未練がましく2車線分の敷地に敷かれた、哀しい1車線道路を上っていく。
しかも、早く峠に辿りつきたくて焦っているみたいな急坂だ。
現状の路肩から離れた位置に、2車線計画当時のコンクリートの路肩工が名残を留めていた。
ガードレールの支柱を容れる孔がわざわざセメントで埋め戻されていたが、間違いなく路肩工だ。
積まれた贅沢品を次々と海洋投棄しながら、どうにか沈みゆく船を前に進めようと藻掻いている。
この道路工事の風景は、そんなイメージを私に見せた。
伝わってくる必死さに、決して届かぬ声援を送りたくなった。
だが、先細る苦闘の先に待ち受けていたのは――
非情の終点。
一緒に汗を流した仲間として、共に峠を踏みたかったが、叶わなかった。
またしても、何の予告も封鎖もなく、唐突に現れた終点だった。
この先は、峠の下にトンネルでも掘るつもりだったのだろうか?
山に突き刺さるような終点だ。
8:16 《現在地》
結局、この地図にない道は、直前の分岐地点から約700mまで伸びていた。
辿り着いた最高地点は、戸板峠の頂上に70mほど足りない、標高約1250m。
この標高から見る南会津の風景は青い絨毯さながらのもので、どこに人が暮らしているのかと思えるほどだった。
画像の○印を付けたところに、道の法面らしき崖が見えた。おそらくあれは旧来の多々石林道の法面だ。
新道は峠まで辿り着けなかったが、多々石林道ならやってくれるはず。次はあそこを目指すぞ。
こうして、戸板峠山中ににおける地図にない舗装路との遭遇劇は終わりを迎えた。
次に私は、最後の分岐地点から多々石林道へ進み、戸板峠を目指す。
しかしその前に、「謎の舗装路」の正体をお話ししたい。
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