ミニレポ第113回  大森山林鉄 明神川橋梁

所在地 山形県最上郡最上町 
探索日 2006.07.07
公開日 2006.12.29

田園を渡る橋 東北最長?


 山間のいで湯、宮城県鳴子町鳴子温泉郷から西へ、国道47号を進む。
鳴子峡に架かる巨大な橋を渡り、中山平温泉を過ぎると、やがてあたりは高原的な疎林の風景となる。
しばらく緩やかな登りが続くが、ここは奥羽山脈のなかでも最も低い峠の一つである。
やがて下りに転じる頃には、そこは山形県の東の端、最上郡最上町だ。
更に進み、松尾芭蕉の句で有名な山刀伐峠方面へ行く県道最上尾花沢線との分岐を過ぎると、そのすぐ先で左手に大きな鉄橋が見えてくる。
ここまで、鳴子温泉から約20kmの道のりである。

 鉄橋は国道からも見えるが、車通りの多い国道では落ち着いて見られない。
国道から下り、川との間にある田んぼの畦道へ。
それは、ご覧の通り巨大な鉄橋だ。



 私がここを訪れたのは、2006年の七夕の日。
夕暮れ時だった。
この場所に鉄橋があると言うことは、前に東北のオブローダー仲間の間で話題となったことがあり知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。想像していたのよりも、ずっと長い橋だった。

 近付いてみると、ちょうど橋の上に人影が見えた。
現役なのだろうか。



 橋の上の人物は、背中を丸めたおばあさんだった。
買い物カゴの付いた自転車を押しながら、その影はゆっくりと橋を渡っていく。

 橋とおばあさんのシルエットが、なんだかとても物語的だ。
思わずシャッターを何度も切ったが、おばあさんはそれに気づかず、やがて橋の向こうの緑の中へ見えなくなった。

 あとには、橋と私だけが残った。



 橋が跨いでいる川は明神川といい、最上川水系小国川のさらに支流である。
小国川とはこの数キロ下流で合流している。
源流は宮城県境の深い山の中にある。
今年の梅雨はあまり雨が降らなかったせいか、緑ばかりが目立つ川原の水位は低い。



 橋の長さはどのくらいだろう。
右岸の富沢集落の影からスルスルと伸びてきた築堤が、河川敷の中程まで来たところで橋となる。
コンクリート製の橋脚に鋼鉄製のガーダー桁がテンポ良く載せられている。
数えると、橋脚の数は全部で6本ある。
すなわち、7連ガーダー橋だ。
外見上の特徴としては、桁と橋脚が大変にスリムな事が挙げられる。
橋という機能美がシンプルなシルエットに集約されており、見ていて心地がよい。



 右岸側の河川敷は広く、ここに4本目までの橋脚が立ち並んでいる。

ん… …前言を撤回。
一番右岸の集落寄りにある橋脚は、よく見ると橋台であった。
橋台とも橋脚ともとれる微妙な形だが、コンクリートの一体構造になっているようなので、橋台として良いだろう。
すなわち、橋脚は全部で5本、6連のガーダー橋となる。

 次に、河川敷から築堤上へとアプローチする。



 橋の幅に見合う、狭い築堤。
真っ直ぐ富沢集落へと続いている。
そして、そこに刻まれているのは、慎ましやかなシングルトラック。
いかにも、自転車が繰り返し通ったことで刻まれたような幅だ。

 奧に見える山は明神山(617m)といって、私の背後の明神川を渡った高台には、同名の集落もある。



 ガーダーの上には木板が敷かれており、転落防止用の鉄製欄干が両側に設置されている。
その幅は、下から見た印象通りの狭さである。

 特に、立ち入り禁止などの表示はなく、地元では現役で使われているのだろう。
それにしても、これはなかなか大層な橋だ。
皆様の予想通り、これは元森林鉄道の橋なのだが、これだけの規模の物が現役で使われているのは、非常に珍しい。



 板敷きの幅は、その下にあるガーダーの主桁とほぼ同じで、80cmほど。
欄干を含め、橋上の有効幅員はギリギリ1mといったところだが、歩行者自転車、それとバイクがギリギリ通れる程度だろう。
ただ、自転車を含め、車輪の付いた乗り物に“乗ったままで”渡ることは、オススメしない。

 なぜなら、板敷きの所々にタイヤの幅を超える割れ目が出来ているからだ。
老朽化によるものだろう。
断面を見ると板敷きの厚さは薄く、せいぜい2cmくらいしかない。
しかも一重で、一枚下は川である。
おそらく、都会の神経ならば確実に立ち入り禁止になっている状況。
橋自体の強度は大丈夫だと思うけれど、板敷きの方は、正直、変な力の掛け方をしたらいつ抜けてもおかしく無さそうだ。



 全長は100mくらいだろうか。
現存する林鉄橋梁としては、東北最長なのではないだろうか。
まったく観光化されていないが、地元では有名な存在なのだろうか?

 渡り終えると、踏み跡は緑の中の緩やかなカーブに続いている。
人が渡っていった事を考えるに、この先にも人家があるのだろうが、そこまでは行かなかった。
また、林鉄跡の方は、橋を渡ってすぐに踏み跡と分岐するように思えた。
少し進むと、踏み跡の勾配が急にきつくなったので。




 橋の袂には、こんな立て看板があった。

注  意
歩道橋につき、
自転車・バイク等車輌の
通行を禁止します。
      道路管理者  最 上 町

これを見る限り、橋は最上町の管理下にあるようだ。
これでも町道なのだ。



 さて、これほどの橋を残した林鉄は、どのような路線だったのだろうか。
現在まで、この路線について詳しい実地調査をした資料やサイトを知らないが、お馴染み『全国森林鉄道』巻末資料によれば、該当する路線は「大森山林道」だ。
大正8年から昭和37年までの利用で、本線全長10.6kmとある。
大森山は山刀伐峠の東方にあり、現在の県道最上小野田線に近い小国川沿いのルートだったと想像される。

 今回は、あくまで寄り道だったのでこれ以上の調査は出来なかったものの、気になる存在である。



 この大森山林鉄は、JR陸羽東線赤倉温泉駅に起点があったようだ。
赤倉温泉駅は、開業当初「富沢」という駅名だったことからも分かるように、橋の袂の富沢集落内にある。
よって、この明神川を渡る橋(名称は分からないが、鉄道橋の命名法則性に則って「明神川橋梁」と題名にした)は、大森山林鉄にとってスタート地点にも等しい、きわめて重要な位置にあった事になる。
その位置ゆえに、あまり名の知れていない路線(山形県内は林鉄が少ないこともあるが)でありながら、これほどの大橋梁が設けられたのだろう。

 ところで、この写真に写っている悪ガキ3人に至っては、畦道をやって来たかと思うと、橋の下に潜り込んで、一生懸命にガーダーの横っ面目がけ小石を投げつけるではないか。
当たる度に甲高い金属音が響き渡り、それに合わせ彼らも小躍りして騒いだ。

 うふふ…… これぞ遊びぞ! 素晴らしい!
橋をかわいがってくれて、 ありがとう。



 地元に馴染んだ、微笑ましい余生。
だが、残念ながら、この橋の将来は明るくない。
私は、この橋が直面している、ある具体的な危機の存在を知ってしまったのだ。

 一通り橋の上の探索を終えた後、赤倉温泉駅まで軌道跡を探してみるかと思い集落へ向かって歩いていくと、一人の話し好きそうなおばさんに出会った。
私が、この橋をさして「立派な橋ですね」と褒めると、おばさんは少し喜んだ様子で言った。
「集落(※1)でも、この橋を残してもらおうと町に要望しているんだけどねー…。」
そう言って、少し寂しそうな表情になった。
更に聞いてみると、次のような話だった。

 橋は、数年前まで町道にも指定されていて、定期的な修繕も町が行っていたのだそうだ。
だが、下流に新しく車も通れる町道の橋が出来てからは、町ではこの橋の管理を止めてしまったという。
それでも、車を持たない住民にとっては、大きく下流へ迂回しなければらない車道の橋よりも、元の橋の方が畑に行くのにも便利で、今も使用する住人達で清掃しながら、使っているのだという。

※1 ここに入るのは、この地域では殆ど抵抗なく使われている、同じ意味の別の単語です

 私が橋で見た様々なファクターが、今の話で一つのストーリーの上に並んだ。

  自転車を押して歩く老婆。
  築堤上のシングルトラック。
  板敷きの老朽化。
  町の建てた看板。
  ……

 おばさんは、最後にこうも言っていた。
橋の撤去には、莫大な予算が要る。
いまはその予算がないから、当分このままだろう  …と。

(このレポートの周辺地図はこちらです)


私は、その行く末を見守っていきたいと思う。








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