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いつも楽しく読ませていただいています。
本日、あるところに面白い記事が載っていたので投稿します。
愛知県なので遠いですなぁ。。。
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愛知県設楽町の山の中に、朽ち果てそうな建物が残っていた。1965年まで電車が来ていた豊橋鉄道田口線の三河田口駅舎。廃線跡を巡る鉄道ファンには知られた場所だったが、昨年夏、完全に崩れ落ちた。大雨が原因らしい。全線の廃線から44年、田口線の思い出が一つ、消えた。
設楽町によると、昨年8月下旬、建物が倒壊しているのを、車で近くを通った人が見つけ、町役場に知らせた。以前から屋根の一部が落ちたり、壁が崩れたりするなど、少しずつ壊れていた。8月21日の大雨で柱が倒れ、屋根が完全に落ちてしまったとみられる。
崩れた屋根が町道にはみ出したため、町は建物を管理する豊鉄に依頼して、撤去してもらった。今は廃材が現場に残っているだけだ。
残っていた駅舎は木造平屋建てで、豊川沿いにあった。田口線の運転士をしていた黒柳嘉治さん(79)=設楽町清崎=によると、前身の田口鉄道が三河田口まで開通した1932年当時の建物。それが約80年間、残っていた。駅長室や待合室、切符売り場、仮眠室などがあった。
豊鉄田口線は三河田口駅舎のほかにも、トンネルや橋、線路跡などの遺構が数多く残っている。そのため、豊鉄や地元の観光協会が主催するハイキングでもコースにもなり、鉄道ファン好きが訪れるなど人気スポットだった。
三河田口駅舎から下流に1キロほどに地点に、設楽ダムの堤体ができる予定で、になっている。そのため、ダム建設が進めば、湖底に沈む運命だった。設楽町観光協会によると、鉄道ファンからは「駅舎を保存してほ欲しい」と電話があったことがあり、倒壊後には残念がる声が寄せられたという。
黒柳さんは48年に田口鉄道に入社し、廃線になるまで田口線の駅員や車掌、運転士を務め、その後は渥美線で電車を運転していた。「いくらボロボロになっても、ここに鉄道が走っていたことが分かる思い出の場所。なくなってしまったのは残念だし、寂しい」と話した。