《周辺地図(マピオン)》
2018年10月26日に富山県南砺市にある県道285号西勝寺福野線の探索を行なった。
そしてその際の終着地となったのが、県道42号小矢部福光線の小森谷トンネル南口だった。
つい先日、2024年9月のことであるが、この西勝寺福野線の探索レポートをようやく書いた。
その為に行った机上調査の中で、近接する小森谷トンネルの来歴についても色々知ることが出来たので、せっかくだからまとめることにした。それが今編である。
もちろん、机上調査だけでなく、現地探索も行なっている。
小森谷トンネルは、小矢部市と南砺市を結ぶ全長約14kmの富山県道42号小矢部福光線のうち、小矢部市小森谷(こもりだに)と南砺市川西の間にある名前のない峠を貫く全長222mのトンネルである。小矢部ICから福光市街地への最短ルート上にあり、ラッシュ時などは交通量が多い道路だ。
このトンネルの諸元をお馴染みの『平成16年度道路施設現況調査』で調べると、次のような2本の“ほぼ同名”のトンネルがヒットする。
トンネル名 | 区分 | 建設年次 | 延長 | 幅員 | 有効高 | 壁面 | 路面
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コモリダニトンネル | 現道 | 昭和55(1980)年 | 222m | 6.5m | 4.7m | 覆工あり | 舗装あり
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小森谷隧道 | 旧道 | 昭和24(1949)年 | 168m | 3.6m | 4.0m | 覆工あり | 舗装あり
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『平成16年度道路施設現況調査』より抜粋
この際、カタカナと漢字のトンネル名の使い分けはどうでも良いが(多分深い意味はない)、平成16(2004)年3月31日現在の(道路法によって)供用中である道路トンネルを網羅したこのリストに、新旧の小森谷トンネルが併記されている。これは、旧トンネルである小森谷隧道が、この時期まで(少なくとも道路法の手続き上は)廃止がされていなかったことを示している。
なお本稿では、現道のものを「小森谷トンネル」ないし「現トンネル」、旧道のものを「小森谷隧道」ないし「旧トンネル」と呼び分けることにする。
そして、これまたお馴染みの『道路トンネル大鑑』巻末トンネルリスト(昭和42(1967)年3月31日現在)を見ると、次のように記録がされている。
路線名 | トンネル名 | 竣功年 | 延長 | 幅員 | 有効高 | 壁面 | 路面
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(主)福光小矢部線 | 小 森 谷 | 昭和29(1954)年 | 168m | 2.7m | 4.0m | 覆工あり | 未舗装
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『道路トンネル大鑑』より抜粋
@ 地理院地図(現在)
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A 昭和61(1986)年
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B 昭和44(1969)年
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C 昭和27(1952)年
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年代的に、これも旧トンネルの記録であるはずだが、『現況調査』に記録された旧トンネルとは、竣功年や幅員の数字が微妙に異なっている。ただ、延長などは一緒であるから、別のトンネルではなさそうだ。
続いて右図は、歴代4枚の地形図だ。
@とAにあるのは現トンネルで、Bにあるのが旧トンネルだ。
これらは、太さこそ違うが、ほぼ同じ位置に、同じ長さで描かれている。
このことが、くせ者であった。
さらに遡ってCになると、小森谷のトンネルはまだ存在していない。
さて、現地調査だ。
冒頭に述べたとおり、私は2018年10月26日の夕方、県道285号を辿った末に、このトンネルの南口へ到達した。
その際、『道路トンネル大鑑』の内容は既に知っていたから、旧トンネルのことは意識にあったものの、上記のような歴代地形図の見比べによって、現トンネルは旧トンネルの拡幅であるとの先入観を持っていたことや、現トンネルの南口の立地もこの先入観を補強するものであったこと、さらに時間的な余裕の無さもあって、小森谷隧道の捜索はそこそこに、すぐさま「蔵原隧道」へ向かい、そのまま探索を終えてしまった。
だが、帰宅後に何気なく検索してみたら、旧トンネルの“遺構”が存在していることを知った。同一トンネルの拡幅ではなかったらしい。
ヤラレタ! 大失敗である!
というわけで、当時都内に住んでいた私だが、目の前で獲物を取り逃していた悔しさは大きく、2週間足らず後の同年11月12日に早くも再訪した。(もちろん、これのためだけに遠征したわけではなく、5日にわたってさまざまな探索を行った)
現地探索スタート!
(なおこのトンネルについては、2019年3月にTakuma Shitano氏、2022年7月にたけぽん氏より、それぞれ個別に情報提供をいただいておりました。情報提供御礼申し上げます。)
再訪し、小森谷隧道南口を捜索する
2018/11/12 14:39 《現在地》
ここから約2週間ぶん秋が深まった、小森谷トンネル南口前。
目の前のこの草臥れきったような細道が、小森谷トンネルの旧トンネルこと小森谷隧道へと通じていた旧道である。
これは歴代の航空写真の比較から知ったことで、前回訪れた時点では、このことに気付かなかった。
むしろ、なんの先入観もなくフラットな気持ちで見たとしたら、この小径はいかにもありがちな旧トンネルのアプローチだと思う。
草臥れ果てた道の状況も、進路も、まさしくという感じじゃないか…。
やはり、初見の探索において、先入観というのは毒にしかならないようだ…。
というわけで、進入開始!
14:40
舗装は最初の数メートルだけで、もう未舗装になった。
しかも砂利が敷かれているわけでもない、完全な土道だ。
ほとんど廃道のように見えるが、意外なことに(2週間前より)新しそうな轍が刻まれていた。
地理院地図ではこの道は県道285号であるかのように表現されていて、実際これを辿って行けば同県道に接続するが、厳密な県道285号のルートは異なることを同県道のレポートで言及している。
14:41 《現在地》
入口から100m弱、現道を右に見下ろしながら細い上り坂を真っ直ぐ進むと、道は唐突に急カーブとなって左へ逸れていく。
地理院地図に描かれている九十九折りの始まりなわけだが、
旧トンネルは、このまま直進した先にあったはずだ。
これまた航空写真からの知見である。
直進!!
ここが……旧道?!
はっきり言って何も痕跡を感じない。
特に地形に邪魔をされる感じはなく、そのこと自体が道のあった証拠と言えなくもないのだろうが、この季節でも下草が凄く、細かい地面の起伏はよく分からない。
冒頭で紹介した『平成16年度道路施設現況調査』によれば、平成16(2004)年時点で旧トンネルは供用を廃止されていなかったらしいが、そんな雰囲気を微塵も感じない。
そもそも、そろそろ坑口が見えていなければいけない距離なんじゃないのか…?
もう間もなく山に突き当たるぞ。
チェンジ後の画像は、この激藪の旧道?から見下ろした、すぐ脇にある現トンネルの南口だ。
現トンネルは、地山から覆工が大きく地上に突出し、かつその先端がオーバーハングしている逆竹割り式と呼ばれる少し珍しい型式の坑門だ。これは坑口上部からの雪崩や雪庇の発生を抑える効果があるので、豪雪地でときおり採用される。
14:43 《現在地》
で、それから間もなく、現トンネルをこのように見返す場所に突き当たった。
見ての通り、ここから一気に地山が尾根に突き上げている。
地形的にとても迂回の余地はないし、冒頭で紹介した昭和44(1969)年の地形図でも、突き当たりから即座に小森谷隧道は始まっていた。
というわけで、次の写真が旧トンネル南口の現状である。(↓)
なにもないといわざるを得ない。
もしかしたら、徹底的に草刈りをして、地面を丸裸にすれば、埋れた坑門の一部が残っているようなことがあるのかも知れない。
が、とりあえず草越しに見渡す限りは全くそういう構造物の気配がないし、かといって、明らかに地形が崩壊しているというような見立てもない。
ぼんやりと、何もない感じだ。一番困るヤツ。
しかも、ここにあった旧トンネルの断面は、幅3.6m、高さ4.0mと記録されている。
これは簡単に埋没してしまう人道トンネルのような規模ではない。しかも、素掘りでもなかったらしい。
地上にはそれなりに大きな坑門が建設されてあって然るべきだが、なぜか見当らないのである。
……まあ、一番可能性が高いのは、やはり斜面の崩壊に巻き込まれて、地中深くに消えているということなんだろうが……。
というわけで、場所はここで間違いないと思うが、小森谷隧道の南口は、残っていないという結論を得た。
14:55
その後もしばらく探した(諦め悪く【こういう写真】を取れる坑門の反対側まで捜索した)が、何も成果がないので諦めて、ネット上に坑門発見という情報があった北口(小矢部側坑口へ)へ向かうことにした。
写真は、現トンネルの南砺側坑口だ。
この手の突出した坑門はだいたいそうだが、扁額を取り付けるスペースが乏しいので、扁額が省略されている。
代わりに案内標識による名乗りもないので、このトンネルの小森谷トンネルという名前は、地図を見ないドライバーには案外と知られていないのかも知れない。
なお、直前まで坑口を探した場所は、この左上の山の突き当たりだ。
左の切土の上の平らな所が旧道敷きで、現道が出来るまで今いる場所は地面の下だったはずである。
このトンネルが全く名乗りを上げていないわけではなく、金属の銘板が坑門左前面と入ってすぐの側壁の2ヶ所に取り付けられている。
記載された内容も、『現況調査』の各種データと矛盾はない。
にゃんにゃんにゃんメートルの地下を越えて、【小矢部側へ】。
小森谷隧道北口は現存しているという情報があったが……
14:57 《現在地》
やって来た、仕切り直しの北口へ。
こちらも地形の雰囲気は南口とそっくりだが、やや樹木が少なく尾根までよく見通せた。
あの尾根の上を県道285号のダミールートが通っているのだ。
しかし、肝心の旧トンネルの気配は未だ感じられない。
南口の状況に照らせば、旧トンネルの北口は向かって右側にあると思うが、藪が深く全く見通せない。
残っているらしいという情報もあるんだが……、どこにあるんだろう。
もう少し、坑口から離れてみるか。
14:58
あ、もしやこの奥が旧道か?
また例によって藪が濃いが、位置的にはそれっぽい。
行ってみよう!!
15:01
またしても、強烈に見通しの悪い草藪だ。
11月でこれだから、夏場は本格的に前が見えなそうだ。
いつもの癖で自転車で入ってきたが、全く乗れずに押している。というのも、木がたくさん倒れて草の中に埋れているのである。足が取られて歩きづらいことこの上ない。
でも、やはりここが旧道なんだろう。
なぜなら、左右の藪の濃さはこんなもんじゃないから。
自転車を持って進んでいけるくらいの藪の濃さなのは、かつて道だった名残ということなのだろう。
ちなみに、舗装の気配は全くなかった。
15:02
隣の現道がトンネルに吸い込まれた気配があった。
藪が濃くて現道は見えないが、車の音が後ろの方からしか聞こえなくなったのである。
旧道は、現トンネル北口の右奥にある小さな谷へ入っていく感じだ。
しかしそんなに奥行きがある谷ではない。隧道があるなら、間もなく現われるはず……。
ん?
おおっ! 闇 がある!
なんか想像していたよりも凄くボロボロな気がするが、確かに開口している隧道があるようだ!
15:03 《現在地》
小森谷隧道(北口)発見!
……あったなぁ。
あったけど、
良くない雰囲気がする…。
まあ、先に南口のほぼ埋没が確定している現状を見ていて、非貫通と分かっているせいもあるのだろうが……、
淀んだ闇と土が醸す雰囲気の重さに気圧された。
一目で感じられる全体のマッディさが、万人を拒絶していた。
視界を妨げる草葉が多くて見えづらいが、素掘りではなくコンクリートの坑門がある。
しかも、そこには年代を感じさせる意匠や扁額の存在も認められた。
具体的な意匠の内容としては、坑道を縁取るアーチ環が表面の模様として僅かな凹凸とともに描かれているほか、上端に控え目な笠石の出っ張りもあった。
また、坑門全体が石材のように見える化粧をされており、全体に窮屈ではあるが、美観に意識を注いでることは感じられた。
内部の照明の有無は不明だが、天井を這う電線を備えていたようで、碍子を取り付けていたとみられる金具も残っていた。
トンネルの顔が坑門であるとすれば、名を語る口というべきものが扁額だ。
石板らしき風合を持つ扁額がやや突出して埋め込まれており、そこに現代と同じ左書きで次の陰刻があった。
本隧道の竣功年の記録については、『平成16年度道路施設現況調査』は昭和24年としている一方、『道路トンネル大鑑』は昭和29年としているなど、5年の差がある二つの数字が存在しているのだが、扁額の竣功年は前者であった。
しかし、扁額が残っていること自体が幸運……というか、隧道が開口していることが、もう結構ギリギリな状態かも知れない。
坑門の左側は、流れ落ちる地表水の影響なのか、コンクリートの部材が大量に脱落し、埋め込まれた鉄筋だけが残っている。上を支える柱としての肉を完全に失っていた。
そのため背後の地山の鑿で削られた面が露出しており、もともとコンクリートの巻き厚がとても薄いことを伺わせた。アーチ環自体も薄いようで、古い隧道なりといえばそれまでだが、コンクリートなどの材料費を抑えた安普請を感じるのである。その露出した鉄骨も、密度が少なすぎてヤバイ。
そして、矢印の位置には……
小さな小さな石の祠が、もぬけの殻で残っていた。
おそらくは、馬頭観音とか地蔵菩薩など、往来安全を願う石仏が収っていたのだと思う。
隧道の竣功を記念して勧請されたものであったのかもしれないし、隧道によって役目を終えた峠の上から下ろされたより古いものであったかもしれない。
廃トンネルに取り残されなかったのは良かったが、今の行方は分からない。現トンネル付近に移動している気配はないが……。
以上のような外観を有する坑門より、いよいよ洞内を臨むが……。
入りたくならない……。
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