天竜川の支流の一つに小渋川がある。
わが国第7位の高峰で赤石山脈の主峰である赤石岳(3121m)より流れ出し、中流部では伊那山脈を横断して赤石構造谷と伊那谷を結ぶ顕著な横谷を形成している。この部分に形成された大峡谷は古くから小渋峡と呼ばれてきた。
昭和44(1969)年、この峡谷の中ほどに高さ105m、堤長293mの巨大なアーチ式多目的ダムである小渋ダムが建設省の手により完成し、誕生した小渋湖が峡谷の景観を一変させた。
今回の探索対象は、この小渋ダムの間近に眠る旧々県道の隧道である。
最新の地理院地図(右図)を見ると、小渋ダムの脇には既に旧県道が1本あり、そこに(旧)西下隧道が描かれている。
ここが旧道となったのは平成30(2018)年12月15日というごく最近のことであるから、今回捜索した隧道が旧から旧々になったのも、最近なのである。
ただ、私はこれまで、旧隧道が現役の時代に何度か通行した経験を持ちながら、さらに古い世代の隧道があるということを、知らなかった。……恥ずかしながら。
これについて言い訳すると、ここを描いている旧地形図は、明治44年版、昭和6年版、昭和27年版、昭和51年版などを確認しているのだ。だが、それらに一度も描かれていない隧道が、ここにあるというのである。
しかも面白いのが、このオブローダーを痙攣させるほど熱い情報を公表しているのが、小渋ダムの管理者自らである点だ。
雉も鳴かずば打たれまいという言葉が喉元に出掛かったが、なんともオブローダーの快感のツボを心得た管理者様だ。
ではさっそく、その公開されている情報を見てみよう。 ↓↓↓
□#小渋ダム□
— 国土交通省 天竜川ダム統合管理事務所 (@mlit_tendamu) August 26, 2019
本日は、小渋ダムの謎にお答えします。
見学に訪れた方に「ダム右岸下流の、あの穴は何ですか?」とよく聞かれます。あの穴は、建設前の旧県道です。小さくみえますが、4tトラックが通れる位の大きさです。中は当時のまま、コンクリートで覆われておらず、露岩しています。 pic.twitter.com/2JGLNNqp2n
何それ聞いてないよ〜!!!
まさしく、ねみにににッ……ねみみにみずッ!
……興奮して舌が空回りしてしまった。
ツイートの文章通り、見慣れた感じのする素掘りトンネルらしい写真が掲載されている!
いやいや、知らんぞこんなの。
このツイートにある3枚の画像のうち、左の一番大きな画像が坑口の遠望らしいが、なんてところに開口していやがる?!
これじゃ道というか、本当にただの崖に空いた穴じゃないか! ダムにつきものの試掘坑にしか見えないが、管理者が「ダム建設前の旧県道」だとはっきり書いているのだから、これを信じない理由はないのである。
いやはや、俄に信じがたい、とんでもない在処だ………。
もっとも、このツイートを見ても、実際に小渋ダムを訪れて堤体から下を覗いてみた経験を持つ人でなければ、いまひとつピンとこないかもしれない。
しかし、私は既にのぞき魔だったので経験があったのだ。
見てくれこれを! ↓↓↓
今を去ること9年前、降り止まない雨のなか、濡れたサドルに跨がって、このダムを訪れている。
そして、看板に指示された「 正しい姿勢 」で、この巨大なアーチダムから眼下の景色を堪能した。
こんな写真を持ち帰っていた。↓↓↓
これが小渋峡と呼ばれる、典型的なV字峡谷の景観だ。
奥の方の右岸にここへ至る県道のガードレールが細々と見えているが、
左岸にもさらに危うげな道の姿が、見えている。 明らかに、廃道の姿。
この左岸の道形、偶然この日に見つけたのだが、後に机上調査で正体が判明した。
↓↓↓それだけでなく、訪れてもいる!
前回から2年後の平成25(2013)年5月のことだ。
このダムに突っ込んで終わる、見るからに軌道跡っぽい小渋川左岸の廃道の正体は、
久原鉱業軌道という民間の森林軌道であり、大正6年から昭和4年頃まで使われていたものだ。
……そうだ。 私は、思っていたんだ。
小渋ダムについて、自分はもう知らないことなどないと……、エキスパートだと……、
恥ずかしげもなく……、思っていた!
そんな驕りに塗れた私に突きつけられた、ダム管理者からの挑戦状――
かつて毎年夏になると決まって送られてきた「R」からの招待状よりも刺激的なこの挑戦状、
引き受けたぜ!
……なお、今回の探索のトリガーとなったツイートの存在を2019年8月に私に教えて下さったのは、ダム旧道マニア氏 である。ありがとうございました!
もう少しだけ、出発前の予習をしよう。
私は小渋ダムを何度も訪れているのに、軌道跡より遙かに大きいはずの旧々県道のトンネルを完全に見逃していたわけだから、また無策で臨めば返り討ちだろう。
まず私はこれまで、超そそる軌道跡がチラチラ見えまくる左岸にばかり目を向けていた。
だが、その左岸にもう1本道が通じていたとはとうてい思えない。もしあったら気付いているはずだ。
対する右岸には、高い所を走る現県道および旧県道の他に、極めて低い位置を走る道がある。
これは工事用道路のようなもので、2013年の探索で久原鉱業軌道跡へのアプローチに使った。
だがこの道にもツイートにあるような隧道は存在していない。
こうなると、改めてツイートにあったダムより見下ろした坑口の遠望を見直すまでもなく、もはや可能性のある場所は一つしかないと思える。
それは…… ↓↓↓
ここしか! あるまいて!
探索★開始!
( そこで私を待ち受けていた光景は、想像を絶するものであり…! )
( その姿へ至った経緯に至っては、さらなる奇絶を極めていた……!! )