飯田線旧線 向皆外隧道 前編

公開日 2009.8.29
探索日 2009.1.25


【周辺図】

JR飯田線の向市場駅と城西駅の間には、“世にも珍しい”橋が架かっているという。

その名も「第六水窪川橋梁」。

しかしこれ、“珍形式”の橋かと言えばそうではなく、よくあるディックガーダー(上路プレートガーダー)らしい。
それが15連も連なっていて全長は400.7mあると言うから、山中の橋としてはかなり長いのだが、その理由が“珍”なのである。

この橋が変わっているのは、地形図で見て一目瞭然であるとおり、水窪川を渡るように見せかけてそのまま戻って来るという“珍線形”だ。
一名、「渡らずの鉄橋」というそうだ。
道路橋でもたまにこういう線形を見ることがあるが、なるほど鉄道では初めて見るかもしれない。

そしてこの“珍線形鉄橋”(←この言葉10回言ってみれ)にも、その建設に関わる旧線が放棄されているとの情報を読者さんから頂いていた私は、前回の「第一久頭合隧道」解決後、すぐこの場所へ向かうことにした。
両者は最短で300mほどしか離れていない、同じ駅間の物件である。


参考文献: 『飯田線中部天竜大嵐間線路付替工事誌』 



探すべき場所は、この上なく明瞭だが…



2009/1/25 7:25 

実はこの探索、前回の「第一久頭合隧道」と共に、当初は今回やる予定のなかったものだ。
自転車が昨日故障しなければ、朝一で飯田方面へと向かうつもりだった。
それゆえエスクード常備の僅かな資料と、ノートパソコンに補完してある読者諸兄による「情報提供メール」とが、この日の計画変更の材料となった。

そんなわけで、いつも以上に未知を切り開いていく感覚をもっての探索となったのは、幸か不幸か。

そのファーストタッチとなる向皆外(むかがいと)橋へ立った私の前に、地形図のイメージよりも遙かに壮大な鉄道風景が広がった。




これが、“渡らずの橋”か。


なるほど、その通りの姿をしている。

ちょうど対岸が中芋掘の、意外なほど密集した市街地になっているため、
余計に線路が入りがたく曲がってしまったような印象を受ける。

そして、この橋に対する旧線が有るとしたら、それはもう一箇所しか考えられない。

私は、速やかに“そこ”へ向かった。




《現在地》

きたきた…、早速見えてきた…。

線路が二叉に分かれていたような雰囲気が、ありありと見て取れる一角が現れた!

まずは順調なファーストコンタクト。

ちなみに、ここへ直接来る車道はないので、50mほど離れた道から段々畑の畦を下って、さらに民家の裏庭へとお邪魔している。
また、奥に見える赤い橋が、上の写真の撮影地点である。




旧路盤に到着。

「渡らずの橋」の橋台の真横に、丸石練り積みの石垣を路肩に据えた堅牢そうな平場があった。
現在の線路とは分岐地点において1〜2mの高低差があるが、これぞ切断された旧路盤の成れの果てと見て間違いなかろう。

この位置を始点として、「渡らずの橋」の先にあったであろう再合流地点を目指すことにする。
旧線の線形は不明だが、300〜400mの距離だろう。




一旦は捉えたと思った旧路盤だが、意外にもその痕跡は長く続かなかった。

丸石練り積みの石垣が無くなると、今度は山側に同じ構造の法面が現れたが、痕跡としてはそこまでだ。
それより先は、まるで法面を呑み込むように堅い土の斜面が広がっており、平場はほとんど無い。
辛うじて人が歩ける掘り込みが通じているが、路盤跡では無いだろう。

そしてさらにその向には、鬱蒼と木の茂るかなり急な山腹が続く。
路盤復活を祈りながらそこへ向かうも…。




う〜む…。

何だか、まったく痕跡が無くなってしまった。

やはりこれは、アレが関係しているのか…。

この痕跡の薄さと無関係ではないと思うことには、この旧線、正確に言うと“未成線”なのである。

情報提供者曰く、「開業前に地滑りが起きて向皆外隧道が破壊されたが、復旧を断念して第六水窪川橋梁で迂回した」というのだ。

何という因果か…。
宿命的に断層地帯を貫かざるを得なかった飯田線ならでは…かもしれぬ、極めて稀な“未成旧線”だったのだ。




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向皆外隧道 跡



7:33 《現在地》

この区間内にあった「向皆外隧道」が着工されていたことは明らかだが、前後の路盤工事は完備されずに終わったようである。
周囲が鬱蒼とした杉林に変わっても、依然として路盤らしき平場は現れなかった。
中には腰よりも太い立派な成木も混ざる杉林だ。
本当にこんな場所で、半世紀も前とはいえ、鉄道工事が行われていたのだろうか。
俄には信じがたいほどの変貌であった。

私は脳内ジャイロを働かせ、のれんに腕押すような水平移動を続けた。





あわーッ!
わーッ!!

あるで。

絶対無いと思ったのに、唐突な感じで…、

斜面にコンクリートの巨大な物体が…。

まじかよ…。





マジだよ…
あったよ…。


今まで廃道と廃線と色々見てきたが、この鬼気迫りっぷりは、ただ事ではない。

もう全てが終わって半世紀も経っているはずなのに、全然均された感じがない。
今も崩れ続けているのではないかと思わせるような禍々しさがある。

路盤無き杉林に…、こんなものが残っていようとは…!





向皆外隧道南口である。

ほとんど口は閉じている。

というか、見るからに奥行きなどありそうもない。

本来の隧道から切断された坑門部分だけが、ここにあるような感じがするのだが…。







いや!
 奥行きがある…!


嬉しいような、嬉しくないような、微妙な心境だ。

開いているとなれば、私はきっと入らなければ気が済まないだろう。

だが、この穴には夢も希望もない気がする。

坑口にいても、既に土臭さが鼻につく…。

長さは知らないが、絶対に貫通していないと断言できる。




7:33

斜面で、埋没同然となっていた坑口。

どうせ帰りもここを通るのだからと自分に言い訳し、洞内探索は後回しに。

そして先へ進むべく坑門脇へと回り込むと、そこには思いのほかに巨大な外壁があった。

外壁は10mほど先で、いよいよ崖の地中へ潜っていく。

これを見るだけでも、いかに土被りが浅く、偏圧の掛かりやすい不安定な隧道だったのかが伺える。




少し離れて見る。


でかい。

あんなに開口部は小さく、洞内だって狭く見えたのに、腐っても国鉄の隧道だ。

本来のガワはこんなにデカイのだ。
それが今や、ボロッボロ…。
こんなに堅牢そうな外壁なのに、巨大な亀裂が生じている。

新品のままこの様とは、本当に憐れな構造物だ。
不幸過ぎる。




同構造物が地中に潜り込んでいくところだ。

果たしてこの地下は無事なのだろうか。
元の形が分からないので想像するしかないが、外壁の左端の一部は欠けているように見える。

それが土砂崩れによる破壊なのか、それともこの隧道自体が動いて崩れてしまったのか。
この周辺には平坦な立ち位置が無いので、何が水平で何が傾いているのか、よく分からないのだ。
はっきり言えることは、この物言わぬ巨大な隧道外壁が、亀裂と苔とに覆われた無惨な姿を晒しているということだけだ。



そしてこの直後、私は川べりまで下らされた。

隧道を掘るほどの急斜面である。
山腹をへつって先へ進むことが出来なくなったのだ。