道川の手押軌道隧道 最終攻略編
泥濘の その奥 の奥
秋田県秋田市 上新城


 私が住む秋田市外旭川から最も近い、廃隧道。
それが、この、道川製油軌道跡の隧道である。

そして、いまや山行がの活動には欠かせない、パタリン氏との出会いも、間接的ではあったが、この隧道だった。
さらに言えば、この隧道と並んで存在する小さな小さな現役隧道「五百刈沢隧道や深川隧道(仮名)」たちは、我が山チャリ活動で出会った、もっとも初めの隧道物件であった。

 少しだけ大げさに言えば、

この、自宅から5kmと離れていない、この里山こそが、
この地にある隧道群こそが、
私の、山行がの、ひとつの原点なのである。


 古い地形図上だけの存在だと思っていた製油軌道隧道、その実在をこの目で確認したのが、今から二年前、
2003年の4月28日だった。

そして、

2005年4月6日、決着。





 この隧道の由来や、発見までの経緯、周辺の状況などについては、前回のレポをご覧頂きたい。
今回はずばり、前回(もう2年も経ってしまった)は断念した最深部への到達にチャレンジしたい。

そもそも、この隧道は南側坑口が確実に閉塞している。
そこには、秋田自動車道の法面があって、おそらくはその工事(平成5年頃)に伴って埋め戻されたものと思われる。
しかし、北側坑口から内部を通り、閉塞地点まで到達した前例はない。
なぜならば、内部は南側が低い片勾配であり、しかも南口が閉塞しているために、途中から水没しているのだ。
その上、残りの水上部分も、汀線に近づくと大変な泥濘となり、容易に水際に接近することも出来ない有様である。

実は、2年前の撤退以来、2度、挑戦しているのだが、
いずれも、汀線まで2mほどの位置から、一歩も進めないという顛末であった。
そのほか、かつてこの洞内で、ローソンの制服着用で撮影した大馬鹿者がいたという噂だが、これについては以後触れて欲しくない。






 うげげっ!  って、なってない読者殿?!

いつもの山行がレポの展開でないですぞ。
速攻で行きまっせ!
もう、次のコマでは、これまでの最終到達点ですぞ。
まだ、気持ちが廃隧道に馴染んでないと思うけど、ぶっちゃけ私にとっては、この汀線付近まではもう、勝手知ったる通り道。
特段、そのおぞましい景色に動揺することもなく、ずかずかと、歩いて行けちゃうわけ。
皆様も、本番は、これからですぜ。

じゃ、いきまひょか。
準備 オッケイ?!





 そうそう。

本隧道名物の、泥のつららは、やはり健在でした。
以前の写真と比べてみても、特に変わった様子はなく、
この2年間、崩れることも、大きく成長することもなく、ここに健在であったことになる。

ただの泥では、無いようだな。
誰か、マジで調べてみて欲しいな。
なんなの、これは。

とりあえず命名します。

鍾乳泥と。




 そして、もう一つの名物。

肉球痕 であるが、

今回もめちゃくちゃ大漁でした。

というか、

これ、肉球痕ちゃうんちゃう?

泥の地面の至る所にこれほど無数の肉球痕が残るほど、大量に肉球の主が棲んでいるのだとすれば、それもメルヘンではあるが、現実には、ニャはおろか、ワンコもタヌーも、全然見あたりません。
棲んでいた痕跡も無し。

どうやら…、

どうやら、この、今まで肉球痕だと思っていたものの全て、もしくは大半が、水滴によって生じた、ただの凹みであったと結論づけられました。
こんなに肉球痕があるわけ無いものなーー(どっか遠い目)





 さて、この辺が、これまでの最終到達点である。

今回、ここまで来てみて、これまでと変化していた点としては、
かつて「グランドキャニオンのミニチュア」の様と評した、深い水路の窪みは、今回かなり浅くなり、痕跡が薄れていた。(写真の水路がその名残か)
また、2年前はそうでもなかったものの、その後に来た時には、ジャージャーと音が洞内に響くほどの流水量があったが、それも、今回はチョロチョロ程度だった。
どうやら、この隧道の場合、時によって水量が大きく異なるようである。
坑口には流入する水路は一切無いので、事実上、洞内の湧水量が、水量の全てである。
故に、今回はチャンスであると考えられた。
水量が多ければ、それだけ汀線も手前に来るだろうし、当然水位も高いであろうから。

さて、いよいよその、汀線だ。




 はい、沈んでますねー。

そう、ここが汀線です。

この先は、湖。

地底湖ですな。

今回、SF501の大光量で、進まずして閉塞地点が確認できるかと期待していたのだが、それは無理だった。
隧道全体の延長は220m程度だと思われるが、ここまでは100〜150mほど。
閉塞地点が坑口だとすれば、まだ結構深いこともあり得るのだ。

今回の秘密兵器は、単独行ゆえ、ボートではない。
ウェーダー一着だ。

かなり、怖いんですけど…、この泥沼へ入るのは…。





 思わず弱気になり、振り返ってしまう。


それと、何度もこの隧道に入り、その構造を見ているうちに、初めは気持ちの悪い存在でしかなかった、両脇の木材の、本来の姿が、少し見えてきた。

百対以上の木材が、両側の壁から50cm程度の位置に、一列に並んでいるのだが、そのうちの何対かには、この写真のような梁が、残っていた。
おそらく、現役当時においては、全ての支柱に梁が存在していたのだろう。
梁が内壁に接していないことから、支保していたわけではなく、梁と梁の間に板を渡すなどして、天井を作っていたのかも知れない。
ただ、現在の洞床には、殆ど木材の散乱はない。
しかし隧道内の本来の洞床が、どの高さであったのかが、未だに分からないまま。
かなり分厚い泥の層が洞床を覆っていて、その底にはまだまだ大量の埋設物(落下した梁や天井の板、枕木も?)が残っている可能性もある。






 行くしか、無いよな。


意を決して…



あ、

何か、 今 動いたぞ。
水の中に、何か動くものが… いる!





The 洞内生活者との遭遇!

 めんこいなー。

イモリくんであります。

大きくて、元気よく水中を躍る茶色いイモリと、
水底の泥と一体化して、殆ど動かない、黒いイモリ。
見たところ、二匹だけ。

でも、照明が足りないだけで、実は沢山いるのかも知れない。
坑口からは、100m以上も離れた漆黒の洞内に、イモリが居るとは、思わなかった。

ひとしきり、感動。






 ジュブジュボジュボ…

私が入ると、あっと言う間に腿まで沈んだ。

幸い底の感触はほどほどに堅く、歩けそうではあるのだが、臑より下は、泥に沈んでいるのだろう。
水面は一瞬にして泥で曇り、水中の様子が全く見えなくなった。
当然、次の一歩を踏み出すべき、その足元も、全く見えない。

これは、めちゃめちゃ怖かった。
すごい深かったりしたら…、という不安を払拭しきれないのだ。






 深い。

想像していたよりも、かなり深い。

あっと言う間に、腰まで水は来た。
へそが濡れる、嫌な感触。
浮遊感。

その上、足元は全く見えない煙の向こう。
怖い。
一人というのも、怖さに拍車をかける。
さらに、足には頻繁に引っかかりを感じる。
おそらく、多数の材木が沈んでいるのだ。
もし足を引っかけて転倒したりしたら…、あるいは足が挟まって…。

考えれば考えるほど、次の一歩が、踏み出しにくくなる。

怖い。





 毒々しいほどに鮮やかな、内壁の色。

内壁の大部分は、黒い。
しかし、この黒さは表面だけのものである。
崩落した場所などを見ると、内側は土色である。
そして、天井から帳を下ろしたかのように、本来の壁の色らしい、色鮮やかな茶色が現れている。

この特徴的な模様が示す過去の事象、
それは、

蒸気機関車が運行していた?

だが、この道川製油軌道は、手押し軌道だったと言われている。
矛盾する。
単に、表面が酸化したなど、天然の模様なのだろうか?






 壁面に近い位置に、狭い陸が現れた。
そして、その陸と、今まで私が歩いてき洞床との間には、おおよそ50cmほどの落差がある。
しかも、その落差は急、急というか、垂直である。
明らかに、人工的な構造である。

写真は、その、壁際に幅50cm程度で残存している、陸地部分の様子。
大量の材木が泥に混ざって散乱しているが、これは板状のものが多く、梁に渡されていた天井という可能性もある。
なお、この隧道内には、なぜか蛍光灯と、制汗剤のゴミが目立つ。
特に、男性用制汗剤は、ローソンでの数年前の売れ筋が、一通り揃っているという充実ぶりだ。
とりあえず、この地底湖に浮かぶ小さな陸地に打ちよせられていたのは、「レセナ」だった。





 文章だけで説明するのには限界があるので、私の作成した拙い図を見ていただこう。

左図が、この隧道の内部構造として、私が推測するものだ。

ポイントは、洞床が二段階の高さにセパレートされている点。
そして、この比高は50cm程度。
仕切り部分は、板状の木材が使われている。
この両側の高い部分を除いた、中央の洞床部分は、幅2m程度である。
なぜ、このような二階建ての洞床を設けたのかは分からないが、同日の調査により、あの黒川製油軌道隧道も、ほぼ同様の構造であったことが判明している。
近接し、建設の経緯や、時期も類似しているこれら製油軌道隧道には、これまで見てきた他の隧道とは異なる、特殊な構造が用いられていたことは、ほぼ間違いがないだろう。
(どちらの隧道も、かなり扁平な断面を持つことが、何か関係するのかも知れない)


この構造について、心当たりのある方は、些細な情報でも結構なので、ぜひお知らせいただきたい。




 奥に向かって、右側に陸地が現れたと思えば、30mほどで突如消滅し(これはおそらく、仕切り板が崩落し、崩れてしまったものと思われる)、代わりに、今度は左側に、写真の陸地が現れた。

この地点で、断面はますます扁平になり、幅は4m以上にもなっている。
そして、この陸地が再び水面に消える場所からは、見えた。

遂に見えた。


その、閉塞地点が。

瓦礫が低い天井まで積み上がっている、その閉塞点を、遂に確認したのである。

そしておそらく、北側坑口付近がそうであるように、この横幅が広くなっている地点は、南側坑口に極めて近い位置であると思われる。






 これが、閉塞地点直前の、最終プール。

ここは、案の定もっとも深く、ほんの数歩分ではあるが胸まで浸水し、ヒヤヒヤした。
相変わらず、水は濁り、洞床の様子は全く窺い知れない。

閉塞地点がすぐそこに見えていなければ、おそらくこの水位で、断念しただろう。
そのくらい、最後は深い。

数秒後、
初めて到達する閉塞地点の陸地へと、
激しく水を落としながら私は上陸した!







 これが、閉塞地点の閉塞断面である。

印象的なのが、コウモリがただの一匹だけ、ぶらさがっていたことだ。

なぜ一匹なのか。
いままで、この隧道内ではコウモリに遭遇したことがなかった、というか、秋田市内の隧道内では、これが初めての遭遇かも知れない。
たった、一匹であるが。

天井が、破壊されている。
それは、自然の圧力で崩れた様子ではなく、無理矢理外側から重機で坑口を破壊したことが窺い知れる。

ほんの少しも風はなく、灯りを消してみても、陽は僅かにも漏れていない。
外から見た様子から、想像は出来ていたが、全くこれっぽっちも、外界との接続は見られない。
完全なる閉塞であった。

決着   …である。





 側面に、僅かな隙間を見いだそうとしたが、やはり駄目。

完全に、閉塞している。

ただ一匹のコウモリは、私が傍で忙しなく動くものだから、たまらず飛び立っていってしまった。

帰りに、入り口付近を飛んでいたので、また今も、この場所に戻っているに違いない。
日中は、一匹だけで、お留守番なのだろうか?
コウモリの生態は、よく分からないな。




 隧道最深部からのフラッシュを焚かない撮影。
遠くに見えるのは、入り口だ。


このあと、手持ちのライトも消して、恒例(?)の隧道最奥瞑想タイムを設けてみたが、あまり居心地の良い場所では、なかったな。
泥の奥だしな。





 これが、閉塞地点から、洞内を振り返った映像。
かなりの水深が感じられるだろう。
しかし、もしかして、内壁の黒い部分って、かつての汀線の跡?

そうかもしれないな。

だとすれば、めちゃめちゃ深い。
一時期は水深2.5m位あったのか?

なにはともあれ、閉塞隧道の最深部を確認し、決着した。

満足満足。
イモリやコウモリの安眠をさんざん妨げはしたが、もう、訪れることも、なさそうである。






      完

2003.4.11

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