隧道レポート 走水での“未確認隧道”unidentified tunnel (UT)捜索作戦 第3回

所在地 神奈川県横須賀市
探索日 2024.03.25
公開日 2024.04.26

 困難だった走水第二隧道上部での隧道捜索


2024/3/25 6:19

探索開始から約1時間が経過した現在、当初予定していた隧道捜索範囲のおおよそ半分を終えた感じだ。
連続する走水第一・第二隧道のうち、前者上部での捜索を終え、そこで「穴」を一つ見つけたが、現状貫通していないことは分かったものの、それが探し求める隧道の名残だったかの確定が出来なかった。ここに“虫取り少年”ご本人がいないのが悔やまれる。
というわけで、“本命”がまだ残っている可能性を考慮のうえ、続いては第二隧道側でも同様の捜索を行いたい。

ここでもポイントとなるのは、“道”の存在だろう。
使われていない道を辿っていって、使われていない廃隧道を見つけるというのが、王道であり、理想的なパターン。というか、そうでなく山の中に孤立した点のような隧道を見つけることは、よほど見通しが良い場所でないとほとんど無理である。

だが、「現在地」である隧道東口付近から第二隧道上部へ入る道の存在は、不明である。
第一隧道では浄林寺脇から良い具合に道があり、事実それを辿っていって“穴”を見つけることが出来たが、その道は最後厳重な鉄柵で第二隧道側には進めないようにされていたから、こうして仕切り直すしかなかった。
果たして第二隧道での捜索は、どこを重点的に攻めるべきなのだろう。
その指針となる何らかの道が、欲しかった。

冷たい雨と不安の中で、後半戦スタート。



そんな道探しのきっかけとして選んだのが、意味深に第二隧道西口脇に鎮座する、小さな赤い鳥居だ。
鳥居の奥にはお決まりの参道があり、その先10mほど石段を登ったところに当然ながらお社が。
これは、玉姫稲荷神社と呼ばれており、現地看板による来歴は、明治の頃に地元伊勢町の「お玉さん」が東京方面へ女中奉公へ行くためここを通りがかった際、キツネに憑かれて難儀をした。後日、占い師に稲荷を祀れば解けると告げられ、明治29年頃に勧請されたものという。

この話は、道路ともやや関わりがある。
果たしてお玉さんが通ったのは、走水隧道が出来た前なのか後なのか。もし後だとしたら、水路隧道から車道隧道化された明治16年以降と考えて良いのか。
この神社の立地が、隧道以前の古道があった場所だと考える根拠は特になく、せいぜい坑口脇という立地条件に期待を持った程度だが、ポイントとなるものが他にはなく、目立つこの場所を起点に入山しようとした。



で、参拝もそこそこに社の裏手に回り込む。

道は……

本当に微かだが、薄らとある気がする。

地形があまり険しくなく、どこでも歩ける程度の傾斜であることが、いまは不利に働いている。



6:21 《現在地》

石仏たちが…。

道かそうでないかの確信が持てないところを等高線をイメージしながら進んでいくと、第二隧道東口の直上付近にて、ぱっと見て7尊の石仏が横一線に並んでいるのに遭遇した。
明らかにこの場所までは大勢の人が立ち入っていたのだ。
2尊は立ち、5尊は転倒していたが、摩滅により文字が読み取れないものを除くと、青面金剛が少なくとも3尊あった。チェンジ後の画像のものも青面金剛で、三猿を伴い、天邪鬼を踏みつけている。また、側面には文政5(1822)年の文字が読み取れた。他も簡単にチェックしたが、天保の年号のものもあり、明確に明治以降のものは見つからなかった。

玉姫稲荷が明治の勧請であるとして、それ以前からこの場所に寺社が存在していたのかも知れない。
ここまでは、道があって然るべきだろう。



6:23

よく知っていると思っていた隧道の直上にも、これだけ知らない世界が広がっている。
隧道からは見えないんだから当然だが、やはり古くから人と関わってきた里山だけに、知らない遺跡に溢れている。
道の存在を肯定する発見に力を得て、そのままあるかないか不明瞭な道を辿ってトラバースを続けると、すぐに第二隧道直上の空間が行く手に現れた。

陽当たりの良いこの一帯は以前まで耕作されていたようで、いまは一面密生した篠地となっている。
地面の起伏も分からぬほどの猛烈な藪であり、隧道が隠れていそうな地形でもないので、樹陰で藪が抑制されている山手に迂回して進むことにした。



6:29

が、キツい!

山は山で、激★ツタ☆山。

こんなの、弘法大師でなくても厭になるレベル。しかもぐっしょり濡れまくっているというね……。

チェンジ後の画像は、その辺りから救いを求める目で脇見をして、現国道が通る海岸線の住宅地を見下ろしている。
オシャレな海沿い住宅地の裏にこんな過酷な藪山があるなんて! …………まあ普通かそれは(苦笑)。



気付けば、もともと有るのか無いのかはっきりしなかった道形は完全に見失われ、ただの山の斜面にポツンといる自分を自覚する。
でもそんな場所でも原始境ではあり得ないのが三浦半島という場所で、見覚えの有るこの画像の石柱を何度も見た。

「陸」と刻まれたこの石標は、陸軍用地の境界標であり、戦前の遺物である。
戦前、帝国海軍の要として横須賀鎮守府がおかれた横須賀は、同時に帝国陸軍の首都防塞の要だった東京湾要塞の拠点であり、幕末および明治期から始まった各種軍事施設の建造は、太平洋戦争末期まで続いて最終的に国内屈指の密度で軍跡・戦跡の点在する土地となった。そこまではこれまでの当地方での探索でも把握していたことであり、いま走水隧道の上部にこのような標柱を見つけても全く不思議に感じることはなかったのである。

そもそも、走水隧道の建造理由も海軍横須賀造船所の専用水道路であったし、それが車道化されたのも、観音崎周辺に建造された砲台などの各種要塞施設への軍道的要素が多分にあった。走水が観音崎観光の玄関口として装いを改めたのは終戦後のことである。



6:40 《現在地》

結局、私の「道を辿って隧道を探したい」という目論見は、猛烈な藪とだらだらとした地形、そしておそらくそんな道自体が存在しないという現実の前では完全に破綻し、かといって途中で引き返すことも癪であったから、前半戦最後に立ちはだかった【鉄条網柵】の裏側にどこまで迫れるかということを新たな目標に据えて、第一・第二隧道の間を流れる沢を目指して尾根を最短で越える選択に出た。
(もうこの時点で隧道探しは半ば破綻していると自覚していたが、とにかく第一・第二隧道の上部を一巡して探したという納得感が欲しかった…)

で、玉姫稲荷から約20分も要して直線距離であれば100mも離れていない第二隧道が潜る尾根のてっぺん、路面から見て30mほど高い位置へ乗り越しに辿り着くと、そこに思いがけないコンクリート構造物の廃墟を見つけた。
それは、尾根に沿って上下に伸びるコンクリート製の開渠らしき残骸(外径1m四方ほどの四角)で、上側は土中に埋設され、下側はくずれ落ちたように断絶し、その先はやはり土の中だった。

さすがに探している隧道と関係はなさそうだが、この尾根にもまた、人知れず、地図知れずの遺物が眠っていた!



私は始め、尾根伝いに上を目指して少し歩いた。
数分進むとほぼ平坦になり、丘の上の平坦地を占領している防衛大学の施設も近いと思われたが、こんな場所で下手に不法侵入を疑われると面倒そうなので撤退し、今度は反対に尾根伝いに下方を目指した。

尾根上には、ごく最近雑に刈り払われた道形があった。ピンクテープも方々に見え、容易く上下に行き来できた。
そうして歩いてみて分かったが、この尾根は等高線の印象以上に緩やな地形をしていた。特に高い位置ほど緩やかだ。
そのため隧道を掘って潜り抜けたくなる場所は、海岸に近い低位、すなわち現在の走水第二隧道がある辺りだけであるように思う。



6:49 《現在地》

尾根の刈払い道を下って行くと、自然と谷底へ導かれた。
それは目指していた、第一・第二隧道の間の谷であった。
その谷底にあったのは自然の渓流ではなく、やはりコンクリート製の開渠だった。少量の水が勢いよく流れ落ちている。いま降っている雨水だろう。開渠の周囲は刈り払われていて、何者かの管理下にある現役施設であることが窺えた。

結局、第二隧道上では“虫取り少年”の歩いた隧道はおろか、道らしきものさえ明確に見いだせないまま、前半戦で引き返した谷へ辿り着いてしまった。
これで、大雑把な意味での未捜索範囲は、もうなくなった。



あんなに突破を許さぬ感じの威圧を感じさせていた鉄条網柵だが、反対側からは(道なき山を歩きはしたが)なんら放埒せず到達出来てしまった。
開渠の西側に柵が並走しており、前半戦で引き返した柵の向こう側の道の続きへ行くこともいまなら容易かったが、それをしても隧道の擬定エリアからは遠ざかるし、そこが【猛烈な笹藪】だったことも知っている。加えて、防衛大学の敷地にはあまり近づきたくないので、私はそのまま谷沿いを下流へ、第一・第二隧道間の明り部分を目指して進んだ。



高度を下げ、谷の出口に近づくと、地形が狭まってきた。
刈払いも不明瞭となり、歩きづらい。
ここで鉄柵が突然途切れたので、ここから前半戦の道へ行くことも選択できたが、私はそのまま下降を続け、県道へ脱出して探索終了とする心積もりで進んだ。



6:55 《現在地》

だが、ここから県道へは脱出できなかった。

谷の出口は【県道の法面】であり、開渠の水だけが垂直の排水溝に消えていた。
法面は切り立っていて下れないし、左右に迂回しようにも、猛烈な藪と両隣の坑口が邪魔をして、容易には脱出させてはくれない様相だった。

ここから脱出して探索終了するつもりだった私だが、それが果たせなくなったので、面倒だがもう一度第一隧道の上を歩いて越えて、浄林寺脇の小道へ抜けることにする。来た道を戻るのは、序盤の藪が辛くて考えられなかった。

この成り行きの選択が、まさか “発見” に結びつくとは!!

私は今日もまた、オブ神に溺愛されている?!?!



 成り行きから、再び第一隧道上部を捜索する


2024/3/25 6:57 《現在地》

成り行きから、再び走水第一隧道の上の山を通ることになった。
前半で探索した道を歩けば確実容易ではあったが、せっかくなので未発見隧道遭遇の可能性を少しでも広げるべく、先ほど通った道からは見えなかった領域を通って戻ることにする。

具体的には、出来るだけ現在の走水隧道から離れずに山の低い位置を歩いて行こうと思う。
ぶっちゃけ、道がないところに隧道はないと思っているので、この低い位置に未発見の道があることを願った。前半早々見つけた【謎の穴】が低めの位置にあったことも、私のこの選択を後押しした。

写真は、とりあえず第一隧道上の斜面の一部である。
前半通った道は、この辺りでは隧道より30mくらい高いところに有ったが、それより低い位置をトラバースしていく。もちろん、地形や藪的に無理のない限り、であるが。



7:01

低い位置を進もうとすると、さっそく障害にぶち当たった。
とても高い土留め擁壁が、山の斜面の裾野にあたる位置を覆っていた。
これにより、普通なら可能であるはずの山から下りるという選択が出来ない。このような擁壁は、第二隧道東口から第二隧道西口まで途切れずに続いていて、この区間の途中から山へ出入りすることが出来ないし、この擁壁の上端より低い位置を歩くことも出来ない。

高い擁壁の下には常に民家が並んでいて、平穏な都市生活とヤマのモノの領域が、全く交わらず分断されている。
かつてこの崖の位置に海食崖があったのだと思うが、もしその中腹に“虫取り少年”が歩いた道や隧道があったとしたら……、残念ながらそれはもう、終わってる、ということになるだろう。



7:05

結局、斜面の下部を支配している巨大な擁壁のせいで、大して隧道を探しうる範囲がないことが分かり、大概終戦した気持ちになりながらも、擁壁のすぐ上あたりの斜面を歩いた。当然、隧道はおろか、道らしい地形も見当らず、鬱蒼とした闊葉樹林が広がるばかりである。相変わらず所々に標柱は点在していて、この写真のものには「防三八七」とだけ刻まれていた。

そして、この標柱の地点が、第一隧道上の地形の膨らみ(尾根と言うほど明瞭なものではない)の頂点であった。
ここを越えると、第一隧道の西口があるあたりを自然と見下ろす形となった。



7:06 《現在地》

足元のほぼ真下に第一隧道の西口がある。20mくらい下だ。

その坑口よりは高い位置、私の右下方10mくらいのところに、第一隧道とだいだい直交する方向に伸びる平場を見つけた。

何であっても発見への手掛かりが欲しかった私は、この平場が未知の道であることに一縷の期待を寄せた。



同じ位置から視線を平場の延長方向へ向けると、その平場は30mくらい先でおそらく唐突に終わっているらしかった。
これは道というには短い気がするが、確認のため一応降りてみることにする。
ちなみに前半通った道から、この辺りは全然見えなかったので、一応は新発見の平場である。




7:07

穴だー!!!

土嚢の山で塞がれているが、そのことが逆に入りうる奥行きが存在することを暗示していた。
隣にも似たような窪みがあるが、こちらは奥行きが全くなく、土嚢も置かれていない。

穴があったらまずは隧道を期待したいところだが、正直第一印象として、この穴には隧道よりも防空壕っぽい印象を受けた。
平場の中ほどから唐突に山へ向かって掘られている状況も、四角い形も、防空壕感を出している。

しかし、内部を確かめてみないと、判断は難しい。
多くの防空壕は、非貫通であるか、内部に分岐がある。
したがって、分岐もなく素直に貫通していたら、隧道である可能性が出てくるだろう。
そして同時に、“虫取り少年”が通り抜けた穴である可能性も高くなる。

ぜひ、確認したい。



風ッ!!!

この穴、反対側に貫通しているようだ!

土嚢の上に少し隙間があり、そこに近づくと思いのほか強く風が抜けてきていた。

この時の心境ぞまさしく、「抜けたりと 呼ぶ一声に 夢さめて 通うもうれし 穴の初風」(←かの三島通庸が栗子山隧道貫通に立ち会った現場で詠んだとされる歌)であった。
風があれば、出口がある。それも、どこか山の側のような場所だ。この風の抜け方は、ただ通風しているという感じでなく、吹き抜けてきている。
そんな出口となる穴は、ここまで歩いた中で見つけていないが、風は嘘をつかないはず……。

これは俄然、内部へ入って確かめる必要が超絶に高まったといえる。
土嚢が邪魔だが、



7:10 

こんなものが私の前ではほんの数分の足止めにしかならないことは、歴史が既に証明している。

私が通るのに必要な最小限度の土嚢をパパッと退けて、突入準備OK!

だがその前に覗き込む。




内部は、思いのほか丸っこい断面で、これは隧道っぽさがアップするポイント。

なんか奥が曲がっているのは見えるが、複雑に分岐している感じは入口から見えず、本当にこれは、隧道なのかも知れない?!






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