2011/3/4 12:34
ここは東海道筋の宿場と茶の産地で有名な掛川のはずれにある、何の変哲もない丁字路。
ここが出発地点だ。
「地図」はもうちょっとだけ待ってね。
お目当ての「変なもの!」が出て来たら、すぐに明かします。
うふふふふ。
掛川に住んでる人ってきっと、「東海道」と「茶」の二言だけで掛川の紹介を済ませようとする人のこと軽蔑するだろうな。軽蔑されたくないので、もうひとつだけ掛川ミニ知識。
掛川は「電波ソング」の街らしいぞ!(wikipedia:「掛川市」より)←ホントかい!
なにはともあれ、山行が“初”掛川だ〜!
現行1/25000地形図にあるトンネル記号を目当てに入ってきたこの道だが、初っ端から狭いのだ。
路面には一応コンクリートの舗装がされているが、その幅は軽トラのタイヤの幅とぴったり一致。
普通車だと、この時点でちょっと怖じ気づくかと思うが、それ大正解。
特にこの先にあるものについて予告するような標識などは見あたらないのだが、普通車はこの段階で異変を察知し、入らない方がいい。
この奥の山に、狭い隧道 があるので…。
生け垣に囲まれた民家なんかがあったのは最初だけで、間もなく道の両側とも畑に。
右のコンクリートに覆われた空き地は、多分農業か防火用の水槽が地下にあるんだろう。
写真では小さくしか写っていないが、その奥には小さな池とその中島に建てられた祠があって、更に右には墓地があった。
道はこれらののどかな風景を拾いながら、電柱を伴として、奥の小高い稜線の懐へと潜り込んでいく。
そして、次第に登り坂となっていく。
逆光のために黒く潰れてしまっているが、もう峠の隧道は間近だ。
出発から自転車でものの数分だった。
でも、この段階ではまだ、
異変に気付いていなかった。
…それにしても。
ショボイ舗装である。
なんか、最初の頃よりも更に道幅が狭くなっている気がする。
軽トラでもタイヤが落ちてしまいそうなくらい。
そのせいか、まるで板チョコの両側に力を加えた時みたいに、中央の亀裂がずっと伸びていた。
この舗装とも言えないような舗装の先に、
「変なもの」が待っていたのである。
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隧道が見える。
うん、見えるね。
小さいね。
うん、小さいね。
入口と出口のシルエット、違うね。
うん… 違うね…。
入口、なんか変に丸くない?
!
こいつは、
変!
変だよこれ。
こんな坑門初めて見る。
ほとんど“真ん丸”じゃないか!
ま、まずは落ち着こう。
変なものを見てしまったが、ここは大丈夫。日本だ。
俺の知っている…いや、掛川はまだよく知らないけど…
……もしかして、掛川の隧道ってこれが普通なのか…。
そんなはずあるかよ!
鋭く自分ツッコミをしつつ、振り返ってみるそこはやっぱり穏やかな郊外風景。
でも、街からこんなに近いところに、こんな異常な隧道があるなんて…掛川ぁ…。
隧道の上にあるのは、余り高くない稜線。
本気になれば切り通しにも出来なくはないくらい。
でもここで注目して貰いたいのはむしろ、
坑門と地山の関係。
大抵のトンネルは坑門が地山を面的に押さえつけているけれど、この坑門はそれをせず、鉄製の管に覆われた坑道がいきなり始まっている。
よく考えてみればこれは「坑門が無い」と表現して良いんだと思う。
坑門無しで、いきなり坑道。
しかも、坑道は鉄管。
この辺が外見的な異常性の原因だな。
…なんて冷静な分析を装ってはみるが、
実際は、心臓バクバク顔面ヒクヒクおめめランラン状態!
何度みても、やっぱりおかしいこの坑口。
イメージ的には、大きめの児童公園なんかにある築山をくぐるトンネル。アレが近い。というか、アレを少しだけ大きくして、公道に転用しちゃった感じ。
そうだよ。この隧道がもし車道でなければこんなに興奮しなかった。
でも、傍らには見慣れた(そこにある数字「1.7」は余り見慣れないけど…)高さ制限の標識が立っているし、支柱には堂々たる「掛川市」の文字!
掛川市よ! これを誇るとは貴様やるな!!!
“鉄管坑道”の入口部分(坑門なの?)には、蛍光色のシールが4枚貼られていた。
もちろんその目的は、この隧道の異常とも言える狭さを、通行者に分からせるためである。
この辺にも、一応は現役の市道(市道なんである)としての仕事っぷりを感じることが出来る。
自転車に比べてもこの狭さというわけであるが、実際にはどのくらい狭いのか。
市のトンネル台帳によると…↓↓↓
【隧道の縦横サイズ表示】
…車道トンネルとしては、文句なく最狭クラス。
(この数字は、富山の有名な「池原隧道」シリーズ(「廃道をゆく2」紹介)に匹敵するものだ)
おっと、忘れていた。
この隧道がある場所は、【ここ(マピオン)】だ。
そして、市の台帳による正式な緒元は以下の通り。
岩谷隧道
全長:64m 幅員:1.6m 高さ:2.0m
竣功:平成6年
平成6年竣工って…。
さすがにこれはもっと古いと思う。
今のように鉄管巻きとなったのが、平成6年なのだろう。
…それではそろそろ、奥へ行ってみようか!
この隧道の異常さは、入口だけじゃなかったんだ……。
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