隧道レポート 奥羽本線旧線 唐牛隧道 後編 

公開日 2006.11.01

林檎畑の煉瓦隧道

唐牛隧道 内部

 林檎畑の傍らに口を開ける煉瓦造りの廃隧道。
そう書くと、何ともメルヘンチックな雰囲気。
だが、訪問の時期次第では、かくも寒々しい光景となる。北国なればこそ。
時刻は午前8時半過ぎ。
夕暮れのように暗澹としているが、雪雲がもたらす暗さというのは、専ら雨しか降らぬ地方の人たちにはなかなか想像の出来ない暗さだと思う。
こんな中に雪国の数ヶ月は置き去りにされるのだ…。

 憂鬱な冬。

 私たちの語る春の歓びが、決して大袈裟なものでないということ、お分かり頂けるだろうか。


 築110年を経過する東北有数の古隧道である。
そして、彼らにとって最も辛い時期が、まさにこれから訪れようとしている。
恐ろしく巨大に成長した氷柱は、煉瓦の亀裂に楔を打ち込むような圧力を加え続ける。
これから春に向かって気温が徐々に上がると、徐々に氷柱は自身の重さに耐えられなくなり、壁におんぶに抱っことなる。
また、崩れ落ちて衝撃する。

 例年、春先は隧道崩壊の最も危険なシーズンであることを、私は複数の実例(実例1)を持って知っている。



 坑口内部の様子。
延長は200m程度のようで、ちゃんと貫通している。
しかし、氷瀑のようになった氷柱の数々が抵抗できない隧道を破壊しつつある。
内壁全部を覆っていただろうコンクリートの吹きつけが既に半ばまではぎ取られて、竣功当時の赤々とした煉瓦が露出している。
致命的な崩壊はまだ差し迫ってはいないかも知れないが、やがてはその日が来るだろう。



 奥羽本線の煉瓦隧道としてはきわめてオーソドックスな意匠を有している。
だが、全般的に雨水によるものと思われる汚れが目立ち、細部は欠けている。
そして、よく画像を見ると分かるが、氷柱が発生している部分から坑門と平行の亀裂が内周全面に対して生じており、ここから連想される最終的な崩壊の模様は、坑門の倒壊であり、おそらくはそれと同時に上部の地山も落ちて、隧道は閉塞してしまうだろう。
現状では大きな崩壊もなく踏みとどまっているものの、むしろ、そこには一撃で隧道を消滅させてしまうほどのひずみが、蓄積されているのかも知れない。



 美しく可憐な、氷の造形。

 しかし、それが隧道にとって最大の害悪となっている事実がある。
実際、透明な氷の中を覗き込むと、そこには煉瓦の欠片が幾つも封入されていた。
まさにそれらは、この年の冬で破壊された欠片と言うことだろう。


 氷柱が凄まじいのは坑口、特にこの南口坑口だけであった。
つららは、寒暖の差がある程度無ければ成長することは出来ない。
おそらく晴れれば直射日光を受けるだろうこの南口の氷柱が、それで特に成長したのだと思う。
もちろん、地下水の存在も重要である。

 坑口付近の洞床にも、氷の厚い層が形成されており、大変に滑りやすくなっていた。
壁に手を触れながら、慎重にこの凹凸の覆い洞床を乗り越え、いよいよ内部へ侵入だ。


 恐ろしく冷たく、それでいて乾いた風が、向こう側から吹き抜けてくる。
もし風が無ければ、冬の地中はむしろ地表よりも温かい可能性が高いが、零下の風が保温効果の高い煉瓦をひたすらに冷やし続けている状況下では、まさしく天然の冷蔵庫である。
全ての水が凍り付き、しかも氷の周囲さえ乾ききっている。
おそらく、零下10度を下回っている。

 そして、砕けたコンクリートの吹きつけの向こう見えた、煉瓦の壁の異常な様子に目を奪われる。

 剥離した煉瓦の2層目が露出しているのだが、その一部分は、おかしな向きに煉瓦を組まれている。
これは、今まで見たことがない状況である。
周囲に隙間は見当たらないので、崩壊で傾いたとは考えにくく、或いは竣功の時点で既に手抜きされていたのだろうか?
表面には見えない部分だと言うことで……。

 驚いたことに、このような箇所はここだけではなく、何カ所も見られた。



 洞床には、いまだバラストがそのままに残り、枕木の撤去された跡の凹みも鮮明であった。

 内壁は表面の崩壊が進んでおり、崩れた吹きつけコンクリートが散乱している。
煉瓦の崩壊も部分的には始まっていた。
なお、吹きつけの表面も炭で真っ黒く変色しており、かなり古い時期(奥羽本線の電化は昭和46年である)の補強であることが窺える。



 短い隧道であるから、足元に気を付けて歩いても3分ほどで通り抜けることが出来た。
そして、始めて北側の坑口へ近付く。
足元には、小さな足跡が点々と付いていて、それは野犬か、猫か、小さな動物のもののようだった。

 私が進入した南口は現在線の車窓からも林檎畑の中に一瞬見えると言うことで、その存在が比較的知られているのだが、この北口はそういう話も聞かない。
それもそのはず、坑口の前には立木が茂っており、半年間はまるっきり外界から隠されているのではないだろうか。



 外へ出て、そして振り返える。

 思わず溜め息が出た。

 天使たちに祝福されているかのような、浄妙なる氷雪の造形。

 しばし、時を忘れて魅入った。
苦労してきた甲斐があったというものだ。



 隧道を出るとすぐそこには平川が流れている。
かつて橋が架かっていたに違いないが、1対の橋台を残し、その痕跡は失われていた。
すぐ右手には現在線の鋼製ガーダー橋が並んでいる。
この対岸にも、旧線由来の築堤が現在線と緩やかに合流するまで300mほど続いているようだが、探索はしていない。
また、この北口の周囲は平川に面したかなり急峻な地形となっており、ここから上部の車道へと戻ることは難しいかも知れない。
私は、隧道へと引き返した。



 さて、探索開始時点からの最大の懸案であった、雪の斜面を伝っての生還であるが、何とか私はそれを成し遂げた。
だが、この写真の斜面を登っている最中の写真が一枚も撮られていないということが、その苦しさをなによりも表している。

 全身雪まみれとなってチャリの元へと戻った私。
これでこのレポートは終わりだが、この日の苦難に充ちた探索は、まだまだ序盤であった。
目指すは本州最北の県都・青森。

 林檎畑の中を、国道へ向けて引き返し始めると再び、大粒の雪が折り重なるように舞い始めた。
それは、私が雪原に残した無様な痕跡を、急いで隠そうとしているかのようだった。
振り返ったときにはもう、そこに真っ白な雪霧のほか、何も見えなくなっていた。