道路レポート 千葉県道280号白井流山線“木”狭区 後編

公開日 2015.01.26
探索日 2015.01.05
所在地 千葉県白井市

国道と県道の凄まじいコラボレーション


2015/1/5 13:30 《現在地》

白井市“木”における国道16号と県道280号の並走区間が、ここから始まる。
国道は片側2車線の合計4車線、県道は1車線のみで、しかも手前から奥へ進む一方通行(自転車除く)である。

とりあえず、この入口の部分では、県道は左の車道部分と右の歩道部分とに分かれているのが分かるのだが、
少し先へ進むと、印象が大きく異なっている。次の写真をどうぞ。



これ、凄くないか?

これは、県道が2車線あるのではないのだぞ。
白線は県道の中央線ではなく、歩道と車道を分けるものなのだ。
(用語としては、車道と物理的に分離されていない歩行者用通路は「歩道」ではなく「路側帯」という(あわせて「歩道等」ともいわれる)。だが、本編では歩行者用通路の意味で引き続き「歩道」と呼ぶ事にする)
白線の右側は歩道であるが、見た目の違和感半端無い!

歩道と車道が白線だけで分離されているというのは、まあ珍しい事ではないのだが、その両者の幅が同じくらいなので、違和感が強い。
そしてさらなる違和感は、国道と県道とがガードレールたった1枚で隔てられていることから生み出されている。
この県道を車で走れば、広い道を右側通行をしているような、まるで日本ではないような気持ち悪さを全開で味わう事が出来るだろう。
自転車でやっても十分に気持ち悪かったし、もの凄い速度と物量で間近にすれ違う対向車が、怖かった。

この違和感、皆さまにも動画で味わって貰おう。→【動画】



先ほどは軽トラが県道を走っていったが、この短時間のうちでまた1台の車が私を追い越していった。
今度は乗用車で、国道を走るくらいの速度で抜き去っていたので、ビックリしてしまった。

ここの路側帯は進行方向右側にあるため、道路交通法によって自転車では通れないので(【参考】)、自転車は車道部分の左端を走ることになる。
その時、背後から車が来ることに凄く気付きにくいのである(国道を走る車の騒音のため)。
しかも追い抜かれるときは、ガードレールこそあるものの、まるで中央線にいて上下線の車に挟まれたような気持ち悪さを味わう事になる。

はっきり言って、安全上は路側帯を走った方が何倍も良いだろうが、それをすると道路法違反という気持ち悪さ。(「自転車で歩道通行可」の標識が仮にあっても、路側帯は適応範囲外である)
しかも、左から車に追い抜かれるのは何とも気持ち悪かったりする。

まあ、どんなふうにしてもこの道路の構造では、違和感をぬぐい去ることは出来ないということだ。
ジモピーは慣れっこだろうが、初見の人間は皆ここでそういう違和感を持って運転しているのだから、ジモピーもその事を念頭に、ゆとりある運転をして欲しいものである(と甘えてみる)。



先ほどの動画での私のリアクションを見てもらえば分かるだろうが、とにかくこの区間は道路を見慣れた人間にとっては違和感がありすぎて、それが自然と微笑みを湧かせてくれる場所である。
楽しくて楽しくて仕方のない、遊園地などものではないアトラクションなのである。

だが、そんな至福の楽道が長く続くと言うことはない。
地図上で国道と県道がぴったりと寄り添うように描かれている区間は約300mほどでしかない。
しかも、実際にはその終盤の50mほどは少し離れ始めているのである。

国道と県道の分離の場面は、両者の間に細長い草むらが割り込んでくる形で始まり、やがて完全に2本の道となって、短い別れとなるのだ。

だが、この“終宴”の場面にこそ、もう一つの大きな見所が待ち受けていた!



13:32 《現在地》

こっ これは…!

県道280号に横断歩道が…!

これも異様な光景過ぎる。

まるで、左側の車線にだけ横断歩道のペイントが描かれているようにしか見えないが、これで良いのである。
既に述べた通り、この右側の車線に見える部分は歩道なのだから。
横断歩道の配置としては、これで間違いなく正しい。

しかし、明らかにここでは歩道の方が広く取られている。
車道を敢えてこんなに狭く限っている理由は、不明だ。
先ほど私を追い抜いていた車など、車の半分は歩道に入った状態で走っていたが…。



こんなに長さの短い横断歩道は、滅多にあるものではない。
計り忘れてしまったが、たぶん2mくらいしかないと思う。
(対して歩道側は幅が3mくらいはある)

しかし良く路面を見れば、現在の(歩道と車道を分ける)白線のすぐ手前に、別の消えた白線の跡が見えている。
これはかつてこの道路に敷かれていたセンターラインなのだと思う。
後述するが、この道は誕生した当初からこんな不自然な姿をしていたわけではないようだ。
平凡な2車線道路だった時代があった。

ともかくここから先は国道と県道が分離し、国道16号の両側に歩道がある状態になる。
これはその歩道へアクセスするための横断歩道であり、ちゃんと明確な存在意義が見て取れるのだが、奇妙な関係にあった国道と県道のサヨナラに相応しい、なんとも奇妙な風景だった。



13:33 《現在地》

徐々に離れ始めた国道と県道の間隔が10mほどになったところで、県道の一方通行という不自然な状況が終わりを迎える。

ここで国道と県道が脇道で接続しており、これまでの300m区間が一方通行のため通れない県道の下り線は、国道へと誘導されている。
したがって、県道を終点から起点へ走る下り方向の走破は、県道だけでは完結できない。
一方通行区間がある国道や県道は結構あるが、ここは変則的な例である。




振り返り見る脅威の一方通行区間。
過去には間違って進入してしまった車が多かったのか、進入禁止の標識が左右と上とあわせて三つも取り付けられていた。

なお、2車線だった時代には、黄色い線の様に白線が敷かれていたのだろう。
隣の国道が開通した際に、その歩道として県道の1車線分(下り線)を譲ったように見受けられる。



これも振り返って撮影した写真。

前出の交差点を予告する青看である。
こちら側の青看には特に駄目出しをする必要を感じない、真っ当で平凡な内容である。




ふぅ〜〜。 終わった終わった。平和な笑いをありがとう。
この県道はまだまだ始まったばかりだが、最大の見所であると同時に初見ドライバーの難関を終えた。
今はもう、どこにでもありそうな2車線の県道だ。
交通量は相変わらず少ないが、それもそのはず、僅か1km足らずで再び、いや三度、国道16号と接続するからだ。
だからこの1km区間も、沿道にある人家と畑と僅かな枝道に用がある人しか通らない。



そしてこの1kmの区間内で、私は初めて県道280号のヘキサと出会った。
他県とは少し違った、おそらく千葉県オリジナルデザインのヘキサで、路線名と路線番号を1枚のヘキサにまとめた省コストの機能性が売りだろうか。

それにしても、本当に通行量が少ない区間だ。
所々で左に並行する国道が見えるほどの距離なので、そこを行く車の多さとどうしても対比してしまう。




今回のレポートの終わりと決めていた交差点が間近に迫った。
こうして斜めに国道16号と接触するのは、もう3度目である。
起点から1.2kmで最初の接触をし、そこから0.3kmを一方通行状態で並走してやり過ごしたのち、2度目の接触で2車線に復帰。そしてそこから1kmで、この3度目の接触である。
同じ国道と、これだけ短い区間でしつこく接触する県道というのも珍しいような気がする。

そして、珍しいという言葉には、当然“疑問符”が付属する。
国道と県道の関係について、疑問を投げかけている。(考察は後述)




13:42 《現在地》

この折立交差点で県道280号は国道16号を斜めに横切り、初めて国道より東京側へと入り込む。
そしてこの後、もう二度と両者が近付く事はない。
これにて一段落というわけで、私の追跡もここまでとした。




今回ご覧頂いた県道280号の風景は、異様なものがあった。

そして、道路のなかでも、“公道”に関して言えば、こうした他とは違う異様な風景には、ほぼ間違いなく“納得の理由”がある。
このことは、異様な形をした民家に対して「なぜこの形か?」と問いかけてみても、多くが「住人の好み」という計り知れないものに帰着してしまうのに対して、公共物の代表格である道路の特徴的な性質だと思う。

道路が一際に異彩を放つとき、そこには標準的な姿ではいられない、或いは標準的な姿よりも総合的に優れている、そんな相応の理由がある(あった)はずなのだ。

本編の締めくくりとして、現在の奇異な風景が誕生した理由を考えてみたい。



右図は、平成11年(1999年)版の「スーパーマップル関東道路地図」から切り出した画像である。

この当時から、国道16号と県道280号は現在と同じように絡み合ったり並走したりしており、描かれ方はほとんど現在と変わっていない。
違いと言えば、一つは地名が白井市ではなく印旛郡白井町であった(市制施行前)ということと、もう一つ、県道を路線バスが通っていたということだ。

これは注目すべき情報で、路線バスのルートは国道ではなく県道の上に描かれている。
現在この路線は廃止されてしまったようだが、当時県道280号はバス路線であった。
このことについては、読者さまからの次のような証言も得ているので、間違いないと思う。

ここ、平成3年の北総線都心延長まで、松戸行きのバスが走っていたんですよ。

このことの意味はあとでまた考えるとして、国道と県道の歴史をさらに遡ってみたい。
登場するのは、お馴染みの歴代地形図である。



← 新しい                (歴代地形図)                  → 古い
昭和54年(1979)
昭和44年(1969)
昭和26年(1951)
大正10年(1921)

右図は昭和54年から大正10年まで、新旧4世代の地形図の比較である。
こうして比較することで、国道と県道が絡み合う以前の風景を知る事が出来る。

まずは昭和54年版からだが、国道と県道は現在と同じように描かれている。
だが、ここから10年遡って昭和44年版となると、いきなり大きな変化がある。

これは予想していた方も多いだろうが、国道16号より先に県道280号があった。
県道280号と同じルートは、昭和26年版にも既に県道としてしっかり描かれており、古くから重要な道路であったことが伺える。

実は昭和44年当時、国道16号は白井町内(現白井市内)が未開通で、本編の最後で紹介した折立交差点から木下街道に至る区間では、県道280号を代替路として利用されていたのである。
現在ではすっかり長閑な県道だが、そんなに昔でもない一時、国道16号の一部のように使われていた時代があったのだ。

このことについても、地元の読者さまはちゃんと見ていた。次のようなコメントが既に寄せられている。

ここで生まれ育ちました。この区間の16号は開通が遅く、現県道が迂回路でした。
側道みたくなった部分も元は2車線で、16号開通に伴い狭くなった記憶があります。

コメント内の「側道みたくなった部分」とは、例の一方通行区間の事である。
現地で観察したセンターラインの跡から、「かつては普通の2車線道路だったのだろう」と推定したが、その通りだったのである。


県道280号の一部が、国道16号完成までの短期間、その代替路として利用されていた状況が判明したが、実際に“国道16号”として指定されていた可能性もある。
これは現在調査中のため、確認が取れ次第追記したいが、昭和41年頃に発行された道路地図帳の中には、このように(画像:「実用道路地図北日本編」より)、国道16号を県道280号同じルートで示しているものがある。
当時の道路地図帳というのは小縮尺な事もあって相当いい加減なので、即断は避けたい。



右図は、昭和50年(上の地形図の1枚目と2枚目の間)に撮影された空中写真から、今回の一方通行区間を表示している。

これを見ると、国道16号は既に開通しているが、2車線の供用で、いまの外回り線の部分は使われていない。
さすがに解像度の問題で、県道の路面状況は分かり難いが、当時から一方通行だったようである。
今と同じ道幅の中ほどまでしかない横断歩道が、それを物語っている。

ともかく、この辺りの国道16号は、開通の当初から4車線分の幅を確保していた。
しかもそのルートは、従来からある集落や県道の位置など歯牙にもかけないような、我が道を行く直線のルートであった。
国道16号は、県道280号などとは比べものにならないほど広い地域に利害を及ぼす、極めて広域的で重要な道路として計画されたからである。
そしてこの偉大な直線道路は、先達である県道280号の一部を容赦なくかすめ取った。

だがこのとき、県道の1車線だけを一方通行にして残すなどという変則的な事はせず、完全に国道で県道を分断してしまうという選択肢もあったはずだ。
旧い世代の道と新しい世代の道が重なり合うとき、旧い道を廃止して、新しい道に統合してしまうというのは一般的なことだ。
なぜ、そうはしなかったのか。


これが最後の謎だと思う。

そして、残念ながら、その答えはまだ憶測の域を出ない。

一つの仮説、というか理由の一つと思われるのは、前述した路線バスの問題である。
平成11年当時は県道を路線バスが通っていたのだが、おそらくこれは国道が開通する以前からあった路線だと思う。

その前提で思考実験をしてみる。
もしも県道が、ここで完全に国道に分断されていたとする。
そのとき、県道の上り線を走る路線バスは、一旦国道16号に合流してから、わずか300m先で右折してまだ県道へ戻るというルートを取らねばならない。
国道の交通量を考えれば当然、県道へ戻る交差点に右折レーンが必要で、道全体も多少の拡幅を要するであろう。
それをクリアしても、国道の交通量が極めて多いために、右折にはかなりの時間を要するものと思われる。
国道が出来る前の県道が一本道だった状況と比較して、2箇所の信号待ちで3〜5分はロスするのではないか。

このとき、上り線だけでも県道を生かしておけば、信号待ちは1回だけで済む。
(下り線については左折ばかりなので、国道に迂回しても下り線ほどのタイムロスはない)

沿道集落の住民感情を想像するとき、集落の利害を超越した巨大な国道を喜ばなかった人は当然いただろうし、彼らの要求として、従来から愛用していた県道の利便性を出来るだけ維持して欲しいというのがあったはず。
何度も言うが、この県道280号と国道16号の関係というのは、同じ道の単純な旧道と新道の関係ではない。
ある意味、国道16号は余所から来た侵略者のようなもので、従来の県道とは別の次元に存在していたのである(時間と共に融和もあるだろうが…)。
だからこそ、県道は交通量が相当に少ないにも拘わらず、未だに国道と統合されることもなく、つながりを維持されているのではないだろうか。


「変わった道には理由があるのだ」、などと断定的に大言を吐いた割に、〆の結論は断定的でないのが恥ずかしいが…。
いずれ情報が揃ったら、より完備したレポートに改善したい。