ミニレポ第237回 青梅市今井5丁目のロータリー?

所在地 東京都青梅市
探索日 2018.3.02
公開日 2018.4.14

武蔵野の田園風景に残る謎のロータリー状交差点


【広域地図(マピオン)】

先日、東京都日野市の自宅から行きつけの自転車屋である埼玉県入間市のバイクピットサイトウへと向う途中、ちょっと用事があって青梅市へ寄り道したときのことである。市の東部、都県境と接する今井5丁目を自転車で走っていたところ、思いがけないものに出会った。

小型のロータリー状の交差点である。

ロータリー交差点(=円形交差点)とは、交差点の中心に“島”が設けられていて、通行する車両は“島”を取り囲むように築造された円形路を一方向に周回しながら、円形路と接続されている放射路を選択して進行する方式のものである。
一般の交差点に較べると多くの用地を必要とするなどの理由から、我が国では駅前広場以外ではあまり導入されてこなかったが、平成20年前後から「ラウンドアバウト」と呼ばれるロータリー交差点の一種が再評価され、徐々に設置数を増やしている。
しかし、この青梅市郊外で見つけたロータリーは、最近作られたものではなさそうだった。

右図は、最新の道路地図帳(スーパーマップルデジタル18)である。
縮尺を8000分の1よりも大きくした辺りで、その姿が初めて現われた。
地理院地図も縮尺を大きくすると、同様の記載がある。

今から現地の画像を掲載する。
解明しきれなかったその正体について、ぜひ皆様のお知恵を拝借したい。

では、さっそくどうぞ。




2018/3/2 11:13 《現在地》

ドーン!

どうです? ロータリー交差点みたいでしょう。

青梅市今井5丁目2408番地地先に、この景色はある。
都道179号所沢青梅線にあるこの交差点から市道へ入り、約300m直進した突き当たりだ。
手前左に見切れている建物には、今井5丁目自治会館という表札が付いていた。

目の前に現われた交差点は、綺麗な正円形を描く“島”を中心とした円形路の外周に
数本の放射路が接続する形状をしており、まさにロータリー交差点のようであった。



この交差点に接続している道の数は、ぜんぶで5本。

それらは右の地図にも描かれているが、全てが外へ通じているわけではない。
@番〜D番までのうち、@番とC番とD番が外部へ通じており、A番とB番は民家の進入路で行き止まりになっている。またC番は非常に狭いため。事実上二輪車以下しか通り抜けは出来ない。
そのため5本の道が接続しているとはいえ、ここを通過する交通のほとんどは、単に@番とD番の間を行き来するのみである。

なお、正確にはロータリー交差点とは呼べないと思われる。
なぜなら、ロータリー交差点の必要条件のひとつが欠けている。円形路が一方通行であるという条件だ。
日本のロータリー交差点の円形路は、例外なく時計回りの一方通行になっているが、この「一方通行である」ことは、ロータリー交差点の条件のひとつである。(日本道路協会編 『交通用語事典 第3版』の「ロータリー」の項にも「…中央に交通島を設け、そのまわりを交通が一方向にまわるようにし…」とある)

この円形路にはそうした一方通行規制が敷かれておらず、双方向とも自由に通行できるようになっている。
したがってこの場合は、ロータリー交差点ではなく、ロータリー“状”の交差点とか、円形“状”の交差点などと呼ぶべきだろう。(しかし本編では煩雑を避けるべく、以後も単に「ロータリー」と称することを許されたい)



なお、円形路の内側の部分を島、正式には“交通島”というが、このロータリーの島は、高さ60cm程度の玉石練り積み擁壁で囲まれた円形の水域だった。

水面の高さは、擁壁の縁から10cmほど低いが、路面から見ればそれでも十分に高く、さながら公園などで見られる噴水のある人工池のよう。
池の直径は、目測および地図上の測定で7m前後であろうか。
このようなまん丸な人工池が道の真ん中にあるというのは、とても珍しい光景である。

そしてこの池、現在は防火水槽として使われているようだ。
その旨を表示する見慣れた赤い看板が立っていた。
水深は全く不明だが、擁壁上に高い網フェンスが立てられていて、水面には近づけないようになっていた。




これは反対側から見た“島”である“池”の様子。

なみなみと水が張られているが、これはただの溜り水なのか、それとも外部から供給されているのか。これについては、池の周囲に給水ポンプのようなものも、その制御用の装置らしいものも見当たらないので、前者であると思われる。
また、排水口らしい場所も見当たらないが、目立たないだけで、どこかに溢れないための装置があるのだろうか。

そもそも、この池はなんのためにあるのだろう?
考えられることはいくつかある。

最初から防火水槽として作られた説がまずひとつだが、その場合、なぜまん丸い形になっているかが謎である。ただのオシャレってことも、もちろんあるだろうが。
このくらいのサイズの円形池といえば、やはり公園などにある噴水が連想される。これもひとつの説である。しかし噴水装置は見当たらず、周囲にも公園らしい雰囲気は全くない。
また、伝統的な灌漑施設の中に円筒分水施設というのがある。周囲には農地が点在しているので、立地条件としてはありそうだが、周囲に接続する水路が見られないので、この説はないと思う。 鉱山のシックナー? それもないよな、さすがに。

結局は、防火水槽説と噴水池説が、私の中の二大説である。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

全天球カメラをフェンスの上まで掲げて撮影したのが、この画像。
人の背丈からだと、この景色は見られない。

こうして水面を覗いてみると、思いのほかに深そうだ。
水は透き通っているようだが、真っ黒な水面の底は見通せない。

振り返ったりして、周囲も眺めていただきたい。
いわゆる武蔵野の郊外田園風景が広がっている。
青梅市中心部から4kmほどの位置だが、都市化はここまで及んでいない。



北東(C番)側から見た全景。

このC番が円形路に出るところには、「一時停止」の道路標識が設置されている。他の4本の道にはない。
これが正式なロータリーであれば、円形路は@→A→B→C→D→@の順の一方通行規制が敷かれているはずだが、
そうした規制はなく、円形路を双方向に通行することが可能だ。円形路の道幅は、いわゆる1.5車線路である。

道が先なのか、池が先なのか、それとも同時に建設されたのか。
それは分からないが、最近になって作られた景色でないように感じた。


以上、青梅市郊外で偶然見つけた小型ロータリー状交差点からの報告である。




交差点の真ん中に、なぜ防火水槽があるのか?
その防火水槽は、なぜまん丸な形をしているのか?
そもそもこの池は、初めから防火水槽として作られたのか?

この三つのクエスチョン(?)が、残された謎である。
そして、その解明のチャンスは、すぐに訪れた。
ロータリーから100mも離れていないところで、古老と接触に成功したからだ。


青梅市今井5丁目のロータリー池に関する古老証言集 

  • 太平洋戦争中、あの辺りには日本陸軍の施設があって、「無線部」と呼ばれていた。池はその施設の名残だと思う。
  • 施設の中で、あの池が何に使われていたのかは、分からない。
  • 現在は防火用水として使っている。
  • 今は取り壊されたが、数年前まで当時の官舎の建物の一部も残っていた。
  • 少し前まで、この辺り一帯は「無線」と通称されていた。
  • 無線部の跡地は、戦後まもなく払い下げられ、外から来た人たちが入植して農業を行った。そのため今も一戸一戸の土地が広い。

以上のような土地の歴史を知ることができた。

右の写真はいずれも、現在の今井5丁目の風景である。
畑にビニールハウスに牧場に雑木林。
古老のいう通り、都内の平地らしからぬ長閑な景色が広がっているが、その多くは戦後まもなく外から入植してきた人の手によるものだという。

そして真っ先に出て来た、「日本陸軍の無線部」というワードである。
軍事関係には全く明るくない私には、古老の証言に補足説明を付けることが出来ないが、田園風景に異風な姿を見せるロータリー池に、そんな謂われがあったとは。なるほどと言うよりない。
しかし、その「無線部」という軍事施設の中で、この池がどのように使われていたまでは古老も知らないという。

現地探索は、以上である。





帰宅後、机上調査を試みたが、思うような成果は上がらなかった。

まず、古老の言う「日本陸軍の無線部」と呼ばれるような施設があったのかどうかを調べようと思ったが、旧軍関係の資料が収集されている「国立公文書館アジア歴史資料センター」を調べた。ちなみに、太平洋戦争当時の地名は今とは違っていて、昭和18年以前は東京府西多摩郡霞村、以降昭和26年までは東京都西多摩郡霞村、以後は東京都青梅市である。
だが、この西多摩郡霞村に何らかの軍事施設があったというような資料は発見できなかった。

本市域は、幸いにして敵機の目標になるような施設や市街地はなかったので、大編隊の集中攻撃を受けるようなことはなかったけれども(以下略)  
『改訂青梅市史 下巻』より引用

『改訂青梅市史 上・下巻』も調べたが、やはり当時の霞村内に軍事施設があったという記述はなかった。
まあ、私の調べが足りないだけである可能性が高いが、住人によって「日本陸軍の無線部」と称されていた施設の実態が(軍施設であったことは変わらないとしても)、それとは違っていた可能性はありそうだ。
詳しい方のご教示を待ちたい次第。


次に、旧地形図と航空写真のチェックを行った。

が、旧地形図については、古老証言を裏付けるような発見はできなかった。
昭和20(1945)年要部修正版を見てみたのだが、それ以前の明治の版と変わらないような地図風景が広がっているばかりで、施設らしいものは描かれていなかった。
もっとも、本当に軍事施設であったならば描かれないことの方がむしろ普通だった(いわゆる戦時改描)ので、「描かれていない=存在しなかった」とはいえない。

比較した昭和55年修正版では、縮尺の関係かロータリー自体は描かれていないが、現在とほぼ変わらない地図風景になっていた。


← 新しい          (歴代航空写真)          → 古い
@
平成19(2007)年

A
昭和35(1960)年

B
昭和21(1946)年

C
昭和10(1935)年



成果が大きかったのは、この航空写真の比較である。
右図は、@平成19(2007)年、A昭和35(1960)年、B昭和21(1946)年、C昭和10(1935)年の4枚の航空写真だ。

まずは、@平成19(2007)年版だが、ロータリー池の存在がはっきり見える。
また、このロータリー池を含む長方形の大きな区画(赤線で表示)に注目していただきたい。(なお、先ほど掲載した農村風景2枚(【これ】【これ】は、この区画の外だ))
これを起点に、次の図へ。

A昭和35(1960)年版にも同じロータリー池が見えるが、@でも判然としていた大きな長方形の区画は、より鮮明である。完全に周囲からは浮いて見えるほどだ。
もっとも、土地利用の実態については、周辺の農地とさほど変わらないようで、ロータリー池の周囲に現在もある民家が数軒見えるほかは、短冊状に区画された畑が広がっている。古老証言の通りであれば、これは入植した人たちの住居や田畑ということなのか。
@はこれと比較すると畑が減って、土地利用が多様化しているようだ。

戦後間もないB昭和21(1946)年版の航空写真まで遡ると、やはり同じ位置に丸くて黒い池のようなものが見える。
さらに、件の長方形の大きな区画も既に存在しており、それを外郭線とする何らかの施設が存在したことは確かなようだ。これが旧陸軍の無線施設だったのだろう。
円形池は丁字路の中央にあるように見え、既にロータリー的な状況だった可能性が高い。

これがさらにC昭和10(1935)年版まで遡ると、施設らしいものは全く見当たらない。ここに大戦時の軍施設があったという古老の証言を裏付ける光景といえる。


結局、この航空写真の比較から分かったことは、円形池やロータリーは、戦時中に軍施設の一部として作られたようだという、古老証言を裏付ける内容である。
しかし、この池の建設当初の目的を断定するような情報は。得られていない。(池の底がパカッと割れて、ミサイル発射場がゴゴゴゴ…と現われたりはしそうにない)
軍施設、あるいは通信施設として特別に必要なものであったのか、それとも単に当初から防火水槽として設けられたものなのか。

いずれにしても、戦争の終結と共に軍施設が撤去された後も、忘れ形見である円形池は撤去されることなく、今度は入植者たちの暮らしを火災から守る水瓶として、今日まで地域の移り変わりを見守ってきたということなのだろう。
四角い池ではなく敢えて丸い池になった理由も未解明だが、角の立たないその形が、見知らぬ土地に集まって慣れない暮らしを始めた入植者たちの心を、ほんの少し癒やしたこともあったかもしれない。



円形池の正体は、戦時中の防火用水か? 2018/4/14 追記

レポート公開後、ををつか ひでを氏より、これは大戦中の軍施設にあった防火用水ではないだろうか。似たものが各地にあり、例えば同じ多摩エリアの昭島市玉川にあるものもそうではないか――というような情報が寄せられた。

右のGoogleマップの場所(昭島市玉川町3丁目)が、氏が例示した場所だ。
市街地に小さなロータリーがあり(しかもここは7本もの道が接続する正式なロータリー交差点として使われている…すばらしい!)、中央の交通島部分のサイズも同程度に見えるが、単なる池ではなく、街並みを彩る噴水付き小公園として活用されているようだ。


さて、この昭島市玉川町3丁目のロータリーも、青梅市今井5丁目のものと同様に戦時中の軍事施設に由来するものであるかどうかを、古い航空写真でチェックしてみた。(←)

すると、こいつは確かに、その通りであるようだぞ!
昭和16(1941)年の航空写真には、昭和初期の版(撮影年不明)には影も形もない巨大な施設が突然出現している。規模が青梅市のものとは比べものにならないほど大きいが、その中央部にも円形池とロータリーのようなものが、はっきりと見えるのである。それが現在も残っているわけだ。
(なお、これは軍施設そのものではなく、大戦中に周辺の軍需工場で働く人のために作られた住宅地であるそうだ。通称「八清住宅」と呼ばれているらしい)


そういえば……と、思い出したのが、私の住む日野市のここだ。(→)

JR豊田駅のすぐ近く、日野市豊田4丁目の住宅地にある、やはり同じような形のロータリー。5本の道が接続するロータリー交差点の中央に水が張られた円形池がある。この池も青梅市のものと同じくらいの大きさであろう。
ここはだいぶ前から存在を知っていたが、すっかりと忘れていた。

こちらも軍事施設由来かは確かめていないが、昭和16(1941)年の航空写真にはみられず、昭和19(1944)年版に忽然と姿を現しているのである。

ををつか氏の言うように、こうした戦時中に建造された円形の防火水槽は、全国に相当の数が存在する可能性が高そうだ。
今まで気付かなかったぜ!

情報、ありがとうございました!



円形池の効用に関する一説 2018/4/14 追記

これは軍関係に明るいクロスケ氏による考察だ。

これは推測に近いけど、大戦当時爆撃は焼夷弾(ナパーム弾)がほとんどだったので、当時の防火水槽はその水を使って火を消す以前に、まずは自分を守るために飛び込むことが最優先だったから、通りに出ればすぐにわかる見渡しがいい交差点の中心に防火水槽を作るのは理にかなってると思う。

これも、なるほどと思わされる目からうろこの説である。
建物の火を消す以前に、まずは自分に着いた火を消したり、火が着かないように水に逃げ込むというわけだ。
そしてそのために、わかりやすいところに大きな防火水槽が設けられたというわけか。
この説を採るなら、池のサイズが大勢の人が同時に飛び込めるくらいの大きさを持っていることや、その縁が人が乗り越えられるくらいの高さになっていることも、納得できる。

…にしても、火災を見たことはあるが、戦争を見たことのない私には、ちょっと想像できなかった説であった。
ありがとうございました。


完結。


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