【周辺地図(マピオン)】
この村、ちょっと凄いぜ。
私が本気でそう思っているのが、富山県西部の東礪波(となみ)郡に平成16年まで置かれていた、利賀(とが)村である。
今は、南砺(なんと)市利賀村を名乗っている地域だ。
何が凄いって?
右の地図を見て欲しい。
南北にとても細長い村域には、とにかく山と谷しかない。
しかも、村内を東西方向に横断しようとすると…山→谷→山→谷→山 である。
まるで“蛇腹”かと思うような起伏ぶりだが、高低差も大きく、海抜300m〜700m範囲に集落が点在する。
また、村を囲む山の高さは1000mを越える。
この村の中心地区は利賀川沿いにあるが、東の百瀬川沿いにも、西の庄川沿いにも集落がある。
だが相互に往来するためには、必ずといっていいほど山越えをしなければならない。
東西には狭いはずの村だが、地形を見る限りその狭さを感じない。むしろ、東西の方が遠いくらいだ。
関東平野みたいな恵まれすぎた土地の人間から見れば、神さまの意地悪じゃないかと思うような悪辣な地形。
しかも、冬の約4mの雪に覆われるという。
こんなところに(ごめんなさい)、明治23年からごく最近まで、ずっと独立一村が存在していたというのが、もう驚きだ。
合併前の人口は、約880人。
これだけの面積(千代田区の約15倍の広さ)に880人しか住んでいなかったのも、山林面積95〜97%といわれれば頷ける。
だが、そんな交通不便を宿命付けられた村であっても、国道が一本、村内を縦貫している。
(地図上に相当不可解な形を描きつつ…笑)
けれど、実際にこの村を訪れたことがあるっていう人は、あまり多くないと思う。
はっきり言って、どこかへ行く途中に通るような場所じゃないし、もうほとんど“隠れ里”レベルじゃないかと思ったりもする。
あなたは、この村が気にならないか?
この村の道が、気にならないか?
私は凄く気になったので、一発、チャリで挑んでみた。
第一次利賀探索計画(住んでる人には失礼だけど、入村自体が既に探索計画です)の大まかなコースは…
右図中左上の庄川を起点に、利賀川沿いを遡って利賀村へ入り、そこから百瀬川沿いへ移って北上、栃折峠で八尾方面へ抜けるようなものを想定した。
ひねりもなにもない、ただ国道471号をなぞっている感じだが、一発目から変なところに入って咽(む)せるのも何なんで、まずこの誰もが通りそうなルートをセレクトした。
ただし、実際に行ってみると、これでも大漁大漁で大変だった。
この日の探索の模様を朝から晩まで時系列順に紹介してもいいのだが、敢えて最終目的地だった栃折峠を、最初に紹介したいと思う。
なぜ栃折峠が最終目的地たり得たかと言えば、読者さまからこの地にまつわる衝撃的なタレコミがあったからだ。
情報提供者はのお名前は、その名も 隧道戦隊トチオリン氏。(ありがとうございました!)
国(酷)道471号線脇に異様な姿を晒している栃折隧道のお話を・・・。
どうやら人道隧道らしいのですが、成人男子が直立できないサイズです。
酷道とはいえ結構な交通量がある道路脇に堂々とある割には、中に入った話は聞いたことがありません。そしてどうやら結構長いようです。
残念ながら手元にデジタル写真はありませんが、
「道路は続くよ どこまでも」さんの中で、栃折トンネルとして写真だけ載せられています。
隧道戦隊トチオリンからのメールの一部を転載
教えられたサイトさんで写真を見たけれど、なんかやばいムードが醸し出されていた。
2009/4/29 14:26
またどうぞ… “とが”は あなたを待っています
今朝6時過ぎに庄川の道の駅を出発し、8時間。
ほぼ予定通りに利賀村内の縦横貫を一通り終えて、入ってきたのとは反対側にある村の出口、「栃折峠」を目前とするところまで来た。
この栃折峠というのは典型的な片峠で、利賀側の上りは高さ50mほどしかない。距離もほんの僅かだ。
一方の八尾側に向かっては、最初の集落の茗ヶ島(みょうがしま)まででも5km、350mの高低差がある。
トチオリン氏曰く、栃折隧道は峠の手前のどこかにあるらしい。
深い峡谷となった百瀬川を一ノ瀬橋で渡ると、すぐに分岐地点があらわれた。
国道は右の道だ。
追分石代わりに置かれた、おにぎりと青看。
青看の方は、何か文字を消そうとした跡がある。
しかし文字の上に貼ったテープが剥がれ始めており、最後の2文字が読める。
「……折線」
恐らくここには「上百瀬栃折線」と書かれていたのだと思う。
これは、平成5年に国道471号の一部として吸収される前の路線名だ。
普通は主要地方道から国道へ昇格するが、ここは例外的に一般県道から一足飛びで国道へ昇格した経緯を持つ。
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分岐から先は本格的な登り坂となる。
道幅は1.5車線。
右山左谷の地形は険しく、等高線にへばり付くような、いかにも古い線形の道である。
しかし、隧道がどんなところにあるのか、まだイメージができない。
というのも、地形図を見る限り(←)、
峠の鞍部附近は結構穏やかで、古い隧道がありそうな地形には見えないのだ。
って言ってるそばから、オイ!
隧道、ありやがる!
つうか、ちょっと狭すぎねーか。
アーッ!
クルマが坑口に、
ぶつかるッ!
ごめんなさい。ネタでした。
国道は隧道をまるっきりスルーして、普通に先を目指していた。
それにしても、隧道の出現位置が、予想したよりもだいぶ低い(→)
この位置から峠を抜いて向こうの同じ高さに出ようとすれば、少なくとも300mは掘らねばならない。
「長いらしい」とは聞いていたが…、確かに結構長そうだぞ…。
14:31 《現在地》
うえぇ。 こいつは確かに、人道隧道。
徒歩専用といってもよいサイズっぽい…。
そして、これは確かに目立つ。
国道を走っていれば、嫌でも目に付く位置にある。
なんなんだ、この隧道の意味は?
峠を抜ける隧道があることは別におかしくないが、このサイズは… どうしてこうなった?
もとより車が通るように設計していた感じがしないが、拡幅して使ったりしないのだろうか。
ともかく、明らかに車の通れない隧道というのは、山中においてかなり珍しい存在なのは間違いない。
別に塞がれてないし、立入禁止でもない。
普通に入ってくださいって感じだけど…。
足跡、無いんですけど……。
21世紀の道路風景にはどう見てもそぐわない坑口が、平然と国道端に開いているというのがシュールだ。
なんか、普通を装っているのがむしろ不自然に見えてしまう事ってあるけど、これもそんな感じ。
塞がれていれば、「なるほど」って感じなんだろうけど…。
お? 銘板がある。
意外だ。
この栃折隧道、そんなに古くない。
昭和34年12月竣功だそうだ。
戦後生まれとは、流石に思わなかった。
昭和34年といえば、もう世の中は自動車ベースで動いていた時代。
そんなとき、この栃折峠では人がやっと通れるような隧道を掘っていたというのか。
…裏の畑に行くための作場道とかじゃないよな?
た、たしかに、坑門の作りは戦後っぽいものだ。
坑口全体が場所打ちのコンクリートで出来ており、銘板の他に一切飾り付けはない。
両側のウィング(翼壁)の大きさが際立って見えるが、これも雪の吹き込みをある程度防いだり、雪崩で後ろから押し倒されないための工夫と見れば納得できる。
これは質実剛健という言葉が最も当てはまる、小さいけれど頑丈そうな、頼り甲斐のある隧道という感じがする。
するか?
……。
頼り甲斐、あるように見えるか?
・・・・。
うぅ… 狭い。
…おいで…、 行くよ。
私の愛車の全長は、約170cm。
そのチャリが、横を向けない!!
170cmよりも、隧道の幅は明らかに、狭い!
富山といえば池原隧道の狭さが有名すぎるが、ここは車道ではないとはいえ、それより遙かに狭い。
狭いということがステータスになる隧道って、オブの世界だけだろうな…。
やばいな。
風、吹いてない。
こんなに狭くては、ビュンビュン風が吹き抜けていておかしくない。
…貫通しているならば。
それに、一点の光も見えないし……。
あああ……。
入口から30mほどで、呆気なく素堀に…。
しかも、あまり地盤は良さそうじゃない。
ここから見ても、ポロポロと小落盤の跡が…。
ああー…
水没しよる…。
一応天井は立って歩ける高さがあるが、上にも左右にも手を伸ばせない狭さ。
数字で表せば、高さ2m、幅1.5mくらいだろうか。
元もとものすごい圧迫感のある隧道だが、足元が水に覆われたいま、それはさらに増した。
あまりに、重苦しい展開。
こいつは、“忘れがたい一洞”になるかもしれん…。
うっふふふ。
チャリが役に立ってますよ!
チャリのお陰で、足を濡らさずに進むことが出来る。
もっとも、ペダルを漕ぐときに下に来た足が濡れるので、不自然な体勢で漕がざるを得ない。
でも、こういうときには壁が凄く近いという、隧道の狭さが役立つ。
転びたくても、転びようがないくらいだから(笑)。
14:35 《現在地》
入洞より 180秒 経過。
前進距離は 約100m 。
チャリの上だけが、私の陸地だ。
未だに出口は見えないが、ここで再び巻き立て区間が始まった。
そして、10m先でまた素堀に戻っている。
この先の水深が、心配だ。
閉塞が、心配だ。
次回、
“地底サイクリング” 開催?!