2008/2/4 9:04
金桜神社のある高台から見下ろす江浦湾。
江浦湾は沼津湾の小湾で、沼津湾は巨大な駿河湾の一部である。
古い地図と現在を較べると全体的に海岸線は前進しており、随所で埋め立てが行われた結果である。
そして、静岡県内有数の都市で、政令指定都市へ向けての取り組みも見られる沼津都市圏に飲み込まれつつあるように見える。
これから紹介する一連の隧道達は、この江浦湾の海岸線が切り立った崖や磯ばかりであった時代に作られたものである。
町並みとのアンバランスが見所だ。
金桜神社の(正規の)参道下から400mほど主要地方道沼津土肥線を北上すると、やや鋭角に旧道が右へ別れる。
写真のフレーム外だが、現道の左側は防波堤の海岸線に接している。
早速、旧道へ入る。
見ての通り集落内の道であるから、「生活道路」として現役である。
しかし、入口には思わぬ看板が立っていた。
“進入禁止 この道路は産業道路に付き 進入はご遠慮下さい 口野自治会”
進入禁止というのはまあ分かる気もする。
生活道路であるから、抜け道として利用するような部外者の通行を自粛してもらおうという道は良くある。
だが、「産業道路」というのは珍しい表現である。
今日、このコトバは余り馴染みのないものとなったが、戦後、高度経済成長の時代には各地に産業道路と通称される道が生まれている。
明確な定義はないのだが、主に工業地帯における貨物輸送を最大の目的とした道路のことをいう。
そして、その対義語として「生活道路」という概念があるのだ。
…どう見てもこの道は、生活道路だと思うのだが…。
だって、この狭さである。
貨物自動車どころの話ではない。
これが、3〜40年前までの伊豆半島周回道路の一部、主要地方道沼津土肥線であったのだ。
普通車がギリギリ通れる幅しかない。
あまりの狭さ故に、…見て欲しい!
中サイズのニャンコでさえ、出会い頭の私の接近にどうすることも出来ず、スゴスゴと壁際をすれ違うほどなのだ!!
…これは凄い。
通常ならば、絶対に踵を返して逃げ出すはずなのに、それが出来ないほどの狭さだということだ。
200mほどで一旦現道に戻るが、合流はせず、ギリギリの所でまた右に入るのが旧道だ。
ここにも先ほどと同じ「進入禁止」の看板が立っている。
引き続き旧道を進む。
ピークは越えたが、相変わらず狭い道が続く。
どう見ても生活道路である。
ちなみに、現道は海岸線を真っ直ぐ進み、旧道は山際の崖下を進む。
敢えて落石や土砂崩れの危険の多い崖下に道があることは不自然に思えるが、もしかしたらこの辺りもみな古い埋め立て地なのかも知れない。
本来の海岸線は、この旧道の位置にあったのではないだろうか。
さらに進むと路幅が広くなり、両側に民家の広がるようになる。
だが、行く手には小高い丘が接近しつつあり、ここも古くは入り江だったのではないかと思わせるのである。
真っ直ぐ丘の下まで進むと、左に迂回しながら登っていく。
この上り坂の路肩には古びたコンクリート製の欄干が残っており、ガードレールではないところに時代を感じる。
下は多くの民家が立ち並ぶ住宅地だが、この頑丈な欄干は、そこがかつて海であったのではないかという気にさせる。
9:09
そして、短い坂を登りきったところに、今回一つめの隧道が現れた。御場隧道である。
トンネルと言った方がしっくり来るような変哲のない姿であるが、昭和35年の竣工と結構古い。
坑口手前に三叉路があるが、一方の道は現在の「口野トンネル」が昭和42年に開通する以前、伊豆長岡への県道であった(路線名不明)。
口野トンネル開通により旧道化した短い峠道が残っている。
なお、口野トンネルの県道が一般国道414号へと昇格したのは、昭和56年のことである。
御場隧道はご覧のとおり非常に短いもので、土被りも浅い。
資料によれば、全長33mに過ぎない。
今日であればまず開削が選ばれそうな規模だが、取り付けられた御影石の扁額は立派なものだ。
現在では一介の市道トンネルに過ぎないが、かつては国道に次ぐ重要路線である主要地方道が通っていた。
そして、ここから伊豆半島西海岸の旅路はスタートしていた。
この小さな隧道を広大な伊豆半島の玄関口に喩えることも、あながち大袈裟ではない。
なぜならば、江浦湾奥と熱海海岸を結ぶ直線は、半島基部の最も狭い部分だからだ。
この御場隧道を潜ると、そこが江浦湾の最も奥まったところになる。
そして、今回のレポートタイトルとした“隧道の辻”とは、御場隧道を抜けたその地点にある。
この交差点、公式には「口野放水路」という名が与えられており、国道414号から主要地方道沼津土肥線が分かれる起点になっている。
この十字路こそ、私が勝手に“隧道の辻”と名付けたものである。
まずは、この写真内に2本の隧道(トンネル)が写っている。
しかし、この交差点に集まる隧道の数は、もちろんこんなものではない。