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<読者さまにお願いしたいサイト貢献>
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2021/4/23 12:20〜12:40 《現在地》/海抜205m
前回の最後に自転車の取り扱いについて宣言した後、ただちに儀式を開始した。
自転車を生け贄に、エクストレイルをここに召喚する儀式である。
20分をかけて儀式が完了。
エクストレイルが今いる場所に現れた。自転車は見えないから、荷室に食われている。
あと、前日の探索で濡れた靴が乾きたがっていたので、ボンネットの上に出した。
チェンジ後の画像は、この儀式の最中に脳裏に浮かんだ道路標識だ。
「なだれ注意」のオリジナル標識なんだが、小さくビックリマークがついていて可愛い。ようするに、来る時に見た【これ】
の本標識と補助標識を1枚にまとめたんだね。可愛い。
儀式はまやかしである。実際は自転車で車を取りに帰り、車を運転して元いた場所へ戻ってきた。オリジナル標識はここにあった。
12:41
徒歩にて、再出発。
私が、こういう明らかに車道である道を探索をするのに、最初から自転車を用いないのは異例だが、前回最後に述べたような周回探索をする場合、どこかで自転車が足枷になることはほぼ間違いないと思ったので、潔く最初から歩いて行くことにした。あとで行程から脱落した自転車を回収するのも面倒だからな。
で、てくてく歩き始めると、まず最初にこのブラインドカーブの切り通しがあって、それを通り抜けると――
ちょっとした木工作業場があって、そしてその奥が――
12:42
倒木と落枝の山!!
「道が狭くなっている」という事実が霞むほどの衝撃!
さっきから【兆候らしきもの】
はあったが、こりゃ酷い! 図らずも、歩きで正解だ。
毎冬こんなに荒れ果てるとも思えないので、2020〜2021年の冬は、よほどの豪雪だったのかこの辺。
道が狭くなったところで、法面にこんな表示物が取りつけられていた。
全国どこでも良く目にする落石防護フェンスの施工記録板だったが、県道としての素性をあとから検証する手掛かりになるかもしれないから、こういうものは最低1枚しっかりと撮影しておく。繰り返し現れて、内容に変化が乏しければあとは撮らないが。
とりあえず、昭和57年度の施工記録板に「鳥取県」の表示があるから、その時点で既に県道だったのだろうということが推測できるな。
さっき車を停めた場所に「県管理終点 この先」なんて【看板】
があったので気にしているが、まだここは確実に県道っぽいな。良きよき。
イヤイヤきついなこれ!www
森の中にいる限り、ずっとこの倒木の山が続くのか。
山の持ち主ほど痛くはないが、疲労度20パーセントアップは覚悟しないとだな。
12:45
出発から4分後、
覆い被さるような倒木の向こうに、
光り輝くもの(←オブローダーの心理エフェクトを物理に反映)が見えた
いや、光ってるでしょこれまじで。 良い橋アルよ!!
12:46 《現在地》/海抜420m
うん! 間違いなく良い橋、古い橋!
見るからに親柱や高欄のデザインが昭和前半までのセンスだ。
幸いにして親柱には銘板が見えるので、さっそくチェック!
絶対こっちから見ると思ったwww 橋名より竣工年から、オブローダーの常識w(か?)
「昭和貳拾七年参月」(昭和27年3月)
やっぱり古い!!
「石南花橋」
これは、「しゃくなげはし」と読む。
渡った先の親柱の片方が橋名の読みで、「志やくなげはし」と書いてあった。なお対岸のもう一枚は竣工年だった(竣工年の銘板が2枚あるパターン)。
余談だが、現代では植物の「シャクナゲ」の表記は「石楠花」とすることが多いが、「石南花」も正しく、また古くから使われていたらしい。
試しに国会図書館デジタルコレクションを両方の表記で検索してみると、1950年より新しい資料だと「石楠花」と「石南花」の比は約4:1だが、1900年よりも古い資料だと2:1に近かった。
こんなところにも“古さ”って宿るんだね。(ちなみに行政の資料だとこの橋名は「石楠花橋」で登録されている)
まてまてまてまてまてまてまてマテ!!
銘板読んでて気付いたけども――
コンクリートアーチだった!
高欄や親柱以外の橋そのものには意匠めいた飾りや模様が全然ない、質実なアーチ橋だった。
充腹アーチなのも、開腹アーチに対して圧倒的に数が少なく、珍しい。
そして、当時のアーチ橋らしく、わずかに橋面に太鼓橋の膨らみが出ているのが可愛いね。
やっぱり、良い橋だ!!
後日の資料によると、竣工年は確かに昭和27(1952)年で、全長17m、幅員3.6mとのこと。
スペック以上に大きく感じるのは、やはり“威厳”のせいだろう。
森と谷を鎮するような、落ち着いた佇まいが美しい橋だ。
しかし、本当に重要なのは、この年代のこんなに手の込んだ橋が、現在も不通状態である県道の末端に近い場所に存在している事実だろう。
この先に相当に要度が高い(と当時考えられていた)何かの施設があるか、単純にこの道が幹線道路的な重要性を与えられていたか、そのどっちか、両方か。
県道になったのがいつからなのかもまだ知らないが、この橋は“ただもの”ではない感じが…。
古いと言えば、橋から見下ろした来見野川に並んでいる堰堤も、石造りのようであり、古そうだ。
この辺りには、部外の私が想像するより遙かに深くて長い人の歴史が、刻まれているのやも知れないな。
これから先、どんなものが現れるか、いっそう注目して進んでみよう。
石南花橋を渡る。
とはいえ、いきなり歴史的なものが続々現れる始めるようなことはなく、平凡な(ちょっと倒木がうるさいだけの)山道が再開している。
スギ林なので、確実に人工林だし、手入れも本来は良くされているようだ。
直近の冬に荒らされただけで、まだ廃道というような場面では本来なさそう。
12:50 《現在地》/海抜430m
前方、ログハウス風の人家?が見えてきた。
また、しばらく森の中で見えなかった頭上方向の視界が開け、地形図では間違いなくこの道の行き先(地図読みで4kmくらい先)が横断していることになっている対岸の高所が見上げられそうな感じになった。
そこで実際に見上げてみたのがチェンジ後の画像なのだが……
本当に道あるんすかっ!
って言いたくなるような地形で、道らしいものは見えなかった。
対岸の道との比高はまだ250mくらいあるから、角度的に見えないんだろうな… たぶん。
川の蛇行の突端にあるログハウスを透かして、対岸の岩壁を見ているのだが、真ん中辺りに変わった地形が見える。
チェンジ後の画像がその部分のズームである。
まるで垂直に打ち立てた円柱のような形に、スポンと崖が抉れている。
周囲の岩肌の柱状節理であろう模様も凄い!
道とは関わりがないが、ちょっと目を惹く奇抜な地形だった。
12:53
スギ林を外れると、倒木や落枝の障害物は劇的に減り、自転車が恋しい感じの道になった。
やはり、本来は荒れた道ではないようだ。
黙々と歩く。
13:09
一気に15分くらい飛んだが、ちょっと長く休んだだけで、大して進んでいない。
漕げる道を歩いてると、なんか悪いことをしているような気が…(苦笑)。 強迫観念だな。
明るく開けた場所があった。
そこでまた対岸を見上げたのがチェンジ後の画像。
険しい岩場はナリを潜めてくれたようだが、やっぱり道自体は見えないか。
でも、スギ林がラインを描いているところがあるな。あそこが道なんじゃないか、たぶん。
13:11 《現在地》/海抜440m
車のデポ地点(スタート&ゴール)から約900m歩いてきたところで、分岐が現れた。
地図によれば、県道は橋を渡る左の道らしい。
橋の上から急に上り坂になっているのが、これまでの道との由来の違いを感じるような…。
少なくとも、石南花橋のような古さは感じない。
次回は、ここから紹介します。