ミニレポート第287回 古座川町一雨の材木流しトンネル 後編

所在地 和歌山県古座川町
探索日 2024.12.13
公開日 2024.12.29

 立合川での運材方法を現地地形から推理する


2024/12/13 15:48 【現在地】

改めて、トンネルの出口へ立つ。
まだここはギリギリ穴の中で、外まであと1mほどだが、流材トンネルという素性を物語るように、外は直ちに立合川の水面になっていて、出るには水の中へ入る必要があった。

出口部分の洞床は、少し高くなっていて歩行用ステップが刻まれた左側と、それより低く水が流れるようになった右側の部分に分けられる。
右側部分はコンクリート練積みの低い堰となっており、今の水位だと堰を越えて水は流れ込んでいない。
また、堰には取水用とみられるポリ管も貫通しており、目的は分からないが流材トンネルに流材以外の通水機能が与えられた形跡があった。ポリ管という素材の新しさを考えれば、堰ともども流材が終了してからの設置だろうか。



トンネルを出ると同時に、長靴でも浸水するやや深い部分の水流を、立ち幅跳びの要領でえいやっと飛び越えた。
バシャンというはしたない音と共に、私の身体は浅い部分まで、どうにか届いた。
こうして足が濡れることは免れたが、あいにく外は雨降りだった。入る直前に降り始めた雨は、いよいよ本降りとなって、立合川の静かな水面を忙しく叩いていた。

地図を見る限り、目の前のスギ林の中を古座川町道が通っており、また上流には数軒の人家もありそうだが、川の中からでは見通せない。
この場所は、流材トンネルがその仕事を全うするうえで重要な作業現場であったはずだが、現状、その仕事のやり方を丁寧に教えてくれるほどの遺物は残っていない。ただ背にした小さな穴が昔ごとの縁(よすが)を留めるだけである。



これが立合川側の坑口だ。
水面に近い高さに口を開けており、やはり見慣れた道路トンネルとは印象が違う。
素性を知らなければ単なる水路トンネルと見えるだろうが、中を覗くと先が滝のように落ち込んでいるから、仰天するんじゃないだろうか。



坑口を上流側から撮影した。

トンネルが穿たれている左岸の一枚岩は圧倒的な険悪さで【そそり立ち】、立合川が古座川と合流する邪魔をて500mくらいも迂回させている。
しかもその迂回した流れの途中には、(このあと実見するように)滝や瀞や流れの乏しい部分があり、おそらく流材に不向きであった。
だから両川を結ぶバイパストンネルを貫通させ、流材を行ったのだと想像が出来る。

ただ、実際にどのように流材トンネルを利用していたかという詳細を私は知らない。『古座川町史』も読んだが、情報は発見できなかった。
トンネルの断面が小さいことから、“鉄砲流し”のように人工洪水を起して一気に水と丸太を流したわけではなく、坑口前に水を溜め、そこに浮べた丸太を1本ずつ穴へ流し入れる方法だったのではないかと思うが…。

そして、もしこの想像が正しければ、坑口前にプールを作るための低い堰が少し下流に築かれていたと思う。だが、その痕跡(土堤や石垣、丸太を岩に差込んだ孔など)は発見できなかった。




また不思議な物を発見した。

なんと、潜り抜けてきたトンネルの3mほど上流に、別の穴が口を開けていたのである!

1つと思った穴が、分岐で2つになったと思いきや、また増えて3つになったぞ……。



新たに発見された穴(左に見えているのがそれ)は、最初の穴(右の穴)よりも40cmほど高い位置にあるが、それぞれの断面の大きさは近いものがある。
また、両方の穴とも入口には丸石練り積みの低いコンクリート堰が設置されており、入口だけを見れば瓜二つな穴だった。



しかし、この穴には奥行きがほとんどなかった。
前述した洞内分岐の行き止まりの穴よりもさらに短く、地表の入口から3m足らずで終わっていた。

果たして、この穴の正体はなんだろうか。
これまた何らかの事情で途中放棄された未成の流材トンネルなのだろうか。そんな何度もやり直すほどの難工事だったのか。
あるいは未完成のものではなく、流材の仕事に必要な何らかの施設がここに置かれていたのだろうか。

この穴は、先ほどの“行き止まり”以上に確信的な説が見当らない、謎の存在である。



下流側から、並んだ2つの坑口を撮影した。

立合川での流材がいつ頃まで行われていたのかは不明である。
古座川の本流では昭和40年代のはじめ頃まで行われていらしいが、立合川の状況については情報がない。
当時の情景は想像するよりないのである。
斧が木を打つ音に交じって、川狩り人夫たちの威勢の良いかけ声が、この谷を賑やかにしていたのだろうか。



15:52

出口付近の様子を一通り観察したので、ここで自転車を置いたままにしている入口へ一度戻ることにした。
再び深い部分を飛び越えて入洞。
そのまま一度登ってきた急坑道を慎重に下って行く。
この戻りの歩行の大半を全天球動画で撮影したので、ご覧いただきたい(↑)。全天球動画なので全場面でグリグリできるぞ!



15:56 《現在地》

古座川に面する旧県道へ戻ってきた。
雨はいよいよ強く降り、10分ほど離れた間に自転車のサドルはすっかり濡れてしまっていた。

この写真は、トンネルの入口付近から古座川の上流を撮影した。
中央に見える現国道の橋のすぐ先に、本来の立合川の合流地点があり、向かって右側の岸から流れ込んでいるが、水量が少ないのでよく分からない。

チェンジ後の画像は、同じ位置から10m下の古座川の水面を撮影した。
流材トンネルを落とされた丸太は、道路下を潜って、この底知れぬ深い淵へドボンとする手筈だったのだろう。
流材が盛んだった当時の古座川には、流れてきた材を一時的に係留しておく網場が各所にあり、勝手に流下しないよう管理されていた(それでも洪水の度に破壊され太平洋へ大量の木材を亡失している)。
この辺りにもそういう網場が存在したのではないだろうか。



こちらの画像は、やはり同じ場所から、トンネルが貫いている巨大な一枚岩の尾根を見上げた。
この岩の壁の向こう側には、数分前までいた【立合川の清流】がある。
確かに聳え立つ岩の風合は同じものだと感じられるが、地形としては圧倒的に隔絶されていて、登り越える術はない。
地図がなければ、あるいは空撮でもしない限りは、ここに高度を違えて2つの川が隣り合っている実感は皆無である。

にもかかわらず、正確な地図も空撮もなかった時代に、ここに穴を貫通させることを思いつき、設計をし、工事をし、実際に流材を実行した林業関係者の胆力には感心するばかりだ。




《現在地》

最後に、立合川沿いの風景を少し紹介しよう。

ここは旧国道が立合川を渡るところに架かる飯森橋で、奥にあるのは同じく旧国道の飯盛隧道だ。(「森」と「盛」の字違いは誤字ではない)
それぞれ、昭和7(1932)年と昭和6(1931)年に竣功している記録がある。旧道化は共に平成12(2000)年である。
飯森橋も飯盛隧道も現役で利用されているうえ、後年の補修も多く入っており、昭和初期の構造物としては上等な保存状態にあるが、特に橋はこの日も補修工事中であった。

注目は、この橋の上から見下ろす立合川の様子だ(↓)。



ここでは自動車よりも大きな巨岩の数々が狭い谷底を埋め尽くしており、水はそれらの隙間を縫うように連瀑となって流れ落ちている。
とてもではないが、流材が行えるような流れではないのである。

流材全盛期の古座地方では、ダイナマイトなどで障害となる河中の岩を取り払う疎水工事も多く行われていたそうだが、この状況では改良にも無理があると判断されたのだと思う。だからこそ手間のかかるバイパストンネルによる流材が実施されたと考えられる。



飯森橋の袂に分岐があり、橋を渡らず進むと立合川沿いの町道佐田立合川線に入ることが出来る。
この道が立合川に沿って上流を目指している。
今はしっかりとした舗装道路だが、流材が企てられた時代は、こんな道ではなかったのだろう。



立合川沿いの道路については、この昭和8(1933)年の地形図(↑)に、とても興味深い描かれ方をしている。

県道(今の旧国道)を飯森橋の袂で分れ、立合川沿いを遡行していく道自体は当時から描かれているのだが、飯森橋から流材トンネル(それ自体は描かれていない)の在処までは点線の“小径”(徒歩道)(青く着色)として表現され、それより上流だけが“荷車が通れる町村道”(赤く着色)として表現されているのだ。
普通は川下の方が良い道で、奥に行くと細い道になるのが通例なのだが、ここでは逆である。

……それだけならば「珍しいね」という感想で終わるかもしれないが、ここに流材トンネルの存在を重ねることで、当時の立合川における一連の運材方法が見える気がする。
すなわち、上流の伐採地から流材トンネルの上口までは大八車のような荷車によって丸太を道路輸送し、そこからは流材トンネルと古座川を使った河川輸送へバトンを繋いだのではなかったか。
そう考えることで、この珍しい地形図の表現が上手く解釈できる。



《現在地》

飯森橋から200mばかり町道を登っていくと、この道も立合川を渡る。
写真はその場面だ。(全天球画像から切り出したので画角が広い)
写真中央の巨大な一枚岩の岩脈が立合川と古座川を隔てるもので、この50m先を件の流材トンネルが貫通している。
斯様に大きく崩しがたい巨岩に仕事の邪魔をされた人々は、崩せぬならばと、小さな穴を穿つ搦め手を以て、その仕事を果たしたのであった。



そして最後にここが、先ほど一度引き返した流材トンネルの上口に面する町道上の地点だ。
対岸は取り付く島もない絶壁の岩山だが、この右岸には杉が植えられた広い平地がある。林を透かして坑口が見えた。
一方、この先の道路と川は暫くの間とても緩やかである。
かつ水量が少ないから、河川を使った運材には向かない。

総合すると、おそらくこの広い杉林が、かつて土場だった。
上流から大八車などで運ばれてきた丸太をここに一度集め、水を溜めた川を通じて、対岸の流材トンネルへ投入したのではなかったか。




以上で、古座川町一雨より、世にも珍しい超絶傾斜を有する流材トンネルの現地報告を終える。
またしても、人間が財や幸せを求めて自然に立ち向かうときに見せる知恵や胆力の凄まじさを実感する探索となった。
悠久の風雨に耐える巨大なる岩の障壁を以てしても、人の欲望を止めることは出来ないらしい。




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