栗原鉄道 赤坂山隧道  

公開日 2006.07.11

このレポートの内容は不完全なものであることが判明しました。
赤坂山隧道の尾松側坑口は、他に存在するとのこと。
読者の皆様におかれましては、その点をご了承下さい。 「再調査計画中」

2006.7.11読者情報により判明

 またひとつ、レールが消えようとしている。
2007年3月いっぱいで全線のバス転換が予定されている、くりはら田園鉄道線。
通称「くりでん」がそれである。

周辺地図

 くりでん。
大正10年「栗原軌道の部分開通」から今日までの80年近い歴史は、まさに波瀾万丈。
僅か26km余りのミニ鉄道でありながら、おおよそ一つの鉄道が経験できる全てのイベントを経験していると言っても過言ではない。
 以下に、この鉄道の体験した経歴のうち代表的なものを記す。
まず全線(26.2km)が開通したのは昭和17年。当時は「栗原鉄道」に改称されていた。
昭和27年、電化
開業当初は軌間762mmであったものを、昭和30年に現在の1076mmへ改軌
この頃に名称も二転三転しているが、改軌を機に「栗原電鉄」へ改称。
昭和63年、終点の細倉鉱山の閉山によって、全線の貨物営業廃止。また一部区間廃止。
この閉山は、本路線の斜陽が決定的になる出来事であった。
平成2年、鉱山跡地にオープンした細倉マインパークへの旅客輸送を目論んで、終着駅を0.2kmだけ、一旦廃止した部分へ遷す。これはある意味延伸である。
平成5年、周辺市町村の出資により第三セクター化
平成7年、電気設備の老朽化を理由に、前代未聞の電化廃止。再びディーゼルに戻る。
平成19年3月末日をもって、バス転換を予定している。つまり、廃止

 このくりでんには、なかなか語り尽くせぬ魅力が詰まっているのだが、今回紹介したいのは、上に挙げた略歴の最初の方「昭和30年の改軌」に伴って廃止された隧道である。
そのような希有な存在が、ただ一つだけ、存在している。

 場所は、栗原市の尾松駅のすぐ傍である。
それではご覧頂こう。




タイムカプセル

くりでん 最後の夏の日

 隧道がある尾松駅は、終点から数えて3つ目の駅である。
周囲は栗駒山麓から繋がる丘陵地帯で、田園の合間に小さな山が並んでいる。
何とも長閑なこの一帯も、いまや広域合併によって栗原市の一部になっている。

 写真は、駅の全景。
遠くに見える小さな待合室のあるホームが、尾松駅である。
この踏切道は県道と交差するものだが、木製の板敷きがいい味を出している。
駅前商店一つ無く、トイレも、電話ボックスも、駐輪場も駐車場さえない。
うっかりすれば見落としそうな駅である。



 ゆるやかなカーブの途中にある尾松駅ホーム。
開業は昭和17年で、ここに線路が延びてきた当初からある駅の一つである。
開業当時にはこの駅にも何らかの需要が見込めたのであろうが、現在では誰が使っているのか不思議なくらい、周囲には何もない。
県道沿いに数軒の民家がある他は、山と田んぼだけである。
本当に列車が止まってくれるのかと、疑いたくなるほど寂しいところだ。



 白塗りの木造待合室には、これまた見事に何もない。
いちおう、時刻表と運賃表、ワンマンカーの乗り方の案内板、それと外には駅銘板だけはある。
窓ガラスさえないのには悲しささえ覚える。
待合室の椅子も埃だらけで、とても使われているように思えない。(駅周辺に車や自転車が無いところを見ると、本当に誰も今日、この駅から乗り降りしていないのかも……)



 運賃表にも、時刻表にも驚きがあった。

 まず、運賃表。
駅の数がとにかく多い。僅か26kmに15駅が犇めいている。 都心の鉄道だったら普通だろうが、人口密度が桁違いだ。 実は、最初からこんなに駅があったわけではなく、第三セクター化前後、利用の掘り起こしのために増やされたものが少なくない。
運賃の高さも驚きだが、仕方がないのだろう……。

 一方、時刻表を見ると、意外に列車が多く運行されていることに驚かされる。
これまた、利用者の便を考えての心憎い配慮なのだが、来る列車来る列車、すべて一両ワンマンカーである。それにしても、この列車頻度は意外だった。



 ホームは軽便鉄道時代の名残で、低い石垣の上に嵩上げされた跡が鮮明に残る。
このくりでんも、JR線で当たり前のように見る1067mmの軌間なのだが、それ以上に幅広に見えてしまうのは目の錯覚である。
その原因は、レールが細いのだ。
JRで一般に使われているレールより、かなり軽い物を使っているのだろう。
まあ、鉱石を満載した貨物が往来していたかつてならいざ知らず、いまや小さな単行列車しか通る物はないのだから、問題はないのだ。きっと。



 くりでんの悲哀を感じさせる最も象徴的なアイテムが、この架線柱や、架線である。
最初に述べた略史の通り、平成7年に電化廃止という退化に見舞われた名残である。
電気設備の更新の資金がなかったとも言われるが、なるほど廃止後の設備を撤去する事も出来ないのでは、無理からぬ事だろう。
泣けてくる。
マジ泣けてくる。



 呑気にレールの上を歩いて(時刻表は確認済みです)、尾松駅の北へ進む。
これまでに仕入れた情報によれば、この付近に廃隧道が有るはずだ。
駅からも見えるような話だったが、緑が青々としすぎているせいか、ホームからは確認できず。
そればかりか、200mほど歩き、掘り割りになった小さなサミットを越えるところまで歩いても、なお隧道など見当たらないではないか?!
そんなはずは!!



 掘り割りの周辺をさらに念入りに捜索したところ、ありました。
ご覧のように、まるっきり植生と同化していた。
このコンクリートは、尾松駅とは反対側の坑口の角である。
尾松駅側ははっきり言ってこの日、線路上からはまず発見できない状況だった。

 ともかく、接近してみる。
内部状況が気になる。



 坑口の側面というか、角の部分である。
昭和17年頃に竣功し、わずか14年しか使われず廃止された隧道である。
戦時中の建造でコンクリートも粗悪だったのか、風化著しい。
名前は赤坂山隧道というらしい。
軽便鉄道時代には、このサミットを隧道でくぐっていたが、改軌に合わせ掘り割り化すると共に、少しだけ掘り下げも行ったようだ。
どうも坑口の床の高さが、現在のレールレベルより1mくらい高い。
そんな改良を経た現在でも、この地の勾配は17‰もあり、非力なくりでんには辛い場所になっている。



 もの凄い密生した笹藪を2mほど掻き分け、蜘蛛の巣の洗礼を大量に受けながら、坑口前に到達。
背後は一歩も下がれない。薮が深すぎる。
軽便鉄道らしい小さな断面のコンクリート坑口で、特に装飾と言えるような物はない。
薄暗く、見るからに薮蚊の巣窟であり、正直、中を見渡しただけで引き返したくなったが、いちおうね。
確認義務? …いやだなぁ。



 中を見渡すと、そう遠くないところに出口が見えている。
どうやら、貫通はしているようだ。
しかし、土砂がかなり積もっている。
崩壊による物なのか自然の埋没なのか、内壁の破損がそれほど無い状況から見ると、人為的に埋め戻そうとした跡なのかも知れない。
それにしても、断面が小さい。
軽便鉄道由来というが、いくら何でも天井が低すぎやしないか。



 山側から線路側へと傾斜するように土砂が積もっている。
やはり外部から持ち込まれた土砂なのだろうか。
洞内は短いながら、地下の冷気を保っており、それほど不快な虫に悩まされることはなかった。
その代わり、コウモリがかなり生息しており、しかも餌が豊富なのか体が大きい。
元気よく飛び回るもんで、肩身の狭い探索となった。



 洞床には、空き缶や空き瓶のゴミが目立っていた。
特に目を引いたのが、この見たこともない扁平な缶。
腐食が進んでおり何という飲み物なのかは分からないのだが、製造元は「コカコーラボトリング」。
内容量は250ml。タブは古いタイプであった。
気になるのが写真で拡大した部分の表示で『又車窓からすてないようご協力ください。』とあるのだが、車窓?
もしや、鉄道に関係した空き缶なの? 違うよね。普通に車の窓から捨てるなって言う意味だよね?
このジュースの目撃証言、求む!!

これは、スプライトの初期のデザインであるとのこと。

2006.7.11 原崎様ほかの情報提供により



 まるで天然の明かり窓。
隧道中央部の天井の一部分が抜け落ち、外が見えている。
かなり薄いコンクリートを使っているようだ。亀裂が至る所に走っており、老朽化の限界を迎えている印象。
下手に触るとペシャンコになりそうな怖さも感じた。

 どうやら、隧道を廃止して隣に切り通しを掘ったとき、隧道上部の土砂も殆ど取り除いているようだ。
それでこんな景色が生まれたのだろう。
隧道を取り壊して掘り割りにするケースは少なくないが、隣に堀り直しているところが珍しい。



 あとは、どこかの廃隧道でも見たようなゴミのオンパレード。
右のHiC・オレンジの500ml缶は、久々の遭遇であった。



 ってか、よく見るとこの隧道の中は狭いのに古空き缶、レア瓶の宝庫だぞ。
コウモリがうるさいのと、やっぱじめじめして虫も多い気がして気持ち悪いのとで早々に切り上げてきたが、探せばかなり発見できそうだ。
とりあえず、写真に写っている拡大部分は、キリンレモンとコカコーラ。
だいたいこの隧道にあるゴミの時代層は、昭和40年代後半〜50年代前半辺りか?
隧道廃止後のゴミなのは間違いないと思う。



 で、尾松駅側の出口なのだが、こちらは間違いなく自然の崩壊を伴っている。
天井が落盤し、外の土砂が流れ込んでいるのだ。
人が出入りできるくらいのスペースはあるものの、それを許したくないかのように、外の藪が酷い。
出ても行く場所が無さそうだよ(笑)。



 ほんと、もの凄い薮に覆い包まれている。
この日の気温は28度でしかも蒸し暑く、蜘蛛の巣も飛び回る羽虫もたくさん目に付く中、この薮へと突撃するのには、下手な廃隧道や廃橋をこなすよりも勇気が要る気がした。
実際私は、しばし悩んだ後、意を決して頭から行った!

 ぐいぐいと頭で薮を押しのけ、春の竹の子、秋のきのこのように、地に埋もれた隧道から薮の上に顔を出そうともがいた。



 この薮では隧道の全体像は撮影できかねる。
よって、この画で尾松側坑口は勘弁して欲しい。
とてもでないが、尾松駅から坑口が見えるなどと言うことは、現在では冬でも難しくないか?
崩壊著しい赤坂山隧道は、そう遠くない将来完全に消滅すると考えられる。
その全長は20m程度である。



 ね、見えないでしょ?

 直近の線路上から法面に一応口をあける尾松側坑口(跡)を撮影しているのだが、見えない。
コンクリートの隧道の外壁の一部が崖にへばり付くように見えている感じもしたが、なんかもう滅茶苦茶で。
軽便鉄道時代の遺構というレア度を差し引いても、再び訪れたいような場所ではないな。

 レポ完了!