隧道レポート 山形県道252号木地山九野本線旧道 管野隧道 前編

所在地 山形県長井市
探索日 2010.10.18
公開日 2010.10.22



このたび rinsei氏よりもたらされた、「今を逃したら、おそらくもう二度と見るチャンスのない景色」という言葉に誘惑され、やって参りましたのは【ここ】
山形県は南西部、置賜(おきたま)盆地の西北端に位置する長井市だ。



木地山(きぢやま)山中に源流を持ち、深い渓谷を縫って長井市九野本(くのもと)で置賜盆地へ流れ出る野川(最上川支流)は、昔から季節的な水量の変動が激しい典型的な急流河川として、下流域の住民生活に多大な影響を与えてきた。

そのため、管理者である山形県も治水と発電利用に多大な関心を持ち、昭和29年には県内最初の多目的ダムとして中流に管野(かんの)ダムが、同36年には上流に木地山ダムが相次いで完成した。
そして、この2つのダムの建設に必要な輸送を一手に担ったのが、当初はダム工事道路として建設された県道「木地山九野本線」(路線認定は昭和34年)であった。

こうして山形県による置賜野川の開発計画は完成したかに見えたが、昭和42年の羽越水害をはじめとして当初の想定を上回る洪水被害が流域に続発したことや、長井市の水需用の予想外の増加により安定せず、県は管野ダムの直下に「新野川ダム」を建設する計画を昭和51年に発表した。
これが後に名前と事業者を変え(県→建設省→国交省)、平成23年の完成を間近としている「長井ダム」計画の最初であった。


上の地図は九野本から管野ダムにかけての範囲を示しており、左上に管野ダム(堤高45m)のやや控えめな湖面が広がっている。
そしてそのすぐ下流では、平成22年から長井ダム(堤高126m)が試験湛水を開始している。
長井ダムは管野ダムより数メートル低い河床に建設されるが、水位は堤高の差ほど(おおよそ80m)もあるから、必然的にその全体が新しいダム湖の湖底に沈むことになる。
こうした例は各地にあり、以前「山行が」で紹介した大荒沢ダムと湯田ダムの関係と同様である。

数十年を要した大規模なダム建設の例に漏れず、この山中でも“目に余るような”高規格の付け替え道路が跋扈している。
湖面を渡ることになる、いま流行のスリムな長大橋「竜神大橋」がある。
左岸には「付け替え林道」が、林道とは思えぬ高規格さでトンネルを連ねる。
これは平成11年に、長井ダムの堤体予定地に埋没する従来の県道を付け替える目的で完成したルートで、最近まで県道扱いだった。
そして右岸には後から作られた本命の「付け替え県道」が、さらに立派な規格で存在し、まもなく供用される。 もちろん付け替えはこの図の範囲外である上流でも進められており、旧県道は延々9km近くも廃止されることになる。

残念ながら工事が進みすぎており、その全てを踏査することは不可能だが、実踏以外の踏査もあるという判断の下、現地へと向かった。
ターゲットは、廃止区間内に固まって2本存在していた「管野第一隧道」と「管野第二隧道」である。
地図を見れば分かるとおり、ここは長井ダムサイトのすぐ上流にあたり、来年のダム本格運用が始まれば、半永久的に湖底へ沈むと思われる(冒頭の甘言はそれに由来する)。
試験湛水中であり、かつ冬の前で水位が下がっている今が、ラストチャンスなのだ。



出来たてほやほやの新県道で、長井ダムへ


2010/10/18 10:00 《現在地》

この県道は少し珍しい路線の命名がなされており、起点である木地山は山の中の車道の行き止まりである。そして終点である九野本で主要地方道長井飯豊線に接続している。自動車ではどうやっても起点側から走り始めることは出来ない道である。なぜこのように命名されたのかは分からないが、かつて木地山には集落もあったと言うから、彼の地で生まれた人だけが起点から走り始めることが出来たのだろう。

前置きが長くなった。
ここはその“終点”から2.5kmほど入った三叉路である。
分岐正面が旧県道(付け替え村道へ接続)で、左折が開通間際の新県道である。
シーリングされた青看には、新道開通後の案内がうっすら透けて見える。
新たな長井ダム湖の愛称が「ながい百秋湖」である。




新県道へ進むと、さっそくいい勢いで山腹を登り始めた。
いかにも分かり易いダム高稼ぎであり、九十九折りをせずに橋とトンネルだけで延々とトラバース登りをするつもりらしい。

1kmと2kmくらいも先の山腹に、それぞれこの道の先行きである切り通しや巨大な橋が見えた。
長井ダムの建設地は2.5kmほど上流であり、そこはまだ対岸の山肌に隠されて見通せない。

右の広い谷底を旧県道は通っており、ちょうど写真中央の白い看板が二枚立っているところで真っ直ぐ行く旧県道から、右へ曲がる付け替え村道が別れる。
普段であれば旧県道と辿ろうとするところだが、今は盛んに工事が行われており入り込めない。




旧県道から分かれた付け替え林道は、すぐに野川を渡って対岸へ行く。
写真はその橋で、今どきでは珍しいポニーワーレントラスだ。
珍しいという言葉と矛盾するが、こういう橋はダム関係の仮設橋としてよく使われている。
というか、新設のポニートラスはほとんど仮設橋だと思う。

しかし、どうもこの橋については永久利用をするようだ。
現地に行くと分かるが、橋にはちゃんと銘板も取り付けられており、「卯の花姫橋」「平成6年11月竣功」である。

卯の花姫は安倍貞任の娘と言われる人物で、平安末期の長井に居住していたが、敵方の策略で自ら父の死を招いた。
そして追っ手に終われ野川を遡る最中、「もはやこれまで」と崖から身を投げた悲劇のヒロインだ。




10:09 《現在地》

分岐から800mほどで丁字路が現れた。

左は道照寺平スキー場へ行く道で、新県道は直進だが、ここから先はまだ供用されていない。
しかし道自体は既に開通しているように思われる。

先へ進んでみることにした。




未供用区間に入ってすぐ、遠方に谷を塞ぐ巨大なダムが見え始めた。

今回のスタート地点は、野川が盆地に開放される扇状地の扇頂であったが、そこから3kmも辿らない位置に126mもの高さを持つダムがつくられた。
この一事を以てしても、如何に野川が急流な河川であるかが分かるだろう。

周りの山の高さがさほどでもないせいもあって、ダムの巨大さが既に際立っている。




さっそくトンネルが現れた。

坑門に掲げられた銘板には、「高蹴トンネル」とあるが、入口側壁の工事銘板は「県道付替第1号トンネル」と素っ気ない。

全長497m、平成7年完成。
全体が大きくカーブした片勾配のトンネルで、まだ供用される前なので消灯されていた。




トンネルを出ると即座に橋。
橋はもう3本目だが、これまでで…いや、付け替え県道中最大の橋である。

銘板によると、「思の入沢」に架かる「思の入沢橋」であり、「おもいのいりさわはし」と読む。
竣功は平成15年だから、かなり最近のことだ。




間髪入れず4本目の橋である「脇ノ沢」「脇ノ沢橋」を渡ると、その先が随分と深い切り通しになっていた。
この切り通しについては、後でひとつ気になることがあったので、また書く。

なお、この辺りまで来ると、振り返ってみる盆地方面の眺めがすこぶる良い。
特に展望台などは設けられていないが、開通後しばらくは人気が出そうだ。





脇ノ沢橋からの眺めである。

山が盆地へ展開していく光景が、手に取るように分かる。

最初に分かれた付け替え林道が、高度の遅れを取り戻そうとするかのように、
対岸の山腹に雄大な九十九折りを描いている。
その向こうにチラリと地肌が見えるのは、原石山だ。

行き止まりの山峡への道が、その規模を競い合うように、両岸並行する。
なんとも「ダム的」な大盤振る舞いの絵に見える。




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深い切り通しを越えると、風景は一層ダムに近付く。
もうカタチとしては完成の域に達しているが、なお山峡の随所からなにがしか工事の音が聞こえてくる。

それにしても、ダムの向こう側の山が比較的低いせいか、青い空と白いダムの堤体がことさら近く見えるのが面白い。




山形県内では有数の規模を誇る長井ダム。
本年度より試験湛水が始まっているのだが、情報提供者のrinsei氏によれば、今は一度満水位まで貯めた水を全て吐き出し、最低水位にして色々な検査をしている時期だという。
この検査がおわれば晴れて本格運用(平成23年予定)となるので、以後は何か特別な事情がない限り、沈む旧県道その他もろもろが地上に現れることはないのだという。

このポイントは、「短期間ながら、一度は湛水した後の風景」ということだろう。

いったいどんな湖底風景が現出しているのか、とても楽しみだ。





次に現れたのは、平成18年の銘板を掲げている「みさ橋」。
「見沢」に架かる橋の正式名が「みさ橋」というのは妙だ。
まさか“わ”を書き忘れたのか…、或いは方言を採用したのか、それとも「見沢」と「みさ」は、実は全く関係がないのか。
分からない。

そして橋の向こうのトンネルは、付け替え区間内で2番目に現れた橋であるが、坑門の扁額には「岩切橋」の名がある一方、工事銘板には「付替県道第3号トンネル」の名称が。
“第3号”?

数が合わない。
これは全くの想像だが、先ほどの深い切り通しが当初設計では「第2号トンネル」になるはずだったのかもしれない。




平成15年に完成したばかりの岩切トンネルは、全長544mと結構長い。
しかも長井ダムサイトを避けるようにS字のカーブがあり、消灯されている状況だと、
意外に通行に困難を感じた。

もちろん、灯りを用意すれば済むことなのだが…。




ずっと続いてきた登り坂も、このトンネルの出口でほぼ終わり。

この先は長井ダムの水位よりも上部に付けられた“湖畔の道”である。




10:29 《現在地》

トンネルを出ると右に新築されたダム管理施設と駐車場、それと堤上路に通じる分岐がある。
まだこの建物や堤上では大勢の工事関係者が仕事をしており、私は県道を足早に通り過ぎることしかできなかった。
完成すれば堤上路を通って、対岸の付け替え林道の「高張トンネル」内の分岐に行くことが出来るようになるだろう。
また新たなトンネル内分岐の登場だ。




そしてまた大きな橋が現れた。 「大ヤビヅ」という不思議な名前の沢?に架かる、「大ヤビヅ橋」である。

この橋の両側の袂には工事用道路が分かれており、湖底の方向に進んでいる。
そのため旧県道にアクセスできるかと期待したのだが、実際は落差が大きく不可能だった。

ともかくこの大ヤビヅ橋からは、待ちに待った湖面の眺望を得ることが出来る。




喫水線よりも下の木々は、最初の試験湛水(満水試験)の前に刈られていたのだが、
一度の浸水により緑を完全に失い、山腹に異様なツートンカラーを見せている。

これを見ると、満水位と現水位の差は30mできかなさそうだ。




そして、やっと現れた旧道。

地形的にここからの接近は困難だが、仮にそうでなくても、
今回は日が悪く、それは断念せざるを得なかった。
ヘルメットを被った人たちが、湖上で舟を浮かべている。
湖面の枝や塵をネットで曳航回収する作業中らしい。
これでは湖畔のどこに降りても、見つかってしまう。

残念だが、この時点で旧道の踏破は諦めた。
実はかつて一度だけ旧道を踏破しているので、まあいいかな。




大ヤビヅ橋の次に現れた「小ヤビヅ橋」からの眺め。

今度はまた新しいモノが見えてきた。

というか、菅野ダムがこんな風になっているとは…。

前方の竜神大橋の直下に見えるものが、“かつて菅野ダムだったもの”である。




廃の風景として、少なからず衝撃的であり、

また悲劇性を感じさせる眺め。


昭和29年来、半世紀にわたって下流の人々を守ってきたダムが…、


丸裸で水没させられている。





そして、足元にも死者が…。


菅野第2隧道…だったものだ。


もし行ったことがない場所なら、何が何でも近付いていたかも知れない。

でも、今日の私にその必要はない。

なぜなら、あのトンネルとはもう別れを終えている。

次回は、沈みゆくトンネルの「新」「旧」を比較してみたい。








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