http://yamaiga.com/tunnel/totikubo/ の公開中コメント一覧

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コメント
26,9462017-10-19 01:05:37/tunnel/totikubo/main3.html10
素晴らしい❗感動しました。
26,7752017-09-29 21:31:02/tunnel/totikubo/main3.html10
たまに読ませていただいてます。その行動力と文章力にいつも驚かされますが無理はしないで下さい。新潟県加茂市のMY
26,6432017-09-14 20:57:24/tunnel/totikubo/main3.html10
地元の話題ゆえ、好評化に値します。
26,5972017-09-10 03:06:50/tunnel/totikubo/main3.html9
千頭林鉄みたいな冒険ものもいいけど、こういうレポ大好きです!
道路造ったぜ!とか隧道貫通させたぜ!っていう住民の熱い思いが伝わってくるやつ!
26,5402017-09-02 18:36:48/tunnel/totikubo/main3.html10
西側坑口排水オフ、待ったなしですね。
是非参加させてください!
26,5342017-09-02 12:41:06/tunnel/totikubo/main3.html10
「ここに喜びのままに記念碑を建立す。」の石碑の一文に、不覚にも涙してしまいました。
26,5092017-08-30 20:11:56/tunnel/totikubo/main3.html10
広神村から長岡に抜けるその筋では有名な素堀のトンネルと同じ大きさですね。似たようなトンネルがこっちにもあったのですか。
しかし埋もれてしまっている、余程地盤が悪かったのでしょう。
26,4952017-08-29 23:43:50/tunnel/totikubo/main3.html7
トンネル自体は朽ちた支保工はともかく坑口付近と路面の泥土を取り除けばすぐにでも復旧できそうなのに
椿田川上流の谷沿い道は相当なコストを掛けないと通れるようには出来そうにないですね
(地理院地図も最大倍率では廃道部分を描いていないし・・・)
仮に谷道が直っても繋がるトンネルが細すぎるので現代の道としては貧弱すぎるし
トンネル拡張までするなんてコストパフォーマンス悪すぎで無理っぽいし
このまま朽ちて潰えてしまうしかないのでしょうか
悲しいね

昭和30年代といえば戦後復興から成長に向かう時代で
この道を作った人たちも今は予算が少なくてこの程度の作りながら
いずれもっと立派な道に成長すると信じていたでしょうに
その暁には石碑ももっと分厚い物が並び立つ事になったかも
(現状の石碑は薄すぎてびんぼっちゃまみたい)
ああ悲しいね

新旧の航空写真を見ると道が生きていただろう頃は谷の斜面が明るく開けていて
里山としての利用がされていた気配がありますが
平成に入るとジャングルみたいに放置されているようで
生活が便利になって山野に頼らなくて済むようになった事の裏返しとはいえ
やっぱり悲しいね
26,4942017-08-29 23:16:12/tunnel/totikubo/main3.html10
山行きの初期を思わせるような隧道にビックリ。
26,4842017-08-29 10:45:14/tunnel/totikubo/main3.html10
石碑をどこかもっと目につく場所にに移設してほしいと思う所存。見附市役所敷地内とかね。
26,4662017-08-28 14:34:06/tunnel/totikubo/main3.html10
くわさぐりではなくてくわさがしですよ。
これからも頑張って下さい
26,4612017-08-28 04:44:10/tunnel/totikubo/main3.html10
この記念碑をIngressのポータルに申請しても、登録されないだろうなぁ・・・
26,4522017-08-27 21:33:45/tunnel/totikubo/main3.html10
20年ほど前に、2年間長岡に住んでいた時、桑探トンネルを地元の人は、くわさがしトンネルと呼んでいたと思いますが、くわさぐり、が正しいのでしょうか?
当時、長岡ー栃尾間には複数経路の越後交通バスがありましたが、1日2往復のみ、田井・桑探トンネル経由のバスがあり、興味を持ち乗りました。バスも、くわさがし、だった気が。 ちなみに、ジョルダンで現在のバス時刻を調べたら、今も1日2往復ありますね。あの地域の交通の変移には、越後交通栃尾線の廃止も絡んでいると思います。当時の鉄道トンネルを改築して道路トンネルにしたらしいですね。
26,4362017-08-26 21:39:36/tunnel/totikubo/main3.html10
久々に濃い内容で非常に満足しました。特に石碑の内容にウルっと…
しかしコウモリ大乱舞後の写真には笑ってしまいました。特に突っ込むことなく淡々とレポートされている中、写真では大暴れしているコウモリとのギャップに吹き出しそうになりました笑
26,4242017-08-25 15:31:33/tunnel/totikubo/main3.html10
長岡市在住のものですが、この栃窪地区は見附が市制施行にあたり、僅かに人口が足らなかったのでここを持ってきたという話です。
また、栃窪は昭和末期から平成初期にかけて集団移転が行われ、同市田井などに移転したので、現在では廃村となって、耕作のためにしか出入りしていないはずです。
26,4232017-08-25 10:10:06/tunnel/totikubo/main3.html10
完璧な石碑でしたね。詳細はもとより竣工式の場面まで想像できてしまう。
26,4222017-08-25 10:05:02/tunnel/totikubo/main3.html10
分村合併の多かった昭和の大合併ですがこんなドラマ(と廃隧道)を残したとわ!!あなも良かったし文句なしの10点です。慾を云えば何故栃窪が見付を選んだのかの解明が欲しかったけどまあそれは山行がの範疇ではないよねw
26,4202017-08-25 02:01:42/tunnel/totikubo/main3.html10
26,397です。
訂正です。むしろ、「起工セラレ・・・貫通セラル」が妥当かもしれません。
26,4192017-08-25 01:58:23/tunnel/totikubo/main3.html10
26,397です。
さっそく沿革の部分の高解像度の画像をupして戴き、ありがとうございました。

画像と見比べてみましたが、
「要望シタ所」は、植生で判読不能ですね。ただ、全体が漢文訓読(文語)調なので、やはり、「シタ所」は不自然に思えます。
「貫通ヲシ」は、たしかにそのように見えます。ただ「貫通」の下に3字片仮名があり、「□ラル」のようにも見え、「貫通セラル」とも考えられるかもしれません。というのも、「貫通ヲシ」の「ヲ」は余分な印象を受け、上と同じ理由で、むしろ「貫通シ」となりそうに思われるので。また、少し前に「起工セラル」とあります。どちらも同じ「隧道」を主語にした述部ですから、どちらの動詞にも受動の助動詞がつくのは、文として自然だと思います。
「喜ビノママ」も、たしかにそのように見えます。ただ、こちらも「ママ」の下に1字片仮名があるような陰が見え、「アマリ」という推定がされたのも、わかる気がします。もし1字彫られているなら、「ママニ」かもしれません。というのも、これもまた「喜ビノママ記念碑ヲ建立ス」という表現が、ややしっくりこないように思われるので。

石井善松氏の肩書きですが、碑文に「副」と彫られているなら、事情はさておき、疑問は解決です。26,407様のご推測ようなことは、十分ありうると思います。
26,4182017-08-25 00:57:53/tunnel/totikubo/main3.html10
開通して記念碑を建てたまでの経緯は良い話だが
自動車の普及によって利用者の関心が薄れて行ったのだとしたら寂しい時代の流れか
費用だが
歩道や中央分離帯もトンネル情報板も消火栓も非常電話も無し
トンネル専用に作られた照明も避難坑も換気設備も無し
この辺が現代のトンネルより安上がりな理由ではないだろうか
更に偉い人に揮毫させた扁額とか
地元(自治体単位で)をアピールする意匠を凝らした坑口レリーフも無いのもな
26,4162017-08-24 23:20:38/tunnel/totikubo/main3.html10
なんだか久しぶりに心に染み入る隧道ネタでした
石碑から読み取れる歴史が、ヨッキさんの探索の原動力なんでしょうね
26,4152017-08-24 22:44:08/tunnel/totikubo/main3.html10
隧道西口の堰となってる土砂に穴を開けて中に溜まってる水を抜いてあげたいなあ
26,4122017-08-24 21:14:28/tunnel/totikubo/main3.html9
石碑の文面の正確さについて読者コメントがありますが、totikubo_93.jpgではなかなか読み取りづらいところがあります。ただ、totikubo_93.jpgを拡大してみたら「喜ビノママ」の部分はそのように読み取れました。
他サイトにある「喜ビノアマリ」は誤り(読めないところの補い間違い)だと思うので気にされなくても大丈夫だと思います。
26,4112017-08-24 20:51:49/tunnel/totikubo/main3.html8
残念ですね…アレだけ水没してたら無理です。石碑は思いの外,熱い思いが感じられました。ご苦労さまでした。
26,4102017-08-24 20:37:44/tunnel/totikubo/main3.html9
>>西口から見る、東口の光…。

“かそけき”という言葉の用法の手本だと思いました。

>>東京との関係性など皆無に思える隧道の貫通記念碑へ、なぜ少なくない東京在住者が寄付を行ったのか。

おそらくそうでしょう。これ、いい話ですね。
26,4092017-08-24 20:35:59/tunnel/totikubo/main3.html10
起工日が12月8日と、わざわざ冬の農閑期に工事しているところから想像すると、地元の人間が作業に携わった可能性があるのでは。
工費参百万円の理由はその辺にあるのでは。
普通に建設会社が施工したのでは、とてもこの距離単価では出来ないとかんがえます。
また、予算の獲得には、県議の力が大きかったと思います。昭和30年当時の県議は、現在の大臣並みの影響力があったと思われます。
丸山県議が栃窪出身ということではないのでしょうが、その辺の機微に明るい人物がいたということでしょうか。
26,4082017-08-24 19:18:05/tunnel/totikubo/main3.html10
恩は石に刻め
恨みは水に流せ
26,4072017-08-24 17:11:56/tunnel/totikubo/main3.html9
26397様

>栃窪の石井善松氏の肩書きが、功労者の項では「副区長」、世話人の項「区長」と二様になっている点。

これについては、次のような事情だと思います(資料にあたったわけではありませんが)。

「功労者」というのは、「隧道工事」の功労者です。
隧道の計画から竣工まで。つまり遅くとも昭和31年時点での肩書きを記したはずです。
「世話人」というのは、石碑を建てる事業での世話人です。石碑は昭和33年に建てられているので、隧道完成とは時期がズレています。
昭和31年から33年の間に石井氏が副区長から区長になったと考えれば矛盾はありません。
26,4052017-08-24 15:09:46/tunnel/totikubo/main3.html9
石碑とても良かったです。
ご安全に。

愛知県犬山市在住46才
26,4042017-08-24 13:21:25/tunnel/totikubo/main3.html9
石碑を建てる程待ち遠しかった隧道だったのでしょうね。しかしながら、痛みがことのほか早く進んでしまい使われなくなったという経緯なのでしょうか。それともスペックが低く通りにくかったからか。もっと隧道が立派に役目を果たせていれば集落の人工が減るのも止められたかもしれませんね。 石碑の他に開通式の様子を収めた写真とかが残ってないのかなあ。 あ、それと廃道本第二弾を予約済なのです。見るのが楽しみです!

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