隧道レポート 新潟県道45号佐渡一周線旧道 大山隧道群 第1回

所在地 新潟県佐渡市
探索日 2013.05.27
公開日 2013.11.27

これは私が佐渡で最初に出会った廃隧道の話である。

すなわち、佐渡へ上陸した私がまず目指した場所ということになる。
場所は大佐渡山地の東岸で、両津湾を扼する内海府海岸の中央部である。
当サイトではこれまで小佐渡海岸から1本、外海府海岸からも1本の廃隧道を紹介したが、今度は内海府海岸が舞台である。

この「大山隧道」は、探索前に読者さまから情報が寄せられていた佐渡で数少ない物件だった。
それも1人だけでなく、2007年のへっぽっぽ氏、2011年のノンマルト氏、2012年のちゃがら氏と、3人もの読者さまがこの隧道の情報を寄せて下さり、これは島内での最多情報件数である。

そしてそれらの情報は全て、次のちゃがら氏の文面に代表されるような、刺激的&挑発的な文言を含んでいた。
そのため、この大山隧道は私を佐渡へと誘う重要な餌になった。

いつも通る道路から見えるところに埋もれかけたトンネルの跡があり、ものすごく気になっています。
ただ、進入までのアプローチの方法がなく、崖からロープで降りるか、海から船で攻めるか、どっちかしかないと思います。
ちゃがら氏の情報提供メール文面より一部抜粋

↑ ナンダッテー?!!

“進入までのアプローチの方法がなく、崖からロープで降りるか、海から船で攻めるか、どっちかしかない”とは、穏やかではない。
紹介していただいたサイトやブログの記述も軽く拝見してみたが、確かに完全に踏破した記事は無さそうだった。
とりあえず、キーアイテムになるかも知れないロープは持っていこう。
また、今回は折角クルマを連れて行くのだから、水上アプローチの可能性として“WFK装備”(=救命胴衣&浮き輪)も乗せていくことにした。


次に、現場周辺の現在の地形図をご覧頂こう。


……

……う〜ん…  このパターンか!

地図を見て、地上からのアプローチの方法が乏しい(ない?!)という事の意味が実感された。
どうやら現在の県道は、陸を追放され、海上へ橋として逃れる事を余儀なくされているようだ。

このパターンの廃道は、確かにアプローチの難しさが容易く予想出来る。
過去の探索に例を求めれば、静岡県の太平洋に臨む“大崩海岸”がまず第一に思い出されるし、まだレポートは書いていないが、北陸の難所“親不知・子不知”の旧道にも、このパターンの区間が存在する。

地形図上でおおよそ300mにわたって海上に逃れている県道「黒姫大橋」の旧道は、既に地形図から完全に抹消されている。このことからも、難所であろう事は十分伝わってくる。
しかもそのうえに、抹消された旧道には隧道があったという。
1本? 

否。

2本??

否。

3本もあったらしい!! この短い区間に3本!!!

このことは、佐渡探索前にチェックした『道路トンネル大鑑』の記述により確認された事実である。
『大鑑』が編纂された昭和42年前後においてのデータだが、現在の地形図には見あたらない次の3本の隧道が、「両津市黒姫」地内に所在していたことになっている。

トンネル名路線名箇所名延長(m)車道幅員(m)限界高(m)竣工年度(和暦)
第三大山隧道(一)両津外海府佐和田線両津市黒姫523.23.4昭和2年
第二大山隧道2033.13.4昭和2年
第一大山隧道903.23.4昭和2年

第一から第三まで、長さ以外のスペックはほとんど一緒の大山隧道“三兄弟”。
だが、第二の長さ203mという数字はなかなか侮れないものがある。
これは深い闇が待ち受けていると言っても良いであろう。
ワクワクする。
ぜひとも踏破したいものであるが、不安は「アプローチの難しさ」という事前情報に尽きたのであった。




前置き(事前調査)の最後は、定番の旧版地形図である。
この大山“三兄弟”隧道は、歴代地形図にどのように表現されていたのであろうか。


←まず、昭和28年版。

見事である。
見事に、3本の隧道が一箇所に固まっている。
そして、全てを束ねるように振られた「 大 山 隧 道 」の注記が勇ましい。
昭和初期としては、随分奮発して隧道を多用したと感じられる。

現在の道は陸を追われるように海上に移っているが、かつて陸上にあった時代といえども、ほとんど地表は与えられず(許されず)、薄暗い地中にやっと存在し得たようである。
もはや海岸線に居並ぶ「がけ」の記号を見るまでもなく、現地の険しい地形が目に見えるようだった。
また、隧道連続地帯の途中には、海と隧道とに周囲を挟まれた短い明かり区間が2箇所あるが、隧道が塞がれると、たちまちこれらの明かり区間は孤立する。
アプローチの難しさという情報は、そんな状況を予感させた。


←画像にカーソルオンで、今度は大正2年版を表示する。

こちらは隧道が存在せず、海岸線を迂回する標高125mの「 大 山 越 」が「荷車ノ通セサル道」として描かれている。
また、道の表記の太さも昭和28年版は県道を示しているが、大正2年版では里道の一種であり、車道化が行われる前のようであった。

今回の探索目標は大山隧道(第一〜第三)! レポートは南側の歌見集落から始めよう。




歌見集落内の旧県道


2013/5/27 11:03 【現在地(マピオン)】

今から約2時間半前の9:30に両津港へ入港し、佐渡への最初の一歩を刻んだ私は、それからすぐに港の近くの駐車場にクルマを収め、そこから自転車を出発させた。
もう今日は夕方までクルマに戻るつもりはなく、このまま島の海岸線を反時計回りに走る予定である。

そして順調に内海府海岸沿いの県道佐渡一周線を走ること14km(この途中で小規模な廃道区間を2箇所ほど探索済み)で、大川隧道前最後の足溜まりとなる歌見(うたみ)の集落へ到達した。
これまで10近くも通りぬけてきた海岸の集落と見較べても、特に違いの見あたらない穏やかな地勢である。
そしてこれも定番だが、集落の入り口で新旧道が分かれていた。

なお、明治34年から昭和29年という長い期間にわたって、この歌見集落までは加茂村に属し、次の黒姫集落からが内海府村であった。
「大山越」や「大山隧道」の難所は、昭和29年に両村が両津市の一部となるまで村境であったわけだ。
こんなことも難所を物語る一事実だろうと思う。




山を間近に背負った海岸線という集落立地では、そこにもとからある道路を挟んだ両側に細長く家並みが続くという、街村的な町並みが自然と形成される。
そんな場所で生活環境と交通環境の両方を改善するためにバイパスを作ろうとすると、それは渚を埋め立てたり橋を架けるか、或いは山の中にトンネルで迂回するくらいしかない。

この歌見における新旧道の関係性がまさしく上記の如くであり、渚の埋め立てと2本の橋によって集落をパスしていた。
新道の開通年は確認しなかったが、橋の銘板に「主要地方道佐渡一周線」とあったので、平成5年以降と思われる。




新道の概観をチェックした後に引き返して、今度は旧道へ。
やはり旧道を走らないわけにはいかない。

旧道へ入ると、新道の「歌見舟橋」のすぐ隣に「船橋」という名前の橋が待っていた。
こちらも竣工年は不明(銘板無し)だが、親柱に掲げられた路線名は「縣道両津外海府佐和田線」というもので、これは現在の名前から見て2世代前のものである。
(昭和28年「両津外海府佐和田線」→昭和40年「両津鷲崎佐和田線」→平成5年「佐渡一周線」)
冒頭で紹介した『道路トンネル大鑑』にある路線名とも一致しており、昭和30年代の架橋かと思われる。
時代を考えれば、申し分のない2車線道路幅の橋である。




通過交通が新道へ流れ、輪禍から解放された感のある旧道&歌見集落。
路上で若い母親と幼子がボール遊びをしている光景(&それを見守るおばあさん)に出会うなど、往時としては十二分に広い道幅としたことが、結果的には明るい集落の雰囲気を生んでいるように思われた。

佐渡を一周する壮大な海岸道路がやがては出来上がるのだ。
その時には沢山のクルマが行き交うはずだという、そんな確信のもとに昔の村人たちは、この広い道幅(とそれに伴う潰れ地)を受忍したのだと思うと、なんか胸が熱くなった。
(本題のトンネルに辿りつく前だが、私はこの歌見集落の雰囲気がとても印象深かった)

そんな長閑な歌見集落を通過した。




歌見から自転車を漕ぎ進める事、おおよそ5分。

歌見の入口でも海岸線の果てに見えていた急傾斜の大きな山が、現在地と地続きにその全貌を見せ始めた。
先の地形がこれまでよりグッと険しくなったのを感じる。
地図を見ても、両津から歌見辺りまではだいたい500mおきくらいに集落があるが、以北は2kmくらい間隔を空けてポツポツと現れる感じになる。
歌見から黒姫までもちょうど2km離れているだ。

そして隧道が3本も掘られたという「大山越え」は、この地形の大きな変化の先頭に位置していた。
この先の険しい道のりへの覚悟を行く人全てに強いるかのようである。
ここに車が通う道が出来る以前の徒歩の時代、両津から北に向かう旅人が最初に海岸を離れて山腹への大きな迂回(上り下り)を余儀なくされたのが、この黒姫の大山越えであった。
ここまでは悪天でなければ磯や砂浜伝いを歩く事が出来たが、歌見〜黒姫間には「鬼の顔」と呼ばれる岩場の難所があって、波の穏やかな日でも歩き越える事は出来なかったという。

中心部分を望遠で覗いてみる。




海面に直接4基の橋脚(陸にプラス1基で6径間)を立てる、力強いシルエットの橋がまず目に止まる。
これが現在使われている黒姫大橋であり、この橋の右側で防波堤に守られた屋根の上だけが見えているのが黒姫集落である。
歌見も山を負ってはいたが、黒姫に至ってはもはや山に覆い被さられそうな立地だ。

そして私にとって肝心要の旧道であり廃道。
「大山隧道群」の在処はと言えば、壮大な黒姫大橋の背後にあっても、おおよそ隠しきれない荒状を晒している白茶けた山腹である。
今のところ隧道や旧道の姿は見えないが、あの崩れた山のいずこかに、大小3本もの隧道が放棄されているというのだからタマラナイ。

こんな分かり易い悪地形で、私は人が期待するような成果を上げられるかどうか。
それよりなにより、佐渡へはるばる渡ってきた自分を満足させる事が出来るかどうか。
私は期待以上に大きなプレッシャーを感じて、胸が重苦しくなった。
これが私にとって佐渡での本格的な廃道探索、初戦であった。




11:15 《現在地》 

さあ、やって参りました。

何事もなく黒姫大橋の入口近くへ。

ここへ来るのはもちろん初めてだが、オブローダーとしての経験から、
旧道の入口を探すべき範囲は初見でもほとんど絞り込まれていた。

この左の野ざらし気味の資材置き場など、イカの耳のようなカタチが、
イカにも旧道敷きっぽい!!



どれど〜れ…。


ふむふむ…  これはこれは……


どこから見てもただの資材置き場でございますな。

「なにもないよ〜」という、廃コンクリートたちの声が聞こえてきます。




でした。



いました。


廃コンクリートの衛兵たちによって、完全に現道から遮られたその奥に、
廃コンクリートの玉座に在(ましま)す廃の主の間。

もはや隧道の存在は疑いなしマッタなし!!

次回、“鬼顔城”に挑む!